merlinrivermouth’s diary

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(社会)二つの日本人

日本人は大まかに二つのタイプに分類できます。

保守タイプと新興タイプ、と便宜上名づけました。

保守タイプが基本的な日本人の文化スタイルです。日本という世間を信じ、一億総中流という理想があり、世間内においてはフラタニティを信じています。

新興タイプは後発で、高度成長期から都市化されるにつれて情勢されてきました。都市化されているスーツ族のメタファーで、カースト的価値観を持ち、排他的です。

おそらく、この両者を具体的に可視化したのは私が初めてになります。

両者にとって、人間の条件が違うため、折り合うことができません。

 

A 保守タイプの特徴

ストックタイプの資産家、自営業種。

ストック型の資産に特徴があります。従って、富を大きく増やそうとかをあまり考えていません。安定を重視しています。

 

人を判断する材料は態度です。学歴や年収、経歴や職種などより内実を重視しています。安定を重視するということは、危険負担をしたくないということですから、どれだけすごいと言われているかより、勤勉で真面目で誠実であるかの方が重要だからです。

 

日本全体を世間として捉えているため、ある種の平等志向があり、ある意味でのフラタニティ感覚があります。従って、マウンティングに対しては非常に強い嫌悪感を持ち、誰に対しても鷹揚に接しようとします。

しかしながら、差別的な感覚があるため、人によってはそれが強く出てしまいます。とはいえ、その差別感覚も人間性に訴えかけられるとたちまち萎みます。それは彼らがヒューマンだからではなく、日本を世間という枠組みで捉えているため、差別対象も世間側だと認識しているからです。

 

好きな文化も直情的なものや保守的なものになりやすいです。あまりにクリエイティブなものに対しては興味を惹かれない傾向にあります。例えば、ポップよりロック、恋愛ドラマよりもお笑い、漫画もシンプルでわかりやすいものを選ぶ傾向にあります。

ヤンキー文化に似ていますが、必ずしも対抗文化ではなく、反知性でもありません。というより、新興タイプができる前のタイプ全てを包含して分類しています。

例えば、日本で最も知性的かつ教養ある人たちはこのタイプです。本質的な議論や社会正義に対して意欲的だからです。ストックタイプの資産家階層は労働を求められるため、多くは専門職になります。

安定が大事なため、投資するにしても安定資産であり、借入や無駄な贅沢を嫌います。もちろん贅沢しない訳ではなく、贅沢は階層性によりますが、それでも無駄ははっきり切り詰めるため、ケチと言えます。

これらのタイプは財産継承を重視しているため、家庭の問題を乗り越えるためのコツが伝統的に継承されています。即ち、男性は女性に完全に尻に敷かれるというもので、不倫や浮気は厳禁だということです。何世代にも渡り、女性に支配される家庭が幸福だと子供心にインプットされています。ストック資産家や自営業種は家庭の安定が経済的利益に直結するためです。

これらの文化を継承している場合、共働きになった場合、男性はやはり家庭に協力的なります。

この理由は、保守タイプにとって婚姻や家庭を持つことは快楽や見栄のためではなく、態度も重視されるからです。

 

保守タイプにとって、見栄より態度が重視され、偉いというようなことは二の次になります。

人間としての価値は経済力や経歴、職分より人生に対する態度だと認識しています。

 

B 新興タイプ

高度成長期から都市化された人々です。保守タイプのアンチテーゼでもあります。

新興富裕層、専門職、大企業の給与所得者などです。つまりスーツ族です。

10年以上前までは、スーツ族は男女平等ではありませんでした。スーツ族は婚姻するにあたり保守タイプと妥協する必要がありました。しかしながら、男女平等が進んだ結果、スーツ族はスーツ族と婚姻することが増えたので、保守タイプに妥協する必要がなくなり、新興タイプとして遠慮する必要がなくなっています。

 

彼らにとっての世間とは新興タイプの人々です。そして自らをエリートと自認し、近代的な価値観を持っていると認識しています。つまり保守タイプを近代的でないと評価しています。

しかしながら、彼らの価値観や文化規範を近代的とするならかたわになります。ヒューマニズムや法の支配などの概念が欠落しているためです。

新興タイプは表現上のステータスやスペックが重視されます。そのため、見栄に力を割き、カースト制に似たヒエラルキー構造が存在します。また、排他的で、非寛容性があります。

自己利益が他者と直結しないため、自己利益に邁進します。しかしながら、彼らの世間内の評価や見栄に関わることなので、それらを表に出しません。即ち、差別的かて排他的、非寛容で、自己中心的ですが、表現上は極めて良い人に振る舞おうとします。ですが、自己利益と関係がない人には徹底的に冷淡に振る舞います。二面性に強い特徴があります。

新興タイプが好みとする文化はクリエイティブなものです。情緒的なものや感情的なものより、前衛的なものや流行が大事になります。

財産継承可能性が低く、自己利益と他者の利益に互換性があまりなく、それでいて偽りを述べるため、家庭では常に問題が起きる可能性があります。新興タイプにとって、結婚や家庭を持つことは、見栄や快楽のためです。また、新興タイプで結婚することは意味がありませんから、そもそも愚かでもあります。

 

保守タイプと新興タイプの相剋

両者は経済的利益、価値観、規範に至るまで、相容れません。それは投票コードにすら表面化します。

 

1.アベノミクス

新興タイプは金融経済に重きを置きます。彼らの資産は金融資産であることがほとんどだからです。一方、保守タイプの資産は法人経営や事業所経営、不動産経営です。実体経済が弱り、消費の需要が弱くなることは問題になります。

アベノミクスは完全に利害が対立します。アベノミクスは金融に金を投入しました。しかし、実体経済への投資をほとんど行いませんでした。

結果、新興タイプは確かに金余りになり、贅沢品の需要は伸びましたが、国内全体として需要は低迷しています。これでは保守タイプは利益を生み出せません。

 

2.価値観

保守タイプは規範意識があるため、近代的でない部分がありますが、人間的な側面があり、社会福祉に理解があります。

一方、新興タイプは近代的と自認していますが、人間的とは言えず、法秩序を軽んじること甚だしく、自己利益に関係する社会福祉にしか興味がありません。

保守タイプからすれば、新興タイプのそれはあまりに規範意識から外れており、社会ないし世間をガタガタにしているとしか思えません。

 

3.政治的行動

自民党は本来的には保守タイプが主要な支持層でした。しかし、保守タイプは少なくとも地方政治においては自民党を支持するのが難しくなっており、それは大都市圏にこそ顕著です。

保守タイプは自民党ならば、宏池会を支持しています。野党ならば、社会民主党または共産党です。

新興タイプは自民党ならば旧細田派か麻生派、野党ならば立民の一部、維新の会、令和新選組です。

つまるところ、新興タイプは近代的価値観というより新自由主義の権化であり、保守タイプはそれに真っ向から反対しているのです。

 

 

 

 

(社会)何故、恋愛が上手く行かないのか?

マッチングアプリと婚活サービスによる市場化

恋愛は市場化されました。マッチングアプリと婚活サービスによるものです。マッチングアプリアメリカ発祥であり、アメリカは資本主義と市場経済が社会を覆い、アメリカ人は自らを商品化するのが諸野の前提になっています。

恋愛市場において人間性は問われません。人はあらゆるステータスに分解され、価値化、商品化されます。性格や価値観つまり人間性においても商品化されます。

日本では人を価値化する文化や市場にありませんでした。新卒を一括で採用するような国で、人の市場価値にそれほど重きを置いていません。結果、できたばかりの恋愛市場においても、人に対する価値基準は主観的であり、曖昧で、恣意的で、誤謬が多くなります。

 

恋愛市場における交際が、打算が前提である以上、互いに信用がない前提で交際がスタートします。

あくまで、打算として交際する手段であり、資本主義と市場経済が全て覆うアメリカでは、実際にそのように機能しています。

しかし、日本人はそこに感情を求めています。お互いに信用や信頼がマイナスからスタートし、付き合いも非常に浅いのですから、お互いに打算として割り切らない限り、より良い人間関係が作れるはずがありません。日本人は精神的に幼い傾向があり、人の商品化というものに対して、あまりにナイーブです。

 

恋愛の市場化における、交際の過程

昨今の恋愛は以下のようなアプローチから始まります。

候補者のステータスや外見などのスペックを値踏みし、何人かと同時並行的にやりとりします。

ステータスや外見には嘘が含まれているため、注意深くチェックします。

 

・既婚者または恋人がいる可能性。

・年収に偽りないか?(しかし、日本人のほとんど全ては資本主義を理解していないため、資産の方が重要だと気付いていません)

・借金の有無(愚かしいですが、今どきどのような形にせよ、借金漬けなのが普通ですし、それを見ず知らずの人に言うはずがありません。そういったことを理解なされていない人がかなりいます)

 

この他にも、さまざまな条件による除外があります。年齢や身長、喫煙状態、挫折経験の有無。

 

アプローチは、鷹揚で、かっこつけとかわいさを強調したあざとさが重視されたアピールから始まります。

お互いに気がないのは明白です。何故なら、会ったことがない、数回した会ったことがないにも関わらず、セックスアピールをしているからです。

 

これらは経済力とセックスアピールを計りかけて、取引の交渉を行なうものです。である以上、力関係のバランスを探り、主導権の所在を明らかにする過程が必ず生まれてしまいます。これがモラハラの要因です。

マッチングアプリや婚活サービスによる恋愛や結婚はビジネスと同種であり、パパ活やママ活と大差あるものではありません。むしろ夜職と比べて、マッチングアプリや婚活サービスは経済力の違いが明白でない分、主導権や支配関係の確認の過程がより複雑になります。

日本人は資本主義や市場経済をあまり理解しておらず、精神的に幼いため、そこに個人の主観を組み入れてしまいます。そのため、経済力や能力を正確に評価できず、力関係や向き不向きについて、パートナーと相互理解に達することが非常に難しくなります。また日本人は議論の文化がないため、相互理解のためのツールもありません。

結果、物理的行使という形で、モラハラ被害やDVに繋がります。

日本には客観的な基準もなければ、他者の致し方ない状況を慮らねばならないヒューマニティーの文化もありません。

 

恋愛市場における恋愛はビジネスの要素が強いです。また純粋な恋愛とした場合、あまりに信用がありません。

また日本においては、主導権の取り合いが主観的で恣意的なものになりますから、力関係をある程度明白にする必要も出てきます。

そのため、恋愛のテクニックは必要悪になってしまいます。

 

恋愛市場の失敗

日本の婚姻率が低下し、離婚率が上昇しているのは、マッチングアプリや婚活サービスの導入によって必然的でした。

人を商品化して評価する文化に馴染みがない日本で、恋愛市場が導入されれば、男性不信、女性不信に陥るのは宿命的でしょう。

どちらも浮気や不倫前提で、経済力の保証はなく、男性は女性のわがままで際限ない要求に応える必要があり、女性は男性が利益を回収するモラハラやDVや束縛の過程をリスクとします。

どちらもそうなった原因がわかりませんから、リスク回避として、アプローチ段階でより強い条件で絞り、全く欠点がない人を選ぼうとします。

全く欠点がない人など存在しませんし、そもそもそこに問題の原因はありませんから、誰を選ぼうが、ある一定の水準に達している候補ならば、似たような問題に当たります。

 

この恋愛市場のモデルを利用し続けるならば、日本人はアメリカ人のように、自身を商品化し、適正な価値を評価する目が必要になります。

 

具体的には

①日本の階層構造の理解

②経済力の源泉を理解

③階層や業種による、価値観や文化の違いを理解

④議論可能なための個人主義

⑤自身を商品化するための、甘えからの脱皮

 

これらが達成するのは不可能でしょう。世間的な人であるのが日本人のアイデンティティだからです。

 

マッチングアプリや婚活サービスを利用するな

日本の婚姻率の低下や離婚率の上昇に歯止めを効かせたいならば、幸せになりたい日本人が恋愛市場に参入しないようにしなければなりません。

マッチングアプリや婚活サービスは一見便利ですが、恋愛市場はパンドラの箱であり、ほとんどの日本人は恋愛市場に参入する資格を持ち合わせていません。

 

(日記)闇にのまれる。

人は人を深淵に追い込む。

深淵に追い込まれた者は人の闇を泳がされる。

不安で、油断ならない人の闇。

闇がいつ襲ってくるかわからない。

闇の中では生きられない。

深淵を覗く者は光を求める。

しかし光は近くて遠い。

近づいても、近づいても、離れ、近づけば、近づくほど、それを幻影だと知る。

まるで何かの罰ゲームかのように。

深淵を覗く者はやがて理解する。

人の摂理は性悪にあると。

闇こそが真実。

光は幻影。

闇に生きるには、闇そのものになるしかない。

深淵を覗きし者はやがて深淵になる。

闇を飲み込めれば、飲み込んだ分だけ、吐き出せる。

自らを深淵に追い込んだ者たちへ。

闇を飲み込むだけ飲み込んでしまおう。

吐き出せるだけ、吐き出そう。

この世の全てが闇に飲まれるように。

己の真実に気付けばいい。

己の真実に狂乱すればいい。

 

 

(社会)正しい自己肯定感

認知療法を知っているでしょうか?

自身の本質に向き合う心理療法を言います。私はさんざんやらされましたが、全然効果ありませんでした。何故なら、私は最初から最後まで、それこそ徹頭徹尾、自分に自信がないこと、愛されてなかったことを認識していたからです。

むしろ、精神科が行う認知療法は逆効果でした。それらは自信がない人に自信を持たせるのではなく、より自信をなくさせ、世間に対して我慢せよ、というものだったからです。

本来、心理療法は患者を個人として自立させ、非近代的な世間から自由にさせるものです。ところが日本では逆に作用しているのです。

昨今、流行りの自己肯定感というものもそれと同じです。本来、個人として自立させるためのものが、世間からの同調圧力を正当化する根拠として用いられています。

本来、自己肯定感とはどのように用いられるべきか?

自己肯定感という言葉がどのように同調圧力に用いられているか?

を解説します。

 

自己肯定感と認知の歪み

心理学において、自己の認知の歪みがない状態が理想です。

自身の状態…自信がないとか、愛に溢れてるとか、心理状態ですが、それを自身が正しく認識していれば、他者と問題が発生しにくいです。むしろ、それで問題になる場合、その他者が問題となります。

例えば、落ち込んでいたり、自信がなかったり、困っているなどの自己肯定感が低い状態で、それを正しく認識していれば、外に出る反応はネガティブなものになります。

常識ある人、人間的な人なら、そのような人を見れば、同情する反応になるのが自然です。ですので、周囲と軋轢は生みません。

ですので、自身の状態を素直に表出することが基本で、理想です。それが認知の歪みがない状態です。

 

逆に自己の認知の歪みがある状態…最も顕著なのは、同じく自己肯定感が低い状態で、自身が自信がなかったり、落ち込んでいたりするのに、自信ありげに見せる行動や態度が周囲と軋轢を生みます。

そのような状態は自らの行動や態度によって、自身を自信があるように錯覚させようという意図で行われます。

往々にして、過剰な強がりや他者を貶める行動に繋がります。主にモラハラやDV、誹謗中傷、マウンティング、受動攻撃、買い物依存などの行動に現れます。

それらの行動は当然ながら、周囲と軋轢を生みます。

 

自己肯定感が低いにも関わらず、高いかのように振る舞っていることに問題があります。

自己肯定感が低いこと自体は同情に値するものです。

また、自己肯定感が低い人を攻撃することもまた、非人道的であり、過剰な攻撃、マウンティング、モラハラですから、自己肯定感が低いにも関わらず高いかのように見せかける態度で、認知が歪んでいる状態です。

真に自己肯定感が高ければ、礼儀正しく、誠実であり、困っている人に同情的です。

しかし、本来、人は誰しもが自信がありません。競争社会で、それが生活に直結し、しかも日本には世間の同調圧力があり、世の中は公正でも公平でもありません。

自信がないならないで、全く構わないですし、弱音や正当な怒りを表出することに問題はないのです。

 

間違った自己肯定感という言葉が同調圧力に利用されている。

自己肯定感が低い状態自体は問題ではありません。認知が歪んでいるのではありません。むしろそのような状態は同情に値します。

しかし、日本では自己肯定感が低いこと自体を問題視し、表現的に自己肯定感を高めようとし、表現的に高いことを良しとしています。

例えば、環境などか恵まれず、弱音などのネガティブな発言をしている人を忌避しあまつさえ攻撃します。またある時は自己肯定感を高めるための贅沢を礼賛します。またある時は恵まれた環境にいる人を自己肯定感があると評価します。

これらは自己の認知の歪みという心理を見ずに、表面だけなぞっているため、全く意味がないどころか悪い影響が出ています。

恵まれない人を攻撃したり、買い物依存や偉そうな態度は結局のところ、自身の自己肯定感の低さを誤魔化すための行動でしかなく、認知の歪みはますます増大します。

ですが、この全く逆効果の勘違いは世間の同調圧力を加えるのに、極めて効果的なのです。

つまり、自己肯定感だけに焦点を当て、自己肯定感が低い状態を問題視すれば、自己肯定感が低い人即ち困っている人に我慢せよと圧力を加えることを正当化できるからです。(しかし、実際のところ、その行動自体が極めて自己肯定感が低く、認知が歪んでいる証明になります)

 

自己の認知を歪みをなくそう。

自己肯定感を高めるなど、自然に達成できません。それは自己の存在の確認であり、周囲からの長期にわたる、根気のいる協力がいります。

そもそも自己肯定感が低い状態はそれほど問題ではありません。それは自分ではどうしようもない問題です。周囲ー家族や世間ーからの圧力によって、そうなってしまったからです。

そもそも、自己肯定感が低い状態つまり、落ち込んでいたり、自信がなかったり、孤独で寂しいことを強がらずに言えることこそが勇気です。

また、落ち込んでいたり、自信がなかったり、孤独で寂しい人を攻撃するのではなく、同情することこそが自信がある状態で、何より自己肯定感を高める行動です。

 

 

 

(社会)男性のマウンティング

https://news.yahoo.co.jp/articles/c163e01da50257be1d512cf477959a3a4e2186cf

 

男性でもマウンティングはままあります。

しかし、男性の場合、単に自慢話をすることを除外し、マウンティングする人としない人ははっきり分かれます。

そのような男性は男性だけでなく、女性にも極めて危険で、かつ女性には極めて見分けがつき難く、非常に厄介です。

解説しましょう。

 

男性のマウンティングの心理と動機

①自らが存在するコミュニティにおける立ち位置を相手に明確化し、精神的に主導権を握る。

②自身の不安やよく見せたいという欲求

これら二つがマウンティングの動機や目的になります。

①の場合は、職場以外または対等と思われる関係において発生します。

対等な人付き合いに慣れている人同士では発生しません。

日本人は多くの場合、世間存在であり、世間側の男性女性はコミュニティ内で自身の立ち位置を明確化し、精神的に優位に立つ必要性があります。職場かつ対等でない人にこれが発生しないのは、基本的に仕事では上下関係が明白であり、立ち位置を明白にする必要性がないからです。職場でも対等な人同士では発生することがあるのは、その職場のコミュニティで立ち位置を明白にしたがるからです。逆説的に対等でないことが明白な場合、マウンティングをする必要性がないので、それが行われることはありません。

対等な人付き合いに慣れている人はそうでない人を除き、人それぞれと平等に接するため、マウンティングの概念がありません。概念がないため、マウンティングをせず、またはマウンティングされたことにさえ、気付きにくいです。

 

②の場合は、①より遥かに悪性度が低いです。多くの場合は自慢話や愚痴で、特定の誰かをターゲットにするものではなく、あくまでその人自身の内在的な問題だからです。

②については悪性度が①に比べて低過ぎ、また連関性があまりないので、主には扱いません。

 

男性の主なマウンティングのパターン

A 単に自慢話

これは誰でもします。実はドストレートな自慢話になればなるほど、その他のマウンティングの心理とは別物になります。

シンプルに、かつ純粋に、自分の不安の裏返しや自分をよく見せたいという欲求から行われます。

自身の何がしかの不安や好きな人を前にする、というような、当たり前の同情し得る状況がそれをさせます。

誰かを貶めることでもないのですし、同情可能ではあるため、周囲から見て、ストレスがありますが、それほど尾を引きません。

これから一般的にマウンティングとするのはAを除きます。

 

B 初対面または親しくなる可能性がないにも関わらず敬語を使わない。

これはその場における自身の立場を明確にする態度です。つまり、敬語を使われなかった人より自分が偉いと周囲に表明し、相手に精神的に優位に立とうとしているわけです。

 

C 相手の話や主張などに対して真面目に受け応えしない。

マウンティングしている側が礼儀正しい場合でも同様です。これは、マウンティングされた側に対して、その人が誠実に応対する必要がない人だという表明で、相手に対して精神的に優位に立とうとしています。

 

D 相手の属性について理解する努力を全くしない態度を示し、その属性より上と思われる自身の自慢で重ねる。

住まいや職種などについて問い、それを「知らない」と答え、より高いスペックを提示し、精神的に優位に立とうとすることです。

私はある劇団員から、住まいを問われ、「実家が杉並で、私は武蔵境です」と答えたところ、「知らない」を連発され、「僕は新宿です」と言われました。因みに、西新宿のオフィス街にマンションを所有していますが、それを説明することはしませんでした。

これは、往々にして、笑顔や敬語で行われることが多いです。

 

マウンティングする男性の特性

マウンティングを行うためには、視野が狭く、独善的で、支配欲求が強く、脆弱な人でなければできません。

視野が広い、想像力があるならば、マウンティングしようとする相手の自身が知らない状況を推察します。そうなると、もしかしたら自身より優れている場合も考えられます。マウンティングは対等と思われる関係で行われるもので、精神的に優位に立つ目的です。失敗した場合、そのコミュニティ内で致命的に主導権を失います。

マウンティングは独善的でなければ行えません。何故なら、マウンティングは多くの場合、無数にあるその人の属性のうちの何か一つがテーマになり、かつそれが明白に上下を有するかどうか判別不能である場合にも関わらず、上下を判断できると思えなければ、行う意味がないからです。

年収や職種や住まいや学歴や偏差値はその人の属性の一つでしかなく、年収が高くなくとも優れた仕事の場合があります。

それらを全て捨象して、自身の価値観のみで上下関係を決めれると思えるのは、独善的でなければ不可能です。

マウンティングはそもそもマウンティングする側が支配したいから行うことです。つまり、極めて強い支配欲求の発露です。支配欲求がなければ、あまり必要がないマウンティングなど行わず、対等な人には対等な人間関係を築こうとするでしょう。

マウンティングは公平な勝負ではありません。多くの場合、あけすけではなく、不意打ちであり、仕掛ける方が主導権があり、圧倒的に有利です。全く公平性を欠くゲームに勝利して喜べる人は卑怯者で、精神力がありません。真に強く、潔い人は戦う前に名乗りを上げ、正々堂々と優越を競い、自身の強さを証明しようとます。

 

マウンティングする人の望みは、その場や状況の支配です。人間関係に対等な関係を望んでいません。しかし、世間の目を非常に強く意識しているからこそマウンティングをするので、世間や社会の枠を超えたマウンティングを行うことはありません。

逆説的に世間の目を気しなくていい環境ならば、平然とその枠を超えた行動を行います。最も考えられるのは、同棲や結婚でしょう。異常なモラハラやDVはマウンティングの延長にあります。

彼らはまた脆弱な人間性を有するため、非常に打たれ弱いことが推察されます。ですので、そのような独善的な支配欲求がありながら、とても寂しがり屋であり、弱い人間性が表面化した場合、非常に優しくなるでしょう。これは、DVを行う男性の特徴でもあります。

 

マウンティング男性の属性

私の経験や聞いた話では、若年層の方が顕著です。若い方からあまりマウンティングを受けたことがないと思われる方は、彼らが単に自身を利用したり、マウンティングをとれないと思っていることについて、想像して下さい。

中年のマウンティング男性は表現的です。つまり、態度であからさまにマウンティングを取ろうとします。滑稽なほどで、だからこそ、悪目立ちします。

一方、若年層のマウンティングは非常に巧妙で、狡猾に行われます。非常に礼儀正しく、笑顔でマウンティングを行われることが多く、そのマウンティングもあけすけではありません。私などはその場では気付かないほどです。

この違いは、中年のそれは自身の内在的不安が先に立つのが主要な動機でありながら、若年層のそれは世間での自身の地位確認が主な動機だからでしょう。

いわゆるハイスペやアッパーミドルに多く、マウンティングをとる人は、ほとんどが借金漬けでしょう。マウンティングをとるためには見栄がいります。どんなに立派でも、立派に見えなければ、マウンティングをとれません。また、彼らは世間からよく思われたいからマウンティングをとるので、見栄を張ることに関しては努力を惜しめないはずです。

逆説的に、見栄を張れることが可能なのに見栄を張らない部分があったり、自身の弱みについて素直であったり、自身の負い目を信頼できる人に話せる人は、たとえハイスペやアッパーミドルであってもマウンティングをとりません。

分かりやすい例として、調子が良く、世知に長けて、すぐ謝る人や礼儀正しい人、自虐ネタを言ったり、剽軽な人はマウンティングをとりません。

またハイスペでも、ストック資産家の子弟は逆にマウンティングをほとんど全く行いません。これは彼らが金持ちであるということが世間の排除対象になり得ると小学校の段階で経験的に学んでいるためで、マウンティングを行うことどころか自慢話になり得ることさえ忌避します。

 

マウンティングを仕掛けられる意味

マウンティングを仕掛ける意味はその場における地位確認で、対等と思われるような人にしか仕掛けられません。

しかし、マウンティングは一方的かつ唐突に行われますから、マウンティングする側がマウントを取れるのは当然といえば当然です。つまり、される方は心の準備などなく、する側は自身が最も相手に勝てる何かで挑んできます。

これは、言い換えれば、その他全てでされる側がする側よりマウンティングするまでもなく優っている可能性が高く、少なくとも総合的に勝っていることになります。

例えば、私にマウンティングを仕掛けた劇団員の話です。彼は20代で、爽やか系のイケメンでした。彼が私にマウントとりたいならば、イケメン的なネタでも良かったのです。或いはモテエピソードでも良かったでしょう。ところが彼が選んだテーマは住まいの場所でした。彼が私に確実に勝てると思えたのは住まいの場所だったのです。

これは、彼の主観や印象では、彼と私とでは、見た目の良さやモテレベルは甲乙付け難いと彼の主観では思えたからでしょう。当然、職分や収入、資産、教養では彼と私とでは勝負になりません。彼は劇団員ですから。

つまり、彼は住まいの場所以外私に勝ってなかったから、私に住まいの場所でマウンティングしたのです。

 

たまに経験があると思われますが、若年層にマウントを仕掛けられたことをコミュニティないしグループで話すと、マウントを仕掛けた人が非常に慌てるのを目にするでしょう。

若年層では、マウンティングは必ずしも悪い行為とされていませんから、慌てる理由はマウンティングにありません。マウンティングを仕掛けたということ自体が総合的に仕掛けられた側に負けていることを示しているからです。仕掛けられた側がグループ内でマウンティングされたことを明示するということは、仕掛けた側が仕掛けられた側よりも劣るとグループ内に証明されたようなものです。

 

私はマウンティングをする人を覚えていません。人間性に問題があるのは当然ながら、無能なのは明らかなので、私に利用価値はありません。

実際、マウンティングとって来た人の名前は覚えていません。

マウンティングを仕掛けるということは、人間性に問題があり、頭が悪い証明です。どんなにそれを洗練させて行っても、その結論は変わりません。

(日記ギャグ)ブログに書いてよ

どうもヤケクソぐっちでーす、おーけーフォー!…あー古いすね。

ヤケクソなのは選挙の方じゃないです。もうね、社民党さえ残ればいいんすよ、この際。

銀河系に浮かぶイゼルローンさえ残れば

ヤケクソなのは、プライベートの方すよ!

もうね、俺は恋愛に向いてないすよ!

産休てなんすか!?あなた!

…まーその他色々あって、なんかどんどん闇に飲まれて来たんで、もう誰かを好きになるの、やめます!

とか言ってたら、知り合いに「絶対うそ、絶対うそ」連発されましたけどね。

 

で、まー恩師兼上司兼先生と話になったんすよ。

その時のくだらない話です。

 

恩師「川口くんさーじゃーどういう子が好みなわけ?🤔」

ぐっち「え?外見すか?」

恩師「違う違う。中身の方」

ぐっち「…閾値を超えて怖いとか、閾値を超えて高飛車とか、閾値を超えてわがままとかでなければ…あと気持ちを少しは返してくれるみたいな」

恩師「?」

ぐっち「ほら、ほうそう子(法曹)とかジョイ子(女医)とかみたいなタイプでなければ、、、」

恩師「え!?それ以外にないの?」

ぐっち「俺、すげ〜優しくて、寛容で、人の良いところばっかみて、大抵は誰にでも合わせられるじゃないすか?😁」

恩師「うん、まあね」

ぐっち「だから、ほうそう子とかジョイ子とかでなければ好きになれるんすよー」

恩師「…あーじゃあ、中身はほぼ全部好みで、問わないてこと?😳」

ぐっち「そうすね👍」

恩師「…じゃ、じゃあ…外見は?😅」

ぐっち「外見…🤔例えば?」

恩師「芸能人とか」

ぐっち「俺、ぶっちゃけ、芸能人が特別可愛い💕とか思わないんすよ」

恩師「は?😳」

ぐっち「世の中の60%の人は美人だと思えますし、美人は全部美人で差がないて思えてます!😆」

恩師「…え😳…好みとか…」

ぐっち「丸顔です☆だから、世の30%の女性はドスライクで超美人で、可愛い❤️て認識してます!」

恩師「それてさ…😓」

ぐっち「…あっ…あ、あー…😓」

ぐっち「外見だけで、世の女性の結構な数の女性が僕のターゲットになってしまってますね…😩めちゃくそ女好き…😭」

恩師「…それブログにしてよ!😁」

ぐっち「は?二回連続で、すげ〜真面目だったのに?😅」

恩師「うん、ブログにして😃」

 

ブログに載せました。

 

あ、ちなみにどっかの占い。

f:id:merlinrivermouth:20220711144930j:image

「恋愛の基準は外見から。面食いが多いです。根は飽きっぽいので、顔だけ好みだとすぐ目移りします」

 

クソやろーやないかい。

(社会・政治)何故、自民党を支持するのか?

最近まで、この種の疑問はさまざまなところで議論されており、明確な答えが出ていなかった。それらの議論の論点は主に文化や価値観の変化に当てられていた。一般の人の収入の減退は著しいものがあるため、経済的に説明がつかないと思われた。

価値観の変化にあたり、若者の投票コードに着目する向きもあった。投票に行く若者の多くは自民党に投票していたからだ。彼らこそ、搾取されているはずなのに、というものだ。

しかし、この論点はあまり役に立たない。若者で投票に行く人は少数派で、投票に行くような人は核心的利益がある。核心的利益はほとんどの場合、経済的利益であるので、経済的利益をもたらす自民党に投票する人がほとんどだ、ということで話が済む。

若者は将来の自分を理想化し、日本は新卒を一括して採用し、同世代の勝ち組は概ね学があるため、投票の必要性を知っており、従って上位の人はほとんど自民党に入れる。左派に入れる人は何かの趣味だろう。しかし、確かに左派に入れる若者が少ないとは言えるが。

若者が多様性を注目しているからこそ、攻撃的な左派より自民党に投票するとする異論もある。着眼点は面白いが、ネトウヨの攻撃性を見ていれば、自民党に投票するより、政治そのものを拒絶するのが普通だろう。

そもそも若者に着目する意味もない。他の世代よりも圧倒的に低い投票率の、絶対数が少ない若者に着目したところで、自民党の得票が多いことの理由にならない。

他の論点としては、低投票率が上げられる。確かに他の先進国に並みなれば、自民党と野党連合は拮抗するだろう。低投票率に保っているのは、自民党とその意を汲んだマスメディア、旧民主党非正規労働者をターゲットにしていないこと、そもそも投票用紙が非正規労働者の現住所にないことにある。

しかし主題は何故、自民党に投票するか?であるので、低投票率の問題には言及しない。

 

実は最近ある事実が判明しつつある。新興富裕層や専門職やサラリーマンは自分の資産の5倍の借入がある。

もちろん、それは全ての新興富裕層やアッパーミドルではない。つまり、必要以上に借入している人は自らの資産の10倍近い借入がある。

これらを可能にしたのは、アベノミクスである。ここに全ての答えがあった。

 

本題

自民党の本来の固定票が自民党に投票するのは当たり前で、むしろ農家票や自営業種票は取りこぼしがある。問題は自民党の核心利益ではない、新興富裕層や専門職やサラリーマンが自民党に投票することだ。

アベノミクスはリフレ政策である。日本政府が国債を発行し、中央銀行市中銀行を通じて国債を買い上げ、発行した円を株式投資に充当する。

市中は非常に金余りになる。個人に対してもどんどん市中銀行から金を借りてもらわねばならない。超低金利政策であるため、借り手はどんどん借りる。預金は担保になっているため、預金を超えた借入は引き出せないから、どんどんどん借りる。起業目的にせよ、投資目的にせよ。

ろくな与信なしに融資するので、ローンを払えるだけ借りる。気付けば、本業など意味がない。

それが、必要以上に借金する人の姿だった。

新興富裕層は大部分、ほぼ全てそれであり、アッパーミドルにもかなりの割合で存在する。

そのような人たちからすればアベノミクスは自分たちの終わりである。金融機関から返済を求められ、破滅するしかない。だから、アベノミクスの永続を願っており、その弊害には一切目をつぶるし、手段を選ぶことはない。

政治的手段はいくつかある。

自民党に投票して、自分たちの負債を間接的にロワーミドル以下に押しつける。例えば、政府は公的資金で銀行を救い、そのための予算を消費増税で賄う。

あるいは、維新の会やれいわ新撰組に投票し、MMT理論に賭け、失敗したら日本や日本人を犠牲に、一緒くたに破滅する。

財政健全化を唱える立憲民主や社会民主党共産党などが政治の主導権を握れば、アベノミクスは終わり、破滅するので、彼らが支持を伸ばすことは絶対に防がなくてはならない。

こうなれば、借金漬けの新興富裕層やアッパーミドルが個人としてどういう価値観を持っていようが、投票先は決まっている。実質、自民党しかない。

新興富裕層の数は知れており、彼らが自民党に入れるのはわかりきっていた。問題は、結局は労働者でしかないアッパーミドルの結構な数が自民党に投票していることだった。それも、彼らが借金漬けならば説明がつく。彼らも自民党以外選択肢はない。

岸田政権が財政健全化をちらつかせた時、自民党の批判政党として維新の会が取り沙汰されたのも、本論はアベノミクスの継続だった。自分たちの破滅がかかっていれば、維新の会の極右性や全体主義や法の支配を守る気がないとか、問題にならない。

新興富裕層や専門職やサラリーマンは社会で影響力があるから、マスメディアやSNSを動かせる。だが、自分が借金漬けだから自民党を支持せよ、とは言えない。綺麗な言葉或いはネトウヨのサポートなどの恫喝を使う。

 

見えにくかった理由

私も最近まで、彼らの金遣いの荒さに大いに疑問があったものの、まさか借金だとは知らなかった。彼らが借金漬けと知ったのは、先月から民事再生の仕事が異常に増えたからだ。

見えにくいのは当たり前だ。彼らが借金漬けと自分で公表するわけがないし、必要以上に借金しない人はそのような非常識な振る舞いをする輩がいるとは思わず、銀行から不必要に借りようと思わなければ、まともに与信なしでガンガン金を借りれるとは思わない。

アベノミクスでの感想は「すげ〜成金が増えた」「生活が厳しい人も増えた」だろう。

だから、常識的な人々はこの期に及んで自民党に入れる人たちがいる謎が解けなかったのである。

必要以上に借金をしない人は逆に政権交代してもらった方がいい。財政健全化や社会保障の立て直しができれば、安定した生活ができるし、恣意的で差別的な政策や空気がなくなれば平和になる。

だが、常識的な人々は自民党を支持する人々の気持ちや理由がわからない。ネトウヨはまだしも理解できる。他による術がないのは一目瞭然だ。一見、学があり、自民党が嫌う個人主義と利己主義の権化の新興富裕層やアッパーミドルの一部が、それも発狂的に左派を攻撃し、自民党や維新の会を支持する理由がわからなかった。

今はわかる。彼らが自民党でなければ借金漬けで破産すると認識しているからだ。だからお互いに対話不能で、分断しているのである。

 

まとめ

アベノミクスはよく麻薬に喩えられる。

一時は気分が良いが、中身は伴わず、いつかその代償を払わなければならない、というものだ。

日本政府だけでなく、借金漬けの新興富裕層やアッパーミドルの多くはアベノミクスという麻薬中毒になっていた。

中毒患者は売人である自民党を盲目的に支持し続けるしかない。でなければ、破滅である。自民党が好きとか嫌いの問題ではない。

自民党に新興富裕層やアッパーミドルの多くが投票し、支援するのは、ただそれだけの理由だ。

だが、残念ながら、日本の甚大な借款や円安はアベノミクスの継続を不可能させている。日本政府がどう足掻いてもアベノミクスの継続は不可能だ。

自民党や日本経済そのものを破滅させるのでなければ、新興富裕層を犠牲にして、不時着した方がいい。それでも歴史的な大不況になる。

故に、新興富裕層やアッパーミドルの多くの借金漬けの方々は岸田政権にはしごを下ろされるだろう。

実際のところ、この度の参院選自民党の公約には、注意深く読めば、自民党の核心的利益を守る→借金漬けの新興富裕層とアッパーミドルを捨てると書いてあった。