merlinrivermouth’s diary

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(社会・恋愛・婚活)アベノミクスバブルの恋愛模様

これから述べる話は私の体験談と経済状況を踏まえて、総合した、私なりの総括です。

非常に陰鬱とした状況ですが、私は単に分析しただけであり、私自身がサイコパスであるわけではありません。

 

アベノミクスバブル下の「世間」

「世間」にはSNS上で、自身のセンス、美しさ、富、能力を顕示する人がいます。SNSに慣れ親しんだ人ほど、彼らに憧れを抱いています。

「世間」は権威主義と相性が良いため、SNSで映えている人の方が世間側になります。

その状況は、世間に適合的な人ほど、SNSに慣れ親しんでいる人ほど、社会がヒエラルキーカーストのように感じます。特に若い世代ほどそうで、彼らの学生時代の体験談はスクールカーストはある種の秩序として存在していることを物語っています。

日本のSNSは匿名が前提で、「世間」的です。必然的にネットいじめが随伴し、特に若い世代は現実の社会生活とネットいじめは接合しています。というのも、彼らに起こり得るネットいじめは彼らをよく知り得る存在が起因となることが多いからです。

カースト」が高い(ように思われる)人ほど、傲岸不遜で、マウントを好むのは、特に若い世代ほど、この「カースト」観がある種絶対的秩序になっているからです。

これらのカーストのような状況はある種の社会では続きます。特に都心のホワイトカラーや恋愛・婚活市場です。

これらのカーストが存在する世間に組み込まれれば、途端に自身の尊厳を失い、自信を喪失します。友人などは基本的に信用できないため、「自分の機嫌は自分でとる」しかありません。

結果、この「世間」に組み込まれざるを得ない人は、依存心が強く、しかし警戒心も強く、不安感が強い心理状況が生まれます。

 

しかしながら、これらの映えの原資は新興富裕層の借入と、その借入を愛人業などで受け取ったもので構成されており、客観的にはそれほど誇らしいものでもなかったりします。

 

恋愛市場の登場

マッチングアプリや婚活の拡大によって、恋愛・婚活は市場化されました。

そこにおいては、人は没個性的で、スペック化され、ランク化、ヒエラルキー化されます。商品ですから。

没個性ですから、その人自身の内面はほとんど評価対象にならず、外見差別、年齢差別、学歴差別、職業差別、年収差別は極限化し、わかりにくいものは拒絶されます。何故なら、恋愛や婚活は一人しか選べないため、差別が前提になるからです。

とはいえ、これらのスペックは具体的な基準で決まっているのではありません。単に先入観や印象で決まっており、社会・経済学的な分析によるものではありません。従って、社会的なものではなく、世間的なもので、機械的に分類されず、恣意的なものです。

従って、恋愛市場の参加者は恒常的な不安感に晒されることになります。

これらの不安感はアベノミクス下の「世間」の特徴であるカースト的で、いじめが前提のものと合わさり、増大化します。

これは「カースト」上位者でも自由ではありません。そもそも恋愛や結婚ほど人間の個性が問われることはありません。「世間」的スペックが高くとも、それだけでは満足のいく結果は得られません。

 

恋人によるモラハラ

恋愛・婚活市場は人を商品化しているため、「カースト」が高い側はより良い恋人に乗り換えることも可能です。

アベノミクス下の世間は依存心、警戒心、不安感が前提となっているため、パートナーがカーストが高い(ように思える)人はパートナーに必死になり、ますます依存心、警戒心、不安感を高めます。逆にパートナーがカーストが低い(ように思える)人はその状況を利用し、パートナーを利用するようになります。

これらの対処法として、キープやセフレや推しを作るわけですが、推しを除いて、それは恋人への非違行為であり、モラハラを強めることになります。

しかもこの問題は、カーストが高い(ように思える)側も依存心、警戒心、不安感が強い前提があることです。彼らも恋愛・婚活市場に参入している以上、アベノミクス下の「世間」から自由ではありません。

 

自己肯定感という概念の罪

アベノミクス下の「世間」存在、特に恋愛・婚活市場の参加者は極めて自信がありません。自身の尊厳を切り売りしているからです。

自己肯定感という言葉が流行している流行はここにあります。

より見栄を張り、よりカッコつけ、よりあざとく振る舞い、よりモテて、チヤホヤされて、自己肯定感を上げるように、商業マーケットは誘導します。

おそらく、真に自己肯定感を取り戻す方法はこんな世間から降り、世間を降りた人たちで友人となることでしょうが、遺伝子を残すという根源的な問題からは容易に降りることはできません。

その結果、借金可能な男性は借金可能なだけ借金し、女性たちに富を顕示し、女性たちはオシャレや整形のためにパパ活や夜職、水商売に手を出すようになっています。

特に、恋愛・婚活市場は女性が選べ、一部の男性に集中するため、男性の方が自己肯定感は低く、借金可能な男性はかなりの高い確率で、非常に借入している様子です。

 

借金というこのモデルの原資

これらの悲惨で無益な現象は①SNSアベノミクス③恋愛・婚活市場の成立、これら3つの要素の混合によって生まれており、それらはそれぞれ絶対必要条件です。

この中で、アベノミクスは既に終焉の兆しを見せております。

これらの現象の原資は個人の遊興費であり、それらのほとんどは金融機関からの借入でした。

借入可能な男性がとてつもない借入を行なっていたからこそ、見かけ上の男性の年収や富はインフレし、女性は贅沢を許されていたのです。借入できなくなり、回収されてしまえば、ほとんどの男性は慎ましい生活を強いられ、女性に使える額はほとんど全くなくなります。

こうなれば、自己肯定感も何もへったくりはありません。ほとんど全ての人間が自己肯定感が低くなれば、相対的には自己肯定感は満足がいくものになります。皆、慎ましくなるのですから。

借金というエネルギーが投下されなければ、このモデルは成立しません。

憧れを抱くこともなければ、人をスペック化したり、ヒエラルキー化する意味もほとんどありません。

 

今後の予測

大都市圏では、離婚やカップルの破局はとてつもなく増えるでしょう。婚姻できた男性の半数以上はとんでもない借入を行なっており、借入している人たちは経済レベルを維持できないという話を超えているのがほとんどであるからです。

例えば、800万の年収で700万の借入を10年間行い、タワマンに住めば、自己破産しようがしまいが、資産を全てとられ、実質的な年収が350万以下になることが確定的になります。

しかも、当然ながらパートナーはそれを告げられておらず、多くの場合共働きです。

多くの場合、男女共に依存心、警戒心、不安感が強いので、経済的な力関係の変化はモラハラやDVの火種になります。子供がいる場合、女性側は男性側の収入が激減したとしても、養育費のためには離婚しない方がベターですから、男性側がかしづくー家事をやり、低姿勢ーならば問題は少ないでしょうが、おそらく逆の反応になるでしょう。結果、女性側は離婚した方がメリットが大きいので、離婚するでしょう。

しかし、離婚した彼女たちが再婚する充は非常に低くなります。まともに稼げる男性が少なくなっており、子持ちを選ぶことは経済的に重荷です。

結果、大量のシングルマザーを生み出し、しかも困窮する可能性が高くなります。

婚姻していなくとも、恋人が経済的に破滅する、もしくはそうなるような火種があるリスクは最優先で避けるようになるので、これまでのスペック的男性評価は全く無価値化していくでしょう。地味でケチな男性が人気になり、就職氷河期世代のように割り勘が基本になるでしょう。

 

借入がなく、経済レベルを維持できた男性たちのほとんどは、今までのような豪奢な生活を求める女性を拒絶するようになるでしょう。

経済レベルを維持できただけで、金持ちになったわけではないからですし、経済的に破滅した人のほとんどは男性でしょうから、恋愛・婚活市場が女性の搾取により成立していたという側面も明らかにされてしまうからです。

つまり、地味で安定しているからこそ生き残れた男性が恋愛・婚活市場の主人公となり、彼らはより一層悪女タイプを嫌悪し、地味で安定したタイプを求めるので、そのような女性が流行になるでしょう。

 

つまるところ、アベノミクス後の大不況は恋愛や結婚のリセットボタンを押すことになり、男女関係の価値観を逆転させることになるでしょう。

 

余談

アベノミクス後の大不況は既に始まっており、来年から本格化すると考えられます。

アベノミクス下のイカれた価値観が一掃されるのは良いですが、特に大都市圏では凄まじい不況が訪れます。

どういうことか?といえば、日本はアベノミクス以前と比べてほとんど経済成長していませんでした。景気が良く思えたのは、個人が借金して遊んでいたものだったのです。

この借金部分が消え、不動産と教育のローン以外回収され、なおかつ円安による生活必需品の高騰を含めて想像してください。

アッパーミドル、ミドルクラスのかなりの割合がロワーミドル化します。

ロワーミドルの人々も困窮化せざるを得ません。

国内経済はとんでもないシュリンクを迎えます。

しかも日本政府はアベノミクスで既に限界ギリギリの負債をしているため、ちょっとした救済策しかできない状況です。

これはほんとに大変なことで、歴史的な不況になります。

アベノミクス…安倍政権下の社会というのは、恋愛やら結婚やらも含めて、何もかも虚栄でできていたのです。

そして、その顛末は我々日本人が負うことになります。当の安倍晋三氏本人は黄泉の国にいらっしゃるのでね。

彼が天国にいるのか地獄にいるのかは知りませんが。