merlinrivermouth’s diary

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第二次安倍政権の意味

第二次安倍政権の目的は憲法改正だった。最終目標は私権を制約するというもので、戦前の日本の階層構造を復活させるというものだった。改憲は段階的であり、9条の改憲、環境権、緊急事態条項など、その都度のイベントを利用しようとしていた。しかし、参議院で2/3を取れず、頓挫した。

第二次安倍政権は旧民主党から政権を奪取し、衆参両院での2/3の議席を獲得する必要にあった。日本経済は長くデフレ化にあり、国内経済の縮小が始まっていたため、景気回復の手段は容易ではなかった。第二次安倍政権はアベノミクスと呼ばれるリフレ政策を大々的に行い、国内経済の回復を目指した。

 

安倍晋三氏の思想と事績

安倍晋三氏は戦前の日本社会を理想化していた。その理由或いは動機はわからないが、倫理観や道徳的なものではないのは間違いがない。何故なら、彼ほど退廃的に権力を利用した首相は他に例がないからだ。

安倍晋三氏の思想は日本会議のものに近かったが、彼には天皇や皇族や朝廷を重視するものはなかった。彼はあまり自らの政策に肯定的でない天皇に対して冷淡だった。彼の中では、やはり天皇は象徴で、実権や影響力を持つものではなかった。

安倍晋三氏は自身の反対者や社会的、経済的な弱者に対して、極めて傲慢で、冷酷だった。だが、自身を肯定する者たちには極端なほど鷹揚だった。彼の心理面について言及しても詮なきことだ。彼はそういうスタイリングだった。

安倍晋三氏の政治スタイルや政策について、真っ向から反対していたのは石破茂氏だった。共に二世議員で、右翼の急先鋒だった。石破茂氏は倫理観が強く、地方の支持を基盤にしていた伝統主義者だった。安倍晋三氏は石破茂氏に非常に冷淡だった。

アベノミクスはリフレ政策だった。政府の借款を間接的に日本銀行が引き受け、市中に円を投入する。円を投入する場は株式市場と金融機関だった。中央銀行である日本銀行は独立性を保たねばならず、当時の白川総裁はアベノミクスに反対だった。市場をコントロールできなくなる恐れがあった。第二次安倍政権は白川総裁を更迭し、黒田東彦氏を日銀総裁に据えた。政策や手法は国家主義全体主義だった。

安倍晋三氏の祖父は岸信介氏だった。大日本帝国下の政治家であり、満州国の高級官僚で、大変優秀な人物だった。国家主義者であり、GHQA級戦犯指定されたが、アメリカとの安全保障条約の成立を条件に許され、政界に復帰し、総理大臣となった。

安倍晋三氏はもとより第二次安倍政権は差別的だった。同盟国である韓国と故意に軋轢を作り、国内の差別を扇動するかのような政策を行った。社会的弱者にはとりわけ冷淡であり、社会保障費の削減は財源の問題以上にそのような主義であるかのように思われた。第二次安倍政権によって、日本国内の差別主義は顕在化した。

第二次安倍政権は法律を脱法的に利用することが多かった。日本の司法は体制に及び腰であるため、脱法行為を頻発に行う安倍政権を見て見ぬふりをした。安倍政権は法律を重視していなかった。

第二次安倍政権は世間というものを強烈に利用した。ネットなどの世論誘導や宣伝に対してはほとんど無制限で、マスメディアに対しては利権などで抱え込み、圧力も直に加えていた。市民の信認という意味では日本のマスメディアは強固でなく、またそもそもが利権団体であったために、簡単に政府に抱え込まれた。

第二次安倍政権は特定秘密保護法などの私権制約に余念がなく、それらは機能している。

第二次安倍政権は小選挙区制や旧民主党行政改革を利用し、より強力な権力集中を可能にした。与党議員は執行部の意向とは対立できず、官僚組織は政権のイエスマンと化した。それはリーダーシップと言えなくないが、立法府や官僚組織のブレーキがない権力体だった。

第二次安倍政権の外交は成功とは言えなかった。独自外交は全て失敗しており、アメリカに従属している外交においても、ヨーロッパの先進諸国から軽視されていた。しかし、ヨーロッパの国力は低下しつつあり、アメリカの比重は日本にあったため、敬意を失うも、影響力は行使できた。しかし、旧植民地であった韓国への態度や二度にわたる国際法違反をパワープレイで誤魔化したことは、諸外国から信用ならざる国として見做されている。

第二次安倍政権は事績から判断すれば、明白に国家主義全体主義だった。市民への私権制約、権力の集中、法の軽視、世間の利用、差別主義。それは安倍晋三氏の祖父のルーツにもあり、彼の理想とする戦前の体制が国家主義だったことにもある。

 

安倍晋三氏の政治的、経済的、社会的遺産

A 政治的側面

自民党政権は実質的に改憲の必要がなくなった。私権制約はなし崩し的に行えるようになっており、実際に行っている。日本の格差は拡大し、複層的な階層構造は分断を呼び、日本人はそれを受け入れつつある。世間は第二次安倍政権以前より表面化しており、強烈な同調圧力を人々に加えている。何かの国際的イベントがあれば、国家的気運を盛り上げることが可能であり、国家主義全体主義を見せつけることが可能だ。懸案の9条すら、改正安保によって骨抜きになった。

しかし、それらは全てが第二次安倍政権の思惑通りではないだろう。何故なら、いくつかの要素は安倍政権が意図したものとは違った形で発現していると思われるからだ。日本は実際には大きく国力を損なっている。

 

B 経済的、社会的側面

アベノミクスはリフレ政策であり、政府が国債を発行し、日銀が国債を間接的に買い取り、日銀は超低金利政策を行って、株式市場に資金を注入し…つまり、国の借金で市中をとんでもない金余りにすることだった。

金利が低く、市中銀行中央銀行から投入された資金がダブついていた。ろくな審査もせずに、担保がありそう、収入がありそうという目算で、大量に金を貸していた。借り手もー安易な人ならばー金利が低いからと銀行から融資をもらい、収入がある階層、ある程度の階層は一気にバブルに突入した。一方で、収入がそれほど見込めない階層は借入することはほとんどできず、或いはせずに、アベノミクスのバブルをほとんど享受出来なかった。

一部の階層のバブルでは、国内経済に大きな影響を与えられないため、相変わらず企業は国内投資を手控え、せっかく日銀が用意した資金は内部留保に消えた。

タブついた資金は株式市場に投下されたが、実態を伴うものではなく、それらの上がりもやはり内部留保と消えた。

金余りから生み出された富裕層は新興富裕層と定義された。彼らの消費行動は凄まじいものがあった。不動産バブルに沸いた港区の超高級マンションであるタワーマンションに住み、高級外車を乗り回し、一月数十万以上の額で一人以上の愛人をはべらし、キャバクラやラウンジ、クラブで豪遊し、愛人や恋人にはブランド物を買い与え、一食一万円以上する食事をとり、自炊はほとんどせず…彼らの消費は彼らを市場の主人公に仕立て、彼らの生活スタイルが持て囃された。

新興富裕層の生活がマスメディアに喧伝された結果、彼らが行うような生活が不可能な人たちも彼らに近い生活スタイルをとるようになった。大企業のサラリーマンや専門職も新興富裕層と同等の借入と消費を行うようになった。

このような人たちは、平均して、自らの資産の5倍の借入があり、3倍から10倍は借金があった。彼らはアベノミクスが永遠に続くと考えていた。そもそもそうでなければ、彼らは破滅するのだ。

金余りであったのは新興富裕層だけであり、それ以外の人々は相変わらず慎ましながらも厳しい生活を送っていた。第二次安倍政権は社会保障を切り詰めつつあり、格差は拡大の一途で、中間層は分解しつつあった。コロナ禍を迎えた後はその傾向がより顕著であった。

そのような中にあれば、金余りで湯水のように金を使う新興富裕層に群がることは、ある種、自然の摂理だった。パパ活含めた夜職も急激なバブルになり、奨学金の負債を抱えた女性たちが夜の仕事に飛び込んでいった。

夜職のバブルはあまりに不自然だった。彼女たちが通常の仕事を行うより遥かに収入になるためだった。国内経済の鈍化や縮小は留まることを知らないため、通常の職では低い賃金のままであるが、夜職はバブルであった。彼女たちが実を伴った仕事をすることが馬鹿らしくなるのは当然だった。

それは新興富裕層にも当てはまった。何故なら、彼らは実質的にいくらでも借入ができてしまうため、誠実かつ律儀に仕事に取り組むより、借入に頼る方が遥かに楽で、遥かに金になるからだった。

新興富裕層は富裕にしてくれた第二次安倍政権や安倍晋三氏を礼賛し、熱烈に支持した。彼らは第二次安倍政権の価値観即ち国家主義的で、私権制約的で、ヒエラルキーと世間を重視することも支持した。

新興富裕層周辺の価値観はメディアやSNSによって喧伝された。階層分化はそれを助長した。即ち、ヒエラルキーと世間的オーダーに逆らえず、頂点に富裕層が存在するという図式である。彼らの語る価値観は要約すれば、不満や不安などは我慢せよ、その場にいる上位者を楽しませろに尽きる。そのような価値観を綺麗な言葉で誤魔化し、宣伝された。

結果、あらゆる種類のステータスが重視され、それによりヒエラルキーが決まり、そのイメージ上のステータスによって、その周辺の世間が同調圧力を強める文化が復活した。日本は世間が大々的に復活していた。ステータスでマウントを取る文化がそれを表象していた。

安倍晋三氏が望んだ社会風土は、第二次安倍政権の政策とは別に、自然に、急速に、拡大され、多数派の共通認識となっていた。

 

C 日本の国力と相対的地位

第二次安倍政権は確かに一部の階層を金余りにしたが、日本の産業自体は脆弱化の一途を辿った。国内需要も低下し続け、生産性も低下、発明や論文や特許も低下…急激な国力低下だった。

それでもアメリカの国益の重点はヨーロッパから日本に移っていたため、日本の独善的な外交はある程度の成功を収めたー信用という対価を払って。

しかし、日本の経済力の低下は明らかであり、日本の利用価値がなくなれば、やはりアメリカの重点は他国に移り、日本の地位低下は避けられない。日本は所詮、虎の威を借る狐でしかない。

日本の平均賃金は韓国や台湾に抜かれている。これでは日本の国内需要や生産性が高まるわけがない。だが、自民党政権社会保障を拒むため、日本の国内需要が喚起されることはなく、従って企業も給与を上げるわけにはいかない。新興富裕層ばかりに金を投じていても、金余りの一部の人たちだけがバブルに興じるのみで、ほとんど意味をなさなかった。

そして、アベノミクス閾値を超え、日本政府に甚大な借款という対価を払ったため、国内需要を喚起するための社会保障やインフラ整備などの余剰資本はなくなっていた。

インフラ整備…日本はもはやまともに、電車や道路や水道や電気などのインフラを整備できないような国になっている。予算がないのだ。

第二次安倍政権は気宇だけは壮大の、中身がスカスカな国を用意してしまった。

 

第二次安倍政権がもたらした日本の今後の予測

コロナ禍の後、ウクライナ戦役もあって、アメリカやヨーロッパはインフレ抑制策に転じた。その結果、一人金融緩和を続ける日本は急激な円安に苦しみ始めている。

現状、企業の内部留保によって食料や生活品のインフレを抑えているが、限界がある。また、日本は急激なインフレを抑えるだけの金利上昇策をとれない。日本政府の甚大な借款と効果的な利上げは財政破綻に近い状況を招いてしまう。従って日本は金利を上げざるを得ないが、大々的に行えず、円安の状況は改善されない。かといって、利上げを行わなければ、大量の貧困者の増大を招き、日本経済は壊滅的打撃を受け、自民党は一気に支持を失う。

どちらに転んでも国内経済の大不況は確実になるため、金融機関は借金漬けになっている、新興富裕層やそれに類する大企業のサラリーマンや専門職から借入の返済を求めている。借入の一方的な返済を求めることができる民法改正は第二次安倍政権下で行われ、新興富裕層はそれを支持した。

当然ながら、新興富裕層から利益を得ているサービス業なども危機的状況に陥るが、それらのサービス業は奨学金の返済のために従事していたり、就職の合間や生活のために続けている女性がほとんどである。

借入が少なく、新興富裕層を頼らない職や人、政府から庇護を受けられる業種以外は厳しい局面になる。更に基本的に食料品含めた生活品が2倍程度の価格になる。これに加えて、消費を牽引していた人々が全て消えることになるため、消費はどうしようもないほど落ち込む。企業は給与を据え置き、新たに従業員を雇わない。非正規労働者は契約を延長できないだろう。これは市井の人々にとって生活ラインギリギリになることを意味する。

最も厳しいのが就職を控える学生であり、奨学金のローンを抱えつつも、ほとんどが就職困難に陥る。

ところが、アベノミクスによって日本政府に甚大な借款があり、利上げをしなければならない状況にあって、補償政策を大々的に行えない。自民党の核心利益ーストック資産家、医療業界、宗教団体、農家ーを助けるだろうが、他に手を回すことはできない。最低限の補償しかできなかったのは、コロナ禍で折り込み済みだ。

それどころか日本政府は税金を上げる必要がある。おそらく、金融所得課税を復活し、消費税を増税するだろう。幸い、選挙は三年間はない。

 

貧富の差、階層分化は決定的になる。新興富裕層は異常な消費を行っていたが、元来、アッパーミドル、ミドルクラスであった。だが、彼らはそのほとんどが転落する。この不況はミドルクラスにも直撃し、新興富裕層のような転落はないとはいえ、階層を維持し得るかの瀬戸際に立つ。

一方、元来の富裕層であったストック型の資産家は新興富裕層のような消費を行っていたとしても、よほどの何かがなければ、階層を維持できる。彼らの資本は不動産経営や法人経営で、破滅的な生活スタイルをしていなければ、この不況はそれほどダメージにならない。

つまり、これは非常に少数の圧倒的な富裕層と大多数の中間層以下という図式になり、彼らの階層を繋ぐブルジョワ階層はほとんど全く存在しない状態が見込まれるということだ。

なおかつ、この支配層と被支配層のほぼ完全な分断は、第二次安倍政権が用意し、新興富裕層が広めた、ヒエラルキー構造と世間を基盤とした国家主義的な共通認識の元に成立する。

しかも、この度の大不況は一方ではアベノミクスからの正常化でもあり、今後この経済枠組みや階層分化が変化することは考えられない。つまり、階層分化かつ階層の固定化であり、アベノミクスの正常化が急激であるために目に見えるというだけだ。

 

当然ながら、社会不安は由々しい問題になるだろう。落ちぶれた新興富裕層は自身の欲望に忠実であり、食うのがやっとで、上がり目がない。彼らの心理状態では、やるべき遊びはやり尽くし、あとは不幸なだけなので、生きている意味はないというものになるだろう。しかも彼らは他者の尊厳や利益を顧みない人々だ。それらの人々が同時に外に放り出されれば、詐欺などの犯罪や集団自殺、無理心中、麻薬の強要などなど、危険性がある。

日本の社会不安は、安倍晋三氏が選挙の演説中に射殺されるというショッキングな出来事とその映像によって、象徴化されてしまった。

日本政府は国民の最低限の生活を守り、社会不安を遠ざけるために、強権を発動するだろうし、それは緊急事態条項設立の覚悟を国民全般に用意する可能性すらある。

 

仮に第二次安倍政権の立脚点を日本の社会をヒエラルキー構造と世間の同調圧によって国家主義化を達成し、強権政治と経済政策によって固定化することだけとするなら、第二次安倍政権は全く偶然に完璧に達成することになる。

第二次安倍政権の、このような社会を体制化する最終目標は改憲であるが、皮肉なことに、選挙応援演説中に安倍晋三氏自身が射殺されたことによって可能性が出てきた。

 

第二次安倍政権の総括

第二次安倍政権の究極目標は日本の、ヒエラルキー構造の世間による国家主義化とその体制化のための立法と改憲であった。第二次安倍政権はそれらの実現に苦慮し、アドホックに強権的にそれらを行ったが、世論の分断化を招いてもいた。

第二次安倍政権が政治的にとった政策はマスメディアの支配とSNSの利用及び大々的かつ密かな宣伝だった。それらがどこまで功を奏したか疑問である。確かに差別をおおぴらにする者は増えたが、同時に反対も呼び、サイレントマジョリティもそのような思想には冷淡な場合もあった。

しかし、第二次安倍政権にとって、二次的な意味ー思想の実現ではなく、人気とりと利権分配のためのーしか持たないアベノミクスという経済政策は大きく日本の階層構造と階層分化、その価値観や文化をカースト的な世間に変えていった。それはまず間違いなく、安倍晋三氏もそのブレーンも経済政策の実行者たちでさえ、予期していなかっただろう。

しかも、恐慌つまりアベノミクスという経済政策の失敗自体がカースト的な世間に基づく国家主義化を完成させるというのは、全く皮肉でしかない。

結果論として、国家主義化という立脚点のみから見れば、第二次安倍政権は非常に幸運にも大成功を納めることになるだろう。

 

だが、一方、国家主義化以外の観点からみれば、第二次安倍政権の事績は最悪である。国の統治の根幹である、法の支配や法治主義を形骸化し、他国への影響力を喪失し、産業を脆弱化させ、国内経済を縮小させ続け、国家財政を破綻間際まで追いやり、多くの人を不幸に追いやっている。

日本は先進国から脱落する寸前であり、発展途上国化しつつある。

 

意図せずも、日本を発展途上国化させていたのが第二次安倍政権だとしたら、逆説的に、彼らが偶然にも実現しつつある国家主義化も説明ができる。つまり、発展途上国ならば、カースト的な世間の支配による国家主義化など自然であるからだ。

第二次安倍政権は日本を経済的に発展途上国化させつつある対価として国家主義化を達成したというよりむしろ、日本を経済的のみならず政治的に発展途上国化させたとする方が理が通る。

事実、アベノミクスは一部の人のバブルを招いただけで、ほとんどの市民はより貧しくなった。貧しくなれば、世間化するし、国家主義化にもなるだろう。

もしかしたら、一部の人のバブルのせいで、見過ごされて来たのかもしれない。我々の日本は実質的に発展途上国化しつつあるということを。

 

第二次安倍政権は表面的には、全てを犠牲にして、唯一自らの最終目標だけ叶えようとしているかに思える。だが、そのような評価は妥当でないのかもしれない。

第二次安倍政権は強権的で、メディアの抱え込みがうまかっただけで、全てにおいて惨たらしい失敗をし続け、ついに日本を発展途上国にまで追い込みつつある、と。

 

私にとっての、第二次安倍政権

私が通った中高は悲惨だった。自己中心的なご都合主義者が世間化し、異分子を排除する。手続きも、根拠も、正当とは言えず、これが日本のエリートになるのか?と暗澹たる気持ちがあった。

彼らは自己利益に忠実というより、自己の欲望に忠実で、憂さ晴らしや欲求のために犯罪行為に手を染めることもよくあった。

彼らはしかし、自身の特権的地位をよく理解しており、倫理観なくルールを捻じ曲げ、学校も見て見ぬふりをしていた。

私は彼らと全く合わず、彼らから異分子扱いされ、恒常的に攻撃を受け、対抗措置として暴力に及んでいた。

私が退学を選んだ時、彼らが作る日本は危険なものになると正しく予測したが、それを阻むだけの権力も、能力も、サポートも私にはなかった。

そして、実際に彼らは第二次安倍政権と新興富裕層や大企業のサラリーマンとして再登場し、彼らがティーンだった頃そのままに、規模と被害者と犠牲者を大きくした。

私は彼らに立ち向かい、自分自身の正しさと正当性を証明し、表舞台から排除するために努力しなければならないと誓った。

…だが、彼らは自滅した。彼らのほとんどは非常な借金を抱えているだろう。自らが望み、強いたアベノミクスで、欲望のまま生き、破滅するだろう。

しかも、彼らは彼らが望まない形で、自動的に私を支配層の一人として君臨させることになる。

さながら、私を一度ノックダウンさせたチャンピオンが、私が瀕死の状態で立ち上がった時に、自身が続けたドーピングのせいで、発狂してのたうち回り、勝手に死んでしまった、みたいな気持ちだ。

…しかし、私は今の形の発展途上国化が多くの人を幸せにすると思わない。強権的で、同調圧力で従わせる世の中は人間性を失わせる。そんな体制は長く続かない。たとえ貧乏でも、幸福はある。私は自身の悲惨な経験からそれを学んでいる。愛は金に宿らない。愛を欲望と捉えなければ。

私は日本の発展途上国化をもっとマシなものにしなくてはならず、そのための設計を考えなければならないし、私にはやはり権力や能力がいるということ変わりないだろうから、個人的な努力を引き続き行う必要がある。

 

 

(社会)Z世代の問題

一般的な若年者の特性

総じて、どの世代の若者も面倒なことを嫌がります。勉強、仕事、人間関係…。これらに共通する根源的なものは「面倒なこと」は考えたくないということです。

若者はまた残酷です。若さとは未来であり、無知です。自分の将来的について楽観的な希望を持っており、自己評価が高過ぎるものです。

若者はまた自分たちと同世代の感覚に執着し、他の価値を劣位に見做します。それは若者があまり社会と接点がないからです。若者の世界は数人の大人ー学校や大学の先生、親ーとたくさんの同世代です。若者は自信過剰ですから、若者だけで集まれば、自分たちが認められない価値観は若者にとって蔑視の対象です。

これらは悪い性質ではありません。良い場合もあれば、悪く出る時もある、というニュートラルな性質です。

社会変革のパワーにもなれば、新たな文化や流行を生み出すこともできます。団塊世代の社会変革のパワーや就職氷河期世代やゆとり世代の文化のパワーはその代表でしょう。

若者は自信過剰で、自分たち以外の価値観を蔑視しており、深く考えることを忌避しますが、真摯に向き合わねばならない時は不器用なりに真摯に考えます。また大人を必ずしも軽蔑しているわけではなく、自分に社会経験がないのを自覚しているため、一定の聞く耳を持っています。

これらの特性があるので、若者の文化や価値観と社会を融合または包摂させることが可能になります。社会は新たな考え方を取り入れ、進歩させることができるのです。

しかし、Z世代は社会変革や文化や価値観のパワーになりません。それどころか企業からは明白に忌避されており、これは彼らが社会に包摂できていないことを示しています。

この原因はどこにあるのでしょうか?

 

Z世代とその他の世代の若者の明白な違い

私がZ世代と交流し、さまざまな話を聞くにつれ、私と彼らとでは、どうしても絶対的に折り合えない、理解し合えない、決定的な違いが存在することに気付きました。

それは他者に対する真摯さです。我々が若者だった時は面倒くさいことでも、他者の尊厳に関わる場合はなるべく真摯に向き合おうとします。しかし、彼らは真摯に向き合うことができません。面倒くさい、深く考えたくないということが他者に対して敬意を持つことより優先しています。

Z世代の恋愛模様が本命、キープ、セフレが何人もいて、交際相手が浮気、モラハラ、束縛のオンパレードであるのは、これらの証左です。楽しく付き合うことが優先され、真摯さは除外されますから、誠実な相手や真面目な人はブロックされます。当然ながら交際相手はパートナーが信用できないですし、アプローチ段階で過剰な努力を行う必要があるため、交際後は非違行為を行います。

 

当然ながら、Z世代の問題は恋愛に限りません。それどころかZ世代は基本的に同世代を含めて他者を信用しておらず、また非常に差別的です。彼らは自己開示することは稀です。本心で話をすることは滅多にありません。自信過剰でありながら、自己愛が不安定になりがちで、人間関係はパワーバランスの下で成立しています。

Z世代のLINEは長文が嫌がられ、短文が好まれます。つまり、他者理解は求められていません。見た目上の力関係こそが彼らを決定します。彼らのヒエラルキーカーストを決定するのは同質性であり、そのカーストヒエラルキーはある種絶対的なもので、同時に公言して憚られるものでもあり、それらの真実について深く考慮することは面倒くさいので、しません。

いじめや嫌がらせは恒常的に起こり、それはSNSでの晒しという行為にまで及びます。それらは匿名で行われるため、友人すらも信用に値しません。

Z世代がマウント合戦を好むのは、これが理由です。つまり、彼らはヒエラルキーカーストを決定しなくては自身の存在が非常に危ういものになると認識しています。ですので、常にそれを証明し続ける必要があり、無意味にマウント合戦を仕掛ける必要があるのです。当然ながら、彼らの価値基準は彼らのもので、社会や経済的なものと異なるために相手にされません。

Z世代のSNSはマウントのためと、恒常的に晒される自己の尊厳へのストレスへの憂さ晴らしのために存在します。彼らが複数アカウントが必要なのは、彼ら自身の非常にストレスフルな文化特性に起因し、またそれらの行動が彼らをストックフルにさせています。

Z世代にとって、自身の二面性はごく当たり前のことであり、他者はすべからく信用に値しません。心を許せる人は基本的に皆無で、またそのような人を弱いと見做しています。ですので、彼らに信用という概念はあまりなく、誰かに真摯になることはあり得ません。だから、短文が好まれ、込み入った話は忌避され、面倒くさいことを回避することは何より優先されるのです。

 

Z世代の経済力

Z世代はそもそもが就職難で、あまり賃金も高くありません。Z世代はその傲慢さ故、成長の見込みがあまりなく、厳しい教育もできない企業からすれば、新卒より中途採用の方が戦力になります。まだ大不況は訪れてません。それに加えて、ほとんどが奨学金のローンを抱え、更に多くが生活費を自分で稼がなければなりません。

しかし、Z世代は自分たちのカーストヒエラルキーを維持するために、見栄を張る必要があり、金がいります。そのため、ローンを組める者はローンを組み、夜職ができる人はなんらかの夜職に就きます。

幸いにして、或いは不幸にも、アベノミクスによって金利は異常に低く、金融機関は容易に金を貸していました。また非常に多くの借金を行えた新興富裕層があぶく銭を考えられないほど手にしていたので、夜職は空前のバブルにあります。

つまり、Z世代の文化や価値観はアベノミクスに全面的に依存しており、借金か借金漬けの新興富裕層からのおこぼれによって支えられいるのです。

しかし、来たる大不況は恐慌の体をなしますから、Z世代は遊ぶ元手はおろか、生活する能力さえ失うでしょう。

 

Z世代の未来

Z世代は経済力が全くなくなります。就職氷河期世代と同じように親に頼りつつ、バイトしながら、資格の勉強や希望しない仕事を無理にでもしなければなりません。

しかしながら、就職氷河期世代は親を頼れましたし、職や待遇を選ばなければ食いっぱぐれることはあまりありませんでした。Z世代は親を頼れない人がほとんどで、市場はZ世代に拒否反応を示していますし、包摂する能力は持たないでしょう。

つまり、Z世代は棄民されるでしょう。

Z世代の文化や価値観はZ世代の棄民を正当化しているというのが非常にまずい問題ですが、「面倒なことを考えない」「ご都合主義」「見栄っ張り」が説得力あるテーゼを唱えることや生み出すことはほとんど不可能でしょう。

 

 

(日記)審判の時

アベノミクスの終わりが始まりつつある。

アベノミクスの終焉によって、人々は富を失う。

しかし、既に魂を失っていた。

アベノミクスは国家というものだけでなく、人に対してさえ、悪魔の取引だった。

いくらでも借金をしてよい。いつか来る終わりを忘れて。

いくらでも遊んでいい。いつか来る終わりを忘れるために。

野放図に、その時、その場の快楽と欲望を生きることができる取引は代償として、他者への信用を求めた。

自分だけでなく、他者も快楽と欲望に溺れることは、大事な人ー知人、友人、恋人、家族ーも同様にしているということだった。

他者を信用できず、愛が生まれず、不安定な自我を保つため、ますます快楽に溺れる…。

気付いた時に生まれた自己肯定感という価値観はアベノミクスと同様に誤魔化しでしかなかった。

いくら、自身を恵まれていると思い込んだところで、自分の問題を解決できるわけがない。

それらの浅はかな自己肯定感という価値観は結局、「誰より」という他者と比較しての課題とすり替わり、熾烈なマウント合戦が始まることになった。

そして、日本人はどうしようもないほど、カーストとか身分とかの世間的秩序に親和性があった。

誰もが快楽的で、快楽で自身の不安定を誤魔化し、誰かと比較することでしか自己を確認できなくなっている…。

だが、終焉は始まりつつある。

彼らの快楽の原資は借金だ。取り立てられ、何もなくなり、もはや金を借りることができなくなった時、彼らは快楽に逃げることも、誰かと比較することもできない。

私は彼らを完全に否定することはできない。

彼らが金持ちができるような、バブル世代が当然のようにできた、富や贅沢を享受したかった気持ちもわからなくはない。

だが、彼らはその代償がわかっていなかった。

あゝ、審判の時がすぐそばまで近付いている。

誰もが貧乏で、誰もが上がり目がない時代が。

日本人は心を取り戻さねばならない。さもなければ、これまでの自分のやりようが今の自分に返ってくる。

ゲシュタルトが崩壊し、自らを破壊するしか先がなくなるだろう。

ただでさえ多い今の自殺率は審判の時以降数倍に及び、遥かロシアを抜くであろう。

…だが、彼らが自分や誰かの精神的なものを大事にする時が来るとは思えない。

彼らが誰にも優しくしようとするとは思えない。

 

注)借金漬けになっており、なおかつ政府が救わないと思われるのは、大都市圏の新興富裕層と大企業のスーツ族です。資産家階層の一部も借金漬けですが、彼らが本当にまずくなるのは遺産相続の時でしょう。

(社会)クソ自己肯定感の世

色々あった。

色々聞いて、色々考え、色々思った。

俺はいわば20年前からタイムスリップしてきた状態だ。確かにバブルが崩壊し、経済的に苦しい同世代がいて、いずれ新興富裕層になる連中が彼ら特有の即物的な価値観で一方的にマウントを取り始めていた。

だが、そういう自称エリートたちを除いて、俺の同世代にはある種の仁義があり、誰かを悪様になじるようなことをしようとしなかった。物質的な物に対する諦めと精神的なものに対する憧憬によって、自分なりの幸福を追求しようとしていた。

そこにおいては、周囲の評価は二次的な意義しかなく、そもそも自分が何者か?を追究する姿が評価軸だった。ある種のトンガっている人はそれだけで評価された。そこにおいて、流行だけでなく、本質の理解に熱中する姿が理想的だった。

現在、人の評価軸は一元的で、表見的で、即物的で、階層的だ。金を持っているか?イケメンか美人か?かわいいかブサイクか?身長が高いか?清潔感があるか?金を持っているか?収入はいくらか?どこに住んで、どういう仕事をしているか?他人に自慢できる人付き合いか?どれくらいモテるか?オシャレか?センスがあるか?

…全くセンスがない。目に見えるスペックが人間関係上の評価や「自己肯定感」に直結し、自身の階層を表象し、外在的な価値だけでなく、内面の価値をも決める。

スペックが高い人は内面的余裕があり、センスがよく、外見的に優れ、自己肯定感があり、人間的にも優れている…そのような評価軸が現在の日本に確固としてある。

まるでインドのカーストように、それらの即物的な評価軸は日本を覆い、多くの日本人の心に影を落とし、不幸を量産している。その評価軸には人間性や同情や優しさなどなく、ほとんどの人はどんなに頑張っても敗者でしかないからだ。

原因は諸々考えられる。アベノミクスで多数誕生した新興富裕層は俺が毛嫌いした自称エリートで、彼らの即物的価値観が喧伝されたというのが最も大きいだろう。

彼らがやっている個人主義的で、利己主義的で、非人間的な生活は容易には正当化されないし、支持されない。だが、彼らだけが大量に消費することができる時代にあって、彼らが主人公化され、彼らの根拠のない自信が「自己肯定感」という言葉となって、あらゆるツールを用いて喧伝され、彼らのスタイルを正当化している。

本来、自己を認めるという精神的な行為は何かを自慢したり、消費したり、軽蔑したり、即物的で一元的な評価を下したりすることではない。自他共に真摯に多様性を認め合わねければ、成立しない。

現在の価値観では、物質的なものだけではなく、精神的にもカースト上位者の表見的な高スペックが勝利し、ほとんどの人々は非常な無理を強いられる。ほとんどの人にとって「自己肯定感」を上げるための行動が「自己肯定感」を著しく下げるのだ。

そもそも、消費を牽引するカースト最上位者の新興富裕層が実際に高スペックと言えるのか?彼らの行動様式や価値観は彼らが自己を認め難いコンプレックスに苛まれていることを表しているし、ほとんど全ての新興富裕層は圧倒的で、絶望的な借金を持っている。ー自らの資産の3倍から10倍以上のー

俺は現在の価値観に与し得ないし、認める事はできない。誰もが寂しく、心を病んでいるこのシステムで、俺自身めちゃくちゃだが、俺は優しさを振り撒くし、それしかできない。

残念だが、俺は次の時代を精神的に準備する人間のようで、それがこの度の俺の使命らしい。

歴史的な大不況または正常化が始まりつつある。もはやアベノミクス下の価値観は通用しない。

俺は精神的に日本人を救うだろう。相変わらず、俺にはほとんど何も返されないのだろうが。

 

(社会)実際にありそうなコンパ

アベノミクス下での、諸々漏れ伝わる婚活などの男子のプロフィールから、現実を炙り出す仮想コンパです。

匿名サイトで、「収入が多ければ、借金はない」というコメントからヒントを得ました。

 

仮想コンパメンバー

A男…弁護士。28才。四大事務所勤務。

B男…会計士。32才。外資系投資会社勤務。

C男…企業コンサルタント業経営。55才。

D男…IT会社経営者。52才。

E男…部品メーカー理事。35才。

F男…政府機関コンサルタント、病院理事。40才。

 

キャバ子…実はキャバクラでも勤務。パパ活している。

ホステス子…実はホステス。パパ活している

ギャラ子…実はギャラ飲みしている。パパ活している。

ジョイ子…女医。学歴と資産にうざく、優しいふりして、高飛車。

ホウソウ子…法曹。学歴にうざく、明るいふりして、怖い。

コウイン子…銀行員。金の計算ができる。温和なふりして冷徹。

 

仮想コンパ

A男「俺すかー?年収2千万すー☆」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子、ジョイ子「すご〜い!」

ホウソウ子「(はー?嘘つけよ。お前がパートナー扱いされてるわけねーだろ。どうせ業務委託だろ。希望的観測の数字出してんじゃねーよ。せいぜい、800万だろ。しかも一生な。最高裁判事になってからその年収出せ、アホ)」

コウイン子「車は何を乗られてるんですかー♪?」

A男「ベンツのCクラスです☆アレは…」

コウイン子「(こいつは数千万以上の借金がある)」

 

B男「僕ですか?4千万です☆」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子、ジョイ子「すご〜い!」

ホウソウ子「税金、結構とられちゃうんじゃないですかー?かわいそー」

B男「そうなんすよーアレコレして、なんとか…」

ホウソウ子「(こいつ、脱税してんな。あぶねー奴笑)」

コウイン子「投資でいくら儲けたんですか?あたしーそんなに無理ー☆」

B男「3千万す!」

コウイン子「(こいつの給与は2千万だが、数億の借金がある)」

 

C男「僕は2千万ですが、資産が四億あります」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子、ジョイ子「すご〜い!」

ホウソウ子「コンサルだけで、ですか?めちゃくちゃ頭いいんですね☆」

C男「原材料の輸出入をやっているんです」

ホウソウ子「(経済状態に極端に左右される、不安定な業種だな)」

コウイン子「え〜どこにお住まいなんですかー?」

C男「港区に一軒家です!」

コウイン子「(こいつ、10億以上借金あるぞ。ビジネスが傾いたら、破産だな)」

 

D男「僕も二千万だけど、会社の経費で落とせるよ」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子、ジョイ子「すご〜い!」

ホウソウ子「どういう遊びをなさってるんですか?」

D男「クルーザー買って、友達誘ってます」

ホウソウ子「(はい、背任)」

コウイン子「なんか、他にも凄そー☆」

D男「港区にマンション持ってます」

コウイン子「(借金は数十億か。確かに凄そーだな)」

 

E男「僕はそんな…全然です。東工大出て、800万くらいです」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子「へー」

ジョイ子「あたしより少ない笑」

ホウソウ子「おうちはどういった会社なんですか?」

E男「創業うん十年で、うちが特許を持っていて、うちしか作れない部品メーカーです」

ホウソウ子「(こいつは一生安泰だな。法律的にも完璧だ)」

コウイン子「それでも、給与少ないですね」

E男「うちは適切な経営をしたいので」

コウイン子「実家はどこにあるんですか?」

E男「世田谷です」

コウイン子「(こいつんちは都心にマンション持っていて、借金はゼロだ)」

 

F男「…俺はE男さんくらいかな」

キャバ子、ギャル子、ホステス子「笑」

ジョイ子「?そんなことないしょ?」

F男「ホウソウ子さんとコウイン子さんが説明してくれる」

ホウソウ子、コウイン子「!?」

コウイン子「つまり、A男、B男、C男、D男さんは借金漬けでアベノミクスが終わったり、何かが原因でビジネスが躓けば、事実上の破産するんですよねー。借金ありすぎて、私的整理間に合わないと思う。贅沢し過ぎですね」

ホウソウ子「だいたい、彼らは違法行為スレスレ以上のことに手をつけてるから、それをマークされると…もう…だいたい一代でのし上がるためには、危険なことするもんだよね、一般的に」

コウイン子「E男さんちは資産が10億か20億で、借金ないし、銀行でもそちらの方が金持ち扱いだよねー」

F男「自民党的理屈で言えば、E男さんは支配層。新興富裕層はその下。喩えるなら、E男さんは大名のボンボン。A男、B男、C男、D男は良くて問屋。越後屋みたいな」

F男「キャバ子、ホステス子、ギャラ子さんの方がお金持ちですよ」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子「えー!?じゃああたしたちに使ってくれているお金は…」

F男「借金ですね。彼らの金じゃないから、湯水のように使えるわけです」

キャバ子、ホステス子、ギャラ子「…衝撃…」

ジョイ子、ホウソウ子「じゃ、F男さん、あたしと付き合おう!」

F男「…い、嫌です」

ジョイ子、ホウソウ子「なんで?」

F男「怖いからです…」

ジョイ子、ホウソウ子「死刑に処す」

その頃、コウイン子はE男のお持ち帰りを完了していた。

 

前提

現在、僕の上司には新興富裕層から私的整理の仕事の依頼が来ており、彼らの実態を知っています。

彼らはだいたい、資産の3倍から10倍以上、金融機関から借り入れいます。マイナス金利だから借りなければ損だという発想です。

また、年収800万の若手弁護士がベンツやBMWを乗り回し、高価なスーツや時計、靴、バックを持っています。彼らの年収では不可能な生活です。やはり少なくとも数千万は借金があるでしょう。

そもそも、キャバクラなどて150万とか使えるわけがありません。最もお金を持っている、持株会社の経営者でさえ、給与は2千万程度に留めています。明らかに借入があり、キャバクラに150万程度使っても、借入が膨大過ぎて関係ないレベルだということです。

金目なら金目でいいですけど、ちゃんと社会的地位とか経済的能力とかわかってないで、見てくれで選んでると、まー債務を一緒に一生背負うことになります。

 

 

(社会)最近の恋愛事情と今後の予測

デートした経験がないとか、彼氏彼女がいないとか、ぶっちゃけ、我々の若い頃も大概似たようなもんなんで、そんなに気にする必要ないと思います。

問題は婚姻するまでに至る出会いの過程が非常に狭いため、恋愛以外はあり得ず、その恋愛が増えていないということです。

では最近のZ世代の恋愛傾向をZ世代から聞いた話を基に解説します。かなり主観的ですが。

 

清純派ビッチ

ギャルは昔のギャルとあまり恋愛傾向が変わりありません。同世代の同一階層と普通に付き合い、それなりに恋愛します。

しかし、いわゆるそこそこいい大学通うまたは通っていた女子大生は

①恋愛経験が全くなく、性行為の経験も全くない。

②恋愛経験が全くないが、ホストが彼氏的。

③恋愛経験が全くないが、性行為が数十人。

④本命、キープ、セフレが存在。

概ね、ちゃんとした恋愛経験がほとんどまたは全くありません。自己評価が高い女子もです。

つまり、見た目上の恋愛経験の割合よりも、実際上はかなり低いです。

 

最近のホストやモテ男子はクソ野郎

僕は就職氷河期の最後の代です。僕らの恋愛の仕方の流行は

①一途

②不器用または気取らない

③アプローチでは、男性が女心を理解して、かなーり気を使う

④割り勘

⑤目標とされる男子はSMAP

です。

モラハラ、DV、浮気、束縛、ナルシストはカス扱いです。

但し、金ない時代なので、ケチで割り勘です。見た目とか金より、気持ちが重要です。イケメンよりトークです。

浮気はアプローチ段階でも含めます。

因みにゆとり世代にとっての有名人は大泉洋です(偏見)。イケメンではなく、トーク?まーいいや。

 

最近の女子たちと話すと、最近のイケメン、ハイスペ男子の特徴はケチ、モラハラ、DV、浮気、ナルシスト、束縛系のいずれか四つです。モテない男子は男らしさが欠如していますが、モテだすとクソ野郎に移行します。

正直言って、僕は恐ろしいほどモテるうえ、戸惑われます。実は、彼女たちは男たちに優しくされた記憶があまりありません。

嘘ではありません。Z世代の女子の元カレたちは全員が全員、クソゲス野郎でした。

最近のホストはマニュアルで女性を支配するように教育されます。ゆとり世代の女性や僕と同世代の女性は最近のホストを、接客していない最悪のカス扱いしてます。僕も同じ感想です。

ホストの元カレがいた女子は僕をホストクラブに連れて行って、キャストをつけませんでした。つまり、僕はホストの代わりです。最近のホストは39のおっさんにすら勝てません。

ホストだけでなく、ハイスペ男子もこんな感じでした。モテない奴もモテだすとやばいすね。

こういう事情を教えてくれたZ世代の女子は「同世代とデートするより、ガルバのおっさんの客とアフター行った方が楽しい」と言っています。因みに彼女とデートしたことはありませんから、彼女のいうおっさんは実際におっさんです。

僕が、Z世代以外は男性が女性に気を使うのが当たり前で、それができないと非難されるという話をすると、Z世代の女子は皆一様にびっくりします。

どないなってんねん。

 

我々とZ世代の夜職の捉え方の違い

ほとんどのZ世代特に女子は何らかの夜職に関わっています。奨学金の返済は簡単ではありません。特に困窮者と言えないような家庭でも、です。

彼らが金銭感覚が麻痺したり、客として夜職にハマるようになるのはある意味自然なことです。特に夜職に耐性があるギャル系でない場合、精神的影響が残ります。

イカれた客、いきなり手に入るお金、大量に飲まされる酒、激しい競争での肉体的関係…これらは彼らがまともに恋愛できない理由をつくります。

しかし、彼らには他に経済的な当てがありません。大学生は勉強しなくてはなりません。時間が必要です。

男女関係に信用できない仕事に従事し、互いに本命キープセフレパパやママが作りやすい状況での恋愛は、互いの信頼関係の構築が非常に難しい。しかも、彼らはキャストとして色恋営業の客へのマウントの取り方を学んでいるのです。

モテ男子がナルシストで、ケチで、束縛系で、モラハラ系で、DV系で、浮気をするのは、ある意味必然的でもあります。彼らは夜職をしている女性の行き着く、夜職の食物連鎖の頂点みたいなものです。

こうなると夜職について一概に否定できなくなります。経済的理由で仕方ないだけでなく、実際にZ世代には男性がほとんど存在しないのだから、違う世代の男性と出会う契機として必要だとも言えます。

 

不況による影響

実は、Z世代は夜職という手段があり、なおかつ普通の就職もできれば、それほど困窮しません。

これが彼女たちが結婚する動機が少ない理由です。同世代含めた男性たちがクズであるという認識が前提で、自分に金を使われるのが当たり前になる経験があれば、男性と一緒に暮らすのはリスクでしかありません。それならセフレを作って、本気で恋愛しない方が良いですし、恋愛対象になりうるのは富が前提になってしまいます。

そのような女性の中には、パートナーに全く誠実さを求めず、経済力で決める人もいれば、パートナーは要らずに子供が欲しい人もいます。

これを可能なのは夜職という経済力です。

しかし、彼女たちに採算を度外視した金を出していた新興富裕層は来年にはほぼ全滅します。彼らは自らの資産の数倍の借金があり、不況に伴い、金融機関に回収されます。

夜職はほとんどの場合、生活するのが精一杯程度の金しか稼げず、しかも誰もがやれるわけではなくなります。

今は中途採用が主ですから、新卒はほとんど全く採用されません。就職氷河期世代より悲惨です。しかもこの場合、パラサイトできない親が大半で、奨学金の借金があります。

つまり、ほとんどの場合、同棲して生活費を節約する必要があります。バイトが主要な収入源になるからです。金持ちは9割減で、同世代のアッパーミドルも壊滅的になっていますから、残りの彼らを狙うのはよっぽどの幸運になりますから、意図するのは不可能です。とはいえ愛人にするだけのゆとりがある人はほとんどいません。

こうなった場合、イケメンやハイスペ男子ではなく、実際に同棲可能な、性格的安定感が前提になります。Z世代はイケメンやハイスペ男子に対しての警戒心が強いです。

また、ゆとり世代以上の未婚男性もZ世代の恋愛対象になり得ます。というのも、彼らはZ世代からすればゆとりがある人が多く、売れ残りもZ世代の男子より人間的にまともである可能性がまだしも高いからです。もはや見た目にこだわっている経済的余力はありません。

 

結論

今後くる大不況はアベノミクスの麻薬が切れ、日本社会や経済の真実の姿が明るみに出るものです。

つまり、恋愛や結婚の市場に関しても、一気に正常化が進むでしょう。

但し、それが人間の幸福になるかどうかは別の問題です。

ある不幸から違う不幸に移行するだけかもしれません。

 

 

 

 

(法律・政治・社会)AV禁止法の違憲性

近代の民主主義国家において、すべての法律は自己選択権を守るようにできているし、またそれを守るように運用されなければならない。

この法律は憲法も含まれ、即ち自己選択権を阻害する行為は違法性の疑いがあり、それを阻害する立法は違憲性の疑いが出てくる。

立憲民主党はアダルトビデオの性行為自体を禁止する法案の検討に入ったという。これは自由権侵害であり、違憲立法であると考える。

アダルトビデオに関わる、男優、女優、撮影スタッフ等々すべてのスタッフから顧客に至るまで、基本的に自己選択権が貫徹されている。一部の出演強要問題はその問題が起こした会社の問題であり、全体に敷衍して存在しているようにはとても思えない。顧客は18歳以上の成人であるし、未成年が視聴することは禁じられている。アダルトビデオが性犯罪を助長しているという証拠はない。アダルトビデオ業界がそのような性犯罪を行うように提案していることなどないからだ。

確かにアダルトビデオ業界は問題がないとはいえないが、概ね健全に運営されていると評価できる。またアダルトビデオ自体になんらかの問題があるのでもない。日本のアダルトビデオ業界は長年公権力からの圧力と妥協してきた歴史がある。例えばAV女優が所属する事務所は芸能界の事務所より健全だろう。常に公権力規制の契機がある以上、問題行動を積極的に起こすのは合理的でないからだ。

 

立憲民主党の立論は、

①性犯罪の撮影及び販売が売買春の合法化を招く。

②個人の尊厳を傷付け性的搾取を許す。

というものである。

①撮影及び販売と実際の売買春には大きな「物理的」隔たりがある。またアダルトビデオが売買春を宣伝しているのではない。

②アダルトビデオの関係者や利用者は自己選択権を貫徹している。即ち、彼らの個人の尊厳を傷付けることもなければ、性的搾取を受けているのでもない。

立憲民主党の立論はせいぜい「不謹慎だ」というようなものだ。法律というのは他者に強制する権能がある。アダルトビデオそれ自体がなんら違法性や自己選択権を阻害するものでないにも関わらず、それを禁止するというのは、違憲立法であり、全体主義に基づくものだ。

立憲民主はその名に相応しい、その名に恥じない主張を行うべきで、猛省するべきである。

 

余談)アメリカの高級娼婦は自身の権利を勝ち得ている。いわゆるプレイボーイなどのデートクラブ所属の女性たちが世間からの批判に対抗して、成功した経緯があった。

フェミニストならば、自己選択権を行使するAV女優に対する世間からの偏見や先入観に対抗して、彼女たちの権利を勝ち得るように応援するべきである。