merlinrivermouth’s diary

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(社会)男性のマウンティング

https://news.yahoo.co.jp/articles/c163e01da50257be1d512cf477959a3a4e2186cf

 

男性でもマウンティングはままあります。

しかし、男性の場合、単に自慢話をすることを除外し、マウンティングする人としない人ははっきり分かれます。

そのような男性は男性だけでなく、女性にも極めて危険で、かつ女性には極めて見分けがつき難く、非常に厄介です。

解説しましょう。

 

男性のマウンティングの心理と動機

①自らが存在するコミュニティにおける立ち位置を相手に明確化し、精神的に主導権を握る。

②自身の不安やよく見せたいという欲求

これら二つがマウンティングの動機や目的になります。

①の場合は、職場以外または対等と思われる関係において発生します。

対等な人付き合いに慣れている人同士では発生しません。

日本人は多くの場合、世間存在であり、世間側の男性女性はコミュニティ内で自身の立ち位置を明確化し、精神的に優位に立つ必要性があります。職場かつ対等でない人にこれが発生しないのは、基本的に仕事では上下関係が明白であり、立ち位置を明白にする必要性がないからです。職場でも対等な人同士では発生することがあるのは、その職場のコミュニティで立ち位置を明白にしたがるからです。逆説的に対等でないことが明白な場合、マウンティングをする必要性がないので、それが行われることはありません。

対等な人付き合いに慣れている人はそうでない人を除き、人それぞれと平等に接するため、マウンティングの概念がありません。概念がないため、マウンティングをせず、またはマウンティングされたことにさえ、気付きにくいです。

 

②の場合は、①より遥かに悪性度が低いです。多くの場合は自慢話や愚痴で、特定の誰かをターゲットにするものではなく、あくまでその人自身の内在的な問題だからです。

②については悪性度が①に比べて低過ぎ、また連関性があまりないので、主には扱いません。

 

男性の主なマウンティングのパターン

A 単に自慢話

これは誰でもします。実はドストレートな自慢話になればなるほど、その他のマウンティングの心理とは別物になります。

シンプルに、かつ純粋に、自分の不安の裏返しや自分をよく見せたいという欲求から行われます。

自身の何がしかの不安や好きな人を前にする、というような、当たり前の同情し得る状況がそれをさせます。

誰かを貶めることでもないのですし、同情可能ではあるため、周囲から見て、ストレスがありますが、それほど尾を引きません。

これから一般的にマウンティングとするのはAを除きます。

 

B 初対面または親しくなる可能性がないにも関わらず敬語を使わない。

これはその場における自身の立場を明確にする態度です。つまり、敬語を使われなかった人より自分が偉いと周囲に表明し、相手に精神的に優位に立とうとしているわけです。

 

C 相手の話や主張などに対して真面目に受け応えしない。

マウンティングしている側が礼儀正しい場合でも同様です。これは、マウンティングされた側に対して、その人が誠実に応対する必要がない人だという表明で、相手に対して精神的に優位に立とうとしています。

 

D 相手の属性について理解する努力を全くしない態度を示し、その属性より上と思われる自身の自慢で重ねる。

住まいや職種などについて問い、それを「知らない」と答え、より高いスペックを提示し、精神的に優位に立とうとすることです。

私はある劇団員から、住まいを問われ、「実家が杉並で、私は武蔵境です」と答えたところ、「知らない」を連発され、「僕は新宿です」と言われました。因みに、西新宿のオフィス街にマンションを所有していますが、それを説明することはしませんでした。

これは、往々にして、笑顔や敬語で行われることが多いです。

 

マウンティングする男性の特性

マウンティングを行うためには、視野が狭く、独善的で、支配欲求が強く、脆弱な人でなければできません。

視野が広い、想像力があるならば、マウンティングしようとする相手の自身が知らない状況を推察します。そうなると、もしかしたら自身より優れている場合も考えられます。マウンティングは対等と思われる関係で行われるもので、精神的に優位に立つ目的です。失敗した場合、そのコミュニティ内で致命的に主導権を失います。

マウンティングは独善的でなければ行えません。何故なら、マウンティングは多くの場合、無数にあるその人の属性のうちの何か一つがテーマになり、かつそれが明白に上下を有するかどうか判別不能である場合にも関わらず、上下を判断できると思えなければ、行う意味がないからです。

年収や職種や住まいや学歴や偏差値はその人の属性の一つでしかなく、年収が高くなくとも優れた仕事の場合があります。

それらを全て捨象して、自身の価値観のみで上下関係を決めれると思えるのは、独善的でなければ不可能です。

マウンティングはそもそもマウンティングする側が支配したいから行うことです。つまり、極めて強い支配欲求の発露です。支配欲求がなければ、あまり必要がないマウンティングなど行わず、対等な人には対等な人間関係を築こうとするでしょう。

マウンティングは公平な勝負ではありません。多くの場合、あけすけではなく、不意打ちであり、仕掛ける方が主導権があり、圧倒的に有利です。全く公平性を欠くゲームに勝利して喜べる人は卑怯者で、精神力がありません。真に強く、潔い人は戦う前に名乗りを上げ、正々堂々と優越を競い、自身の強さを証明しようとます。

 

マウンティングする人の望みは、その場や状況の支配です。人間関係に対等な関係を望んでいません。しかし、世間の目を非常に強く意識しているからこそマウンティングをするので、世間や社会の枠を超えたマウンティングを行うことはありません。

逆説的に世間の目を気しなくていい環境ならば、平然とその枠を超えた行動を行います。最も考えられるのは、同棲や結婚でしょう。異常なモラハラやDVはマウンティングの延長にあります。

彼らはまた脆弱な人間性を有するため、非常に打たれ弱いことが推察されます。ですので、そのような独善的な支配欲求がありながら、とても寂しがり屋であり、弱い人間性が表面化した場合、非常に優しくなるでしょう。これは、DVを行う男性の特徴でもあります。

 

マウンティング男性の属性

私の経験や聞いた話では、若年層の方が顕著です。若い方からあまりマウンティングを受けたことがないと思われる方は、彼らが単に自身を利用したり、マウンティングをとれないと思っていることについて、想像して下さい。

中年のマウンティング男性は表現的です。つまり、態度であからさまにマウンティングを取ろうとします。滑稽なほどで、だからこそ、悪目立ちします。

一方、若年層のマウンティングは非常に巧妙で、狡猾に行われます。非常に礼儀正しく、笑顔でマウンティングを行われることが多く、そのマウンティングもあけすけではありません。私などはその場では気付かないほどです。

この違いは、中年のそれは自身の内在的不安が先に立つのが主要な動機でありながら、若年層のそれは世間での自身の地位確認が主な動機だからでしょう。

いわゆるハイスペやアッパーミドルに多く、マウンティングをとる人は、ほとんどが借金漬けでしょう。マウンティングをとるためには見栄がいります。どんなに立派でも、立派に見えなければ、マウンティングをとれません。また、彼らは世間からよく思われたいからマウンティングをとるので、見栄を張ることに関しては努力を惜しめないはずです。

逆説的に、見栄を張れることが可能なのに見栄を張らない部分があったり、自身の弱みについて素直であったり、自身の負い目を信頼できる人に話せる人は、たとえハイスペやアッパーミドルであってもマウンティングをとりません。

分かりやすい例として、調子が良く、世知に長けて、すぐ謝る人や礼儀正しい人、自虐ネタを言ったり、剽軽な人はマウンティングをとりません。

またハイスペでも、ストック資産家の子弟は逆にマウンティングをほとんど全く行いません。これは彼らが金持ちであるということが世間の排除対象になり得ると小学校の段階で経験的に学んでいるためで、マウンティングを行うことどころか自慢話になり得ることさえ忌避します。

 

マウンティングを仕掛けられる意味

マウンティングを仕掛ける意味はその場における地位確認で、対等と思われるような人にしか仕掛けられません。

しかし、マウンティングは一方的かつ唐突に行われますから、マウンティングする側がマウントを取れるのは当然といえば当然です。つまり、される方は心の準備などなく、する側は自身が最も相手に勝てる何かで挑んできます。

これは、言い換えれば、その他全てでされる側がする側よりマウンティングするまでもなく優っている可能性が高く、少なくとも総合的に勝っていることになります。

例えば、私にマウンティングを仕掛けた劇団員の話です。彼は20代で、爽やか系のイケメンでした。彼が私にマウントとりたいならば、イケメン的なネタでも良かったのです。或いはモテエピソードでも良かったでしょう。ところが彼が選んだテーマは住まいの場所でした。彼が私に確実に勝てると思えたのは住まいの場所だったのです。

これは、彼の主観や印象では、彼と私とでは、見た目の良さやモテレベルは甲乙付け難いと彼の主観では思えたからでしょう。当然、職分や収入、資産、教養では彼と私とでは勝負になりません。彼は劇団員ですから。

つまり、彼は住まいの場所以外私に勝ってなかったから、私に住まいの場所でマウンティングしたのです。

 

たまに経験があると思われますが、若年層にマウントを仕掛けられたことをコミュニティないしグループで話すと、マウントを仕掛けた人が非常に慌てるのを目にするでしょう。

若年層では、マウンティングは必ずしも悪い行為とされていませんから、慌てる理由はマウンティングにありません。マウンティングを仕掛けたということ自体が総合的に仕掛けられた側に負けていることを示しているからです。仕掛けられた側がグループ内でマウンティングされたことを明示するということは、仕掛けた側が仕掛けられた側よりも劣るとグループ内に証明されたようなものです。

 

私はマウンティングをする人を覚えていません。人間性に問題があるのは当然ながら、無能なのは明らかなので、私に利用価値はありません。

実際、マウンティングとって来た人の名前は覚えていません。

マウンティングを仕掛けるということは、人間性に問題があり、頭が悪い証明です。どんなにそれを洗練させて行っても、その結論は変わりません。