merlinrivermouth’s diary

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モテと金 ーアベノカルチャーにおける恋愛ー

モテと金

 ーアベノカルチャーにおける恋愛ー

 


前文

 日本人は月を見て、「太陽が燦然と輝いている」と言っている。

 


 人は目前の生活に集中することによって、以前の暮らしや文化が現在のそれと大きく違うことをそれほど意識しなくなる。多少の違和感があったとしても、その違いが何か決定的な問題になっていると気が付きにくいものだ。

 そのような問題に気づく人はその問題の当事者で、その違いから反射的不利益を被っており、その種の問題に気がつくだけの知性がある人だろう。私は明らかにアベノミクス以前とアベノミクスの恋愛文化の違いに不利益を被っており、かつその問題に意識的になることができる知性がある。

 アベノカルチャーの恋愛模様に違和感を覚える人は少数ではないだろう。そしてそれは勘違いでも思い込みでもない。

 アベノミクス以前と比べて、恋愛が享楽的になったと思わないだろうか?

 アベノミクス以前と比べて、恋愛に夢見がちな人が増えたと思わないだろうか?

 アベノミクス以前と比べて、恋愛に金銭が媒介すること、その要求が過剰であると思わないだろうか?

 アベノミクス以前と比べて、恋愛に外見が要求されることが多く、内面が重視されないことが多いと思わないだろうか?

 アベノミクス以前と比べて、見栄えの経済力が要求されることが多く、生活の安定性が蔑ろにされていると思わないだろうか?

 明らかにアベノミクス以前とアベノミクスでは大きな違いになる文化がある。一例をあげるとすれば、夫が妻や家族の家計を管理し、小遣いを渡すというものだ。妻が家計と管理し、夫に小遣いを渡す文化は江戸時代以前まで遡り、大きく時代が変わる明治維新以後も日本国憲法下においても変わることがなかった。それが、アベノミクスが始まるや、急に変わったのである。文化が非人工的な理由で急に変化するものだろうか?

 恋愛文化の急激な変容はほとんどアベノミクスに理由がある。これからそれを解説し、問題を明るみにしようと思う。

 


 成金の大量出現

 アベノミクスの特徴の一つが新興富裕層、新興準富裕層の大量発生である。彼らはアベノミクスの金融機関の金余りとマイナス金利を利用して、富裕化した…ように見える人々である。

 具体的な原理はこのようなものである。

 金融機関は政府が発行した国債を買取り、日銀に売却する形で資金を得た。金利が低いため、利益を得るためには融資をしなければならないが大企業は内部留保があり、中小企業は設備投資を控えていた。

 一方、日銀が介入した有価証券市場は空前の株高になった。個人投資家有価証券市場に投資するだけの原資が必要になる。金融機関はそのための原資を個人に融資した。おそらく安倍政権の金融機関への指導で、形式上の担保さえあれば、担保の内実問わず、実質無審査で個人に融資した。

 より利益を巨大化したい人々は投資するための原資を大きくするために、投資目的で法人化した。しかし、投資目的の法人では融資額に限度があるため、何かのための事業をするための会社をいくつも作ったり、不動産を購入して借入のための担保にした。

 どこかの時点で元本は返さなくてはならないが、形式上の担保さえあれば実質無審査で金を借りれる状況は借り換えー借入先とは違う銀行から借りて、借入先に元本を返すことーすれば、利払だけすればいいという状況だった。たとえ利払いですら困ったとしても、借入額を増やせんばいいだけだった。

 当然のことながら、利上げや不況によって金融業界全体が利益を回収することになったり、何らかの要因で自身の事業が完全に追い詰められたりすれば、債権回収されて破滅する。アベノミクス以前からある一定上の社会的経済的地位にある人に対しては似たような融資をしていたし、アベノミクス自体も長く続いていたため、さながらチャーターを与えられたと勘違いしているアッパーミドルの人々が大勢いた。

 このように簡単に金を借りれるようになると、本業で儲けるより金を借りれるようになることの方が重要になってくる。また金を借りるという行為自体にも感覚が麻痺し、高級マンション、高級車、ハイブランド、各種サービス等々を利用するために無頓着に金を借りるようになった。このような新興富裕層、新興準富裕層はおよそ400万世帯以上存在する。彼らの出費額は従来の資産家のそれを遥かに上回る。出費それ自体だけ取り出せば、従来の資産家階層より富裕に思われるだろう。

 新興富裕層、新興準富裕層は出身階層が近く、おおむね文化を共有しており、似通った価値観の新興富裕層同士で集住している。都心のタワマンや高級住宅、中高一貫校などである。客観的には彼らの生活は成功とは言えないが、彼らは自身の力で経済的社会的成功を成し遂げたと考えている。また出身階層が比較的閉鎖的な世間の専門職やサラリーマンであることが多い。そのため、マウント文化が定着しているが、本当の意味で内容のある才能や実績で成功しているわけではなく、誇るべきは豪奢な生活と散財しかないため、奢侈がエスカレートする傾向が強い。

 

 新興富裕層や新興準富裕層の生活スタイルは世間一般ではキラキラしている世界と評される。彼らが負債まみれであると気づく人は非常に稀で、彼ら自身が自らそれを自己申告することは滅多にないので、彼らの奢侈やその奢侈を行える彼らはハイセンスで憧れの対象で、同時に嫉妬の対象にもなっていた。彼らの存在はマスメディアやSNSを通じて拡散され、彼らの周りに彼らに憧れる人々が集まるようになった。そのような人々は彼らが使う何らかのサービスに携わった。

 新興富裕層が使う最も高額なサービスは異性を買う(飼う)ことである。彼らが異性に使う額は常識的な経済感覚を逸脱しており、彼らだけでなく、彼らへのサービスに従事となる人々も健全な感覚を失っていった。

 このような現実離れした奢侈や金余りは本来新興富裕層や新興準富裕層が所属するべきアッパーミドルの階層の人々との接点を失わせしめた。それは彼らへのサービスに従事する人々も同様で、そのような労働者は新興富裕層や新興準富裕層に大きく影響され、価値観を共有するようになった。

 こうして港区文化と言われる成金文化が完成した。それは見栄の張り合い、快楽主義、物質主義、精神性の軽視、マウント合戦、自己都合主義に代表され、異常な奢侈によって支えられていた。新興富裕層や新興準富裕層、彼らの周りに集まるサービス従事者はたちまち時の人となり、世間は彼らの価値観や文化を中心に世間的ヒエラルキーを構成するようになった。

 世間の人々はこのような金持ちが無数に存在し、それほど珍しくもなく、自分も努力すれば彼らに届くように錯覚した。実際に堅実に生活しなければならない人々は彼らの生活スタイルがおよそ不可能だと認識できるが、夢溢れる人ーつまり若年者であるーはそうは考えなかった。何故なら、若年者が社会人になった時にはすでに港区文化が花開いていたからである。

 


 外観上はこのような新興富裕層や新興準富裕層が途方もない金持ちに思える。どんなにそれが負債であると主張しても、ほとんどの人は嫉妬に駆られた虚言のように思えるだろう。彼らが負債まみれなのはデータからも、資本主義の論理からも、彼らの奢侈から逆算できる合理からも明らかであるが、そうとは意識させないだけの豪勢な生活ぶりであるし、そのような人々が彼らの家族含めて東京で300万人から400万人程度いるだろうー東京の人口は1400万人だから、彼らは珍しくなく、一般的にいるため、信じられることではない。身内や友人、親戚に大勢いてもおかしくはない。

 途方もない金持ちで、お金を使うことに余裕があり(自分の金でないのだから、当然だ)、仕事や生活に追われておらず(真面目に働く必要がないのだから)、自分の趣味に時間を使え、権力を持っている(上位階層になると自民党献金して、政治力を振るう。そしてその原資はやっぱり借金である)。彼らに異性が集まり、華やかな社交界を形成するのは当然だった。彼らの周りにいる異性ー彼らの子供や友達、芸能人にサービス業従事者ーは金銭感覚が狂うし、狂っていることに気がつかなくなる。

 アベノミクスの成金は努力の結果として成功したわけではないため、中身がない。だから、享楽的であるだけでなく、物質主義的で、人を商品として評価する癖がついている。そのため、彼らと人間的な関わりを持つ人は人を信用できなくなる。だが、成金とそれ以外とでは、いくら資産家といえど、生活レベルが全然違うため、その世界から出ることができなくなる。

 アベノミクス成金の周りにいる人々もまた、彼らに感化され、彼らのように借入を繰り返したり、彼らのように人を人と見なくなる。結果、成金の周りにいる人々の周りの人々も次第に人を信用できなくなる。人間性や魂を失う事象は感染し、感染者の周りに感染していく。そして、自己都合的に振る舞える恋人を探したり、自己都合的に振る舞えるような状況を作ったり、過剰な経済力を要求したりするようになる。経済力を使った相手は元を取りたいから、恋人にサービスを求め、それができなければモラハラやDVをする。

 

 アベノミクスによって大量に発生した新興富裕層、新興準富裕層は日本の恋愛や結婚観や市場に非常に大きな撹乱要因となった。彼らの生活様式は人々に人間不信という感染症の発生源となった。地に足つけて生きている人々からすれば、少なくない数の日本人は経済感覚がズレ、生活というものについて真面目に考えなくなった。本来の階層性から大きく逸脱した階層の登場で、自身に見合ったパートナーが見つからなくなった。

 現状、自身がモテないあるいは恋人ができないあるいは結婚相手が見つからないー自身の階層に適切な候補が他の相手を探そうとしたり、そもそもまともな社会生活を送れないような人が大勢いたりーというのは、根本的な原因がアベノミクスによって発生した港区文化という成金文化にある。

 

 

 恋人ができるために必要なこと

 ところで、恋愛するために必要なものはなんだろうか?そもそも男女で、恋愛するための条件も違うし、一般的なスペックは確かに示唆的ではあるものの、それはモテるための条件で、恋人ができるための条件ではない。

 一般的な人には容易にわかりづらいかもしれないが、モテるからといって恋人ができるわけではないのは、浮気をしないタイプはモテる人ほど恋愛に慎重になるため、恋人ができにくい。浮気しない人は自身に見合った人と付き合う必要があるので、惹きつけられた異性または自分が気に入った異性から選ばなければならない。しかし、魅力的な人はその時点で自身に見合った人が少なくなる。つまり、モテるタイプで浮気しない人は自分に最適な人を探すだけで一苦労なので、恋人ができにくいというわけだ。

 また男女の違いというのもある。最近、男女のデートは割り勘が主流になりつつあるものの、まだまだ男性は経済力を女性は年齢や容姿を求められる。だが、もっと根源的な違いが男女にある。男性は女性の1/10しかモテない。例えば、マッチングアプリなどでは、男性と女性のいいねの数は概ね1:10である。これは男性が本能的にのべつまくなしに相手を欲し、理性として(十分に理性的ならばだが)浮気や不倫をしない。女性は自身と将来あり得る自身の子供を守ることができる相手を欲している。結果として、女性は男性の10倍出会いの契機があり、従って女性は恋愛に受動的になりやすく、男性は積極的になりやすい。そのため、女性は男性より恋愛に金銭や労力や時間を必要としない。

 一般的にモテるための条件は、経済力、容姿、コミュニケーション能力、安定性、年齢に分類できる。だが、恋愛できなければ、これらは意味がない。出会いがなければそもそもモテるための条件を全て揃えても無意味だ。

 出会いの数と質を一般的にモテるための条件と組み合わせたとして、これらの条件を手に入れるには何が必要だろうか?

 遺伝子?

 経済力?

 時間?

 労力?

 異性と会う時間や労力、モテるための努力をする時間や労力をすれば、仕事や勉強にかけるための時間が減る。経済力がなくなれば、異性と会う時間や労力、モテるための努力をする金がない。

 不労所得だけで生活可能な、まともに仕事をしなくてもいい人を除き、稼ぎがある人ほど、仕事に時間と労力を取られる。女性ならキャリアウーマンなどが例になるが、経済力が重視される男性はハイスペと呼ばれる男性ほど、容姿を磨く余裕がなく、そもそも出会いを作る機会が少なく、女性とやり取りするだけの労力もそれほど残されていない。…本来ならば。

 


 恋愛の目的を次世代に自身の遺伝子を残すことと仮定する。

 男性にとっては手段が二種類ある。一つ目は質ではなく、数で勝負する形式だ。のべつまくなしに相手を選ばず、責任も取らない。この欠陥は女性を騙す必要があること、非常に高確率で相手の女性と子供の経済的地位が低下する。自身の遺伝子を残した子供が遺伝子を残せる確率が低くなり、その悪循環が続くということである。自身のあらゆる資源が分散され、財や教育が残せないため、子孫はアッパーミドル以上にはなれない。このようなことができるのは古代帝国の専制君主かそもそも子供に財も教育も施せない無産者だろう。

 二つ目は、女性と同じく、決まった家族に注力することである。これによって、数少ない子供に財や教育などの資源を集中することができる。当然ながら子供は経済的社会的地位が高くなる確率が高まり、生存確率が高まる。そのような文化の子供に孫ができた場合もそうだ。

 男性の場合、質より量戦略は本能的なものだ。だが現実的には質こそが遺伝子生存戦略の合理的解答になる。特に遺産を子供に遺せる人こそそうだろう。つまり男性が生物の勝利者になるためには、自身の根源的本能に理性が勝たなければならない。

 女性の場合、多産には限界があり、出産にはリスクが伴う。結果、質より量戦略を採用しようがない。妊娠、出産時は無防備になるから、最低でもその間、自身と子供を保護し得る存在が必要であり、当然ながら、自身の遺伝子の生存は数少ない自身の子供に自身の資源を投入する方法しかない。女性にとって、本能と理性が矛盾することは少ないだろうと思われる。

 女性が求める男性は自身を保護し得るだけの力量がありながら、浮気や不倫をしない男性ということになるが、女性の場合は一見強い男性が本能を抑えられるだけの強い理性があるのか?という問題が発生する。自身や自身の子供を保護し得るだけの強い男性ほど、質より量戦略を選択し得るが、そのような男性が自身や自身の子供を保護するかどうかわからない。男性の課題は自身の本能との葛藤である一方、女性の課題は自身の価値と男性を見る目だろう。

 とはいえ、現実的には、男性が質より量戦略を採用できるには、女性が自動的に寄ってきて、恋愛にお金がかからない状況か不労所得が膨大で、働かなくとも金持ちでいられるか、どちらかしかない。恋愛するには、金、時間、労力がいる。恋愛において質より量戦略ということは金、時間、労力を省略できるか、金、時間、労力の絶対的な量があるか、どちらかだ。

 ところが、アベノミクス時代の現実はこの現実的状況と相反するのである。

 


 この矛盾はアベノミクス下のモテがいくらでも借金し、浪費することに理由がある。借金=人の金を使えるなら、ほぼ無尽蔵に贅沢できるし、時間と労力を作れるからだ。

 新興富裕層、新興準富裕層、その子弟、そのようなアベノミクス成金から投資を受けている芸能関係者などはアベノミクス成金の負債という無尽蔵に近い富を利用できる。彼らは恋愛するのに仕事や勉強に集中する必要はそこまでない。その結果、モテるために必要な金、時間、労力をいくらでも手に入れることができる。

 返済不能の負債があるということは財産の継承は基本的に考えられない。アベノミクス成金が金持ちのように思えても、資産という観点だけ見れば、一文なしも同然である。財産の継承が考えられないなら、財産を守る必要もない。離婚時の財産分与、子供たちへの遺産相続などなどは彼らにとって、実質的に無意味だ。せいぜい、良質な教育を施して、自力で生活可能な職業に就けるようにするくらいしか子供に用意できない。

 アベノミクス成金やその周辺は成金になれた手段である途方もない自身の負債によって、質より量戦略を最大化できる。と同時にその負債によって、遺産を遺すことができない。アベノミクス下で不倫が横行し、愛人がいる成金が当たり前になっているのはこのような事情がある。質より量戦略しか採りようがないのだ。

 そして、アベノミクス成金やその周辺はモテの頂点にいるのである。

 


 アベノミクス下におけるモテ

 基本的に能力と責任と収入は比例する。一般的かつ普遍的かつ合理的かつ論理的かつ現実的に、高収入の人ほど激務だ。大企業の役員、中小企業の経営者、専門職…例外は超富裕層やそれに類する貴族のような人々だけだろう。

 モテるためにはルックスを磨き、センスの良いもの、おしゃれなものに触れ、異性と会う機会を頻繁に作り、デートややり取りをしなくてはならない。女性よりも10倍積極的にならなければならない男性にとって、モテるための金、時間、労力というのは相矛盾する状況になる。経済力がある人ほど時間と労力を奪われ、時間と労力が余っている人ほど金がない。しかも将来、経済力を得られる可能性がある人ほど、若い間は金も時間も労力もない。経済力を手に入れたら、中年以上になっているのが普通である。

 しかし、アベノミクス下での現実は違う。このようなハイスペはモテて、女性と頻繁に会っている。彼らは本来、高収入であるはずなのに、なぜこのように金、時間、労力をかけることができるのだろうか?

 その理由は先述べた、アベノミクスにおける負債による。新興富裕層、新興準富裕層は借入してまとまった不労所得を得ている。奢侈に対しても借入するのが一般的だし、彼らが若い場合、概ね彼らの親も似たような経済活動を行っている。故に、フローのお金が借入していない人より遥かに多かった。

 新興富裕層や新興準富裕層の子弟は彼らの親の出身階層が高級サラリーマンや専門職であり、見栄を利用したコネがあるため、ある程度までならキャリアアップすることができる。自身の金ではないとはいえ、それだけの富を自由にできるのであれば、一生懸命に努力して、残業や勉強三昧の日々を送らなくていい。企業経営者ならば、本来自身の会社が軌道に乗るように全力を挙げて集中しなければならず、奢侈や遊興に耽ってはいられないが、彼らの起業目的は借金の担保にするためであるから、仕事に集中することもない。

 そのため、高給を得られているまたは得られる可能性があるアベノミクス成金には、モテるための金、時間、労力が有り余っているということになる。

 


 これらは実際以上に、モテに影響する。特に男性においてはそうだ。ルックスを磨く、異性と頻繁に会う、複数の異性とやり取りをし、デートをする。これらは時間と労力が必要だ。しかし経済力がなければ会うことすらできない類の異性も多い。そして、これが何より重要だが、頻繁に異性と会い、好意を抱かれる回数が多い人ほど、異性に対して余裕を持てるので、異性は安心感と強さを感じる。経済力がない男性、ルックスが悪い女性、実直に仕事や勉強に集中している人はこれができない。異性と会う機会自体が少ないので、今目の前にいる異性に落ち着きがなかったり、執着してしまう。

 異性に余裕がないのは、本来は良いことだ。目の前にいる異性に余裕があるということは、その人にとってそれほど大事にすべき異性ではないと表明しているようなものだからだ。だが、それは理性の問題であって、本能的に余裕のある異性は魅力を感じてしまう。

 そして、この余裕は時間と金と労力を必要とする。だが、ほとんど全ての人は、時間、金、労力のいづれかが不足しているのだ。年頃の貴族が目の前に頻繁にいて、年頃の貴族でない自分を相手にしてくれること自体、ナンセンスなのである。

 これは、アベノミクスによる成金の大量出現が理由だ。そして、その成金は存立不可能な負債を抱えている。

 


 幻想のシンデラストーリー

 借金があることを交際可能性がある異性に告げることは滅多にない。それどころか結婚している相手にさえ告げることは少ないだろう。

 アベノミクス以前、江戸時代から日本は、収入の管理は当時職に就くことがあまり考えられない妻が管理していた。現在は、収入がある方が伴侶に小遣いを渡し、自身で資産を管理している。これは急激な文化の変化だ。共働きが増えたことが要因かもしれないが、それならばともに資産と家計を管理するだろう。そしてこのような文化は共働き家庭より、専業主婦が多い新興富裕層、新興準富裕層で主流なのだ。

 これは自身のパートナーに借金や負債について明らかにしたくないからだと考えるのが自然だ。パートナーが自身の負債について知れば、負債をコントロールしようと、生活水準を落とし、奢侈や遊興をやめさせるのは目に見えるし、最悪の場合、離婚すら考えられる。

 アベノミクス成金は自身の負債について、家族にすら知らせない。恋人や交際相手に教えないのは尚更だろう。

 では、アベノミクス成金の相手となる異性側は彼らの負債について気がつくだろうか?それは滅多に考えられない。そのような負債に気がつく人というのは、相手の収入と使っている額をある程度計算でき、かつ経済活動に非常に明るい人だ。かなりの社会経験を経たビジネスマンとして極めて優秀な人でなければ持ちえない目線だが、およそ恋愛というのは若者の特権であり、恋愛に親世代が介入することがなくなって久しい。

 また、実際に豪奢な生活を見せられて、そこに現実に金持ちが存在するのだから、それを疑うというのはよほどの鋭い感性が必要だ。これから恋愛しようという人がそこに考えが及ぶだろうか?しかも、アベノミクス下にあっては、そのような成金が非常に増え、400万から500万世帯、1千万人も存在するのである。

 

 アベノミクス成金と恋愛しようとする人、恋愛したい人は彼らの負債に気が付かず、しかもそのような成金が決して珍しくないという状況では、彼らにとって、「普通」の経済感覚がずれてしまう。

 アベノミクス成金は利払だけ払えばいいという考え方だ。そして利子は非常に低利である。結果、彼らと同レベルの経済力の人より50倍は金を使える。そして、彼らと交際している、交際したいと望む人々の経済感覚はこの「50倍」が基準になる。そのような異性と金を借りない人々が交際できるわけがない。

 特に男性が女性とのデート費用ーレストラン代、ホテル代、旅行費、割り勘問題などーで悩むのは、これが理由だ。金を借りない、堅実で健全な男性は女性の要求を理不尽であるように受け取る。だが、女性の方は実際に健全な男性の「50倍」金を使える男性が一般的に存在するので、単にそのような男性を貧乏人または女性をもてなす気持ちがない男性と評価してしまう。そしてどちらも、「50」倍金を使える男性の原資が借金だと気づいていないから、感情論になってしまう。

 


 アベノミクス成金が同じレベルの経済力がある男性と「50」倍金を使うことができ、労働や勉強に集中せずに、自身のルックスやセンスを磨き、無数に異性と会う機会を設けることができるというのは、資産家クラスの男性ですら彼らに太刀打ちするのは難しいということになる。

 社会的には、資産家クラスは日本人のヒエラルキーのトップであり、彼らは自身の社会的地位に相応しい女性を見つけようとするだろうが、彼らに見合った女性はアベノミクス成金に目が向き、資産家を金持ちとは思えない。

 結果は資産家クラスの非婚化である。足立区の男性の結婚率と世田谷区の男性の結婚率は同程度なのだ。

 


 アベノミクス成金と交際し、結婚した人々は自身をシンデレラストーリーに乗ったと思っているだろう。だが、それは幻想に過ぎない。

 彼らの生活スタイルから鑑みれば、彼らが異性に誠実であることは非常に珍しい。特に男性は自身の本能を理性でコントロールするか、本能を抑える必要性がなければ誠実にならない。のべつまくなしに借入する人間が理性的だろうか?金、時間、労力が有り余っている人が自身の本能を抑える必要性があるだろうか?

 ほとんどの男性は浮気や不倫をするだけの金、時間、労力がないから、それを行えないのだ。彼らにはそれがある。

 次に夫婦は共有財産である。借金も共有される。正確には結婚時からの資産と負債が共有される。離婚しても、その間の負債は請求される。彼らの負債額を計算すれば、離婚したとしても、容易に返済不能で、自己破産は必至だろう。

 アベノミクス成金とのシンデレラストーリーは幻想で、破滅への道にもなり得る。

 


 誤解してほしくないのだが、私は「お金を見せびらかしてモテる」とは言っていない。自由に使える富が多ければ、必ずしも労働や勉強に集中する必要がない。また、モテるための努力をする時間や労力だけでなく金もあることになる。労働や勉強はストレスで時間も取られるが、それらを抑えることができるなら、それだけで健康的なルックスを得られる。異性と会う時間も労力もそれで手に入れられる。つまり私が主張しているのは、自由になるお金があるほどモテるための条件が揃いやすいということだ。

 そして、アベノミクスで大量の新興富裕層、新興準富裕層が登場し、自由になるお金が使える人が増えた。だから彼らは非常にモテる。だが、彼らがモテる原資は彼らまたはその親または投資元の、返済不能な負債なのだ。

 

 選択肢の多さと非婚化、しかし恋愛そのものは多い

 結婚が減少している理由に、子育てに金がかかることー社会福祉がおざなりな日本では当たり前だー、他の楽しみが多いことが一般的な説になっている。

 この二つの説は矛盾している。多くの趣味や熱中できる趣味が行える経済力ならば、子育てする金があるだろうということ。経済的に不安定ならば、子供を作らない前提で、所帯を持った方がむしろ安上がりであるということ。簡潔にまとめるならば、金があるのかないのかわからないのだ。

 また一方で、非婚化しながらも、恋愛は皆が希求している。この恋愛というのはカジュアルな恋愛ではないというところが重要な点だ。真面目な恋愛を求めつつも結婚はしたくない。真面目な恋愛は、法的にはともかく、内実は連れ合いであり、動物的にはつがいである。これは多くの人が結婚したくないと思っているのではない。何らかの理由でできないまたは難しいと考えているのだ。

 アベノカルチャーの恋愛は矛盾でできている。

 結婚はしたいと考えている。そして趣味に熱中するだけの自由な金もある。だが、子供を作るのは経済的に難しいから、結婚はしたくない。

 この矛盾はアベノミクスの個人特に恋愛や結婚適齢期の人々への金の流れで説明できる。

 

 アベノカルチャーにおける恋愛や結婚の適齢の人々の主張は一見、わがままを言っているだけに聞こえる。確かに、わがままであるのは確かだが、そのわがままはアベノミクスが行われた、異常な金余り時代という環境に依るものが大きく、彼らを責めるのは難しい。

 アベノミクスによって、異常に金を借りている成金が大量に出現したこと、彼らが異常な負債を抱えていることが一般的に知られていないことは既に述べた。成金はサービス業に非常に有り余った金を使う。それらのサービス業から利益を得るのは若者である。もちろんそれらの若者は若者の一部であるが、決して例外的存在ではない。それらの若者はSNSで自身の生活ぶりを披露するが、サービス業に従事すれば、若者はそれらを行えるだけの経済力を得られるチャンスがある。大量に出現した成金のおかげで、サービス業は非常に拡大したからだ。

 結果、

 ①それらのサービス業は結婚してからは続けることができない。

 ②誰しもが何らかの努力をすれば、奢侈に手が届くと錯覚する。

 という現象をもたらしている。

 アベノミクスが行われる以前、バブルを除いて、成金は少数派で一般的ではなかった。そのため、金持ちの生活を真似しようとか、憧れるとか思う人はほとんどいなかった。また、自身の能力を超えた収入を得られるチャンスも少なく、若さを売るビジネスは敬遠されていた。故に自身の使える範囲内で、自身の身の丈にあった生活を行うことが当たり前だった。自身の経済力を超えた生活を行わないので、家庭を持つという可能性ができた。子供に対しても、過剰な期待を持つことはなかった。希望は抱いても、夢だけを追い求めることはできないし、しなかった。だから、過剰な教育を施そうとは思わなかった。あくまで自身の身の丈にあった人生を計画した。

 誤解して欲しくないのは、私は教育への社会福祉が少ないことを否定しているのではない。それは非婚化の最大の主要な要因だ。その他の要因として、世間の人々がアベノミクス成金を見て、「普通」の生活の基準が高くなってしまっていることを指摘している。当時とは同じ生活スタイルを行っても、子供にかかるお金が雲泥の差である。私が主張するのは、それにプラスして、アベノカルチャーが恋愛、結婚適齢期の人々に過剰な夢を見させているということだ。

 例えば、アベノカルチャーで喧伝される生活スタイルはバブル期以上のものだ。しかし、現実的には、日本はほとんど経済成長しておらず、相対的には、よく言って老成、悪く言えば衰退過程にある。日本人は世界基準で相対的に貧しくなっているから、基準となる生活スタイルは1990年代以前の昭和の生活スタイルだ。世間のモデルケースと現実にそれほどの経済的落差が存在すれば、借金で穴埋めしないのであれば、結婚して子供を持つなどというのは不可能に近い。そして、どれほど左翼的な政権でも、その落差を埋めるだけの子供への予算を配当するのは不可能である。

 


 これらの他に考えられるのが、恋愛への不信感である。この要因もアベノミクスに起因する。先述したように、アベノミクスによって、世間の人々の「普通」の暮らしの基準が高くなっている。その「普通」の暮らしに見合えるだけの経済力を備えた条件の人々は少ない。金を借りている成金か相当な富裕層である。

 女性はキャリアウーマンと言えど経済力がある或いは経済力があるように見える男性を恋愛相手に選ぶ傾向がまだまだ強い。そして、経済力がある男性は女性に経済力をそれほど求めない。そのような男性が女性に求めるものはルックスと愛嬌と従順さである。

 基準を満たす男性のほとんどはアベノミクス成金であるから、複数の女性と交際する金と時間と労力があり、スノービッシュな文化そのままに女性を価値化してふるいに落とす。

 数少ない男性に多くの女性が交際を欲し、ほとんどが一方的に遊ばれて、捨てられる。そのような男性のほとんどは自分に都合の良い女性を求める…という図式である。

 女性側は金持ちが多いように感じるし、選択肢があるように思えるだろうが、実際のところ金持ちの男性の方が競争率が激しい。つまり、女性は選ぶ側だと誤解しているが、選ばれる側なのだ。

 アベノミクス以前のように負債に頼るような成金が相対的に少なければどうだろう?「普通」の生活の基準が高くなければどうだろうか?資産家階層は容易に不倫はできないし、高収入を得られる男性は複数の女性と交際する時間と労力がない。「普通」の暮らしの基準が高くなければ、高望みする必要性も薄くなる。そしてそのような男性はさらに少なくなる。…彼らをターゲットにするという戦略自体がナンセンスだ。宝くじに当たることを人生計画に入れる人は一般的ではない。だが、アベノミクスでは、成金は非常に多く、一般の女性の手の届く範囲にいるように思えるし、彼らは複数の女性と交際するのが常だから、それだけチャンスがあるように誤解させる。しかも普通の生活の基準が高いため、彼ら以外が眼中に入らない状況だ。

 スノービッシュな成金が求める女性というのが、究極的には、自身に都合の良い異性というのが女性に問題を引き起こしている。女性は過度なルッキズムにさらされる。「あざとさ」という文化はまさにそれを象徴しているだろう。男性に都合の良い女性を演じつつも、心理的テクニックで何とか男性の道具にならないように歯止めをかけようとする。それは結局のところ、男性の所有物に甘んじるしかないという状況を前提にしている。

 当然、女性は恋愛について非常に苦しい状況になり、男性を容易に信用できなくなる。しかも、女性間の恋愛競争は激化しているから、それで悩むことはライバルからの冷笑で迎えられるになる。とはいえ、モテない男性からすれば、そのような女性は同情に値しないだろう。何故ならば、過度な生活を求め、高望みした挙句に悩むのは自らが招いた危機とも言えるからだ。

 非モテ男性も女性に対して不信感が根強い。彼らは女性が過度に経済力を望んでいるように感じるし、それは間違いではない。たとえ成金と同じ経済力であっても、成金ほど恋愛に金、労力、時間を使えることはない。成金は借金つまり人の金を湯水のように使えるからだ。金を借りない男性も一般的な女性も成金が桁違いの借金をしているとは気づかない。だから女性は非モテ男性を単に金がないか何らかの致命的な欠陥がある男と看做すし、非モテ男性は成金を求める女性を高望みして、自分で危機を招いている、愚かな女性と看做している。

 現実としては、モテ男性のほとんどはアベノミクス成金であり、大変な負債があるため、結果的に非モテ男性の見解が正しいが、もし非モテ男性が成金が破産すると知っていれば、恋愛を諦めることもないし、ことさら「愚かな女性」に言及することもないだろう。

 成金以外は男性も女性も恋愛に悩み、恋愛対象に不信感を抱くようになる。その不信感は恋愛対象への過度な警戒心につながり、真剣な恋愛をしたいが非常に怖くて危険という前提になる。

 

 

 

 アベノミクス下のモテと非モテ

 先述したように、アベノミクス成金やその周辺は自身または親や投資元の常識を超える負債によって、異性にモテている。富それ自体でモテているわけではなくとも、だ。金を借りない人々は自身がモテるための努力や異性と会うための金、労力、時間が限られる。生活に追われ、仕事や勉強に集中しなければならないからだ。アベノミクス成金と同じ経済力であったとしても、彼らのように自由にお金を使うことはできない。アベノミクス成金は自身の経済活動や生活、消費のほとんどを借金に頼っている。ということは逆説的に金を借りれる限り、その消費に限りはないということだ。

 アベノミクス成金の当事者でなければ、彼らが借金に頼っていることを知らない。いや、当事者であっても自身の経済活動が負債まみれであると気づいていないケースすらある。私が見聞した限り、自身の負債額について把握している者は一人しかいなかった。また、この場合の当事者に家族は含まない。多くの場合、パートナーや子供に対してアベノミク成金が生活費を渡し、家計の管理にタッチさせていない。家族が知っているケースはアベノミクス政策を支持し、ともに成金化しているケースだ。パワーカップルのほとんどはこれである。

 これらから、アベノミクスにおけるモテ、非モテを分ける決定的な分岐点は自身または親の負債の有無である。常識外れの負債を持って、成金化すればモテて、堅実に生きればモテないのである。

 特に男性の場合は顕著だ。イケメンであっても、センスがあっても、安定的な性格であっても、高収入であっても、成金と同じ資産、経済力があっても、彼らと同じような借金をしていなければ、自身に見合った女性と結ばれる可能性は非常に低い。

 

 アベノミクス下のモテ、非モテ論争が男女間で拡大している理由は、アベノミクス成金を除く男女ともにアベノミクス成金が常識外れの負債が気づいていないこと、アベノミクス成金の子どのーモテの可能性が高いーすら、親の負債に気づいていないことにある。アベノミクス成金の負債が市民に常識化されていれば、彼らがモテることはなく、仮にモテていたとしても、非モテの人を揶揄したり、非難することはない。

 非モテの男性がモテないわけではない。もちろん、恋愛の土俵に上がらないような男性もいることは確かだが、ほとんどの場合、本来ならば自身に見合った女性に相手にされないことやその女性が過剰に経済力を要求ーアベノミクス成金が多いため、普通の基準が上がっているーされることに原因がある。

 もし、非モテ男性が、アベノミクス成金が負債に頼っていて、そういう人が400万世帯から500万世帯もいると知っているならば、自分に相応しい女性がアベノミクス成金に向かう事象を理解できるし、金融緩和が止まり、銀行の債権回収が始まるまで恋愛を控えればいいだけだから、自身が「モテない」と悩む必要が全くない。

 ほとんどの女性もアベノミクス成金が負債まみれだと気づいていない。だから、非モテ男性が純粋に非モテであると評価してしまう。彼らの悩みの原因がアベノミクス成金が「普通」だと誤解している女性にあると知らないので、非モテ男性の女性への反感を嫉妬なり僻みだと捉えてしまう。

 当然ながら、非モテ男性はそのような女性の反応を見て、そのような女性に過剰に反応するようになる…という具合だ。

 アベノミクス成金から金を受け取っている男性ー彼らの子供や彼らの会社で働く芸能人などーもアベノミクス成金が負債まみれであると気づいていない。彼らはモテだが、自身の後援者が破産すれば、たちまち貧乏になり、モテるための金、時間、労力がなくなる。だが、後援者たちが負債まみれだと気づいていないから、自分のモテの地位が安定的だと誤認している。そして、非モテ男性たちの不満が貧乏人のやっかみやルックスが悪い人たちの嫉みだと捉える。

 もし彼らが自身の親や後援者が負債まみれだと知っていたら、自身の経済的地位が非常に危うい前提になるし、それが失われれる可能性を考えれば、自身が非モテ化することも十分にあり得ることくらいわかる。そうしたら、彼らは非モテ男性を貶すのではなく、味方になっていただろう。明日は我が身なのだから。ところが、彼らはアベノミクス成金の負債について知らないのである。

 アベノミクス下のモテ、非モテを分ける決定的な分岐点は負債の有無である。しかし、恋愛の当事者のほとんどがアベノミクス成金の負債について知らないのだから、議論が成立することはない。むしろ自身や相手や他の当事者のモテ評価を大きく間違えたまま議論が進行するので、無礼で傲慢だと互いに評価し合い、感情論になって終わりである。

 勘違いして欲しくないが、私は非モテ男性にアベノミクス成金のような経済活動を勧めているわけではない。私が非モテ諸氏に助言するならば、アベノミクスは去年の2022年10月に終わっている。今後、金融機関は利上げを待って、債権回収するだろう。アベノミクス成金は元本を返さなくていいという特殊な考え方だが、資本主義でそんなことはありえない。議論となるのはそれがいつ来るか?だけで、円安がこれだけ進行すれば、今すぐか?数ヶ月後か?というレベルである。アベノミクス成金やその周辺のモテなど、借金中毒のいかがわしいサークルの出来事だと思っていればいい。アベノミクスがご破産になれば、アベノミクス下の非モテ男性とされてしまっている人々は堅実な、女性を守る能力がある誠実な男性と正しい評価をされるようになる。

 アベノミクス下のモテ、非モテアベノミクス成金の負債の有無で成り立っている以上、経済力、外見、内面のレベルが正しいモテ評価になることはない。アベノミクス清算される過程で、それらは幻だったと世間の人は見做すだろう。

 


 アベノミクス崩壊によるモテの零落

 アベノミクス下のモテ男性とは成金と成金から支援された男性ー会社経営者、エリート、成金の子弟、芸能系、インフルエンサー、ホストーである。逆にモテ女性とは何らかの手段で成金から直接的間接的に金を受け取ってるサービス業者ー芸能系、専業の夜職やお水、インフルエンサーである。

 これらの元手は結局、成金の金だ。そして成金は多額の負債があり、アベノミクス終了後の債権回収で金が入らなくなる。金がなくなればモテるための努力ができない。ルックスを維持したり、異性に会うための出会いを作れない。特に男性への影響は大きい。

 女性といえど例外ではない。

 愛人関係やパパ活をしている場合は最悪だ。最低でも内縁の妻のような形式をとっていなければ、パトロンから不当利得返還請求を起こされるし、パトロンー多くの場合、成金であり経済的に破滅するがー彼らの債権者つまり金融機関から詐害行為取消権を使われる。これらの時効は五年間で受け取っていた額、支援された住まいの住居費などを求められる。つまり、破産である。

 次に悪い状況になるのが、一定以上整形している女性だ。骨を弄る、リフト、豊胸などは再手術が必要になる。人は生物なので回復機能があるから、骨はギザギザに回復してしまう。またリフトは良い糸を使わなければ感染症を起こし、良い糸は数年で人体に吸収される。シリコンを胸に入れればやはり感染症のリスクがあって、除去手術が必要になる。自身の脂肪を入れれば、やはり数年で人体に吸収されるが、皮膚は戻らない。これらの金を昼職だけで支払えるのか?手取り15万から30万では厳しいが、成金が消えた状況では芸能系や夜職、お水、パパ活では大して稼げない。

 これらを行なっていなくとも、貯金が3千万あったとしても、一生仕事しないで済むとはならない。昼職でキャリアや資格がなければ手取りは15万がせいぜいだ。キャリアや資格がなくとも暮らして行きたいなら貯蓄は一億は必要だがかなり厳しい条件だろう。

 モテ男性は概ね金が詰まる。多くはモテを維持できない。モテ女性は生存の問題に立たされるが、彼女たちが基準とするモテ男性はほとんど全くいないというような状況になる。

 そして、アベノミクス後はモテの条件が男女共に変わる。

 

 アベノミクス後のモテ

 日本社会にとってアベノミクスの特徴的なことは新興富裕層、新興準富裕層の大量出現だった。モテるためには原資が必要である以上、成金や成金の子弟、成金から投資を受けた芸能関係者や夜職がモテの頂点になるのは必然だった。成金が400万世帯から500万世帯いて、彼らの負債の規模が1500万の年収で3億、20億の資産で200億という事実関係から、モテ関係者もまた大量に出現していると考えられる。

 歴史的に成金というのはスノービッシュな性格に特徴があるが、アベノミクス成金に関してはそれが極大化している。彼らは一般的な成金と違い、彼ら自身に能力があるのではなく、単に自身の社会的地位やちょっとした資産を担保にして、負債を拡大し続けただけだ。しかも、従来の資産家よりもはるかに数が多く、はるかに奢侈を行うため、自身を特権階級と思い込んでいる。この結果、自己都合主義で、尊大で、支配的なモンスターが大量に登場している。

 アベノミクス成金の子弟や彼らから支援されているモテ系も彼らの価値観、文化を引き受けている。彼らは自分より金や社会的地位がある、またはモテる人々には媚びるが、利用価値がないと見做せば冷淡で、傲慢になる。彼らは自身が特権があると誤解し、人を商品のように思っている。

 恋愛適齢期にある人々は若いので、アベノミクス以前の社会を知らず、アベノミクス下の社会が自然だと捉えている。これほど非人間的な社会が異常でないわけがないが、比較対象がないため、それがわからない。狂った経済感覚と人間不信は感染し、日本社会に蔓延しているため、恋愛はうまくいかず、成婚もままならない。

 日本の実体経済は弱りきっている。産業は斜陽だ。政府は負債の返済のために増税し、社会保障を切り詰めにかかる。政府が養育費を支援することが難しい。これから先、子供を育てるということにインセンティブはない。だが、そもそも奢侈に溺れる、または溺れたいと思っている人にいくら子供支援をすればいいのだろう?成婚率が減っている主因の一つは人々に奢侈という選択肢があるように誤解させたアベノミクスにある。

 


 しかしアベノミクスは永遠に続けられるものだろうか?経済的かつ財政的にそれは不可能だ。全体の富が変わらないのに通貨発行量を増やしても、本質的に富の総量が変わるわけではない。景気がいいと人々に錯覚させて、一時的に金回りを良くさせる効果しかない。引き換えに負債を積み重ねることになる。

 アベノミクスを2年続けて効果なしとされたにも関わらず、日本政府はアベノミクスを続けた。日本政府や日本人は債務を頼りにする体質に変質しており、新興富裕層や新興準富裕層はすでに既得権化していた。

 アベノミクス成金は日本政府と同じ経済活動を行った。借り換えをし、利払いだけ行い、際限なく負債を増やし、見栄や快楽のために分不相応な奢侈に金を使った。借金するために、不動産を買い、小さな会社をいくつも起こし、どうせ金を借りればいいからと、真面目に経営することはなかった。

 日本人はアベノミクス成金の奢侈に目が眩んだ。日本政府は景気が良いと見せかけるため、彼らの生活ぶりを喧伝した。日本人は金持ちがたくさんいると誤解し、努力すれば彼らのようになれると錯覚した。彼らが負債まみれと知らず。

 アベノミクスをやめれなくなった日本政府はついに為替の問題に直面し、利上げを迫られている。円安は日本の産業と市民を破壊しようとしている。利上げは新興富裕層や新興準富裕層を破滅させるだろう。死か生き地獄か?…日本が破滅すれば元も子もない。利上げし、アベノミクスを終了させるしかない。それも今すぐにだ。日本政府は代償として、アベノミクス成金を破滅させるがままにするしかない。

 日本政府が決断するとかしないとか、そんな次元の話はもう終わっている。

 


 アベノミクス成金は自身を貴族のように誤認している。だが、これから巻き起こる債権回収の嵐は彼らを貧困に叩きこむ。彼らにお金を使われていたり、彼らがオーナーをしているサービス業も例外ではない。

 経済的、社会的地位はアベノミクス成金に限っては逆転する。世間での評価も同様で、モテに与える影響は甚大だろう。アベノミクス成金からすれば革命を起こされたようなものだ。だが、社会や世間は全く同情しない。彼らはそもそも貴族ではない。ミドルクラスであり、単に金を借りて、貴族のように見せかけていただけだ。

 アベノミクス成金、その子弟、彼らから支援されていた芸能関係者はモテから脱落する。成金やその子弟は貧困化し、芸能関係者のほとんどは芸能を続けることができなくなる。モテるようになるための原資がなく、自己コントロールができず、将来性がない人という評価は過去のモテの経歴など無関係に論外となる。

 アベノミクス成金の子弟の多くは高学歴だ。だが学歴に比した能力があるとは言えず、親のコネや経済力は使えなくなる。親が組んだローンが自分の代まで続いている場合、相続放棄しても自分に負債が残る。彼らも自身の親のように自身を特権階級だと勘違いしている。彼らの親と違い、彼らは親の負債を知らない。彼らもまた、成金だと知られれば、迫害されてしまうだろう。

 夜職の女性は客や支援者の債権者に詐害行為で訴えられ、金を返さねばならない。脱税で訴えられることもあるだろう。彼女たちが使っていた先のホストも同様だ。彼らは売春斡旋の容疑が濃厚で、返済を迫られるだけでなく、犯罪者として扱われる。ホストは客の売掛を引き受け、ホストクラブに売掛している。つまりホストクラブもまた返済を迫られるし、そもそもやっていることが違法行為だ。そしてそのような店のオーナーのほとんどが新興富裕層である。夜職の主要な客も成金で、客が壊滅状態になる以上、夜職は儲けを出せなくなる。

 芸能関係は富という観点でのみ判断した場合、夜職と変わることはない。芸術は確かに夜職と違い歴史的、文化的意義があるかもしれない。しかし、直接的に富を生み出す保証はなく、過剰な投資が必要で、国内の消費に依存するという点で、大きく変わることではない。売れている、売れるという保険がある一部の人以外は縮小する。アベノミクスで大規模に拡大したマーケットだ。大シュリンクするだろう。

 これらの人々で最悪なのが、実家を頼れない人や整形を過度に行ってしまった人々だ。大規模な整形はメンテナンスがいる。人は動物であるから回復機能が備わっている。しかし、傷が綺麗に治らないように、整形後も「回復」とともに徐々に崩れて、汚くなっていく。回復力によってまちまちだが、定期的に最初の施術と同じような金額が必要になる。アベノミクスの間はそれらの金銭を工面できただろう。異性から貢いでもらったり、ローンを組めばよかった。これからはそうはいかない。生活するのがやっとの状態になるのが一般的になるのに、どうやって数十万ものお金を稼ぐのか?その段階では夜職や芸能系はオワコン化しているのだ。

 これらの女性たちは非常に数少ない、生き残った富裕層に媚びるだろうが、彼らと女性たちの需要供給バランスは大きく崩れている。競争率は100倍以上だろう。わざわざ年間数十万もかかる女性と真面目な交際をする可能性は極めて低い。

 私は彼女たちが犯罪に巻き込まれる可能性が高いと考える。整形とはいえ、見た目がよく、おそらく破産状態で、今後も金が必要で、頼れる友達や親族が少なく、数が多く、異性にサービスする職業経験者だ。裏社会からすれば、騙して海外に売り、監禁して、安く性サービスに従事させる格好の餌食だ。身よりもなく、いかがわしい職業をしながらも破産しているため、実質的に2等市民となり、警察の捜査の優先順位は低くなる。しかも代わりはいくらでもいるのだから、消耗品として扱える。彼女たちは必死だから、騙しやすくもあるだろう。

 報道番組やワイドショー、新聞やネットで、成金がどのような生活ぶりをし、どのような言説を行い、どれだけ負債があり、どのように貧困化し、そのような人々がどれくらいいて、どのような犯罪行為をやり、どのように異性を買っていたなど、繰り返しニュースになるようになる。

 新興富裕層、新興準富裕層と言われるアベノミクス成金だった人々は世間の人々に軽蔑されるようになる。彼らは破産して貧困化する人もいれば、運よくミドルクラスにとどまれる人もいるだろう。だが、金がなければ権力もない、普通の人以下になることは宿命付けられている。彼らのスノービッシュな言説ー自己責任論やマウント文化、他者を見下すなどーは彼らに返ってくる。彼らは過去に成金だったことを隠さなければ、迫害されることになるのは自明だろう。頭を下げて、ロワーミドルとして人生を歩む他ない。

 


 しかし、一般の人々も生活が厳しくなるのは確かだ。利上げされるだろうから、物価は徐々に正常になる可能性が高いとはいえ、バブル崩壊を超える不況は確実で、しかもそれは永続的に続く。人々はメディアでは連日、現実の生活が報道され、アベノミクスが幻でしかなかったと思い知らされるだろう。羽振が良かった人は消え、自身の生活は厳しく、遊興にふけるだけのお金はない。老後も不安だ。日本政府の債務は年金などの社会保障が形骸化することを示唆している。

 老後の不安を減らす最良の策は経済力や生活を共に支え合う人を作ることだ。精神面はともかく、経済力や生活の双依存関係は良くも悪くも互いを心配し合う必要があり、リスクを分散し、危険を回避しやすくさせる。

 パートナーとなる相手が友達でもいいが、最も妥当なのは結婚相手だ。法定婚は互いの関係に責任を持たせる。借金をいくらでもできる時代ならば、そのような責任は大きな意味が持たない。だが富に限りがある前提ならば、一度築いた契約や関係を破棄したり悪化させるのはリスクが大きすぎる。好むと好まざると関わらず、互いを尊重し、心配し、大事にするしかない。

 結婚したから、確実に子供を作らなくてはならないということはない。実際のところ、子供を育てにくい環境が改善されることはないだろう。日本政府は金がないため、子供のための予算を組むことが難しい。もちろん、二人で生活することによる、生活費の削減や奢侈を行うことの異常性に気づいて、生活水準を下げるだろうから、子供を育てる時間や労力は浮く。しかし、金が足りないのは確かだ。

 とはいえ、互いに関係を大事にせざるを得ない以上、アベノミクスの間の不信感がある、自己都合的な恋愛より遥かに幸せなはずだ。そして、それは互いの老後を保障するものでもある。

 


 アベノミクス後、徐々に自身の安定のための結婚が第一前提になっていく。遊びの恋愛はリスクでしかなく、金、労力、時間の無駄でしかないから、恋愛も安定のための結婚の過程という形を踏むことになるだろう。女性の経済感覚も成金が滅びる過程で正常になっていく。女性は羽振が良い人を容易に信用しなくなる…というかその段階で成金は滅びているから、関係がない。

 アベノミクス後のモテはアベノミクスの間のモテと対象的になるだろう。堅実で、真面目で、安定的で、思いやりがある人がモテて、ルックスやノリは二の次になる。これは一部の例外を除いて男女共にそうだ。

 男性のモテはこのように変わる。女性が母体や子供の保護を優先する以上、男性の経済力は非常に大きなポイントになる。歴史的大不況が待っているとなれば尚更だ。成金や彼らから支援されていた芸能系がモテから脱落し、婚活や恋愛市場に成金を相手にしていたサービス業の女性や新興富裕層、新興準富裕層の娘が参入する。数十万人にはなるだろうから需要供給バランスは大きく崩れる。

 資産家階層を除いて、高収入を得られる男性ほど多忙である。ルックスを磨いたり、多くの女性と会って、やりとりする時間と労力がない。だが、女性が男性に求めるのは安定が最優先となる。女性慣れしていないことはプラスに働き、ルックスはさほど大事にされなくなる。ただし経済力ある女性は男性にそれほど経済力を求めなくていいため、優先順位や比重が多少変わる。

 女性が経済的に安定している男性との結婚を条件の最優先にし、夢を見なくなり、無駄な恋愛を避けるようになるならば、男性のモテとは社会的階層に比例しそれが絶対だ、ということになる。アベノミクス後の経済は正常化でもあるので、階層の固定化は避けられない。それは階級化していくだろう。

 


 以下階級名は便宜的にイングランドのものを使う。アベノミクス以後の日本社会の階層性はおおむねイングランドのそれに似通ったものになると思われる。

 超富裕な資産家階層(超大企業の創業者一族や皇族関係者)…デューク

 富裕な資産家階層(都市部や地方に一定以上の不動産や株式を持ち、負債がほとんどない安定した中規模以上の法人を実質的に所有する人)…バロン、バロネット

 高給が見込める専門職…ミドルクラス

 役員が見込めないサラリーマンや小規模な自営業種、資格がない肉体労働者、サービス業従事者など…レイバークラス

 

 

 アベノミクスという特殊な時代でなければ、基本的に、男性のモテは同一階級や隣接した階級との婚姻が一般的になり、モテは階級の高さに比例する。アベノミクス後の不況では尚更だろう。

 最もモテるようになる男性は生き残ったデューク、バロン、バロネットなどの資産家階層の子弟だ。彼らは本当の意味でリッチだが、同時にほとんど金を借りず、奢侈は慎む。相続費用を考えねばならず、基本的に収入と支出のバランスを取ろうとし、生活で切り詰めるところは切り詰めようとする。彼らがそのようなのは、相続費用や資産課税が高かった高度成長期を生き残ってきた一族だからだ。不必要な資産や奢侈や生活費を削り、見栄を張らず、安定を望む。このため、彼らが新興富裕層や新興準富裕層と最も異なるのは、異性交友である。彼らは愛人を作ることや不倫を行うのは希である。資産が最も減るのは、無駄な借金、相続、離婚だからだ。

 しかし、ほとんどの資産家階層の子弟は通常の恋愛、婚活市場に登場しなくなっていくだろう。破産状態の成金が日本人口の一割いて、貞操観念が全くなく、奢侈に溺れている女性が多い状態と認識され、資産家階層とそれ以外では富の蓄積に大きな差が出てしまう状況となっては、リスク要因をコントロールできない婚姻は避けるだろう。富の蓄積に伴う、文化、価値観の違いは特にデュークにとって大きなものとなる。大不況の状況でもあり、資産を最も安定的に守る方法は資産家同士の婚姻である。

 ということで、一般の婚活市場に流れる資産家階層は資産家同士の婚姻が難しい男性だ。子供がおらず、後妻選びか挫折経験者、障害持ちだろう。5千人から一万人程度だと予想する。彼らは一般の恋愛市場では最強のモテになるだろう。というのもアベノミクス以後、結婚が生存保障という意味合いが非常に強くなるため、これまで以上に経済力が大事になるからだ。とはいえ、資産家の男性目線では、資産や経済力を守るのが第一であるから、複数の愛人を囲ったり、同時並行的に恋人を作ったり、不倫行為をするようなことは少ないだろう。資産家階層といえど、目的の第一は安定な婚姻である。

 資産家階層で、資産家同士の結婚に加われない或いは加わらない男性は逆に女性や女性の実家の経済力をそれほど求めないだろう。そもそも彼らは経済力がある。女性に最低限求めるものは貞節と常識的な経済観念、出産可能ということになるだろう。時代が時代だけに、貞節と経済観念については興信所を用いて、厳しいチェックが入ると思われる。女性側が男性側を騙そうとすれば、法律を利用され、手痛い反撃を受けることになるだろう。

 次にモテるのは、高収入を得られ、かつ成金化しなかったミドルクラスである。彼らはルックスに問題があることが多い。男性もルックスを整えるのに、時間と金と労力がいる。専門職が金を借りない場合、仕事や勉強で、なかなかそのような努力ができない。せいぜい化粧水や乳液を使って、食事に気をつけるのが関の山だ。それでも、経済力の安定が自身の生死を決定づける。つまりルックスが良い高収入男性のほとんどは破産状態になり、ルックスも経済状態も悪くなるし、堅実に働き、稼いでる高収入男性はやはりそれほどルックスが良くないということになる。

 それほどルックスが良くないと言っても、モテることに変わりがない。生存のための、階層性維持のための婚姻だ。経済力がほとんど全てを決定すると過言ではない。

 レイバークラスは収入の多寡より安定性が重視される傾向が強くなる。経済力は基本的にどんぐりの背比べであるため、安定性に重きが置かれる。基本的に成り上がりや夢を追いかけるより、貧しくとも小さな幸せで満足し、同一階級内の仲間で助け合い、嫌味を嫌う文化に変わっていくだろう。人口の90%はこの階級に属し、従って、この階級内のモテとは生活力や性格の安定性がこれまで以上に重視されるものの、個性に依存することが大きくなると考えられる。

 アベノミクス下にあって、弱者男性と呼ばれる人は経済力がないか容姿に恵まれない人が多い。また成金が非常に多いため、堅実な男性は本来自身に見合った女性と交際が難しい。しかし利上げによって、モテ男性のほとんどは経済力を失い、モテるための努力も行えなくなる。彼らはモテから脱落し、恋愛市場価値では論外の存在になる。逆に女性は非常に余る。これまでモテ男性を相手にしていた女性や結婚する気がなかった女性は彼女たちは生活の安定や階層性の維持、自身の生存のための婚姻を望むようになる。このような女性は非常に多い。しかし、アベノミクス後のモテ男性は不倫や浮気をほとんどしない。需要供給バランスが大きく崩れるのだから、アベノミクス下の非モテ男性の多くは恋愛可能になり、経済力があるならばそれだけでモテに変容する。

 男性のモテはアベノミクス下以上に経済力の比重が大きくなる。アベノミクス下において、女性にとっての男性は自身の女性としての能力を表象した存在で、自身の見栄や面子にこだわっていた。適当な相手がいなければ、結婚という選択肢を選ばなくて済んだ。その方が女性間の見栄や面子を守れるからだ。そのため女性にとっての男性の経済力というのは確かに大事なポイントだが、絶対的ではない。ルックスや外面の良さ、モテそうなセンスも大事になる。多くの女性たちにとって、男性は周囲に自慢できるような交際相手であり結婚相手でなければならないのだ。

 しかしアベノミクス終了後は違う。女性は生活の安定、階層性の維持、生存が恋愛や結婚の第一になる。そして、ルックスやオシャレな男性のほとんどが成金化していた事実から、男性へのルックスへの願望は少なくなる。年齢も顔面も身長もほとんど意味がなくなる。基本的に金が全てだ。そして金とは収入ではなく、資産である。資産があれば、ルックスが悪かろうと年齢が離れていようと関係なくモテる。もし、アベノミクスの価値観の拘る女性がいれば、男性から金食い虫で伴侶を大事にしないと評価され、適当なパートナーが見つからないまま貧困に陥りかねない。貧困に陥れば、アベノミクスの価値観である、女性の見栄や面子も守られない。尊厳を失う。

 資産家階層も、ミドルクラスも安定した経済力、リスクが訪れた場合の余力、専業主婦可能ということで、モテの最優先にいるということになる。どんなにルックスが良く、包容力があっても、安定した経済力がなければモテることはない。

 アベノミクスの間に意気揚々としていた男性のほとんどがアベノミクス後に落ちこぼれていく様を女性は目撃することになるため、女性は自身の、将来性を見抜く目を信用できなくなる。これにより、女性は現に目の前にある経済力しか信用しなくなる。例えば、若いイケメンが学歴や職歴を誇っても、現に金がある中年の方が女性は結婚の優先順位が高くなる。若いイケメンがレイバークラスならば尚更だろう。これはとどのつまり、レイバークラスはどう足掻いても、ミドルクラス以上にモテで敵わないということを意味する。

 とはいえ、ミドルクラス以上は人口比10%ほどになるだろうから、ほとんどはレイバークラスであり、レイバークラスだからと言って絶望することにはならない。アベノミクス下と違い、資産家階層やミドルクラスは女性漁りをしないし、基本的にはパートナーや子供がいれば女遊びは経済的に不可能だからだ。女性もアベノミクス崩壊後しばらくして、いわゆる普通の女性では玉の輿の見込みがないことがわかってくるから、あえてそのような人を狙わないようになる。ということは、アベノミクス下の、成金が女性を独占しているかのような状況は生まれないということになる。労働者階層の男性のモテはやはり第一は安定性で、それは性格面も含まれる。それさえあれば、経済力やルックス、文化は似通ってくるため、人間性の面が大きくなるだろう。

 

 女性は一般的に自身より経済力がある男性を求める傾向があるとされる。特にアベノミクスの間、新興富裕層や新興準富裕層の数と泡銭に圧倒されたり、それが普通だと思えているため、多くの女性は意図せずして男性に無理を強いることになっている。

 しかしアベノミクス崩壊後は違う。女性たちは連日、ニュースやネット、ワイドショーで成金たちが瓦解していく様を見るし、職場や身内にも成金が一定数いて、彼らがお金が詰まる様子を知る。特に男性を相手にサービスする職に就いている女性たちはそのような動きに鋭敏になる。女性の中には男性の経済力を頼りに自身の身の安定を考える人たちがおり、そのような女性は実際には男性がどれくらいお金を使えるのか計算を始めるだろう。

 男性は人口の一割以上いる成金やアベノミクスの金余りの恩恵を受けた芸能関係者のかなりの割合が経済的に苦境に立たされる。成金の全て、芸能関係者のほとんどがモテから離脱する。一方、女性は遊びの恋愛から生活の安定のための結婚目的での恋愛にシフトする。恋愛や結婚に積極的でなかった女性でもこの市場に参加するようになる。つまり恋愛における男女の需要供給バランスは大きく崩れる。

 アベノミクス崩壊後、女性は生活の安定、階層の維持が目的で男性を選ぶようになる。結果、女性が求める男性は端的に言って、安定した経済力に尽きるということになる。一方、経済力を求められる男性のほとんどは彼女たちの期待する経済力ー専業主婦やパートでも階層性を維持できる財力ーを用意できない。つまり女性の9割は経済力以外の、生活の安定性という目的で男性を選ぶことになる。

 男性は経済力があればあるほど、女性を選べるようになる。経済力が高い男性は自身の求める女性を得られる可能性が高く、また女性も彼らに合わせるようになるだろう。逆に経済力がそれほどない男性は自分が女性の好みに合わせなけれならない。これはアベノミクスの間でさえ一般的だったが、アベノミクス下とアベノミクス崩壊後では度合いや状況がまるで違う。

 アベノミクス下では、富裕層は非常に多く、彼らは桁外れに金を使っていた。ここにおいて、このような富裕層は資産を遺すというようなことまで考えていないため、女性に多くを求めなくていい。つまり、女性は純粋にルックスやあざといなどのテクニックさえあれば良く、場合によっては富裕層と恋愛をするだけで金銭的メリットもある。富裕層の誰かを選ぶ権利を持つ女性も多く、富裕層との恋愛や結婚は奢侈も目的になるため、必然ではない。一方、経済力のない男性は外見が重視された。女性は富を得やすい状況だから、生活に必死になる必要がないため、必ずしも恋愛が結婚に結び付かずともリスクが少なかった。貯蓄を行えば、男性に経済力も求めなくていい。そして、経済力以外で男性に求められるのは安定性ではなく、ルックスだった。

 アベノミクス下の女性の基本的な戦略はルックスに投資し、女性らしさを前面に出し、夜職やお水、パパ活などで稼ぎを得て、お金がないイケメンと付き合い、ハイスペがいそうな出会いの場に赴くというものだった。

 一方、アベノミクス崩壊以後は、富裕層は少なく、金を使わず、資産を守り、遺すことが目的になる。女性は富裕層から、堅実であることや子供を産むことを求められる。女性は彼らと結婚できるような関係にならなければ富を得られないが、非違行為をすればたちまち返済を求められる。だが、女性は富を得にくい状況であり、ほとんどの女性はいわゆる弱者男性より少し少ない経済力しか得られない、本来の社会経済状況に戻る。彼女たちは自身の生存のために結婚を考えざるを得ない。つまり対富裕層に対しては一方的に男性側に主導権がある。またそれほど経済力がない男性に対しても、女性は結婚が自身の生活を安定する手段になる以上、候補になる。いないよりはマシであるからだが、それでも絶対必要条件がある。生活の堅実さと安定性である。アベノミクス下ではそのような男性を拒絶する選択肢があったが、アベノミクス崩壊後は富裕層に選ばれない女性は労働者階級の誰かを選ぶ選択肢はあっても、結婚しないという選択肢には自身の生活を危険な状況に陥りさせかねないので、ない。

 


 資産家階層は妻が専業主婦やパート、子供を産み、一定の年齢になった後の経済力に応じた個人的な目標の追求が可能な経済力を有する。ただ、デュークのような超富裕層レベルの資産家はかなりの割合で伝統的家庭文化を求める場合があり、その場合、専業主婦しか求められていない。

 彼らが女性に求めるのは、財産継承権者の生産と財産の保全である。つまり、子供を産むことができ、過剰な奢侈を行わず、自己都合な理由で離婚せず、子供を愛せる女性である。彼らは基本的に同一階層の恋愛しか求められないようになる。アベノミクス崩壊前はそうとも言い切れなかったが、アベノミクス崩壊後はリスクがある結婚は避けるようになる。リスクとは自身の非違行為を除けば、財産を不当に狙われることや後継を残さないこと、文化的差異を埋められないなどの理由での離婚である。これらは男女共に同一階層同士での婚姻が最も安全かつローコストでリスクを予防できる。互いの資産や経済力、社会的権力が当てにされてしまうため、互いに結婚継続のための努力を行うし、文化や価値観、生活水準に大きな隔たりがあるわけではない。

 資産家階層で、同一階層でない婚姻を求める場合は資産家の男性や女性が何らかの要因で結婚不適になってしまった場合である。年齢や障害が最も可能性がある。後妻選びや挫折経験者、障害持ちが主要な要因だろう。この場合は先に挙げた女性に求める条件やリスクを、同一階層内の結婚で回避することが難しい。既に子供がいる場合、後継者を作るためには、自身と同年代と恋愛できる可能性を高めるためには経済力の差を使うことになる。そのため、彼らは労働者階層から女性を選び、興信所や弁護士を用いて、リスクを排除しようとするだろう。

 ミドルクラスは子供に資産を遺すと考える場合、同一階層同士の婚姻になり、共働きになる。逆に子供に教育以外の何も残さないと考えるならば、どちらかが家庭に専念することになる。現在、ミドルクラスは妻が専業主婦という場合が多い。これは新興準富裕層化していることが多いからで、すなわち、事実上不可能なことだ。子供の生活水準と階層性を維持するならば、なるべく奢侈を行わず、なおかつ共働きという条件が必要になる。一方、子供に教育以外の資産を遺さないと考えた場合、パートナーが専業主婦であっても問題が少ない。それでも新興準富裕層的生活は不可能である。生活を切り詰めるのは必然だ。

 アベノミクス以後、階層性を維持でき、女性と婚姻可能なミドルクラスの男性は当然ながら、生活レベルを上げずに生活を切り詰めることができる安定性のある男性だ。彼らが女性に求める絶対条件も正しい経済感覚を有し、関係を容易に破壊しない安定性のある女性で、それは女性がミドルクラスだろうがなかろうが関係がない。その上でミドルクラス男性の多くは女性にミドルクラスであること、共働きであることを求めるようになるだろう。資産の継承、子供の生存確率を上げる生物的本能から鑑みれば、自然なことだ。しかし、アベノミクス終了直後は成金に女性を取られ、また成金を勘違いした女性のせいでモテなかったミドルクラス男性が大量におり、そのような男性は概して中年または中年に近く、女性の多くは生存の問題に立たされるため、年齢差のある結婚と専業主婦が多くなるだろう。

 

 労働者階級は一転、女性を選べる男性はいない。女性からすれば労働者の男性との婚姻は経済力という観点のみでは、生活を安定させるという意味以外の理由を持たない。しかし、労働者階級の女性も生活の安定のためには婚姻は不可欠だ。そして、生活水準は上げようがないので、互いが生活に安定性がある限り、失敗はない。この場合も男女共に、絶対条件が生活の安定性と堅実性になる。

 


 アベノミクス後は本来の社会経済状況になる。婚姻は階層性の維持、自身と子孫や遺伝子の生存確率を上げる目的になる。アベノミクスの間はそれらは単に欲望であり、経済力もその対象でしかなかった。これからは生存のためであり、経済力がある側に一方的な主導権がある。

 しかし、主導権があろうがなかろうが、実は大きな違いはない。生存確率を上げるためには結局、生活レベルの堅実さとパートナーに対する誠実さが必要だからだ。生活レベルが多少違うだけである。逆にそれらがなければ、どんなに美しかろうとも選ばれることはない。

 資産家階層だろうが、ミドルクラスだろうが、労働者階級だろうが、男性だろうが女性だろうが、経済力があろうがなかろうが、イケメンだろうが美人だろうが、恋愛は結婚が前提になり、自身の経済力に応じた適切な経済感覚と異性に対する誠実さがなければ恋愛の土俵に登らなくなる。