merlinrivermouth’s diary

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日本のある一時代の終焉

日本の社会状況あるいは政治状況あるいは経済や財政がまずいと思っている人はいるだろう。福島原発の核燃料棒の問題もあれば、いずれ巨大地震がくる。地球温暖化はスピードを緩めるだろうが、いずれ海水面の上昇が限界を超える時が来る。

 

日本の逆再配分政策は社会状況、経済状況を一変させつつあり、ジョブ型雇用はそれを決定的にする。大衆が極右を支持するのか左派を支持するのか無関心になるのかわからない。国内市場はシュリンクし、疲弊するだろう。

司法機関は体制迎合を隠さなくなった。もはやデモも難しくなったし、反体制的な訴訟はたとえ法理論的に明白に誤りであったとしても政府を勝たせるようになった。司法を信用できない、法治国家として機能しない状況は、日本の逆再配分政策と相まって、人心がますます不安定化するだろう。

しかし日本の体制はそれらを改善するだけの能力も動機もない。日本のエリートは中高一貫進学校によって、大衆と完全に分離され、ある種の選民思想を持ち、資産家階層とそれを共有している。そこにおいては、自己犠牲的発想はなく、自己中心的で利己的で欲望に歯止めがかからない文化が優越するため、逆再配分政策が変わることはなく、利権誘導型の政治を改めることができず、グランドデザインを描ける人材を生み出すことや中枢につけることは不可能だ。

安倍政権になってから、日本の政治はある種のクライエンタリズムになった。大企業や業界団体が政治家や官僚に介入し、政治家はそれをそのまま政策に反映させるため、まるで矛盾していたり、バッティングしている政策を同時に行っている。官僚が能力より政治家や業界との関係構築を重要視するのは当然の帰結だった。共通している政策は逆再配分政策つまり如何に民衆から搾取して、内部留保に充てるか?だけである。

逆再配分政策を長年やり続けてしまったため、日本の産業はニートのように、すっかり競争力を失ってしまった。政府の脛をかじってなんとか経常利益だけは良く見せているだけである。もはや政府の庇護を失えば、不可逆的にどうにもならなくなるため、法人課税など考えられなくなってしまった。

政府は日本経済が危機的状況にならないために、財界に予算を投入する必要がある。例えば国家予算を圧迫している防衛費もそうだ。それが結果的に社会保障関連の予算を圧迫する。国民年金、健康保険その他諸々を順次やめていくのだろう。

しかし、いくら予算を削っても、長年積み上げてきた巨大過ぎる借款はリスク含みで、財界というニートを囲わなければならない以上、解決される目処はない。巨大な災害が一度か二度訪れれば、たちまち国家予算は破裂する。

福島の核燃料棒の問題は現在の技術では解決不能で、せいぜい水を入れて温度を保つくらいしかできない。容器が壊れたり、核燃料棒が倒れてしまえば、たちまち核分裂を起こして、核爆発する。そして、危惧はあたり、容器に亀裂が入ってしまった。注水する水をどこから工面するというのか?

南海トラフ地震南海トラフ地震についても考えておかねばならない。東南海トラフ地震は都市部を直撃し、南海トラフ地震原発がある地域を直撃する。日本政府は利権構造を変えることができないため、高知県や鹿児島県の原発を再稼働してしまうだろう。どちらが来ても、どちらとも来ても、破壊的で、それまでに日本の政府や社会がある程度力を保っていなければ、日本自体を破滅させる。しかし、上記に記述していたように、日本政府や日本社会が力を保っている可能性は全く考えられないだろう。

その段階で、大企業や資産家は日本から離れてしまい、日本から富がなくなってしまうだろう。資産家の日本離れは既に始まっている。

 

日本の富裕層の繁栄の謳歌はたかたが一世代しか続かない。それは戦後から100年間続いた時代の終わりでしかない。我々はこの危機を回避する機会はたくさんあった。国鉄ストライキを大衆が支持したり、中曽根政権を誕生させなかったり、日本労働者総連合の誕生を阻んだり、自社政権の小選挙区制導入を阻んだり、社会党或いは社民党勢力に一定の支持があったり、小泉政権への竹中参入を阻んだり、民主党政権が続いたり、安倍政権を支持しなかったりしていれば、歴史は変わっていただろう。

だが、これで良いのかもしれない。それらは日本社会が、日本の体制が根源的に持っていた宿痾が招いたものだ。100年もある体制が続き、少なくとも戦前の時代よりはマシだった。それにその後に続く時代が完全にダメで不幸せな時代とも言えない。

財政や原発などは各種国際機関の指導を受けるようになるだろうし、円はなくなるだろう。だが、逆説的に発展途上国並みの生活水準に戻るわけではない。日本の宿痾を招いたイカれた連中のそこそこの割合は日本から出て行ってくれる。ほとんどの人は継続的に搾取されていただろうし、日本の根源的な問題についてある程度共有されているだろう。その時初めて、政治主体になる契機があり、その契機は使われる筈だ。

総合的には今より国富は全然ないだろうし、国家の威信なんてないも同然だろうが、そんなものは大多数の人の幸福と比べれば、あまり価値がない。相対的には、大多数の人は今より経済的にも社会的にもゆとりをもてるだろう。困るのは富裕層とアッパーミドルだけだ。

そういう時代になるよう、私も手助けできれば、本望である。もしその時、私がアメリカで成功していても、私は戻ってくるだろう。他の富裕層やエリートとは逆方向に。

そして将門の御前で誓いを果たそうと思う。

 

本当にモテない男子が理解していないこと

日本の女性は人生において、さまざまなリスクに晒されていますが、そのほとんどは男性との関係によるもので、性交渉から結婚まで、危険の連続と言えます。
また日本社会はミソジミーを肯定し、女性の社会進出は遅れ、一度専業主婦になった女性は経済的に自立するのが非常に困難で、経済格差の拡大から、パートナーとなった男性次第では、一生隷属的立場を強いられます。
となれば、女子がパートナーに選ぶのは、自分を隷属下に置かない男性か、隷属下に置いても愛してくれる男性か、隷属下に置かれてもお釣りがくる資産家か、ということになります。
仮にこれらの条件に当てはまらない男性がいない場合、女性からすればイケメンと恋愛しても、結婚しない方がマシでしょう。
つまり、真剣交際というマーケットにおいて、男性が女性のニーズに応えられるだけの価値がなければ、売れ残るということです。
これは仕方ありません。ミソジミーの日本社会と表裏一体だからです。
とはいえ、確かに曲者の男性が女性を弄ぶのに、女性を尊重しているかのような態度を利用しています。ですが、女性からすれば、真の意味で自分を尊重できる男性が極めて少ない、皆無に近い以上、フリをしてくれるだけでもマシでしょう。
ほとんどの男性はフリすらできないのですから。

結論としては、このような状況で、恋愛において女性の主導権を認められない人は、資産家でなければ結婚は難しいでしょうし、当然ながら売れ残る男性が出てくるのは仕方ありません。

仮に日本がフランスのような、完全に男女同権で、子育てに経済的負担がなく、社会保障がちゃんとある国ならば、自由恋愛を謳歌できるので、女性に主導権がある恋愛というのは廃れますから、逆説的に不器用なミソジミーの男性でもチャンスはあるでしょう。

非モテ男のための基本モテ戦略(偏差値40からのモテ会・但し偏差値65以上にはなれません)

私は5年間中高一貫の男子校にいた。つまり、元来が非モテ系である。いや、95%の男は本質的に非モテ系である。だから、適切な努力と研究と研究仲間(?)同志(?)、そして時間が必要だ。

たまたまそのような契機に恵まれた人の方が大人になってから、どうしても実証研究と研鑽、検討の積み重ねが多くなるので、有利に働いているだけである。

だが、その有利性は絶対じゃないし、ある程度まで、挽回可能で、ぶっちゃけ、個人的にメールやりとりするレベルにこぎつければ、全く関係ない。

 

Aモテるということは何か?という基本。

モテるモテないという戦略や作戦の大概は会った後からである。残念ながら、その時点で失敗していたら、内面アピールどころではない。

男性も女性も初対面では見た目で候補を振るい落としている。これは仕方ないことだ。動物的本能としていい。だが、単にステレオタイプ的にカッコいいとか、流行りのアイドル似で可愛いとかではない。

女性のアンケートで、どんなに見た目より内面とか価値観が上位に来ていても、遺伝的本能には抗えないということだ。

 

①男女共に、人間の本能として、自分と似た系統の顔が好み

面長の人は面長の人が好みで、丸顔の人は丸顔の人が好み。他の要素は後天的な要素も入るので一概に言えないから省いた。

ステレオタイプ的な見た目の価値基準でアプローチしても、自分と同じ系統の顔でなければ、相手は好みではない。

当然、これらは努力ではなんともしようがないし、努力する必要も全くない。単に「あいつ、イケメン或いは美女て言われるけど、私或いは俺の好みじゃないから、パス」とだけすればいい。要は自分が好みの人なら、おそらく相手も自分が好みなのだ。

 

②肌がもち肌

これは残念ながら、絶対的なものである。肌がもち肌というのは、内臓系の機能がすこぶる良いことを示す。単に内臓系だけの寿命だけで比べれば、最大40近い寿命の差になる。しかも内臓系が強いということはストレスに強く、脳の成長や機能も有利であることを示す。

故に、人間には、肌がもち肌の人に対して異性として好感触になるように遺伝的に組み込まれている。

じゃ?どうにもならないか?そんなことはない。

いまや男用の化粧品はあるし、暴飲暴食を控えて、内臓に負荷を与えないようにすればいい。

 

③親や兄弟姉妹と同じ匂いは嫌。

①と逆である。どういうことかというと、同じ系統の顔で選ぶと、どうしても近親交配になってしまって、種の存続が危ぶまれる。ので、本能的に匂いで、例外措置を設けたわけである。

まさか兄弟姉妹とアレな趣味の人以外全く関係ない話である。

 

因みに①②③はたまたまディスカバリーチャンネルでやっていて、即座に友人と検討した。男てアホだよねー。

 

④趣味や属性が判断できる服装や体型

視覚情報というのは馬鹿にならない。そこまで考えなくとも脳に情報がインプットされるぶん、言語情報より優先される。

とは言っても、せいぜい清潔感のある格好くらいが基準値である。アプローチで成功するためだけの目的なら、基準値さえ満たせばいい。

ので、自分にあった服装やヘアスタイル、匂いの管理は必要になる。また、多少の美的センスくらいは異性交友だけでなく必要だし、他者から見られる目を意識する時期があっても悪くない。

まず、自分が良さげと思ったファッション誌を購入。値段に見合ったレーベルの店で、春夏秋冬の私服を季節が来る毎に一丁羅ゲット。ファッション誌の自分にあってそうなヘアスタイルの写真そのままヘアスタイリストに見せてカット。

尚、ヘアスタイリストは確実に「来月」とか言ってくるが、カットは2ヶ月にいっぺんでいい。昔懇意にしてたヘアスタイリストが愚痴言ってて、「金持ち男ておかしいすよ!毎月カットしに来るんですよ!!」と言ってはいけない本音を暴露していた。

最初の一年は十万は使うが、年を経るごとに、美的センスや自分にあった服装やヘアスタイルがわかってくるので、ファッションに使う金は減っていくし、だからといって怠惰にはならない。

実はこれだけで偏差値40から50以上になる。

 

次は体型。体型はどうやっても、学生の頃運動部やってたとか、高校生の時からファッションが趣味とかいう連中には勝てないということは前提にしておいた方がいい。

これは男性で勘違いしていると思うが、必ずしも筋肉質は悪いことじゃない。女性は筋肉好きであるし、広い背中や肩幅に好感触である。

だらしない体型「過ぎる」(多少だらしない程度は許容値だろう、たぶん)なら、運動やって基準値まで持っていこう。

 

とはいっても、「ファッションが好きになった」とか「むしろ運動が趣味になったぜ」という手段が目的化しない限りは、やり過ぎなくていい。要は基準値さえ満たせばいいのである。清潔感さえあればいいのである。全く大したことはないのである。

これで、偏差値50以上確定である。やったね☆

 

B 内面アピール

要するにトークである。

日本企業は異常なまでにコミュニケーションスキルを要求するが、対異性関係でははっきり誤りだと私は考える。

だって、そんなこと考えながら、しかもドキドキしながら、目当ての女性を想いやりつつ、トークできますか?そんなん不可能だろ。

それに、私はやらないが、雰囲気で勝負してロクな目にならなかった友人知人はわんさといる。相手が賢かったり、警戒心があると、その時点でアウト。次に嘘ついても絶対にバレる。そっちの方が悲惨だ。

素で勝負といっても、マニュアルないというのは不安である。しかしながら、人間はある種のタイプ分けができるし、日本人なら尚更だ。しかも仮に脈ありなら、そこから外れるちょっとした個性がまたいいみたいな話になる。他人が聞くと「えー」とか「はー」とかなる話である。

 

肝心なことは三つある。

①一つは相手を好きだという気持ちをどんな形でもいいから表現すること。

悩んでもいい、恥ずかしがってもいい、距離が近くなってもいい、びびちゃってもいい、いきなり告白とかしない限り、素で勝負して、それで失敗したら、そもそも縁がなかった、相性が悪かった、価値観が合わなかったんだ。そして、素の自分を出すことがむしろ誠実ポイントが高まる。

無理にフェミニストアピールとかリベラルアピールなんてしなくていい。自身の内面的魅力こそが最大の武器だ。

 

②ちゃんと最後まで話を聞くこと

ここがどんな男性でも苦手とすることであり、内面アピール段階最大の山場と言っていい。

たわいない話とかではない。お相手が愚痴モードに入った時である。ちょっと話を聞いて分かったふりをするのは良くない。個別事情があるのだから、あくまで自分には分かる範囲内でしか分からないということをしつこく慎重に前置きして、アドバイスすることしかできないし、それしか実は正解がないという難問である。

そして、最も難関なのは、女性はアドバイスされるより、答えを出されるより、ただただ愚痴を聞いてもらいたいという方が優先順位が高いということだ。これは男性と女性の絶対的な違いだから、男性は意識してないと間違う。私も何度も間違えた。

あまりに遊び慣れた男はむしろこれを利用して、女性心理を弄ぶという酷い真似をする。どういうことか?と言うと、愚痴を聞いている間、愚痴を聞いたフリだけして、当たり障りのないことだけ返すのである。これが親身に愚痴を聞いてるより効果があったりする。表見的にはこちらの方が愚痴を聞いてるからね。どちらも酷いもんだ。

ただこの手は真剣交際では絶対に失敗する。女性はこの種のやりとりを一言一句に近く覚えていたりする。記念日級の思い出だからだ。かたや聞いたフリでは、そりゃあとで大変なことになる。

ので、愚痴モードに入ったら、対面して正座するくらいの気持ちで、相手が話終えるまで、ちゃんと話を聞いていましょう。

 

③もう一つは自分の属性にあった相手をターゲットに絞ること。

素の自分で勝負するのが最大効果、最大幸福をお互いに呼び込む以上、素の自分と合わない相手にわざわざターゲットを絞るのは愚の骨頂だ。

相手に合わせてトークを変えるなんて、スキルフルかつ思いやりのない行動したいなら、ホストにでもなった方がいい。それだけ難しく、無意味。

 

所謂、脈ありの受動アンテナを鍛えておくのもいい。どういうこと?と言うと、例えば頻繁に目が合う相手は脈ありの可能性が高い。ま、単に警戒されているだけてこともあるんだけれども。

第六感が働く人は脈ありの相手がいる方向からプレッシャーを感じることもある。実際、チラッと見るとガン見されていたりする。

あとは、なんか挙動不審とかもある。

声がワントーン高いとか上目遣いは女性が技を使ってる可能性の方が高いが、最悪でも候補のうちの何人かに入っていると思えばいい。

 

C これが最も重要である。折れない心。

単に折れない心と言っているのではない。基本的にアプローチは失敗前提だ。ナンパなんてほとんど成功しない。合コンも同様だ。内面アピール段階で成功するのも結構大変だ。経験値が少なければ30%も成功しないだろう。自分が相手を見誤ったり、逆もまた然り。タイミングもかなり重要になる。

つまり、付き合うまでというのは、よっぽど軽い付き合いでない限り、大抵上手くいかないのである。だから、アプローチやトークで失敗したからといって、そんなに落ち込むことはない。縁がなかっただけの話である。とは言っても、私も落ち込むのだから、やさぐれ度を半減させるために敢えて言った。

 

これを基に多少努力すれば、偏差値60〜55である。経験値さえ重ねる時間があって、素材が良ければ65まで行ける。

嘘じゃない、ガチです。騙されたと思って、一年やってみ?2年間の間に恋人ができることを保障する。

モテない男は何故モテないのか?

DavitRaceさんの「道徳と恋愛は相性が悪い」に敬意を込めて。

 

世に言う恋愛関係における相性や感覚は具体的ではないが、確かに存在する。

また、世に言う価値観の違いは抽象的だけれども、客観的には歴然とある。しかし当事者はなかなか知覚し得ない。

更に階層性の論点がある。これはモテるモテない関係なく、ほとんどの人はイメージがつくだろう。

ズバリ言おう。よっぽど見た目がアレとか、自身の属性や個性を偽ってるとかない限り、モテない原因はパートナーとしたい対象を間違えているからだ。それを説明しよう。

 

まず私を例に出す。

私はフェミニストである。同時にリベラルであって、資産家であり、ボンボンであり、知的水準が高く、野心的である。これは欧米のアッパーミドル男性としては平均的であるが、「現在」の日本の男性としては極少派である。とはいえ、フェミニストぽい、リベラルぽい、知的水準が高いボンボンは昔はそこそこいたし、地方には多少残っている。

そのような属性の人たちはそれこそ数百年間似たような属性や傾向や個性がある相手と婚姻してきた。即ち、ひたむきなお嬢さまタイプである。

お嬢様タイプには二種類いる。一般的にイメージされるような、深窓令嬢や健気に仕事をしている専門職と特権的地位を鼻にかける利己的で自己中心的なタイプである。

しかし、ひたむきなお嬢さまタイプはボンボンであれば誰でも良いか?と言えば、それは違う。純粋な気持ちを持たないボンボン、弱者に労りのないボンボンはアウトである。

彼女たちの相手に求める理想的な資質は、ボンボンで、愛情深く、困っている人や無常な自然や環境の犠牲者(動物含む)を慈しむ優しさがあり、誠実で、知的水準が高く、できれば社会貢献を考えている人である。今やそういうボンボンは都市部にはほとんど全くいない。

では、私はすげーモテるのか?と言われれば、そうではない。ひたむきなお嬢さまタイプ以外にはかなり評価が低い。

例えば、お付き合いでキャバクラとかクラブとかガールズバーとか行けば、よく言えば私は童貞扱い、悪くすれば偽善者として扱われる。別にそういう場所でなくとも、お嬢さまタイプの属性がない女性の私への男性としての評価は芳しくない。かなり警戒される。つまり相対的には、私はそこまでモテない。頑張っても、多少話しやすい奴程度である。

逆に、私が絶対に嫌がる女性のタイプは、ステレオタイプで偏見全開で自慢ばっかする女性である。概ね、利己的なお嬢様タイプのような、社会的地位が高い女性はこのような傾向がある。お互いに興味の範疇外であるので、嬉しい限りである。鑑みれば、典型的なお嬢さまが嫌がるタイプも、ステレオタイプで偏見全開で自慢屋である。

つまり、ここにおいて、相性や感覚や価値観や階層性が共通しているのである。あとは属性や個性に嘘ついてないとか、見た目の好みの問題、共通の趣味、タイミングだけである。

 

昨今のボンボンタイプは、社会的地位が高く、利己的で、人道的でないタイプである。このようなタイプの男性が理想としている女性は第一が見た目がよく、自分の意見に付き従ってくれる女性で、二番目が階層性である。

確かに、表面的にはひたむきなお嬢さまタイプに似ているし、そういう男性は誤魔化しが上手いし、女性は妥協したり我慢したりしてしまうし、実家からの圧力もあるから、不幸な結婚を迎えることが非常に多い。実際はひたむきなお嬢様タイプは付き従うタイプではない。

ひたむきなお嬢様タイプは確かに礼儀正しい。だが、ひたむきなお嬢様がお嬢様と言われる所以、青臭いボンボンがボンボンと言われる所以は数百年以上の歴史にある。武士は人生そのものが仕事であり、生き方、生き様こそが人の価値を決めると信じていた。つまり旧家としての伝統が残っているボンボンは青臭いのである。江戸時代、旧家のご息女の求められていた役割は良妻賢母であるが、「母」の対象は家庭の子供だけではなく、封建制度枠内における下人も対象で、即ち良き経営者としての精神性も求められた。旧家の伝統が残存しているお嬢様ほど、愛情深く、主体性があり、正義感が強い。

さらに両家の永続的で信頼性が高い関係の証明としての婚姻を求められているから、結婚相手となる男性とは精神的には対等なのである。男性も女性も、誠実かつ愛情深く、互いの将来や家族のことを相談しながら、一生を添い遂げる「義務」があるのだ。それを怠れば、お互いの信頼関係だけでなく、親族間の信頼関係も崩れ、同盟が守られず、まっとうな大人として扱われない。

そういう教育を多少なりともほどこされているから、良きボンボンはより青臭く、良きお嬢はよりひたむきになる。

実際に、地方では、名望家つまり地方エリートは地方エリート同士で数百年以上婚姻を続け、失敗がほとんどなかった。

で、ある以上、昨今のボンボンタイプはひたむきお嬢様タイプからパートナーを選ぶのは、やはり対象を間違えているわけである。

私はそういうボンボンと違うボンボンなので、推測でしか考えられないが、おそらくそういう利己的なボンボンに向いている相手は、やはり社会的地位が高く、利己的で、人道的でない女性だろう。つまり利己的なお嬢様タイプである。お互いに愛人を持っても文句はないだろうし、家族の価値観にズレはなく、資産の維持や投資を相談できる。

または男性依存傾向が強い女子である。この場合は第二の条件を諦めることになるが、少なくとも男性は好き勝手できる。但し、そのような女性は概ね若いので、大人の女性に成長して考え方が変わる可能性がある。

 

これらの問題は青臭いボンボンは稀有な希少価値があり、ほとんど全てのボンボンは利己的で、しかしお嬢様はひたむき、利己的が半々というところだ。数が合わない。

とはいえ資産家のご両親には強く推奨したいが、もし子女の幸福を考えるならば、離婚しないだけで実質家庭崩壊しているような関係を選ばせるくらいなら、仙台の不動産屋のサラリーマンの方がいいということだ。何故なら、合わない婚姻は青臭いボンボン、ひたむきなお嬢様が一方的に苦労し、悲惨になるだけだからである。どうせ実家に金あるんだから、いいじゃねーか。

無理矢理、利己的ボンボンと結婚させても、大なり小なり小川キャスターのような目に遭う。

 

ここまでは、あくまで、対象を間違えたら、好かれる人もアプローチしようがないという例である。富裕層の話など、ぶっちゃけ興味ないでしょう。

中間層以下はもう少し違う属性で判断する必要がある。

日本ではアッパーミドルとミッドミドルの違いに歴然としたものがある。これからはより露骨に違うだろう。

 

この場合のアッパーミドルとは総合職とIT技術者(プログラマー。SEは含めない)、医師以外の専門職、法曹、成功しているクリエイター、研究職、地方公務員を指す。アッパーミドルの男性は職種や専門、勤務する企業の文化によって、大きく性格が変わる。女性はそれに加えて、キャリアが最優先事項で、ミソジミーの男性は論外である。キャリアを棒に振りかねない。次に両者とも仕事の話ができる人間がいい。できれば自身のキャリアに影響するようなパートナーがベストである。またできれば、パートナーには家庭の面倒を見れる時間的余裕が欲しい。

日本ではミソジミーな企業文化がある大企業は多い。男性のサラリーマンは企業文化に馴染まなければならないため、ミソジミー的になる。当然ながら、そのような属性の男性とアッパーミドル女性とでは非常に相性が悪いことが多くなる。ので、アッパーミドル女性は他から男性を探すことが多くなる。

最も最有力なのは研究職である。研究の専門によってはアッパーミドル女性のキャリアに良い影響があり、ミソジミーである確率は低く、家庭の面倒を見れる時間的余裕がある。

逆に官僚とかになると、官僚同士が多い。これは当然、キャリアに最大限に影響を与えるためだ。早稲田卒なのに審議官になれた山田氏はおそらく婚姻を利用して、仕事に良い影響を与えることができた。お互いに情報提供して、仕事を手伝ってもらったのだろう。

ここまで来れば、男性諸氏は気付いただろう。アッパーミドルの女性にモテるモテないの決め手は、実質、仕事ができるか?ミソジミーでないか?だけなのである。

ところが、アッパーミドル女性はバカじゃないし、職場の関係で物凄い苦労を強いられているから、非常に警戒心が強い。つまり、嘘のミソジミーじゃないアピールとかリベラルアピールとか、意味ないのである。例え、フェミニストでリベラルであるのが真実であっても、彼女たちからして疑わしい何かが少しでもあれば、それで終わりなのである。

しかも、男性の似非フェミニストや似非リベラルは、私からしても、一見してバレバレである。気付いてないのは本人だけだろう。ちょっといけてる顔写真からして良くない。モテますアピールがもうミソジミー感を醸し出している。自己紹介文で自虐ネタがない。男性を卑下している男性フェミニストが、なんで自身を卑下するセリフの一つもないねん。そもそも日本で男性のリベラルとかフェミニストとか、人生の苦労性全開である。リアル充感しかないあなたたちのプロフィールでそんなアピールしても嘘バレバレです。

下手に嘘ついて、同僚を狙っても、無駄な時間と努力使うだけなので、素直に自分を出して、OLとかにターゲットを絞るべきだろう。

つまり、アッパーミドルの女性は真剣にコミュニケーションをとって、慎重に相手を選ぶ必要があり、実際にそうしている。

このように、富裕層とは生活感が違うだけに、より具体的でリアルな属性や価値観が決め手になる。

 

例えば、ここでミソジミーのアッパーミドル男性が美人だからとアッパーミドルのとある女性にアプローチしたとする。

運良く成功し、やりとりが始まったとして、ミソジミーだとわかった時点で終了である。

自身をフェミニストとかリベラルとか嘘ついて、アピールしても同じことだ。すぐにバレる。

「万が一の可能性が、、、」

?違法行為しない限り可能性はない。

彼女たちの問題はむしろあまりに高すぎる警戒心が、アッパーミドル以上の属性があり、真にリベラルでフェミニストの男性をも弾いてしまう可能性があることだ。だが、女性にとっての結婚は男性よりも遥かに人生を左右する。警戒心が強ければ強いほどいい。だから、それくらいの事故は問題じゃないだろう。

ミソジミーのアッパーミドル男性はむしろ金目狙いの女性の方がウケがいい。

金目狙いの女性は①資産②トーク③見た目で、男性の魅力を判断する。仕事の能力まで見抜くような女性はアッパーミドル男性には縁がないので、考えなくていい。

そのような女性もミソジミーである。男性依存型と言うべきか。であるから、気を遣わない方がかえっていい。「俺の女だ」くらいのアピールの方が喜ばれる。そして、ミソジミーのアッパーミドル男性はどうせキャバクラとかクラブとか飲み歩いているのだから、それが素であり、得意な筈だ。

だから、あんまり真面目じゃない、遊び歩いているOLとかが狙い目になる。

ひたむきお嬢様タイプとか同僚の女性を狙っても無意味である。時間と労力の無駄。

 

まとめ

男性は概ね自己の属性を客観的に見れていない場合が多い。また仕事中心の男性ほど、表面的な事象に捉われやすい。

モテないとは、相対的な数を意味するのではないだろう。自分が好みの女性からモテないことを意味する筈だ。

女性の魅力を一元化できないのと同様に、男性の魅力も一元化できない。ある女性にモテても、違う女性には好意を得られないことはままある。

確かに、女性と対等に接して、愛情表現が多彩で、誠実で、優しい男性の方が応用は効きやすい。だが、そうではない男性がそうなろうとしてももはや遅い。そのようなものは生き方の問題だ。

例えば、リベラルな生き方を選んでいる男性が、理由もなく、自分より弱い存在を悪様に罵ることはないし、フェミニストの男性がパートナーから出された料理を片付けないことはない。

そのような属性の男性はたとえパートナーより有能で、社会的地位が高くとも、常に対等に接しようとする。それは必要に迫られているからではない。そうしなければならないと自分に課しているからだ。

当然、コミニュケーションにおいても、親密な存在にいたずらして喜ぶことができるし、尊厳が奪われるような時と場ではやらないし、たとえそうだった場合には大いに謝罪する。

生き方として馴染んでいるのだからこそ、それができる。

逆にそのような男性が公の前でパートナーの女性に対し、「俺の女だ」というアピールはできない。そういうものを求める女性とは縁がないということだ。

単に女性に好かれたいからだけでは、自分と違う生き様を真似ることはできない。

また、コミュニケーション能力を過剰に評価しても意味がない。付け焼き刃はどこかの段階で必ず綻びが生まれる。どのような女性であれ、嘘は嫌がる。恋愛や結婚にあまり嘘の入る余地は少なく、24時間演技はできない。だから、素直に地金で勝負した方が好印象だろう。

故に、地金で勝負できる属性を持ったパートナーを選んだ方がどちらにとっても、時間と労力の無駄がなく、何よりより幸福である。

そのためには、自分の属性についてよく考えてみるべきだ。その上で、属性と相性が悪い「○○さんとお付き合いしたい」と考えるならば、それ相応の覚悟持って、努力すべきだろう。

 

小川キャスターと旦那と旦那の友達とクルーズ船

私はあまり他人の個人的事情には口を挟まない。他人には他人の事情がある。国民的人気がある卓球選手が夫と別居中に友達の友達と逢瀬を過ごしたとか、はっきり言って「だからどうした?」という感覚である。だが、小川キャスターの旦那の騒動はかなり気にかかっていた。個人的には虫唾が走るし、日本の医師や日本医師会、日本の資産家階層、日本のエリート、自民党の家族観に通じる話だからである。

 

小川キャスターの旦那とその愛人の話は有名であるが、かいつまで報道されている範囲内でまとめよう。

小川キャスターの旦那をAとする。

Aは開成を卒業後、東大理三に入学し、卒業、外資系の金融機関に投資を受け、友人と医療機器の販売の会社を起こし、若くして巨万の富を築いた。

Aは小川キャスターと出会う前から愛人Bと関係があった。愛人Bとは友人が開いた「クルーズ船」のパーティーで出会った。その後、恋人と破局した小川キャスターと出会い、3ヶ月後に結婚した。

Aは結婚後も愛人Bにマンションを与えるなどにして関係を続け、小川キャスターが出産時に愛人Bと沖縄に旅行するという決定的な不法行為を犯した。

小川キャスターは報道後、別居している。

小川キャスターの実家は慶應医学部の大物であり、Aのビジネスに多大な影響があり、Aは株主から解任されないために、自身の持ち株と報酬を返上し、小川キャスターに復縁を迫っているが、なしのつぶてである。

Aは家族に協力する義務を明白に怠ったため、離婚訴訟となった場合、資産の半分と慰謝料を払わなければならない。また小川キャスターの実家とAのビジネスの関係から、おそらく株主から役員を解任され、持ち株は没収となるだろう。

Aが小川キャスターと愛のない結婚をしたのは、医師の世界では、キャリアを積みたいならば、30代半ばまでに結婚する必要があったためと、結婚相手は医療関係者でなければならないという暗黙の了解があったためと思われる。尚、歯科医師、薬剤師はそのような文化はない。

そんなに愛人と離れ難いなら、どこぞの見合い相手と結婚しないで、その愛人と結婚すりゃいいだろと私は思うが、どうやら医師の世界では許されないらしい。あほらし。

 

次にAが実際にはどんな生活を送っていたかを示す周辺記事があったので、それを要約してまとめる。尚、出典を探すのは面倒くさい。

その記事では、Aと似たような経歴(関西のトップクラスの中高一貫校を卒業後、理三に入り、卒業後、外資系金融機関に投資を受け、医療ビジネスで成功)のCの妻Dの話である。

Cは大学時代から東京の金持ち地区でモテていたらしい。女性は女性が言うほど男を見る目はない。

DはCと結婚後、Cが一棟まるまる所有するマンションの上から三番目の階に移り済んだ。一番上はCのオフィスで、その下が空き部屋ということだった。

Dはしばらくして出産したが、Cは仕事で出産に協力しなかった。

Cが帰宅していないにも関わらず、Cが友人と女性二人とマンションの玄関で見送りをしていることが数度あったことを不審に思ったDがCを詰問したところ、Cの言い訳に納得したふりをしたらしい。

しかし、ある時、Cが自宅に携帯を忘れ、Dの目の前でLINEの通知が鳴っていたため、不審に思っていたDはCの携帯を確認、それを証拠に携帯を探しに帰ったCを詰問した。

DはCの案内で上の空き部屋に行き、乱交とバカラパーティー専門の部屋を見つけた。乱交パーティーの参加者は主に同僚の役員や同業者の役員だった。

DはCに離婚を持ち出したが、Cは反応を硬化、モラハラによって離婚を思いとどまらせた。Dは子供のこともあり、離婚しなかった。

Cは乱交部屋を閉鎖したが、クルーズ船を購入している。

小川キャスターの旦那とほとんど同じパターンだが、一見まだしも小川キャスターの旦那の方がマシに思えるだろう。だが、ここからが本番だ。

また、同業の役員とか同僚の役員という箇所もご注目である。

 

私はネット上でやけにデートクラブの宣伝が多いことから、デートクラブについて調べたことがある。それはそれで日本社会の劣悪な世相を反映しているが、今回の話題とは直接の関係性がないため、省かせてもらう。

都内最大手だか二番手だがのデートクラブのサイトにある記述があったことを覚えている。

なんでも、そのデートクラブの有力な顧客の中に、クルーズ船を所有し、そこにデートクラブの女性を一度に10人も呼んでパーティーする男がいるらしい。

、、、AはCの同業の役員であり、愛人であるBとは友人の主催するクルーズ船でのパーティーで出会っている。そしてCの趣味は乱交パーティーで、パートナーにバレてからはクルーズ船で乱交パーティーを行っている。

Aが愛人と会ったクルーズ船もCが購入したクルーズ船もデートグラブのサイトにあったクルーズ船も全く同じものだろう。

とまあ、ここまでくれば、Aの「趣味」もご想像できるだろう。どうせCの乱交部屋の常連だったんだろうさ。人を人と思えないカスである。

 

ここで、ある疑問が浮かぶ。そういう人を人と見ない、愛情もへったくりもない、下半身に脳みそついているような連中は医師という括りで語れないのではないか?と。

その話の前に、日本医師会がどんな「政治」活動をしていて、医学部でどんな教育をしていて、そもそもどんな属性の生徒が医学部を受験できて、受かるかを説明する。

 

戦前の日本医師会は体制擁護装置だった。代表例は731部隊である。政府に協力し、人体実験的なものを(喜んで)協力し、その代わりに地位を完全に保障されていた。

戦後はさすがに戦前のそれは解体されたが、国民皆保険導入時に、政府が強烈に日本医師会に介入し、医師会の幹部を戦前の政府に「積極的に」協力していた関係者にすげ替えた。日本医師会は体制を積極的に擁護する代わりに、地位の保障を得られた。

例えば、日本医師会は、韓国の従軍慰安婦の主張を否定しており、韓国と断交するように政府に提言している。要するに、専門職で資産家で経団連並みの影響力がある、日本会議である。

そんなんだから、強烈にミソジミーで、医師の優遇的地位と相まって、非常に閉鎖的な社会を構築し、自分たちの階層を特権階級だと認識し、選ばれたエリートという選民意識が日本で最も強い。だから医師にネトウヨが多い。

医学部は多かれ少なかれ、戦前の体制にシンパシーが得られるような、国民には二種類あり、全体利益のためには犠牲もやむを得ないというような、教育が施されるようになった。

医学部は部活活動も含めて、他学部と交流はなく、六年制である。医学部は高偏差値であり、よほどのトップクラスの中高一貫校を出た生徒でなくては合格が難しく、そもそも資産家階層でないと授業料を払うのが難しい。

トップクラスの中高一貫校に受験するためには、徹底した弱肉強食論理に適合的でなければならず、その哲学に見合う者だけが、その後の6年間を有意義に過ごせる。

そのような生徒がそのような生徒しかおらず、そのような生徒以外とは交流がなく、多かれ少なかれ選民思想的な哲学をベースにした専門的教育を6年間施され、そもそもそいつらの親や親族はだいたい医者というのが、日本の医師の実態である。

日本医師会731部隊があった時の日本医師会の直接後継でもあるし、日本医師会にとっての医師の理想的な姿はまさにこれであるから、医師による倒錯的な事件が多発するのが当たり前で、女性の合格者を絞るなど彼らからすれば当然すぎる話であると言える。

因みに歯科医師会や薬剤師会はシンプルに利権誘導装置で医師会のようなイミフな政治目的はない。薬剤師会などのマツキヨを動かして、待遇改善を求めるほどである。正しい姿。

 

では、本題に戻り、Cが行なっていた乱交パーティーであるが、参加者はCだけではない。同僚の役員と同業の役員である。同僚の役員や同業の役員はどのような属性か?

外資系金融機関は理三出身者に目をつけ、積極的に声をかけている。医師の大半は医師をやりたくて医師になっているのではないから、外資系金融機関の口車に乗る。つまり、同僚の役員とか同業の役員とかはどうせ理三出身である。

AやCが特別にイカれてるなら、わざわざ同僚とか同業とかの表現にならないだろう。

そもそもである。某タレントと別れて3ヶ月後に結婚した小川キャスターの状況から鑑みて、小川キャスターはお見合い結婚だろう。小川キャスターの親はAみたいな男を見抜けなかったのである。それは医師の範疇にAみたいな男がいてもおかしくないからだろう。少なくとも、私が親ならば、小川キャスターが政治社会系のキャスターであることから、見合い相手は公務員か法曹か硬派な作家から選ぶ。百歩譲って大企業のサラリーマンは選んでも、全く畑が違う医師は選ばない。

つまりである。確かにAやCは日本の医師の中でとりわけインセンインな輩ではあるけれども、いてもおかしくないレベルだということだ。

 

医師に限らず、日本ではフリーランスや自営業種でない大きな組織の一員が社会的地位を得るためには30代半ばまでに結婚する必要がある。これは戦前から続く文化だ。全く前近代的である。

故に、30代半ばの婚活とは、ほとんどの場合、結婚のみが目的であり、恋愛とか愛情とかはあってもなくてもよく、それらは結婚に至るまでの儀式になっている。おかげで婚活のハウツー記事はキモい内容である。これでは婚姻で幸せになるのは難しい。結婚しても単に一緒に住んでるのと大して変わらないんだから。

しかもこの文化は結婚後は好き勝手やっていいということも包含する。不倫はダメだが、愛人作ってオッケーというレベルである。

そして資力がある男は大抵、パートナーに専業主婦を求める。母性を求めているからではない。パートナーを支配するためだ。一度仕事から離れれば再就職は難しく、離婚は難しくなる。男はパートナーを経済的に支配し、好き勝手やれるようになる。家計にまともに金を入れなくなったり、愛人作ったり。

最近ではそれどころではない。女性より男性の方が結婚経験が少ないのである。これはある階層の男性が何回も結婚しているということだ。まるで恋人を取り替えるが如く、パートナーを取り替える奴が結構いるわけである。つまり、不倫するまでもない、というわけだ。

30代半ばの経験という目標が達成されている以上、自分が求める相手を自分の資力が高まる毎に変えている輩がいるわけだ。キモいとしか言いようがない。

パートナーを大切にするようなボンボンや欧米的なフェミニズムを共有している男性が極めて少ない中で、女性に一方的に不利な文化があり、大半の男がそれを自明の前提として好き勝手に利用しているのが現状である。

これでは男で最もイカれてる属性を持ってる連中はああなるだろう。

このような状況では、ほとんどの、愛を知らない、女性だけでなく男性も含めた日本人が婚姻で幸福を見出すのは極めて難しいと言わざるを得ない。

 

 

日本のファイザーがアナフィラキシーが多い理由

ファイザーはマイナス70度の冷凍、投与直前にはマイナス40度が絶対である。これらを怠ると基剤が悪さをして、アナフィラキシーが増える。最悪、不活化している筈のコロナウイルスが活性化して、ワクチン接種によりコロナに感染する。

日本は医療関係者用と一般市民用にラインが分けられている。どれくらいのレベルで分けられているか?といえば、医療関係者用は厚労大臣管轄、一般市民用はワクチン担当大臣が管轄している。

医療関係者用の水準は高く、マイナス70度で保存し、投与直前のマイナス40度は確保されている。尚、日本の地方行政の能力や資源から鑑みて、一般市民用が医療関係者用の水準に達することは、金持ちが住む金持ち自治体(千代田区とか世田谷区とか)を除いて、ほとんど不可能と考えられる。

現在、医療関係者用が優先されており、現状アナファラキシーがやや多い。医療関係者用は温度管理が徹底されているため、ワクチンが日本に入国した後に問題が発生していない。つまり、日本に入国する前である。輸出先から港までは当然温度管理が徹底している。つまり、問題が発生しているのは海上輸送である。

では、「運送会社に温度管理を徹底させよ」とか「違う運送会社と再契約だ」とか「日本政府の能力で輸送だ」とか思うだろうが、どっこいそうは問屋が卸さない。これらは現在の運送会社と契約を破棄する前提になるが、違約金が膨大になる。そして、これらの予算は補正予算で組んでしまったため、組み替えは来年度になってしまう。

とはいえ、現在アナフィラキシーは顕著に多いことではないため、殊更危機感を抱くことはないように思う。

 

海上輸送の問題以前に、一般市民用のファイザーのワクチン接種はリスクがある。だが、そもそも受けれるのか?という問題が発生した。

地方自治体の能力から鑑みて、ほとんど全ては温度管理が徹底できないことが判明し、日本政府はファイザーにマイナス20度の冷凍で問題が発生するか問い合わせていた。責任は全て日本政府が負う契約であるため、日本政府としてはファイザーがネガティブな反応をしない前提だった。

ところがファイザーは、日本の一般市民用が温度管理を徹底できない限り、輸出を見送ると言ってきたのである。どうやら製造物責任を問われることが回避できないからと思われる。

従って、現状、一般市民用はワクチン接種のリスク以前に、打てなくなるリスクがある。

従軍慰安婦への心ない発言に物申す

私の価値判断の尺度は一つしかない。それは人間的であるか?ヒューマンであるか?ただそれだけだ。

確かに、私は他者に訴えかけるレトリックとして、自己利益に訴えかけたり、国益を説明したり、挑発してみせたりするが、私自身の価値観は一つしかない。ヒューマニズムだ。

日本の世論、世間、社会はほとんど嫌韓一色だ。今更日本人に利を説いても意味がないだろう。だから、この問題について、人の道理や礼節、優しさというものを説こうと思う。

 

従軍慰安婦が売春を強制されたとか強制されていないとか、性奴隷であったとか売春婦であったとか、朴政権の日韓協定が文政権に有効であったかなかったとか、そんな話は実際にはどーでもいい話だ。真に重要な真実は一つしかない。彼女たちが搾取されていたということだ。その一点のみで、彼女たちは大日本帝国の犠牲者だということに変わりがない。

 

もし私のような資産家ならば、その原資は彼女たちのような無数の搾取対象から奪った資本を大日本帝国が我々に分配して、我々の原資になったものだ。だから我々は彼女たちのような存在に一定の贖罪の念を持つべきだし、ましてや尊厳を傷つけるかのような発言は慎むべきだ。

君らは自分だけ良ければいいのだろうし、自分より弱い立場をからかって自己確認しているのだろうが、それでも君らの現在の社会的経済的立場のほとんど全ては君らの努力に依るものではないということに変わりがない。私はそれを十分に自覚しているからこそ、君らよりも自信がもてるし、自信があるからこそ謙虚になれるし、謙虚になれるからこそ人間的なれるし、故に他者を信用したり、他者から信頼を得られ、他人に優しくなれる。

彼女たちは我々から謝罪を受ける資格があるし、我々はそれに応える道義的責任がある。日本政府がどのような立場を採用していようが、我々個人はそのような態度でこの問題に当たるべきだし、それが人間というものだ。

それすらできないようなら、君らに人間的成長はない。一生、精神的未熟児として過ごせばいい。愛のない人生を送ればいい。金があっても不幸に生きればいい。自分のことしか考えられない奴がどうして幸福を追求できようか。

 

今まさに、貧乏であったり、社会に参画しにくい状況であったり、ルサンチマンを抱えているならば、体制から搾取され、好きなように利用されているという点で、君らは彼女たち従軍慰安婦と何ら変わることがない。

君らの大多数は彼女たちに八つ当たりして、自分たちへの社会や世間の不当な態度のストレスを晴らしているのだろう。だが、それは君たちを君たちが攻撃しているのと何ら変わることはない。

君らはネット上で君らを攻撃しあっている。それで余計に不満を溜め込み、今にも爆発しそうではないのか?はっきり言って無意味だ。

君らが本心では、同情や優しさを求めていることを私が気付いていないとでも思ったのか?君らが今まさに攻撃している君らは、君らと同様に、君らに同情や優しさを求め、相対的多数派に不当に扱われていることの悲哀を共有して欲しいと思ってる。君らは君らを攻撃する前に少なくとも一旦は同調すべきだ。

それは件の従軍慰安婦も同じだ。彼女たちは大日本帝国に不当に搾取され、社会や世間からはみ出し者にされ、挙句に嘘つき呼ばわりやら自己責任扱いまでされている。彼女たちが金目的で声をあげていると思うのか?彼女たちは齢八十を越えている。あの世じゃ、この世の通貨は使えないだろう。彼女たちが求めているのは我々の反省の弁とその証明だ。

君らだとて、日本の社会や世間や相対的多数派に求めているのは、まさにそれだろう?だったら、わざわざ彼女たちの尊厳を傷付けるような真似はするな。

彼女たちと君らは政治的立場は違えど、社会的には似たような立場だし、彼女たちは君らの将来を映し出す鏡だ。彼女たちが君らに攻撃され続ければ、必ず近い将来、君らは未来の君らに攻撃され続けるだろう。君らはそんなこと望んでないだろう?君らの存在意義を知らしめたいんだろ?だったら、君らがして欲しいことを彼女たちに行えよ。そうすれば、未来の君らが君らにして欲しいことをやってくれる。それが人間てもんだろう。

 

従軍慰安婦はこんなことは全く思ってないだろうが、この問題は我々日本人には「心」を取り戻すチャンスの一つだ。我々日本人はそのような機会をことごとく逃しているが、せめてこれを読んで、同調できる人は自身の人間性というものを顧みて欲しい。

最近、愛を誰かに与えたのか?誰かに与えられたのか?そもそも愛とは何かを思い出せないのか?と。