merlinrivermouth’s diary

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(社会)自治会と近代化とコミュニタリアズム

ある状況において、上手く働くように思えるものが、違う状況において、全く違う意図で働くということは普遍的に見られる。

サンデルを始めとしたコミュニタリアズムはその最たるものだろう。西欧近代を継受し、ポストモダンを探るような地域においては市民利益を確保し得る考え方の一つになり得るが、例えばスペインのような地域においては全体主義に寄与してしまうと考えられている。

コミュニタリアズムに繋がる考えを導入する場合には、想定される地域の社会・政治状況を慎重に考慮する必要がある。

1 日本における自治会の成立とその役割

2 自治会が近代化や市民利益に寄与する可能性と前提条件

3 現在の日本で、仮に自治会の機能が強化された場合の、想定される具体的な政策

4 コミュニタリアズムが適切に機能し得る条件

 

1 日本における自治会の成立とその役割

戦前の体制において、全体主義は目的であり理想であった。全国民を戦争努力に向かわせる目的というのは一面に過ぎない。

明治期からの日本政府の国内需要を無視した経済政策は多くの国民を生存ラインスレスレまでに追いやっていた。これらを解決するには、国家社会主義化するか植民地を拡大して、市場を外に求めるしかなかった。体制は後者以外を選択する道はなかった。

国民側とすれば、神権国家体制が前提となる中で、自らの生活状況をよりよくするためには、体制側が用意した植民地拡大路線に乗る他なかった。

体制や国民側に選択肢が一つしかなく、前提状況が神権国家体制である以上、全体主義をより強度に高めて、植民地獲得に向けて、一丸で努力する社会状況になるのは自明だった。

自治会はそのような全体主義の強度をより強める目的で成立し、それは当時の体制や社会や世間に求められたものであった。

自治会組織は成立当初の目的通りに動き、互助会であり、戦争協力組織であり、反体制摘発装置となった。日本には世間があり、江戸時代とは違い明治以降は政府が世間を強化、利用していたため、自治会組織の方針に反対することは社会的な抹消を意味していた。

終戦を迎えながらも、自治会の組織は保守政党の意向で存続しているが、現行憲法成立以後、社会や政治からの近代化や市民社会成立のための不断の努力によって、また世間自体の解体過程にあって、その問題性は大きい影を潜めているが、隠に陽に個人の権利を侵す装置になっており、小さな、一見すると取るに足りないような案件は依然として存在している。

 

2 自治会が近代化や市民利益に寄与する可能性

自治会とは最も世間を現実化しやすい組織である。

世間とは、その場の多数派と思われる空気または雰囲気に迎合しなければならない暗黙の了解を意味し、その場全体の了解があるため、メンバーの無責任と利益を守り得る装置である。即ち世間は多数派や偉そうな雰囲気がある人、経歴が立派な人の意見に靡きやすい。

例えば、団塊の世代が現役だった時代、近代市民社会の形成、個人の析出という目標は多数派であり、世間であった。世間が近代市民社会の形成や個人の析出の非常に大きな阻害要因になるが、その世間自体が近代市民社会の形成や個人の析出を求めている以上、それに反対する個人は反対しようがなかった。

55年体制における、自民党の右翼を除く大多数の保守派と過激な武力革命路線を除く左翼とで①憲法発議しないこと②軍事費を3%以内に留めること③再分配することが合意されたのは必然的であったし、合意に至ってから経済成長に邁進するのは自明だった。

しかしながら、自治会が成立した時代では、世間は全国民を戦争努力に向かわせる目的と動機を共有しており、それを社会に求め、反対意見はほとんど全く共有化されなかった。

これらの差異は政治勢力や民意に①右翼が少数派②保守派や中道左派が大多数③近代化に対するコンセンサスが得られていることにあり、これらの条件が書いた場合、世間が最大化されれば容易に全体主義化するということである。

現在の日本では、社会民主党の支持者は1%もおらず、自民党の保守派と目される宏池会高村派は少数派であり、隙あれば民意は人権抑圧に向かうような言論が飛び交う。

 

3 現在の日本で、仮に自治会の機能が強化された場合の、想定される具体的な政策

もし私が日本の体制ならば、名目的には①災害対策②介護問題の解決③保育園の確保④シングルマザーの支援⑤社会保障給付手続きの簡素化などを目的に自治会を強化する。

自治会が強化された段階で、各自治体に政治のアンケート調査を「お願い」する。当初は共働きなどの軽い内容から始めるが、最終的に安全保障条約の是非、憲法改正などをアンケート調査する。

それらは自治会は多人数ではないし、回覧板などで機能するため、誰がどのようなアンケートを行ったか、だいたい分かる。

政府はデジタル法やマイナンバーと組み合わせて、リベラル的、左翼的、近代的な個人を特定し、データ化する。

確かにこの時点で、違法性の疑いが濃いが、法曹や法曹を使える階層は割合的には非常に少なく、そもそもそのような階層はたとえ反体制的思想を有していたとしても、体制側であるから関係がない。

政府はデータ化した情報を自治会に逆に流し、自治会はその情報を元に、災害対策に協力しなかったり、介護を手助けしなかったり、対象の家庭の子供を虐めたり、社会保障給付を滞らせたり、ちょっとしたことで警察に通報したりする。

その頃には、市民は政府の方針に反対意見を述べることは、ブルジョワプチブルでなければ、相当なリスクになり、事実上の社会的追放になるため、口を紡ぐことになる。

画して、完璧な全体主義化が成功する。あとは軍事国家でも、富裕層優遇でも、神権政治でもお好きにござれである。戦前と違って、アメリカと戦争しなければ、基本的に体制は永続するだろう。

 

4 コミュニタリアズムが適切に機能し得る条件

自治会とはコミュニタリアズムの一つの具体例である。仮に自治会のメンバーが各々、近代的市民としての条件や素養を持ち合わせているならば、社会は近代市民社会をより高次元で体現し得る。

しかし、そうでない場合、悪い状況は一層悪化することになる。世界的には、西欧近代を正当に継受している地域は西欧しかなく、多くの地域は近代にまで至っていない。

コミュニタリアズムが誤解されやすいのは、サンデル氏が論述する時、諸地域の前提や状況をほとんど捨象しているからだ。

ある地域にとってはポストモダンの選択肢の一つになり、ある地域にとっては前近代の固定化になり、ある地域では排他性を際立たせ、ある地域にとっては全体主義の体現になる。

しかし、コミュニタリアズムを唱える有力な学者がさまざまな地域で講演するにあたり、その地域の状況をほとんど無視するのだから、疑義や異議を唱える人はどうしても少なくなってしまい、リスクが増えてしまう。

日本は未だ近代化していない。自由権社会権の議論さえできていないような国、国家主義を完全に克服できず、個人を圧殺しかねない国、ヒューマニズムを唱える人が堂々と攻撃されてしまう国だ。そのような国で、思考実験としては面白いが、真剣にコミュニタリアズム議論を行うのは時期尚早のように、私は考える。

 

余談 

今日は休日なので、新宿に行きました。

西新宿駅に向かう途中のオフィス街で、路上喫煙禁止のマークがデカデカと書かれていた道がありました。

そこで堂々とタバコ吸ってる、スーツ姿の男たちが数人いました。

皆さん、日に焼けており、筋肉質で、髪はスポーツ刈りの黒でした。

すぐ近くに、警視庁のマークがデカデカとついた、全身黒のワゴンが何台か止まっていました。

僕は彼らに「路上喫煙の通報はあなたたちにすれば良いんですか?」と聞こうと思いましたが、官憲を敵に回すと何されるか分からないので、やめました。

これが日本の近代のレベルて奴です。