merlinrivermouth’s diary

https://twitter.com/@nnmwj

若者が安倍菅政権を支持というより野党を支持しない理由

https://www.google.co.jp/amp/s/gendai.ismedia.jp/articles/amp/76675

この記事を元にし、これを補完し、学術的かつ客観的に若者が政治に無関心であり、体制迎合的である理由を推測する。

 

日本の若年層のパワー評価は以下の通りである。

日本の若年層はアメリカのそれより未来がない。人口が少ないため、意見表明の力を持たず、市場は日本の若年層の労働力を当てにしていない。日本の文化は従属的で、従属的な立場の者が従属することを他者に要求する文化だ。日本の若年層はアメリカのそれと違い、まともな教養を育てる機会も意志もない。日本の若年層は特殊日本的ネット環境に親和性がある。若年層の人生は新自由主義的社会政策しか経験していない。

これらは日本の若年層が階級上昇を試みることの不可能性と自分たちの権益の拡大を行う能力の無能性を示している。つまり、親が資産家でない限り、若年層にささやかな幸せを抱く小市民的将来すらほとんど考えられない状況である。例えるならば、若年層のほとんどはヤンキーのような階層レベルであり、しかしヤンキー文化のようなものはまだ発展途上だ、と言える。というのもヤンキー文化はヤンキーではない人たちへの反発から生まれているが、現在の若者は以前のヤンキー文化と接点が少なく、しかもそうではない側が少数派であるからだ。

 

このような状況では、政治や社会に何かを期待しようがなく、他の世代と違い、最大限の努力で自己の最低限の健康で文化的な生活を得ようとせざるを得ない。記事にあるように、安倍菅の体制を肯定して自助努力から始めているのではなく、もはやそれ以外に考えられない状況であるため、致し方なく自助努力を最優先していると言える。

記事では、若年層が将来に希望を持って、地元に恩返しという夢を語るというような文脈があるが、それは認識を間違えているように考えられる。普遍的に若者の夢物語は絶対に叶わない何かを対象にしている。数十年前は地元に恩返しは叶わない夢ではなかったため、わざわざ歌にするような類のレベルではなかった。現在は、親が資産家とか、スポーツや芸能活動で一発当てるとかでしか考えられない。つまり、地元に恩返しというのは、若年層にとって、叶わない夢物語だからこそ、語る価値があるものだと推測する。

このような経済、社会状況では、精神的に不全性を抱えることになる。あらゆる局面で従属的立場を強いられ、しかもそれが解消される将来は期待できない。となれば、せめて精神的には多数派でいたいと思うだろう。教養が低く、ネット情報をあてにしてしまえば、左翼という選択肢がないのだから、尚更である。

記事の文脈では、若年層はネット右翼ほどではないが、積極的に安倍政権や菅政権を支持しているというものだが、おそらくそれよりも遥かに熱意が低いだろう。

 

若年層が安倍政権を革新、野党を保守としているのは、特殊日本のネットの状況だけでなく、彼らの直接的上司が労働組合などから利益を得ているからだと考えられる。連合のスタンスでは、主に若年層の新人労働者や末端労働者に利益配分などしない。若年層が生存に必死な状況なのにである。しかも若年層は教養がなく、ネット情報が主であるため、上司である中間層が中間層の支配層に命じられてそうなっていると気付く契機が少ない。

おそらく若年層にとって、連合に加入しているような正規労働者や財界もひっくるめて保守ではないか?と想像する。となれば、連合と関係がある政党は保守という評価になるだろう。共産や社民が日本で政権を握る可能性はゼロに近い以上、政治には他で期待するしかない。国家主義全体主義を志向している安倍政権や菅政権は彼らの新自由主義的社会政策の現状を打開すると一縷の望みをかけて、革新評価をしているのではないだろうか?安倍政権や菅政権が結果的に彼らを棄民していることは知らないし、理解できないのだろうから、共産や社民が政権を握る可能性と比較考慮すれば、まだしも可能性があるように思えても仕方ない。

 

新自由主義的社会政策は日本の中間団体や世間を破壊している。ネット右翼は言うに及ばず、日本の右翼が右翼が何たるかを理解していない場合が多いのは、世間が破壊されつつあるからだ。世間から放逐されるのは少数派や弱い者順であるから、世間が壊れていけば放逐される人も増える。若年層は棄民されかかっているため、若年層の多くは放逐される側或いは放逐された側になる。

そのような若年層が世間や社会に対して迎合的でないのは当然だが、彼らが世間と社会を区別できるとは思えない。社会は法律で成り立っており、それは基本的には安倍政権やネット右翼が言うところの左翼つまり近代的価値観で成立している。若年層の認識では、ネット右翼よりも身近に近代的価値観によって、立場を危うくされたと考えても、おかしい話ではない。

彼らの知識や情報源はネットに依存し、テレビで語られる小難しい話を彼らが理解できるとは全く思えない。となれば、彼らには、彼らが誤った認識をしているということに気付く契機が少なくなり、ネット右翼の言説である、左翼によって少数派に追い込まれた、というものが彼らの現状認識と重なってしまう。

 

若年層とネット右翼は似ている。どちらも政治的なパワーを持たず、世間から放逐されようとしている。若年層とネット右翼の違いは、それでも若年層の方が現実と接点があり、ネット右翼が妄想を語るに対して、若年層は諦めているということだろう。

 

結び。日本政府が結果的にせよ、意図したにせよ、若年層は棄民されつつあり、外国人労働者導入によって、彼らの棄民を防ぐ唯一のガードは新卒一括採用だけになった。財界は暫時、新卒一括採用をやめていきたいのだろうから、棄民路線が変わることがない。

彼らが現状に対して正しい理解があるにせよ、ないにせよ、彼らは政治にコミットするだけの意志がない。より明白に言えば、現状を打開することをほとんど諦め、この現状を諸野の前提として受け入れ、生存に必死になっている。

つまり、少なくとも若年層ほど、新自由主義的社会は諸野の前提であり、即ち若年層は既にポストモダンに入っているのだ。