merlinrivermouth’s diary

酒にむかいて当に歌うべし。人生、幾ばくぞ。喩うるなら朝露の如く。去りし日ははなはだ多し。

(社会)二つの近代社会と私人間での争いにおける法の評価

メロンダウトさんの記事は無視できない着目点があり、そんじょそこらのネット民とは訳が違います。

今回、彼の考えの助けになりそうな着目点がありますので、書いてみることにしました。

 

西洋近代とは一つしかないように誤解されていますが、実は二つあります。アメリカ型と西欧型です。法律的には、英米法と大陸法となるのですが、今回は社会的な見地からの話題提供ですので、アメリカ型と西欧型になります。

アメリカ型社会とは、私人間の争いは全て法廷紛争で解決するというものです。そこにおいては、法律は絶対です。これは何故かと申しますと、アメリカ社会とはさまざまな移民と分断されたモザイク状の社会或いは世間で構成され、本来的に国家的統合が為されていないためです。故に、社会的には私人間の争いの解決手段が法律しかなく、政治的にはキリスト教に頼る部分があるのです。

法律は、資源がある方が圧倒的に有利です。デカい事務所を雇い、資本を投入できればできるほど、法廷の外でも内でも説得力が出ます。また法律とは、基本的に、体制側のイデオローグであり、資本主義下では資産家の利益こそ体制側ですから、もうこの時点で、法廷はよっぽどのことがない限り資産家の味方をします。

とはいえ、法律とは体制利益を守るものであるとともに現実化を志向するものですから、法律を一様に適用することは憚られたりする場面も出てきます。例えばポリティカル・コレクトネスは資産家や専門職には強く求められる一方、ロワーミドルにはほとんど全く影響がありません。これは単にポリティカル・コレクトネスという以上にヨーロッパからの伝統が続いているからです。即ち、イングランドの上流階級が力ではなく威厳で支配するというようなことの延長線上にあります。権力持ってるなら、ジェントルマンじゃなきゃだめということで、これが体制利益になります。尊敬されないような人たちが権力持っていても早晩信用失いますから。

とはいえ、アメリカでは法律に変わるものがありませんから、そのようなジェントルマン的規範もポリティカル・コレクトネスに変化し、教条的です。だから、内容や文脈より言葉の使い方に注目されてしまうわけです。

 

一方、ヨーロッパでは状況が違います。ヨーロッパの社会は基本的に同質性が強く、市民としての理念をほとんどの人が共有しています。同時に法律は前近代から続く体制利益擁護装置ですから、市民側は私的紛争をなんでもかんでも法廷で解決することを快く思いません。

彼らにとって、市民同士の紛争はまずフラタニティーで解決し、次に対話で、その次が縁がちょ即ちその社会からの追放です。追放と言っても法の庇護を失うわけではありません。付き合いがなくなるということです。ヨーロッパに行った日本人が「レストランに行っても、俺とは誰も会話しないんだ。ヨーロッパはクールだねー」みたいなことを言っていたりしますが、要はそいつが市民適格性がないて思われいて、なおかつそいつ自身が自覚ないてだけです。

こうなるとヨーロッパではポリティカル・コレクトネス的な話題もアメリカとだいぶ趣を別にします。つまり、言葉の使い方のような瑣末な問題よりも、その内容と文脈、ヒューマニティーフラタニティの有無の方が重要になってきます。それは法律的解決ではなく、社会的な解決ですから。

ですので、アメリカのアッパーミドル以上と比較すると、少し乱暴な物言いをする時があります。しかしながら、アメリカのそれとは違って、心が通っているわけです。

また、やっぱりヨーロッパでも、上流階級になればなるほど、礼儀正しくあらねばならないとされています。

だからゴーンとか表面的にはすげ〜いい奴に見えてしまったりします。

 

日本は多様性がない国です。ですので、本来ヨーロッパ型を志向せねばなりません。結局アメリカ型というのは、表面を取り繕ってさえいれば、資産家がやりたい放題できる社会です。それに日本人にはなんでも法廷紛争で解決するのは馴染みません。

ですが、日本には近代市民社会とは接合していないという問題があります。つまり、江戸時代はお上が全部やってくれてましたし、明治以降は世間を強烈に作られ、個人利益を度外視されていましたから、自己利益を共有する市民で政治やるみたいな経験も、他者利益が自己利益に関係するから手を貸すみたいな近代市民社会の萌芽もありません。

こうなると、実際市民社会がないような体制即ちアメリカのモデルの方がハマりやすいんです。

そしてアメリカ型は既得権者に非常に有利で、資本主義に適合的で、めんどくせー議論とかすっ飛ばして、基本的に人工的な政策を後付けな宣伝工作でやれます。

日本は一貫して例外なく保守政権であり、保守というのは既得権を保守してますから、そりゃあ、アメリカ型を日本にハメるわけです。そもそも戦後日本の親分はアメリカですしね。

それで、資産家が絶対有利の、正義とかヒューマニティーとか関係なく、儀礼的なやりとりが上手い奴がイケる世界に日本はなった、ということですね。

これでも、80年代以前は、気骨ある保守は社会党勢力と協力して、日本的な伝統や世間を西洋近代と結合させようと努力したんですが、資産家も最大の日本的世間の日本労働者総連合も早々に新自由主義の方つまりアメリカ型に靡いちゃって、夢は夢と消えました。

つまり、僕が言いたいのは、スカした勘違いバカが日本から出ていかないと、日本は如何ともし難いてことです。