merlinrivermouth’s diary

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日本のなし崩し的エリート教育

ふとした拍子に匿名掲示板を覗いたところ、中高一貫校を出たリベラルが公立校を批判することを非難するもの、またその擁護者や反対者がいた。

お互いに前提条件が色々違ううえに、互いのことを知らず、しかも個人的な体験を相対化できていないために、ほとんど多くの人は客観的な話をしていない。よって、私がまず事実関係をまとめ、私立中高一貫校とその出身者の問題性について言及することにする。

 

A私立中高一貫校の教育

私は中学受験で偏差値69あった中学に行った。同級生は資産家とアッパーミドルの子弟が半々であった。過酷な中学受験によって、偏差値至上主義の洗脳化が完成されており、閉鎖的社会が6年間続くため、その意識が強化され、変わることがない。例えばそのような偏見が間違っていると公立校に転校する者を負け犬扱いしていた。

非常に弱肉強食的文化スタイルを是としており、自らの主張に囚われることもなく、非情である。例えば、ある同級生が両親の不和のストレスから万引きし、発見された。彼と仲良かった同級生たちはたちどころに彼をいじめはじめたが、彼らも万引き行為を平然と行なっていた。私は彼に同情したが、彼は私の成績について常に軽蔑的な態度をとっていた。

同じ仲間で6年間過ごすため、校内で浮いている者でなければ、社会にでた後も自発的な行動を採るのが難しい。また閉鎖的社会で過ごしているため、コードから外れたり、創造的な労働(営業を含む)を行うことが困難である。弱肉強食論理で洗脳化されているため、異様にプライドが高く、挫折感も大きいタイプが主である。倫理観が希薄で、それを指摘する人が皆無で、居ても無視するため、自らの都合良く言葉や法律を捻じ曲げる傾向が強く、信用を得にくい。信用を得にくく、他に変えられない人材にはなれないため、社会に出ると挫折する可能性が高くなる。そこそこの地位にあっても、ネットで弱い者イジメが趣味みたいになっていても不思議ではなく、むしろ中高一貫進学校出身ということがコンプレックスになっていることが多い。

私立学校は基本的に人間教育などはない。国立医学部と東大入学の合格実績にしか興味がない。よって校内は大荒れだった。武蔵は特殊な方針であるため、これに当たらない。校内は大荒れだったため、必須となる授業以外は授業の体裁を成していない。

なし崩しとはいえ、エリートなので、多少の犯罪行為は警察が多目に見る。だから、万引きやってる奴が多かった。ロッカー荒らしも日常茶飯事だった。

逆に公立は勉強よりも人間教育が主である。合格実績より何事も起こらないことの方が評価されるためだ。校長以下公務員だからね。よって多様性やまともな社会人になるための練習は公立の方が確保される。イジメとか犯罪とかなんだかんだで、私立中高一貫校と同程度または少ないように思える。

私立校の生徒は当然ながら高学歴を望み、またその希望を叶えるだけの情報が手に入りやすい。早い話、まともな予備校や塾を見つけやすい。しかしそもそもまともな予備校や塾を知っているなら、わざわざ私立中高一貫校に行くというリスクを採る必要がない。私立中高一貫校と言えど、大抵の授業は崩壊しており、授業だけでトップクラスなのは数百人中数人しかいない。つまり、中高一貫校と言えど、ほとんどの生徒にとっては学校の授業は意味がない。

私はあんな彼らがリベラルになっているとはとても思えない。出世コースから外れたりのに維新支持とか、医者なのにネトウヨとか、そう言ったタイプだろう。女性なら、相手が中高一貫校出てる学歴至上主義者なら、どんなに金持ちでイケメンでも付き合うことはやめておいた方がいい。DV傾向が強い。

 

B20世紀と21世紀のエリートの心性や文化の違い

ご老人のエリートと今まさにエリートの違いは、一目瞭然である。倫理観や法への信頼、自己中心的な物の見方の有無、スケールの違い、多様な価値観の寛容性。

学区制導入以前は、今のエリート校は公立校の後塵を受けていたかそれを補完するものでしかなかった。公立校は学費が安く、公立であるため、一定の階層的多様性と社会人たる最低限の教育があった。しかしながら、現在のエリートの実態はAのようなものである。となれば、上記の違いが生まれてしまうのは必然的と言っていい。

これらの違いの大きさと比例し、日本の新自由主義化も進行している。

 

Cエリートが中高一貫校の話題に対して必死になる理由

社会的地位があったり、大人として成熟していれば、たかが自分の出身校を批判されたごときで必死に反撃したりしない。私からしても、件の匿名掲示板の主張は言われても仕方ないことであるように思う。

だが、彼らは社会的地位をどれだけ重ねても、自分に対する社会の人間的評価に常に不全感があるのが普通だ。基本的に信用に値しない人物が多いし、特別な能力がある人は極めて少ない。仕事ならまだしも、人間関係では大変だろう。信用してくれる友人はほとんどいないか全くいない状態で、恋愛についても相手が自分を信用してくれる前提がないため、常に疑心暗鬼に陥っているように見える。他人に弱味を見せることは悪だと誤解しているうえに、表面的事象しか物を見れないから、何が自分にとって問題なのか、解決するどころか気付かないことの方が多いだろう。

そのようなタイプは、エリートじゃなくてもジモッピーとワイワイしてる人間より自身を情けない人間に感じるから、自分とそうでない人を差別化する。最も表面的な違いは、エリートと非エリートの違いで、ご老人のエリートたちとはまた違うのだから、中高一貫進学校出身ということが第一になる。その意識が自身の問題を悪化させているのだから、それは立派なコンプレックスで、たとえ匿名であっても、私立の進学校の批判なんか許せるわけがないのである。

 

補足 因みにアメリカリベラルの反知性主義批判と並んでいたが、それは文化的歴史的経緯で、件の話とは次元が全然違う話である。中高一貫校ではなく大学の話で、進化論信じていないとか数万年前に神が世界を創造したとか反知性主義が先に立つ話である。