merlinrivermouth’s diary

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(日記)審判の時

アベノミクスの終わりが始まりつつある。

アベノミクスの終焉によって、人々は富を失う。

しかし、既に魂を失っていた。

アベノミクスは国家というものだけでなく、人に対してさえ、悪魔の取引だった。

いくらでも借金をしてよい。いつか来る終わりを忘れて。

いくらでも遊んでいい。いつか来る終わりを忘れるために。

野放図に、その時、その場の快楽と欲望を生きることができる取引は代償として、他者への信用を求めた。

自分だけでなく、他者も快楽と欲望に溺れることは、大事な人ー知人、友人、恋人、家族ーも同様にしているということだった。

他者を信用できず、愛が生まれず、不安定な自我を保つため、ますます快楽に溺れる…。

気付いた時に生まれた自己肯定感という価値観はアベノミクスと同様に誤魔化しでしかなかった。

いくら、自身を恵まれていると思い込んだところで、自分の問題を解決できるわけがない。

それらの浅はかな自己肯定感という価値観は結局、「誰より」という他者と比較しての課題とすり替わり、熾烈なマウント合戦が始まることになった。

そして、日本人はどうしようもないほど、カーストとか身分とかの世間的秩序に親和性があった。

誰もが快楽的で、快楽で自身の不安定を誤魔化し、誰かと比較することでしか自己を確認できなくなっている…。

だが、終焉は始まりつつある。

彼らの快楽の原資は借金だ。取り立てられ、何もなくなり、もはや金を借りることができなくなった時、彼らは快楽に逃げることも、誰かと比較することもできない。

私は彼らを完全に否定することはできない。

彼らが金持ちができるような、バブル世代が当然のようにできた、富や贅沢を享受したかった気持ちもわからなくはない。

だが、彼らはその代償がわかっていなかった。

あゝ、審判の時がすぐそばまで近付いている。

誰もが貧乏で、誰もが上がり目がない時代が。

日本人は心を取り戻さねばならない。さもなければ、これまでの自分のやりようが今の自分に返ってくる。

ゲシュタルトが崩壊し、自らを破壊するしか先がなくなるだろう。

ただでさえ多い今の自殺率は審判の時以降数倍に及び、遥かロシアを抜くであろう。

…だが、彼らが自分や誰かの精神的なものを大事にする時が来るとは思えない。

彼らが誰にも優しくしようとするとは思えない。

 

注)借金漬けになっており、なおかつ政府が救わないと思われるのは、大都市圏の新興富裕層と大企業のスーツ族です。資産家階層の一部も借金漬けですが、彼らが本当にまずくなるのは遺産相続の時でしょう。