merlinrivermouth’s diary

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(社会)Z世代の問題

一般的な若年者の特性

総じて、どの世代の若者も面倒なことを嫌がります。勉強、仕事、人間関係…。これらに共通する根源的なものは「面倒なこと」は考えたくないということです。

若者はまた残酷です。若さとは未来であり、無知です。自分の将来的について楽観的な希望を持っており、自己評価が高過ぎるものです。

若者はまた自分たちと同世代の感覚に執着し、他の価値を劣位に見做します。それは若者があまり社会と接点がないからです。若者の世界は数人の大人ー学校や大学の先生、親ーとたくさんの同世代です。若者は自信過剰ですから、若者だけで集まれば、自分たちが認められない価値観は若者にとって蔑視の対象です。

これらは悪い性質ではありません。良い場合もあれば、悪く出る時もある、というニュートラルな性質です。

社会変革のパワーにもなれば、新たな文化や流行を生み出すこともできます。団塊世代の社会変革のパワーや就職氷河期世代やゆとり世代の文化のパワーはその代表でしょう。

若者は自信過剰で、自分たち以外の価値観を蔑視しており、深く考えることを忌避しますが、真摯に向き合わねばならない時は不器用なりに真摯に考えます。また大人を必ずしも軽蔑しているわけではなく、自分に社会経験がないのを自覚しているため、一定の聞く耳を持っています。

これらの特性があるので、若者の文化や価値観と社会を融合または包摂させることが可能になります。社会は新たな考え方を取り入れ、進歩させることができるのです。

しかし、Z世代は社会変革や文化や価値観のパワーになりません。それどころか企業からは明白に忌避されており、これは彼らが社会に包摂できていないことを示しています。

この原因はどこにあるのでしょうか?

 

Z世代とその他の世代の若者の明白な違い

私がZ世代と交流し、さまざまな話を聞くにつれ、私と彼らとでは、どうしても絶対的に折り合えない、理解し合えない、決定的な違いが存在することに気付きました。

それは他者に対する真摯さです。我々が若者だった時は面倒くさいことでも、他者の尊厳に関わる場合はなるべく真摯に向き合おうとします。しかし、彼らは真摯に向き合うことができません。面倒くさい、深く考えたくないということが他者に対して敬意を持つことより優先しています。

Z世代の恋愛模様が本命、キープ、セフレが何人もいて、交際相手が浮気、モラハラ、束縛のオンパレードであるのは、これらの証左です。楽しく付き合うことが優先され、真摯さは除外されますから、誠実な相手や真面目な人はブロックされます。当然ながら交際相手はパートナーが信用できないですし、アプローチ段階で過剰な努力を行う必要があるため、交際後は非違行為を行います。

 

当然ながら、Z世代の問題は恋愛に限りません。それどころかZ世代は基本的に同世代を含めて他者を信用しておらず、また非常に差別的です。彼らは自己開示することは稀です。本心で話をすることは滅多にありません。自信過剰でありながら、自己愛が不安定になりがちで、人間関係はパワーバランスの下で成立しています。

Z世代のLINEは長文が嫌がられ、短文が好まれます。つまり、他者理解は求められていません。見た目上の力関係こそが彼らを決定します。彼らのヒエラルキーカーストを決定するのは同質性であり、そのカーストヒエラルキーはある種絶対的なもので、同時に公言して憚られるものでもあり、それらの真実について深く考慮することは面倒くさいので、しません。

いじめや嫌がらせは恒常的に起こり、それはSNSでの晒しという行為にまで及びます。それらは匿名で行われるため、友人すらも信用に値しません。

Z世代がマウント合戦を好むのは、これが理由です。つまり、彼らはヒエラルキーカーストを決定しなくては自身の存在が非常に危ういものになると認識しています。ですので、常にそれを証明し続ける必要があり、無意味にマウント合戦を仕掛ける必要があるのです。当然ながら、彼らの価値基準は彼らのもので、社会や経済的なものと異なるために相手にされません。

Z世代のSNSはマウントのためと、恒常的に晒される自己の尊厳へのストレスへの憂さ晴らしのために存在します。彼らが複数アカウントが必要なのは、彼ら自身の非常にストレスフルな文化特性に起因し、またそれらの行動が彼らをストックフルにさせています。

Z世代にとって、自身の二面性はごく当たり前のことであり、他者はすべからく信用に値しません。心を許せる人は基本的に皆無で、またそのような人を弱いと見做しています。ですので、彼らに信用という概念はあまりなく、誰かに真摯になることはあり得ません。だから、短文が好まれ、込み入った話は忌避され、面倒くさいことを回避することは何より優先されるのです。

 

Z世代の経済力

Z世代はそもそもが就職難で、あまり賃金も高くありません。Z世代はその傲慢さ故、成長の見込みがあまりなく、厳しい教育もできない企業からすれば、新卒より中途採用の方が戦力になります。まだ大不況は訪れてません。それに加えて、ほとんどが奨学金のローンを抱え、更に多くが生活費を自分で稼がなければなりません。

しかし、Z世代は自分たちのカーストヒエラルキーを維持するために、見栄を張る必要があり、金がいります。そのため、ローンを組める者はローンを組み、夜職ができる人はなんらかの夜職に就きます。

幸いにして、或いは不幸にも、アベノミクスによって金利は異常に低く、金融機関は容易に金を貸していました。また非常に多くの借金を行えた新興富裕層があぶく銭を考えられないほど手にしていたので、夜職は空前のバブルにあります。

つまり、Z世代の文化や価値観はアベノミクスに全面的に依存しており、借金か借金漬けの新興富裕層からのおこぼれによって支えられいるのです。

しかし、来たる大不況は恐慌の体をなしますから、Z世代は遊ぶ元手はおろか、生活する能力さえ失うでしょう。

 

Z世代の未来

Z世代は経済力が全くなくなります。就職氷河期世代と同じように親に頼りつつ、バイトしながら、資格の勉強や希望しない仕事を無理にでもしなければなりません。

しかしながら、就職氷河期世代は親を頼れましたし、職や待遇を選ばなければ食いっぱぐれることはあまりありませんでした。Z世代は親を頼れない人がほとんどで、市場はZ世代に拒否反応を示していますし、包摂する能力は持たないでしょう。

つまり、Z世代は棄民されるでしょう。

Z世代の文化や価値観はZ世代の棄民を正当化しているというのが非常にまずい問題ですが、「面倒なことを考えない」「ご都合主義」「見栄っ張り」が説得力あるテーゼを唱えることや生み出すことはほとんど不可能でしょう。