merlinrivermouth’s diary

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第二次安倍政権の意味

第二次安倍政権の目的は憲法改正だった。最終目標は私権を制約するというもので、戦前の日本の階層構造を復活させるというものだった。改憲は段階的であり、9条の改憲、環境権、緊急事態条項など、その都度のイベントを利用しようとしていた。しかし、参議院で2/3を取れず、頓挫した。

第二次安倍政権は旧民主党から政権を奪取し、衆参両院での2/3の議席を獲得する必要にあった。日本経済は長くデフレ化にあり、国内経済の縮小が始まっていたため、景気回復の手段は容易ではなかった。第二次安倍政権はアベノミクスと呼ばれるリフレ政策を大々的に行い、国内経済の回復を目指した。

 

安倍晋三氏の思想と事績

安倍晋三氏は戦前の日本社会を理想化していた。その理由或いは動機はわからないが、倫理観や道徳的なものではないのは間違いがない。何故なら、彼ほど退廃的に権力を利用した首相は他に例がないからだ。

安倍晋三氏の思想は日本会議のものに近かったが、彼には天皇や皇族や朝廷を重視するものはなかった。彼はあまり自らの政策に肯定的でない天皇に対して冷淡だった。彼の中では、やはり天皇は象徴で、実権や影響力を持つものではなかった。

安倍晋三氏は自身の反対者や社会的、経済的な弱者に対して、極めて傲慢で、冷酷だった。だが、自身を肯定する者たちには極端なほど鷹揚だった。彼の心理面について言及しても詮なきことだ。彼はそういうスタイリングだった。

安倍晋三氏の政治スタイルや政策について、真っ向から反対していたのは石破茂氏だった。共に二世議員で、右翼の急先鋒だった。石破茂氏は倫理観が強く、地方の支持を基盤にしていた伝統主義者だった。安倍晋三氏は石破茂氏に非常に冷淡だった。

アベノミクスはリフレ政策だった。政府の借款を間接的に日本銀行が引き受け、市中に円を投入する。円を投入する場は株式市場と金融機関だった。中央銀行である日本銀行は独立性を保たねばならず、当時の白川総裁はアベノミクスに反対だった。市場をコントロールできなくなる恐れがあった。第二次安倍政権は白川総裁を更迭し、黒田東彦氏を日銀総裁に据えた。政策や手法は国家主義全体主義だった。

安倍晋三氏の祖父は岸信介氏だった。大日本帝国下の政治家であり、満州国の高級官僚で、大変優秀な人物だった。国家主義者であり、GHQA級戦犯指定されたが、アメリカとの安全保障条約の成立を条件に許され、政界に復帰し、総理大臣となった。

安倍晋三氏はもとより第二次安倍政権は差別的だった。同盟国である韓国と故意に軋轢を作り、国内の差別を扇動するかのような政策を行った。社会的弱者にはとりわけ冷淡であり、社会保障費の削減は財源の問題以上にそのような主義であるかのように思われた。第二次安倍政権によって、日本国内の差別主義は顕在化した。

第二次安倍政権は法律を脱法的に利用することが多かった。日本の司法は体制に及び腰であるため、脱法行為を頻発に行う安倍政権を見て見ぬふりをした。安倍政権は法律を重視していなかった。

第二次安倍政権は世間というものを強烈に利用した。ネットなどの世論誘導や宣伝に対してはほとんど無制限で、マスメディアに対しては利権などで抱え込み、圧力も直に加えていた。市民の信認という意味では日本のマスメディアは強固でなく、またそもそもが利権団体であったために、簡単に政府に抱え込まれた。

第二次安倍政権は特定秘密保護法などの私権制約に余念がなく、それらは機能している。

第二次安倍政権は小選挙区制や旧民主党行政改革を利用し、より強力な権力集中を可能にした。与党議員は執行部の意向とは対立できず、官僚組織は政権のイエスマンと化した。それはリーダーシップと言えなくないが、立法府や官僚組織のブレーキがない権力体だった。

第二次安倍政権の外交は成功とは言えなかった。独自外交は全て失敗しており、アメリカに従属している外交においても、ヨーロッパの先進諸国から軽視されていた。しかし、ヨーロッパの国力は低下しつつあり、アメリカの比重は日本にあったため、敬意を失うも、影響力は行使できた。しかし、旧植民地であった韓国への態度や二度にわたる国際法違反をパワープレイで誤魔化したことは、諸外国から信用ならざる国として見做されている。

第二次安倍政権は事績から判断すれば、明白に国家主義全体主義だった。市民への私権制約、権力の集中、法の軽視、世間の利用、差別主義。それは安倍晋三氏の祖父のルーツにもあり、彼の理想とする戦前の体制が国家主義だったことにもある。

 

安倍晋三氏の政治的、経済的、社会的遺産

A 政治的側面

自民党政権は実質的に改憲の必要がなくなった。私権制約はなし崩し的に行えるようになっており、実際に行っている。日本の格差は拡大し、複層的な階層構造は分断を呼び、日本人はそれを受け入れつつある。世間は第二次安倍政権以前より表面化しており、強烈な同調圧力を人々に加えている。何かの国際的イベントがあれば、国家的気運を盛り上げることが可能であり、国家主義全体主義を見せつけることが可能だ。懸案の9条すら、改正安保によって骨抜きになった。

しかし、それらは全てが第二次安倍政権の思惑通りではないだろう。何故なら、いくつかの要素は安倍政権が意図したものとは違った形で発現していると思われるからだ。日本は実際には大きく国力を損なっている。

 

B 経済的、社会的側面

アベノミクスはリフレ政策であり、政府が国債を発行し、日銀が国債を間接的に買い取り、日銀は超低金利政策を行って、株式市場に資金を注入し…つまり、国の借金で市中をとんでもない金余りにすることだった。

金利が低く、市中銀行中央銀行から投入された資金がダブついていた。ろくな審査もせずに、担保がありそう、収入がありそうという目算で、大量に金を貸していた。借り手もー安易な人ならばー金利が低いからと銀行から融資をもらい、収入がある階層、ある程度の階層は一気にバブルに突入した。一方で、収入がそれほど見込めない階層は借入することはほとんどできず、或いはせずに、アベノミクスのバブルをほとんど享受出来なかった。

一部の階層のバブルでは、国内経済に大きな影響を与えられないため、相変わらず企業は国内投資を手控え、せっかく日銀が用意した資金は内部留保に消えた。

タブついた資金は株式市場に投下されたが、実態を伴うものではなく、それらの上がりもやはり内部留保と消えた。

金余りから生み出された富裕層は新興富裕層と定義された。彼らの消費行動は凄まじいものがあった。不動産バブルに沸いた港区の超高級マンションであるタワーマンションに住み、高級外車を乗り回し、一月数十万以上の額で一人以上の愛人をはべらし、キャバクラやラウンジ、クラブで豪遊し、愛人や恋人にはブランド物を買い与え、一食一万円以上する食事をとり、自炊はほとんどせず…彼らの消費は彼らを市場の主人公に仕立て、彼らの生活スタイルが持て囃された。

新興富裕層の生活がマスメディアに喧伝された結果、彼らが行うような生活が不可能な人たちも彼らに近い生活スタイルをとるようになった。大企業のサラリーマンや専門職も新興富裕層と同等の借入と消費を行うようになった。

このような人たちは、平均して、自らの資産の5倍の借入があり、3倍から10倍は借金があった。彼らはアベノミクスが永遠に続くと考えていた。そもそもそうでなければ、彼らは破滅するのだ。

金余りであったのは新興富裕層だけであり、それ以外の人々は相変わらず慎ましながらも厳しい生活を送っていた。第二次安倍政権は社会保障を切り詰めつつあり、格差は拡大の一途で、中間層は分解しつつあった。コロナ禍を迎えた後はその傾向がより顕著であった。

そのような中にあれば、金余りで湯水のように金を使う新興富裕層に群がることは、ある種、自然の摂理だった。パパ活含めた夜職も急激なバブルになり、奨学金の負債を抱えた女性たちが夜の仕事に飛び込んでいった。

夜職のバブルはあまりに不自然だった。彼女たちが通常の仕事を行うより遥かに収入になるためだった。国内経済の鈍化や縮小は留まることを知らないため、通常の職では低い賃金のままであるが、夜職はバブルであった。彼女たちが実を伴った仕事をすることが馬鹿らしくなるのは当然だった。

それは新興富裕層にも当てはまった。何故なら、彼らは実質的にいくらでも借入ができてしまうため、誠実かつ律儀に仕事に取り組むより、借入に頼る方が遥かに楽で、遥かに金になるからだった。

新興富裕層は富裕にしてくれた第二次安倍政権や安倍晋三氏を礼賛し、熱烈に支持した。彼らは第二次安倍政権の価値観即ち国家主義的で、私権制約的で、ヒエラルキーと世間を重視することも支持した。

新興富裕層周辺の価値観はメディアやSNSによって喧伝された。階層分化はそれを助長した。即ち、ヒエラルキーと世間的オーダーに逆らえず、頂点に富裕層が存在するという図式である。彼らの語る価値観は要約すれば、不満や不安などは我慢せよ、その場にいる上位者を楽しませろに尽きる。そのような価値観を綺麗な言葉で誤魔化し、宣伝された。

結果、あらゆる種類のステータスが重視され、それによりヒエラルキーが決まり、そのイメージ上のステータスによって、その周辺の世間が同調圧力を強める文化が復活した。日本は世間が大々的に復活していた。ステータスでマウントを取る文化がそれを表象していた。

安倍晋三氏が望んだ社会風土は、第二次安倍政権の政策とは別に、自然に、急速に、拡大され、多数派の共通認識となっていた。

 

C 日本の国力と相対的地位

第二次安倍政権は確かに一部の階層を金余りにしたが、日本の産業自体は脆弱化の一途を辿った。国内需要も低下し続け、生産性も低下、発明や論文や特許も低下…急激な国力低下だった。

それでもアメリカの国益の重点はヨーロッパから日本に移っていたため、日本の独善的な外交はある程度の成功を収めたー信用という対価を払って。

しかし、日本の経済力の低下は明らかであり、日本の利用価値がなくなれば、やはりアメリカの重点は他国に移り、日本の地位低下は避けられない。日本は所詮、虎の威を借る狐でしかない。

日本の平均賃金は韓国や台湾に抜かれている。これでは日本の国内需要や生産性が高まるわけがない。だが、自民党政権社会保障を拒むため、日本の国内需要が喚起されることはなく、従って企業も給与を上げるわけにはいかない。新興富裕層ばかりに金を投じていても、金余りの一部の人たちだけがバブルに興じるのみで、ほとんど意味をなさなかった。

そして、アベノミクス閾値を超え、日本政府に甚大な借款という対価を払ったため、国内需要を喚起するための社会保障やインフラ整備などの余剰資本はなくなっていた。

インフラ整備…日本はもはやまともに、電車や道路や水道や電気などのインフラを整備できないような国になっている。予算がないのだ。

第二次安倍政権は気宇だけは壮大の、中身がスカスカな国を用意してしまった。

 

第二次安倍政権がもたらした日本の今後の予測

コロナ禍の後、ウクライナ戦役もあって、アメリカやヨーロッパはインフレ抑制策に転じた。その結果、一人金融緩和を続ける日本は急激な円安に苦しみ始めている。

現状、企業の内部留保によって食料や生活品のインフレを抑えているが、限界がある。また、日本は急激なインフレを抑えるだけの金利上昇策をとれない。日本政府の甚大な借款と効果的な利上げは財政破綻に近い状況を招いてしまう。従って日本は金利を上げざるを得ないが、大々的に行えず、円安の状況は改善されない。かといって、利上げを行わなければ、大量の貧困者の増大を招き、日本経済は壊滅的打撃を受け、自民党は一気に支持を失う。

どちらに転んでも国内経済の大不況は確実になるため、金融機関は借金漬けになっている、新興富裕層やそれに類する大企業のサラリーマンや専門職から借入の返済を求めている。借入の一方的な返済を求めることができる民法改正は第二次安倍政権下で行われ、新興富裕層はそれを支持した。

当然ながら、新興富裕層から利益を得ているサービス業なども危機的状況に陥るが、それらのサービス業は奨学金の返済のために従事していたり、就職の合間や生活のために続けている女性がほとんどである。

借入が少なく、新興富裕層を頼らない職や人、政府から庇護を受けられる業種以外は厳しい局面になる。更に基本的に食料品含めた生活品が2倍程度の価格になる。これに加えて、消費を牽引していた人々が全て消えることになるため、消費はどうしようもないほど落ち込む。企業は給与を据え置き、新たに従業員を雇わない。非正規労働者は契約を延長できないだろう。これは市井の人々にとって生活ラインギリギリになることを意味する。

最も厳しいのが就職を控える学生であり、奨学金のローンを抱えつつも、ほとんどが就職困難に陥る。

ところが、アベノミクスによって日本政府に甚大な借款があり、利上げをしなければならない状況にあって、補償政策を大々的に行えない。自民党の核心利益ーストック資産家、医療業界、宗教団体、農家ーを助けるだろうが、他に手を回すことはできない。最低限の補償しかできなかったのは、コロナ禍で折り込み済みだ。

それどころか日本政府は税金を上げる必要がある。おそらく、金融所得課税を復活し、消費税を増税するだろう。幸い、選挙は三年間はない。

 

貧富の差、階層分化は決定的になる。新興富裕層は異常な消費を行っていたが、元来、アッパーミドル、ミドルクラスであった。だが、彼らはそのほとんどが転落する。この不況はミドルクラスにも直撃し、新興富裕層のような転落はないとはいえ、階層を維持し得るかの瀬戸際に立つ。

一方、元来の富裕層であったストック型の資産家は新興富裕層のような消費を行っていたとしても、よほどの何かがなければ、階層を維持できる。彼らの資本は不動産経営や法人経営で、破滅的な生活スタイルをしていなければ、この不況はそれほどダメージにならない。

つまり、これは非常に少数の圧倒的な富裕層と大多数の中間層以下という図式になり、彼らの階層を繋ぐブルジョワ階層はほとんど全く存在しない状態が見込まれるということだ。

なおかつ、この支配層と被支配層のほぼ完全な分断は、第二次安倍政権が用意し、新興富裕層が広めた、ヒエラルキー構造と世間を基盤とした国家主義的な共通認識の元に成立する。

しかも、この度の大不況は一方ではアベノミクスからの正常化でもあり、今後この経済枠組みや階層分化が変化することは考えられない。つまり、階層分化かつ階層の固定化であり、アベノミクスの正常化が急激であるために目に見えるというだけだ。

 

当然ながら、社会不安は由々しい問題になるだろう。落ちぶれた新興富裕層は自身の欲望に忠実であり、食うのがやっとで、上がり目がない。彼らの心理状態では、やるべき遊びはやり尽くし、あとは不幸なだけなので、生きている意味はないというものになるだろう。しかも彼らは他者の尊厳や利益を顧みない人々だ。それらの人々が同時に外に放り出されれば、詐欺などの犯罪や集団自殺、無理心中、麻薬の強要などなど、危険性がある。

日本の社会不安は、安倍晋三氏が選挙の演説中に射殺されるというショッキングな出来事とその映像によって、象徴化されてしまった。

日本政府は国民の最低限の生活を守り、社会不安を遠ざけるために、強権を発動するだろうし、それは緊急事態条項設立の覚悟を国民全般に用意する可能性すらある。

 

仮に第二次安倍政権の立脚点を日本の社会をヒエラルキー構造と世間の同調圧によって国家主義化を達成し、強権政治と経済政策によって固定化することだけとするなら、第二次安倍政権は全く偶然に完璧に達成することになる。

第二次安倍政権の、このような社会を体制化する最終目標は改憲であるが、皮肉なことに、選挙応援演説中に安倍晋三氏自身が射殺されたことによって可能性が出てきた。

 

第二次安倍政権の総括

第二次安倍政権の究極目標は日本の、ヒエラルキー構造の世間による国家主義化とその体制化のための立法と改憲であった。第二次安倍政権はそれらの実現に苦慮し、アドホックに強権的にそれらを行ったが、世論の分断化を招いてもいた。

第二次安倍政権が政治的にとった政策はマスメディアの支配とSNSの利用及び大々的かつ密かな宣伝だった。それらがどこまで功を奏したか疑問である。確かに差別をおおぴらにする者は増えたが、同時に反対も呼び、サイレントマジョリティもそのような思想には冷淡な場合もあった。

しかし、第二次安倍政権にとって、二次的な意味ー思想の実現ではなく、人気とりと利権分配のためのーしか持たないアベノミクスという経済政策は大きく日本の階層構造と階層分化、その価値観や文化をカースト的な世間に変えていった。それはまず間違いなく、安倍晋三氏もそのブレーンも経済政策の実行者たちでさえ、予期していなかっただろう。

しかも、恐慌つまりアベノミクスという経済政策の失敗自体がカースト的な世間に基づく国家主義化を完成させるというのは、全く皮肉でしかない。

結果論として、国家主義化という立脚点のみから見れば、第二次安倍政権は非常に幸運にも大成功を納めることになるだろう。

 

だが、一方、国家主義化以外の観点からみれば、第二次安倍政権の事績は最悪である。国の統治の根幹である、法の支配や法治主義を形骸化し、他国への影響力を喪失し、産業を脆弱化させ、国内経済を縮小させ続け、国家財政を破綻間際まで追いやり、多くの人を不幸に追いやっている。

日本は先進国から脱落する寸前であり、発展途上国化しつつある。

 

意図せずも、日本を発展途上国化させていたのが第二次安倍政権だとしたら、逆説的に、彼らが偶然にも実現しつつある国家主義化も説明ができる。つまり、発展途上国ならば、カースト的な世間の支配による国家主義化など自然であるからだ。

第二次安倍政権は日本を経済的に発展途上国化させつつある対価として国家主義化を達成したというよりむしろ、日本を経済的のみならず政治的に発展途上国化させたとする方が理が通る。

事実、アベノミクスは一部の人のバブルを招いただけで、ほとんどの市民はより貧しくなった。貧しくなれば、世間化するし、国家主義化にもなるだろう。

もしかしたら、一部の人のバブルのせいで、見過ごされて来たのかもしれない。我々の日本は実質的に発展途上国化しつつあるということを。

 

第二次安倍政権は表面的には、全てを犠牲にして、唯一自らの最終目標だけ叶えようとしているかに思える。だが、そのような評価は妥当でないのかもしれない。

第二次安倍政権は強権的で、メディアの抱え込みがうまかっただけで、全てにおいて惨たらしい失敗をし続け、ついに日本を発展途上国にまで追い込みつつある、と。

 

私にとっての、第二次安倍政権

私が通った中高は悲惨だった。自己中心的なご都合主義者が世間化し、異分子を排除する。手続きも、根拠も、正当とは言えず、これが日本のエリートになるのか?と暗澹たる気持ちがあった。

彼らは自己利益に忠実というより、自己の欲望に忠実で、憂さ晴らしや欲求のために犯罪行為に手を染めることもよくあった。

彼らはしかし、自身の特権的地位をよく理解しており、倫理観なくルールを捻じ曲げ、学校も見て見ぬふりをしていた。

私は彼らと全く合わず、彼らから異分子扱いされ、恒常的に攻撃を受け、対抗措置として暴力に及んでいた。

私が退学を選んだ時、彼らが作る日本は危険なものになると正しく予測したが、それを阻むだけの権力も、能力も、サポートも私にはなかった。

そして、実際に彼らは第二次安倍政権と新興富裕層や大企業のサラリーマンとして再登場し、彼らがティーンだった頃そのままに、規模と被害者と犠牲者を大きくした。

私は彼らに立ち向かい、自分自身の正しさと正当性を証明し、表舞台から排除するために努力しなければならないと誓った。

…だが、彼らは自滅した。彼らのほとんどは非常な借金を抱えているだろう。自らが望み、強いたアベノミクスで、欲望のまま生き、破滅するだろう。

しかも、彼らは彼らが望まない形で、自動的に私を支配層の一人として君臨させることになる。

さながら、私を一度ノックダウンさせたチャンピオンが、私が瀕死の状態で立ち上がった時に、自身が続けたドーピングのせいで、発狂してのたうち回り、勝手に死んでしまった、みたいな気持ちだ。

…しかし、私は今の形の発展途上国化が多くの人を幸せにすると思わない。強権的で、同調圧力で従わせる世の中は人間性を失わせる。そんな体制は長く続かない。たとえ貧乏でも、幸福はある。私は自身の悲惨な経験からそれを学んでいる。愛は金に宿らない。愛を欲望と捉えなければ。

私は日本の発展途上国化をもっとマシなものにしなくてはならず、そのための設計を考えなければならないし、私にはやはり権力や能力がいるということ変わりないだろうから、個人的な努力を引き続き行う必要がある。