法曹やそれに近い意識を持っている人を除けば、一般的に批判と中傷や差別がどう違うのか、明確な理解がないだろう。
人権は自己選択権に由来する。「生まれながらの属性」や「個人が容易に変えることができない属性」を中傷することは差別であったり、悪質性が高い不法行為である。中傷されている人がその属性を主体的に選んでいるわけではないからだ。
では、発表されている題材が批判されることは差別だろうか?批判内容が①事実無根②「生まれながらの属性」「個人が容易に変えることができない属性」を攻撃しているわけではないのならば、それは単に批判である。そのような批判に晒されたくないなら、発表しなきゃいい。
例えば、サヨク対ラノベというブログを書いている人がいる。そのブログ記事によれば、自称フェミニストがラノベが近代的価値観に沿っていないと批判していることに関して、差別だと評している。
ラノベが近代的価値観を持つことが全くできない表現媒体で、ラノベの読者が反社会的な存在で、その属性を自らの力で変えることができないのならば、差別にあたる。もちろん現実はそんなことはない。
本来ならば、そのような子供じみた、論点をすり替えるような反論をせずに、「必ずしもラノベが近代的価値観にそぐわないものばかりでない」とか「近代的価値観を持つような、より大きな市場を狙えるような作品を求める」とかの論点で反論するべきだった。そのように反論しておけば、ラノベが近代的価値観にそぐわず、読者も概ねそうであるというようなことに、結果的に同意してしまうような事態を避けられたわけである。
個人に対して罵詈雑言を浴びせていたり、事実無根の評価を公言していたり、容易に変えることができない属性を攻撃していたのならば、それは中傷であり、差別である。だが、そうではない場合、それは批判であって、反論するのであれば、論点をすり替えずに、批判に当たらなければならない。