merlinrivermouth’s diary

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(映画)デュエリスト

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E6%B1%BA%E9%97%98%E8%80%85  

リドリー・スコットの最初期の作品。

内容はだいたいWikipediaにある通りです。僕はケーブルで観ました。

大の大人の男が自分のプライドのために逸物の大きさを比べるうちに、一方が馬鹿らしいことに気付いたが、ひたすら絡まれ続けられ、当初の名誉の話かなんか吹っ飛んで、手段が目的化している、非常に不毛な状況を、正確な時代考証と重厚な雰囲気で、非常に高尚に皮肉ったように感じました。

作品での主張はマウントを取り合わねば気が済まないアホな男のサガについての描写にあります。

僕は最後の決闘裁判は観てないのですが、レビューを読む限り、その主張をより際立たせたもののように感じます。つまり、デュエリストは「男てさ、アホだよねー」から「女性と比べて、やっぱり男てさ、アホだよねー」。

とはいえ、僕は仕事柄、無駄にマウントを取り合わないと気が済まない女性にたくさん会っているので、男女はあんま関係ないように思います。仕事沢山やって、キャリアに不安苛まれるほど、偉ぶりたくのが男女問わず人間のサガです。

 

個人的に思うんですが、リドリー・スコットはプロット通りに製作する職人気質のディレクターで、作品の主張自体にどこまで思い入れがあるか不明のところがあります。

リドリー・スコットが本当にやりたかったことは、時代状況をより正確に表現したいことなのかもしれません。

 

追記)前近代と近代の違いに、名誉概念と自力救済不可というのがあります。

前近代は名誉が重く、自立救済が可能でした。そして名誉と自立救済という概念は、たとえ違法になっても、人々には意識として残っています。

近代という立場から鑑みた場合、自立救済は違法で、名誉は軽いものです。前近代の決闘というものは、野蛮という扱いになります。

ここで、前近代は具体的価値がない名誉を重んじる野蛮時代だったとするか、近代は内心の尊厳を重んじない無機質な時代だとするかによって立場が分かれます。

前近代は近代と違い、相対的客観的な経済的利益よりも主観的な内心を重視していたという事です。

決闘を扱う「高尚な」作品を読んだり、観る場合には、この視点を抜きにしては語れません。

現在において、例えば行為無価値を突き進もうとする日本のような国では、個別性はほとんど問題視されません。どちらがより妥当かという問いがない以上、決闘というテーマは意外と重いのです。当人より、我々の方が。