merlinrivermouth’s diary

https://twitter.com/@nnmwj

(日記)あたしに似たのね

肝臓がまだ本調子でなく、定期的に気分が悪くなるので、安定するまで実家で寝泊まりしています。なんでも、NYのドクター曰く、肝硬変とか肝臓癌からの回復過程を参考にしているとのこと。

あと一、二ヶ月て言われました。

そういうことはもっと早く教えて欲しかったです。

調子が悪いので、励ましてもらおうと、おふくろに話しかけました。

 

僕「この先も苦労があると思うと心が折れるよ」

母「大丈夫よ」

僕「俺はもう四十になる」

母「見た目若いんだし、大丈夫」

僕「肌だって、ツヤツヤじゃない」

母「二十代に見えるわよ」

僕「垂れ下がって来てるし」

母「ぴちぴちよ、二十代に見える」

僕「そうかな?苦労した感じが出て来てると思うけど」

母「大丈夫よ、あたしに似たのね」

僕「…。…は?」

母「あたしに似たのね」

僕「…。…ごめん、もう一度」

母「だから、あたしに似たのね」

僕「なんだよーそれ言いたかっただけだろー。いや、もうこのくだりブログに書くわ」

 

どさくさのおふくろでした。

僕が皮膚科に通ってるのは美容のためではありませんし、アンチエイジとかしてません。つい最近、化粧水使い始めただけです。

僕が皮膚科に通ってるのは、ウオノメ治すためです。

窒素で焼かれるなんて、チッソー。

 

 

(法律)日本のネットの対処法

日本のネットの状況

1.経済的損害、身体的損害が立証されない限り、誹謗中傷や名誉毀損を是正する機会がない。

2.プロバイダーのアカウント規制は極めて恣意的で信用が全くない。

3.当然のように複数アカウントが奨励されている。

4.個人にとって重要なツール。

5.今後の日本で、有効なネット規制がされる可能性は低い。

6.日本のネット状況と自身にとって有効なSNSの使用方法を模索する必要がある。

7.ネット上の嫌がらせはネット上では無敵だが、現実社会では見えない打撃が致命的に永続する。

8.日本はネットと現実を完全に分離させるべきだ。

 

1.法的に荒らしユーザーに対抗し得るユーザー

A.日本では、荒らし行為に対して法律の遡上に乗らせるためには経済的損害が立証する必要があります。

経済損害が立証されると民事ではなく、いきなり刑事になり、額も非常に多額になります。具体的には刑事では名誉毀損罪などに問われ、民事では数十万以上の損害賠償を求められます。

嫌がらせを受けたユーザーは一度アカウントを閉じて、新たなに違う名前でアカウントを始めることができます。つまり、それを行えば経済的損害が発生するユーザーが対象になります。人気商売で経済的利得がある人です。

著名人、作家、芸能人、ライブハウスなどで活動している人、個展を開いている芸術家、飲食店などの商店などなどです。

これはまさにこれから売り出そうとしている人も含まれます。とにかく経済的損害が立証できれば、刑務所一歩手前まで送り込むことができます。

立証する場合は、例えば、「荒らしの影響で撮影会に行くのをやめた」というファンがいて、実際に具体的に以前と〇〇人客が減っている場合、減った客一人につき一万円以上の損害を立証でき、荒らしを是正できます。

逆説的には、それ以外の大多数の普通の人は経済的損害がありませんから、法律で対処するのが難しくなります。

B.ビラをまくのと同じ効果が発生するようなことを荒らしが行った場合は、誰でも法を使えます。これは名誉毀損罪です。

例えばフォローしてくれている人やフォローしている人に対して、複数人に荒らしが自分への悪口を書き込んでいた場合は、1回目は書類送検、2回目は不起訴或いは起訴猶予処分に持ち込めます。

 

結論:ほとんどのユーザーは荒らしや嫌がらせに対抗できません。他の手段が要ります。

 

2.ユーザーが嫌がらせに対抗しても、プロバイダーはその反撃を迷惑行為だと捉えることがままあります。

また嫌がらせアカウントをブロックしたり非表示にしても、そのアカウントが晒し行為を行う場合があります。

プロバイダーは善管理注意義務がありますが、実際に行動に移すかどうかは非常に恣意的で、信用に値しません。

つまり、経済的活動の目的で使用しているユーザー以外は有効な法的な手段はありませんから、ネット荒らしや嫌がらせから逃げるという手段しかありません。

 

3.複数アカウントの奨励

A.複数アカウントはアカウント停止などのリスクを軽減するものです。

ネット荒らしや嫌がらせアカウントに当たった場合、一般のユーザーがリスクを回避する手段としては最も有効な手段になります。

しかし、残念ながら、ネット荒らしや嫌がらせアカウント自体にとっても極めて有効で、ほとんどノーリスクで嫌がらせ行為を行うことができてしまいます。極端に言えば、アカウントが停止されてもリスクやコストは全くありません。

B.現実的には、複数アカウントはネット荒らしにこそ有効な手段となっています。複数アカウントなしでは、ネット荒らしは、いかに恣意的なプロバイダーといえど、アカウント停止のリスクを負わなければなりません。アカウント停止のリスクを負わなければならないとなれば、嫌がらせ行為自体に慎重にならざるを得ません。

ですが、複数アカウントを許さないというのは、プロバイダーにとって利益になりません。

①プロバイダーにより強い善管理注意義務が発生する。プロバイダーのアカウントや投稿の監視はより厳密なものにしなければなりません。事実、嫌がらせに反応したアカウントもかなりの数が停止され、もはやそれが前提と言える状況ですが、プロバイダーはユーザーに自身のSNSを使わせないようにすることは違法になります。複数アカウントを禁止する場合、濡れ衣でアカウントを停止してしまわないような管理にコストを支払う必要が出てくるからです。

複数アカウントはプロバイダーにとってSNSを活性化させ、急成長させる非常に良い契機です。

 

4.SNSを使わないという選択肢はほとんどの人にとってない。

日本のネット状況は悲惨です。一般のユーザーはネット荒らしや嫌がらせに対抗する手段がほとんどありません。あらかじめブロックするか、違うアカウントに切り替えるかという回避する手段しかありません。

しかし、現実問題、SNSなしでは世間を生きること、趣味を楽しむことは非常に難しいです。つまり、ご老人や引きこもりを除いて、日本人はSNSなしでは生存が困難です。

 

5.これほどほとんどの人がリスクに晒され、困っているのに、ネット規制はおそらく実現しません。現状のままで推移します。

東京五輪が終わった今、自民党はネット状況を変える意欲がありません。また現状のネット状況に問題を感じない人も一定数います。SNSを使わない人やあまり誠実でない人にとって、逆に非常に利便性があるからです。

 

6.現状が変わらない以上、ユーザーは状況に適応する必要があります。

A.SNSはいくつか種類があり、それぞれ利便性やユーザーの質に違いがあります。

①ブログは最も嫌がらせに対抗できるツールです。長い文章やユーザーの目的に沿った投稿、嫌がらせに対するユーザーの主導的管理、これらは嫌がらせをするユーザーにとって脅威でしかありません。

しかし、ブログは欠点があります。

第一はブログを行うユーザーが非常に少ないことです。ブログを利用するユーザーは学歴ではなく、真の意味で教養や知的水準が高く、何か伝えたい意志ないし目的が必要になります。誰かにとって価値がある投稿を行えなければ、読まれることもないので、続けることもなくなるからです。ほとんどの人はブログを続けることができません。

第二にブログはユーザー同士の相互の情報交換に向いておらず、あくまで発信目的であり、世間的利用には適しません。ほとんどのユーザーにとって、ブログを利用する目的は世間的利用ではありません。

Facebook

 FBは最も安全性が高いSNSで、それは日本において例外的な存在です。極めて高い基準で運用されているため、非違行為は許されず、匿名や複数アカウントは許されません。

それゆえか、日本においては極めてユーザーが少なく、世間的利用に全く適しません。世間は非違行為によって存立する部分もあります。

FBはアッパーミドル以上の名刺であり、それ以上の意味を持ちません。

Instagram

 Instagramは文章以外の何かを発表したい人には有益です。

またメッセージ機能もかなり秀逸です。通知機能や未読スルー可能らしいです。

FBとグループ会社であるため、規制も適正であると見込めます。

広告表示も適正かつ妥当で、非常に使いやすいです。

しかしながら、SNSで経済的利得がある人以外の発信が非常に少ないため、世間的利用には全く適していません。

個人的には、写真+音楽のブログ版で、メッセージ機能ついていますという感じです。

④LINE

 SNSとしての機能は完全匿名サイトで、使い道が全くありません。

メッセージ機能は未読スルーができないので、Instagramより仕事で使えます。つまり事実上、業務連絡用アプリです。

Twitter JAPAN (バカッタージャポン)

Twitter JAPAN はTwitter社から資本関係を切られました。Twitterの商標を使っている別の何かです。ですので、バカッタージャポンとします。

日本のSNS、ネットの問題の元凶はバカッタージャポンに起因するところ大です。

バカッタージャポンは最もユーザー数が多い主要なSNSです。

ネット荒らしは常駐し、嫌がらせは日常茶飯事、執拗な付き纏いはいたるところで目にし、複数アカウントの使用はノーコストノーリスク、ほぼ全員匿名で、プロバイダーの運用は恣意的で、投稿の削除は投票制かAI利用と推測され、嫌がらせ行為はほとんど全て放置、嫌がらせされている側がアカウント停止はザラにあり、おそらく法務部は無能または差別的です。

つまり、バカッタージャポンはユーザー数が多く、世間的利用に適しているだけで、基本的には日本の、世界のSNS史上最もリスクがあるサイトということになります。

一般のユーザーは常に嫌がらせの危険に晒されています。しかしバカッタージャポンは使わざるを得ません。ネット荒らしからすれば、嫌がらせがノーコストノーリスクで、一般のユーザーが防衛機能なしにその辺に多数うろついてるわけですから、こんなに美味しいサイトはありません。

一般のユーザーはバカッタージャポンの利点をうまく利用し、嫌がらせを効果的に回避する必要があります。バカッタージャポンの利点は世間的利用とユーザー数の数です。というかそれだけ。

a.発信するユーザー

何か発信したいなら、他のSNSと連結し、バカッターで発表するが、バカッターではコメントさせない。

ブログやInstagramなどと連結し、バカッターでコメントできないようにすれば、バカッターのユーザーはそちらに誘導され、コメントしたい人はブログやInstagramで行うことになります。

荒らしはブログで嫌がらせするのはリスキーです。僕のようにコメント反映を管理者権限にしている人には、荒らしは嫌がらせコメントが反映されず、一方的に反撃されるリスクがあります。しかも判例では、SNSでの嫌がらせよりもより悪質であるということになってます。

Instagramのアカウント作成はバカッターよりは遥かに厳しいですし、バカッタージャポンより遥かに適正ですから、ネット荒らしは嫌がらせを行うことを躊躇します。

b.世間的利用ユーザー

バカッターのコメント機能を制限すればいいだけです。

c.経済的利得があり、宣伝目的もある人

バカッターのコメントを制限することは難しいでしょう。嫌がらせも十分にあり得ます。しかしながら、経済的損害を立証されれば、嫌がらせに対して法的追及ができます。

 

ポイント1.目的に応じてSNSを複数利用

ポイント2.ビジネス目的以外は、リスクの元凶であるバカッターのコメント制限

ポイント3.リスクの元凶であるバカッターで投稿しない。

これだけです。

要するにバカッタージャポンが主要なリスクを引き起こしているので、バカッタージャポンの使用を極限まで減らせばいいということになります。

このように使用するなら、裏アカウントなど持つ必要はありません。

 

7.ネット上の嫌がらせ行為は確かに名誉毀損に問われることは滅多にないです。しかしながら、実は致命的ダメージ、スティグマを自らに課すことになります。

社会特に大組織に所属したり、係争したりすると自分のデータが記録されます。そのデータの中にSNSの利用が含まれ、匿名の裏アカウントも調べられることがあります。

これらのデータは大組織間で共有してはならないことになってますが、事実上共有されます。例えば、就職や転職や懲戒処分では人材バンクと該当する大組織に、行政府への告発では行政府に、民事裁判では日弁連と相手方に、刑事裁判では法務省に、金融機関との大きな取引では金融機関に記録されます。事実上共有されているのと同じです。

これらの組織は法律をちゃんと理解していますから、法令違反でなければ記録しません。

SNSで削除されないからと言って法令違反でないということではなく、自分が合法だと思ってるから法令違反でないということではありません。法令違反は法令違反です。

特定できないなんてことはありません。正当事由があればプロバイダーはIPアドレスを出さねばならず、公的機関や準公的機関には情報を開示します。該当する組織が当事者からの開示請求が正当事由だと判断すれば、SNSを調べ上げられてしまうわけです。

SNSの匿名は匿名ではない、ということです。

一度共有されたデータは訂正されない限り残ります。そしてそれを利用されます。

就職や転職ができなかったり、出世できなかったり、行政から許可が下りなかったり、ローンが認められなかったり、裁判で証言証拠能力に疑義を出されたり、警察から嫌がらせされたりします。

全く本人の預かり知らぬところで。

本人が預かり知らぬところなので、なかなか訂正する機会はありません。

確かに、ネット上の嫌がらせを法律に問うのは難しいです。ネット荒らしが野放図だと評価できます。しかしネット荒らしが全くコストがないわけではありません。彼らは自ら二等市民に成り下がっているわけです。

 

8.ネット規制ができないとあっては、日本は先進国と逆にネットの非現実化に舵を切ったということになります。

日本のSNSは嫌がらせと陰謀論が跋扈し、皆が皆裏アカウントを持ち、全く信用におけなくなるということです。

しかし、にも関わらず、人はSNSを利用する必要がありますから、多くの人は自ら或いは他者の評判を気にするでしょう。日本人は世間存在です。

ならば、日本社会は先進国とは逆にネットを非現実化し、現実と切り離さなくてはなりません。

最も現実に影響するのは経済的損害で、それは世間的評判に担を発し、世間的評判のほとんど全ては全く信用のおけない、匿名の執拗な嫌がらせ行為が原因とらなるでしょう。

従いまして、日本のネット規制はネットから、飲食店、商店、病院や開業医、芸能関係者、芸能事務所の経済的利益を守るようにするべきです。

従いまして、僕は業務妨害の適用範囲を拡げ、過去に嫌がらせを行った者が口コミサイトを含むネットで低評価を行った場合、業務妨害に問えるようにするべきだと提言します。

 

 

 

 

(法律)ネット上の嫌がらせの補足

法曹の方へ。

 

「嫌がらせアカウントが謝罪したら終わりじゃねーか?」と思われ方。

心配いりません。彼らのほとんどは謝罪しませんし、投稿を削除したりしません。

僕の経験則では、1/10くらいしか謝罪しません。それも嫌がらせに耐え、粘り強く説明して、です。

サラッと内容証明的な文書送るくらいなら、ほぼ確実に行動の変化はありません。逆に半分以上の確率でエスカレートします。

 

ネット荒らしの基本的な行動原理

これでも彼らは学んではいるんです。アカウントが停止されないように気を遣っているつもりのようですし、危険な相手だと判断したらブロックして、障らないようにしようとしています。

おそらく、何度となく、投稿を削除されたり、アカウントを停止されたり、仲間が名誉毀損で訴えられたり、そういうようなニュースが増えてきているので、彼らなりに注意しているのでしょう。

私は大椿さんが嫌がらせ受けていたので、彼らの注意を私に向けさせ、あわよくばネット規制法の対象にしようと、彼らを挑発しましたが、乗ってきませんでした。彼らはその場ではめちゃくちゃ言ってましたが、実際は私をブロックしただけです。ブロックした後、私に対して不法行為をしているのか確認しましたが、気配すらありませんでした。

彼らは愚かなり進化しています。彼らにとって自分たちが嫌がらせだと思う行動は慎んでいるんでしょう。実際は嫌がらせなんですが。

 

ネット荒らしのほとんどは自分の行動が嫌がらせとか荒らしとか他人に迷惑かけているとか全く思っていません。

彼らにとって、批判は正義であり、批判される対象が悪く、であるからして、どのような批判も嫌がらせや迷惑行為ではなく、他人の了解は要らないということです。

ですので、極端に言えば、彼らに彼らの行動がおかしいと指摘すれば、彼らはそれを嫌がらせととります。

彼らは、自身たちの批判は絶対善で、彼らに対する批判は絶対悪であり、彼らの言説は法に適い、彼らを批判する言説は反体制で違法であると信じています。

そこに、客観とか相対化とか他者を慮るとか容認とかの概念はありません。

彼らと少しでもやりとりすれば、彼らに社会性を感じず、通魔的犯罪を犯す連中の99%がネット荒らしだということが肌身で感じられてしまう筈です。残念ながら。

警察がネット規制に入れ込む理由はこれでよくわかるでしょう。体制は通魔的犯罪の抑止効果を狙っているんです。

 

ネット荒らしにはネット荒らしをする正当化根拠が必要です。単に誰かに嫌がらせしたいだけの自覚的な荒らしは非常に少ないです。

正当化根拠は陰謀論でも右翼でも左翼でもツィフェミでもなんでも構いません。最も間口が広いのは明らかにネトウヨです。

体制側にとってネトウヨは都合のいい媒体です。あまり政治意識がない人を無関心にさせることができ、体制に迎合的でない人を萎縮させることができます。にも関わらず、ネトウヨが大半のネット荒らしを監視したいんです。これはのっぴきならない状況だと認識しているからでしょう。

 

ですので、彼らと対峙しても、彼らが懲りるなんてことはあり得ません。たとえ彼らが一時的に謝罪しても、それらの行動を完全にやめることを彼らは選択できません。

彼らにとってネット荒らしは自らの自尊心を守る、唯一で最後の術です。彼らはそれを失えば、発狂して、重犯罪を犯しかねない精神状態になるでしょう。彼らはいくところまでいかなければとまりません。

他の心の拠る術を見つければ別ですが。 

 

彼らを救おうとか思ってはだめです。彼らを救うことはできません。案外、ネットなしの刑務所とか精神病院で、生の人と付き合う方が幸せな連中です。

ですので、同情せずに潰してあげるのが彼らの幸福です。

彼らが自己破壊的な理由はまさにこれでもあります。彼らは誰かに止めて欲しいんです。そして、内心では非常によくわかってます。自分たちが止まるのは破滅した時だと。

ですので、遠慮なく潰してあげてください。

その方が彼らに再起の可能性はまだしもあります。

 

彼らの個人的な事情は知りませんが、悲惨な人生だったことは察することができます。私自身、彼らのところまで堕ちてもおかしくありませんでした。

彼らは本心では誰かに救って欲しいと思ってます。しかしながら、誰かに救われるという事実が彼らの尊厳を破壊するので、彼らは完全に救いや助けを拒絶します。彼らは少なくとも自身が誰よりもまともで強いと信じたいのです。そうでも思わなければやっていけない人生なんでしょう。

だから、彼らはその証明のためにも荒らしをするわけです。自分がこんなにも正しいことをしてる!相手が何にも言えないくらい偉いことをした!てね。

私も彼らの自己分析に賛同します。彼らが自分を見つめ直せるようになるのは、破滅した時です。

ですので、同情はいりません。破滅させてあげましょう。

 

考えてみてください。正義と称して、見知らぬ誰かに付き纏い、嫌がらせをするのが唯一の心の拠り所という悲惨な人生を。破滅したところで大きな変化はありません。

現状の彼らの人生より、刑務所で暮らした方がまだしも幸せである可能性があります。

彼らがいくとこまでいく、即ち破滅を味わえば、彼ら自身が行き方を変える可能性は非常に大きくなります。

ですので、同情はいりません。

同情するなら、むしろ、心を鬼にするべきでしょう。

(法律)ネット規制下のネット上の嫌がらせの対処法

以下はネット規制法案がそのまま立法化された場合です。残念ながら、見込みはかなり薄くなりました。

ネット規制がない先進国は日本だけで、いずれアメリカの著名人が「私を荒らしてんのは中国人だから笑」というように「私を荒らしてんのは日本人だから笑。気にする必要ないよ」と使うようになるでしょう。

 

基本原則×悪質性−例外事例=不法行為

1.基本原則

A.人には人格権があります。簡潔に言えば、守られるべき尊厳というものがあるわけです。

尊厳が守られないケースというのは、ネット上では、ほぼ全て嫌がらせを受けた時です。

では、嫌がらせとはどのような場合を指すのか?具体的にどういうことなのか?簡潔に説明します。

ネット上の嫌がらせとは、特定個人に対し、断りなくマイナス評価をすることです。

文言でも文脈でもマイナス評価をすれば嫌がらせになります。

後述する例外を除いて、マイナス評価は全てだめです。

批判や揶揄や(主観的な)正当評価、真実の有無は例外になりません。正しい正しくないはありません。嫌がらせは嫌がらせです。

マイナス評価は全てだめ。

と覚えて下さい。

嫌がらせには、相手が答えられないような質問や、答えようがない質問をすることも含まれるます。

つまり、議論を吹っかけようとする行為自体が嫌がらせです。

この嫌がらせには、嫌がらせにあたる投稿にいいねやリツイートなど肯定評価を与えることも含まれます。

またたとえ個人を特定していなくとも、時系列や文脈上、類推可能性が高い場合も、嫌がらせと判定される場合があります。

 

B.経済的損害の有無

ある人に嫌がらせをして、それが直接的な引き金になり、経済的損害が生まれた場合、加害者はその経済的損害を補償する必要があります。

経済的損害がない場合は人格権を侵害したというだけなので、慰謝料止まりです。

経済的損害を与えた場合は慰謝料+損害の補償です。

つまりダメージを与えれば与えるほど、額が高くなります。

 

2.例外事例

A.対象が匿名である場合。

この場合の匿名とは、過去投稿がほとんどないなど、個人を想定できない場合を言います。

完全匿名には人格を想定できませんし、社会的、経済的な地位も考慮できません。従って、人格権侵害も経済的損害も想定できません。

注)逆に、嫌がらせしている側が特定個人だろうと匿名だろうと、関係なく不法行為になります。但し、特定個人の嫌がらせの方が匿名の嫌がらせより損害賠償額が大きく出ます。匿名の方が社会的影響力が少ないとされているからです。

 

B.注意義務違反

ネット上ではありませんが、例えば治安が悪いところに出向いたとします。多少の嫌がらせは想定できるでしょう。業務でなければ、そのような場を回避することができた筈です。

つまり、そのような場合、多少の嫌がらせは自己責任となります。

これが注意義務違反です。

ネット上で、荒らしに絡んだ場合、多少の嫌がらせは想定できます。

ネット上で、自ら荒らしに絡んだ場合は、多少の嫌がらせは甘受しなければなりません。

これは誰かへの嫌がらせを止めようと、嫌がらせをしている荒らしに接近した場合でも同様です。

但し、荒らしの自分への嫌がらせが悪質であったり、その場限りではなく、また執拗性がある場合などの悪質な場合は、その荒らしを不法行為に問えます。

当然ですが、犯罪でない限り、他者への不法行為を訴求することはできません。

 

C.危険回避義務違反

自身が誰かに嫌がらせをしていた場合、その場ではどんな嫌がらせも甘受しなくてはなりません。

この場合、グレードがあります。

嫌がらせ対象者でない人からの反応はほとんど引き受ける義務があります。

嫌がらせ対象者である人からの反応は全て引き受ける義務があります。

但し、嫌がらせしている側も嫌がらせされている側も第三者も、その場限りのことで、それ以上のことは許されません。

基本的には、他者に嫌がらせしている場合、その場では危険回避義務を怠っているとされ、人間サンドバッグになるということになります。

 

D.批判対象がパブリックフィギュアである場合

パブリックフィギュアとして在職中の実際あった事績を批判する場合は例外になります。

人格を攻撃、真実でないことで追及、一般市民であった当時の出来事を批判

これらは例外になりません。

但し、グレードがあり、三権の長都知事クラスは人格を攻撃しても、一般市民であった出来事を批判しても、真実でないことで追及しても、許されます。

例えば、安倍元首相をめちゃくちゃ言っても許されますが、福島瑞穂さんに対しては人格権侵害までは許されていないということです。村山富市元首相も何言われても仕方ありません。

 

E.互いの了解がある場合

互いに了解の範囲内ならば許されます。但し、刑事罰に触れるようなことまでは許されません。

例えば、ある特定の出来事について議論するとお互いに了解をとったとします。

その出来事に限り、議論は許されます。

但し、相手の人格権を侵害することまでは許されませんから、質問の強要や答えられない質問をすること、出来事とは関係ないこと、相手の属性に対する批判は嫌がらせとなります。

 

F.親密圏内

家族、恋人、親友、友人、知り合いは冗談を言い合いますし、お互いに助言し合いますし、批判することもあります。

つまり、心的な距離が近ければ近いほど、例外が増えます。

これらは心的な距離です。

家族でいながら疎遠な場合や恋人より親友を優先する場合など、個人差はあるでしょう。

距離感間違えたら、謝りましょうね。

つーか、すいません、よく間違えます。

 

3.悪質性のパターン

A.嫌がらせしている側が複数(副アカウント、捨てアカウント含む)

人格へのダメージは多数であればあるほど増えます。即ち、嫌がらせしている人が複数いれば悪質性が付与されます。

副アカウント、捨てアカウントは外から見れば判別できず、複数人ということになります。ので、副アカウント、捨てアカウントだから複数人ではないというのは言い訳にすらなりません。

副アカウントや捨てアカウントで嫌がらせすることは悪質性があります。

但し、副アカウントだから、賠償額ダブルだ!ということではありません。

他に嫌がらせしているユーザーがいる場合は、コメントやいいねやリツイートを控えましょう。

 

B.嫌がらせされている側が拒絶の意思を明確にしている場合。

「やめてください」と嫌がらせされている側が明確にしているにも関わらず、同様のことを繰り返せば、嫌がらせしている側はそれが嫌がらせであると理解しながらやっているということになります。

つまり、非常に悪質であると評価されます。

更に、「やめてください」という言葉の代わりに内容証明的な文章であった場合、極付きの悪質性を付与されます。

「お前、法律守る気ないだろ?」となるからです。

注)しかし、内容証明的文章での警告において、例外事例のどれかに当てはまり、嫌がらせにならないなど、失当である場合は無視可能です。

また、失当であることが客観的に明確である場合、強要していると主張できます。しかし、失当であるという自身のその主張が客観的でない場合は、その主張が逆に強要していると主張されてしまいます。

基本的には、内容証明的文章の告知は慣れている人でなければしない方がいいでしょう。

 

C.相手が反論不能な状況を設定しながら、嫌がらせを行う行為

例えば、対象をブロックした場合、対象は反論できません。対象が反論できないにも関わらず、対象に嫌がらせを行えば、悪質性を付与されます。

相手が反論できる余地を与えなければ、悪質であると評価されます。

 

 D.執拗な嫌がらせ

嫌がらせされている側に対し、その場だけでなく、他の投稿に複数嫌がらせをすれば、悪質性を付与されます。

「俺をブロックすればいいだろ?」というのは言い訳になりません。

というのも、その発言自体が嫌がらせであるので、その発言がある時点で、嫌がらせしている側はブロックされてないにも関わらず複数回の嫌がらせを既にしているからです。

もしその発言が真正なら、ブロックされていようがいまいが、複数回の嫌がらせは行わないことになります。

確かに、嫌がらせされている側が嫌がらせアカウントをブロックしないことは多少の注意義務違反でしょう。しかし、現実的には、ブロックするしないは任意でしかありません。

 

E.ブロックされているにも関わらず、違うアカウントで嫌がらせ。

これは、AとBに当たります。

 

4.嫌がらせだと怒られた場合の基本的な対処法

経済的損害以外は人格権侵害です。人格権侵害とは尊厳を傷つける行為です。誰かを意図的或いは無自覚に嫌な気分にさせてしまったら、どうすべきか、18歳以上の人間は全員知っています。

極めて簡単です。

謝罪文を定型文で明確に公表し、該当する投稿を削除しましょう。

これで相手が納得しようがしまいが、嫌がらせは許さなければならないことになります。

謝罪の内容は自身の悪質性に応じて変わります。

人格権侵害はたかたが人格権を侵害しただけとも言えるので、過ちを認めて、謝ればいいということです。

しかし、経済的損害がある場合は別途、賠償しなくてはなりません。

注1)自分で削除するのがポイントですから、例えばプロバイダーなどに削除されてしまった場合は、被害者が許してくれるまで、平謝りしましょう。

注2)謝罪したにも関わらず、再度似たようなことをすれば、非常に悪質性が高いとされる上、被害者は謝罪を受け容れなくてもよくなります。謝罪したら、以降嫌がらせは絶対にやめましょう。

 

5.将来的に立法施行されるネット規制法の解説

現在のネット規制法案は

総務省で委員会が審判(当事者両名お呼び出し)

ネット規制該当とされれば、実名、年齢、専門職である場合は職業、行状が総務省のページから全国に公開。

③公開データは誰でも閲覧可能で、いついかなる場合に使用されるか分かりません。

④そのデータは公官庁に共有されます。

⑤事実上、金融機関や人材バンクにも共有されてしまいます。

⑥司法では、証言や証拠能力に信憑性がないとされるようになるので、あらゆる裁判で極めて不利になります。

⑦専門職としては、責任に耐えないと見做される可能性が極めて高いです。

⑧大企業に就職するのは極めて難しく、出世はほぼ不可能になります。

⑨銀行はローンを組んでくれません。

⑩遡及期間は2年間になる見込みです。

 

以上のように、ネット規制は単に不法行為より極めて社会的、経済的影響力が甚大になります。

ので、心あたりがある場合は施行される前に投稿を削除し、できることなら謝罪しましょう。また総務省から通達が来たら、必ず審判に赴き、できることなら弁護士または司法書士を伴いましょう。

逆にネット規制法が成立した場合、これを使いたいと思われる人は、弁護士や総務省に指定された司法書士を雇いましょう。

 

ネット規制法の欠点は、マイナンバーカードに情報を一元化する(名目)であることと、資産家で以後品行方正にしてるなら、ほぼ影響がないことです。

一部、自民党の議員が反対していますが、彼らは資産家であり、品行方正にしていなければならない職業ですから、なんで焦ってんのかちょっと謎です。

ネット規制法には、通魔的事件を起こす予備軍の抑止とネットのマーケット化が目的になっており、即ちいつか確実に成立します。

しかしながら、この案が多少変わる可能性はあります。

 

6.ネット規制法案以外の被害者の救済

①弁護士を雇います。

日弁連弁護士会照会制度或いはプロバイダー責任制限法を用いて、プロバイダーにIPアドレスを開示或いは保存させます。

弁護士会照会制度で、加害者を特定します。下請けは探偵事務所で、ほぼ確実に特定されます。確かに、たまに同姓同名の別人とかありますけど。

④加害者を民事裁判にかけます。

 

弁護士費用がかかりますし、弁護士からすると金にならない上に実務が非常に面倒臭いので、やりたがりません。

逆に自身が弁護士だったり、金に糸目つけなかったり、経済的損害がある場合はやる意義があります。

刑事犯罪の名誉毀損罪になるケースは面倒な調べごとは警察がやるので、民事での裁判はあまり金がかかりません。ですが、それは人が死んだとか、破産しそうとか、相当酷いケースです。

 

7.プロバイダーの法的責任

建前では、企業は社会的責任があり、プロバイダーには善管理注意義務があるので、不法行為にあたるユーザーの行動には対処する義務が理論的にはあります。

しかしながら、日本では企業の社会的責任をあまり認めていません。ですので、プロバイダーはコストだけを考えればいいというのが現状です。例えば、管理コストを極限にまで減らすために、コメントの削除やアカウントの停止を投票制にしたり、AIに任せたりしています。名目的には、法務部がやってることになってますけどね。

当然ながら、AIは文脈を追えませんし、投票制にしたら荒らされている被害者が圧倒的に不利です。例えば、ある有名人が荒らしたちに反論したら、逆にアカウント停止になったというのは、プロバイダーが投票制にしていたり、AIが文脈を追えないのが原因です。

裁判所の理屈は、市場は競争原理なんだから、だめなサービスは淘汰されるというものです。しかし実際のところ、FacebookTwitter、インスタグラムが淘汰されるでしょうか?市場をほぼ独占的に支配している以上、ほぼ痛手がありません。ユーザーはこれらのSNSを使用せざるを得ません。

SNS側の言い分は、「ただで使わせやってんだから私的自治権の問題だ」ということと「日本では不法行為に対して訴求する手続きがないんだから、我々が何かしてはいけない」というものです。前者はさんざ広告費で儲けているにも関わらず、後者はさんざ恣意的な投稿削除やアカウント停止をしているにも関わらずです。

特に悪名高いのはTwitter JAPAN とされています。Twitter は自身の商標権をTwitter JAPAN にリースしました。本来、商標権を貸された側は商標権を持つ側の意図したように商標権を使う必要があります。しかし日本では、金さえ払えばそれでいいという判例と法運用で、Twitter JAPAN はTwitter 側の意図を無視し、恣意的なユーザー抑制をしています。Twitter はアカウント停止や投稿削除を投票制にし、左派的なアカウントを迫害していました。そして、その名目が上記のものです。Twitterの株主は怒り、TwitterTwitter JAPAN での株主総会で役員の更迭を求めるように要請し、結果、Twitter JAPAN は何度も役員が交代しています。

現在、Twitter JAPAN はTwitterから資本を全て引き上げられ、全く別会社となりました。Twitter JAPAN に起因する問題は例外なくTwitter JAPAN がひきうけなくてはならず、Twitter JAPAN はTwitterのブランド価値や信用度と全く無関係です。

このような状態ですから、ユーザーは悪質なユーザーをブロックする以外の手段を持ち合わせていません。反論した場合、最悪自身がアカウント停止になるからです。

 

8.ネット荒らしが嫌がらせをしてはいけない人

嫌がらせをする側の天敵は法律を使う人です。つまり、お金に余裕があったり、実際に法律を使える人です。

特に最も嫌がらせをする側にとって危険なのは、どちらも持ち合わせており、かつ時間に余裕があり、見せしめ効果を期待する人です。

危険なのは法曹です。自分で事務をやれば金がかかりませんし、どれが法に抵触すればいいか自分で判断できるからです。

次に資産家です。資産家はかなりの不労所得が見込めるので、弁護士を雇えるうえ、時間がある人はかなり時間があります。しかも大抵の場合、人間の尊厳というものに敏感な人が多いので、自分だけでなく、赤の他人への嫌がらせにも看過しない人が結構います。

どちらかまたは両方の属性を持つ人に対しては、特に嫌がらせをやめましょう。

 

しかし、もし意図的或いは無自覚に嫌がらせをして、怒られたり、法的通知をされた場合は、経済的損害賠償でない場合、

定型文を書いて謝罪し、該当する投稿を削除しましょう。

 

 

 

 

 

(短編小説)いいこ

僕は長く険しい闘病の末、社会復帰できるまでに回復しました。しかし、日本社会は格差が広がり、目に見えぬ分断が進行し、疑心暗鬼と先入観が渦巻く社会となっていました。二十年前とは全く違う世界で、僕はタイムスリップしたかのような気分です。

闘病生活の間に友人はいなくなり、気のおける何人かを除いて、孤独のうちに、今の日本社会の勝手もわからぬまま社会復帰しなくてはなりませんでした。

僕がカラオケが趣味なのは、単に歌が上手い、表現力があるということだけではありません。一人でやれる趣味というのがそれくらいしかなかったからです。

僕は今でこそ、勝手がわからない今の日本に戸惑い、警戒していますが、本来的にはふざけた遊び心があるので、DAMのカラオケに背景動画を変えられ、しかもグラビアアイドルのものを設定できることを発見しました。因みに、グラビアアイドルの撮影会で知り合った先輩に、カラオケのグラビアの背景動画を撮影すれば、録画できることを教えてもらいました⭐︎おお神よ、変態オタクたちに幸を与えんことを!

数あるグラビアアイドルの背景動画の中で、相原美咲さんがとりわけ目を引きました。僕は今までアイドルやグラビアアイドルというものに興味を惹かれたことは全くありませんでしたが、彼女の映像は彼女の内面ー心優しく、包容力があり、寛容な精神ーが映し出されていて、僕は非常に感銘を受けました。

こんなギスギスした世の中で、誰もが誰かに先んじて目立ち、目を引き、注目を集めたい社会で、許しを与えてくれるような映像が流れるカラオケは僕にとって大事な時間になりました。

僕自身は大変であるものの、ストレスがかかるからと引きこもっては前に進めません。ということで、折角ですし、相原さんのグラビアの撮影会というもの行ってみたのです。参加者の皆さんは後援会の父ちゃんみたいで皆親切でしたし、相原さんは僕が想像していたよりしっかりしていた女性でした。

僕は彼女のファンになりましたから、SNSを少しチェックしてみたところ、彼女は世の人とは違う心意気を持った女性だということがわかりました。

彼女はうさぎと三匹の保護猫、半身不随になったリス、犬と仲良く暮らしています。やはり、僕がDAMカラオケで観たグラビア映像の印象の通り、素晴らしい博愛主義の持ち主だというわけです。

以下は彼女が昨年保護した猫ー彼女はいいこさんと名付けていますーのエピソードを僕の推理、憶測、想像、妄想をかなり加味して、小説風にしたものです。

相原美咲さんの権利使用を許可して下さった相原さん自身に深く感謝いたします。

 

 

 

いいこ

 


 「君はどうしてしばらくここに居つこうと思ったんだい?」

 先輩猫の二匹は俺に尋ねた。

 「どう見ても、君は飼われるようなタイプじゃないだろう?」

 俺もどうしてかと思う。俺の主義を少し変えてもいいと思ったというのが答えだが、なぜ俺の主義を少し変えていいのかと思ったのか?という別の問いが生まれてくる。そもそも俺の主義というのは他者に伝えられるような物なんだろうか?

 「いやいや、君の主義というのは、強烈で明確な筈だ」

 先輩は言う。

 「君は前足が全く言うことを聞かなくても、頑なに人間の力に頼ることを拒否していたんだから」

 もう一匹の先輩は「被災地域でもあるまいし、そんな事は今時聞いたことがない」と言った。

俺は痒くなった腹を毛繕いして、先輩二人に向き直った。

 「俺が今までどうしてこんな考えだったのか?どうして俺が少し考えを変えたのか?それを説明するのは結局、俺の半生を説明することになる」

 「長くなってもいい」

 先輩猫は言った。

 「もしかしたら、長い付き合いになるかもしれないんだから」

 静かな夜に、主人の寝息が響いていた。

 俺は先輩方に目くばせすると、自分の半生について語り始めた。

 


 おふくろは常々、俺に言い聞かせていた。

 「人間は信用ならない。余裕がなくなれば飼い猫を粗大ゴミのように捨ててしまう」

 「飼い猫も人間に依存している分際で、他の猫を見下す」

 「どちらが毛並みがいいか?どちらが良い餌を貰っているか?自称上級猫の会話はそんな話ばかりだ」

 「猫たるもの、自立していなければならない」

 俺は親父を知らない。おふくろ曰く、どこぞの金持ちの飼い猫だったらしい。子供つまり俺を懐妊して、おふくろは親父が餌を持ってきてくれたり、飼い主を連れてきてくれることを期待していたが、発情期が終わるとそれきりだったらしい。

 おふくろがその話をしたのは一度きりだったが、懐かしむ微笑みと苦々しい思い出が一緒くたになったような、複雑な感情が垣間見えたのが印象的だった。

 …俺も子供ながらにおふくろの人間や飼い猫の話を聞いて、彼らはロクでもないのだと思うようになっていた。

 おふくろから、公園や川辺、緑地で人間から餌のもらい方を習ったが、たまに人間に飼われるのと何が違うのか疑問に思うことがあった。

 おふくろはその疑問に「これは貰っているんじゃない、奪っているんだ」と答えていた。確かに、俺たちは飼い猫と違い、人間から一方的に餌を受け取っていた。そして、何より行動の自由と責任があった。自分で寝床を探さなくてはならず、自分で餌場に行かねばならない。

 「危険があるが、それが生きるてことだ」

 おふくろはよく言っていた。

 俺が体が大きくなって、巣立ちが近くなった頃、寂しくなった時があった。おふくろから親父の話は聞いていたけれど、実際に会わなければわからないと思った。

 俺は猫仲間から親父の居場所を聞き出して、おふくろに黙って、親父の家に行ってみた。

 白く輝く豪邸を見た時、もしかしたら親父はすごい猫なのかと思った。だが、毛並みのいい三毛猫に威嚇され、家の主人に水をかけられた時、俺は悟った。どんなに良い家に住んでも、それは猫の実力じゃない。ただ、家の主人にたかっているだけだ。だから主人の寵愛のライバルになりそうな猫を排除しなければならない。飼い主も飼い主で、自分が愛するペット以外は害虫でしかない。それが、たとえ自分のペットの子供だったとしても。

 俺はショックだった。そしておふくろの言っていたことは本当だとも。性格の悪い上級猫になるくらいなら、慎ましくも自立している野良猫でいようとその時、誓った。

 


 俺が大きくなって、独立すると、猫のコミュニティの一員と扱われるようになった。ある時、懇意していた雌の野良猫が飼い猫の子供たちを産んだ時の話を聞いた。彼女はおふくろと違って、自分の子供たちの父親のことなど歯牙にも掛けていなかった。それよりも猫たちの興味を注いだのは彼女の出産にまつわる話だった。

 彼女が産気づいた時、出産の場を二階にテラスがある一軒家に選んだ。二階の庭は日当たりがよく、軒下では雨露を凌げるからということらしい。因みに彼女の相手がその家の向かいの家の一軒家の飼い猫だということを俺は知っていた。

 四匹の子供が産まれたが、自分はすぐに動けず、子供たちに適切な餌を探すのも難しかった。子供たちはすぐに甘えるような声を上げ、その家の住人はやがてその声に気づいたらしい。彼はベランダに出て、子供たちを抱いてる彼女を確認すると、水で薄めた牛乳を軒先に出して、部屋に戻って行ったという。

 彼女は人間を警戒していたし、家の主人も彼女を誘惑しているような様子ではなかったらしく、二、三日ほど、彼は黙って餌と飲み物をベランダに出し、彼女は彼が部屋に戻るのを待って、気付かれないように隠れて栄養を補給していたという。

 俺はこの話を聞いて、動物と友情を結べるような人間もいるのかと感心したが、野良猫たちの反応はより即物的だった。彼女にその家のことを詳しく聞いて、昼間に出入りするようになったのだ。

 彼女は言った。

 「あいつらは野良猫であることを選んでるわけじゃない」

 「上級猫が間違っているとも思っていない」

 「ただ妬んでるだけだ」

 その家の主人は彼らに一瞥もくれてやらなかったという。単に誕生したばかりの子供たちとその母親に同情しただけだった。

 


 猫のコミュニティには飼い猫も加わる時がある。嫌味で表面的な付き合いしかないが、中には情が入ってしまうような付き合いもある。俺にも発情期はあったし、恋をしたこともあった。

 彼女と初めて会った時、俺はその不自然さに驚いた。毛並みがいい白い猫で、明らかに飼い猫なのに、何故かコミュニティに入っていた。ところどころ汚れがあり、時折傷を負っていて、どこか陰のある瞳だったが、やさぐれていない素直な目は確かに飼い猫の物だった。

 俺は全く接点がないのに、一目惚れしてしまった。彼女の方はというと、寂しかったというのが一番だったのだろう、時折デートに誘ってくれた。

 一緒に歩き回ると、やはり彼女の属性というものが気にかけるもので、飼い猫の彼女が何故こんな連中とたむろしているのか?何故、汚れと傷を負っているのか?何故、俺なんかとデートして居るのか?質問した。

 彼女の主人は人間世界で言うところの新興富裕層だった。調子が良かった時は株で数千万も稼いだ時もあったらしい。ところが、更なる上昇を目指して事業を始めたところ失敗して、奥さんに逃げられ、愛人には捨てられてしまったのだそうだ。それ以来、主人は荒んでしまっているらしかった。

 「人は弱っている時こそ、ペットに感情移入するもんじゃないのか?」

 俺は野良猫の中でまことしやかに流れている説をぶつけてみた。

 彼女は嘆息して、答えた。

 「少なくとも、あたしの知っている人間たちは孤独に陥ったり、困ったことがあると、誰かの

せいにして、身近で弱いものに当たり散らすものよ。だから主人が弱りきった時、みんな逃げていった」

 「君も逃げればいいんじゃないのか?」

 「あたしは主人や主人を見捨てた人間のようにはなりたくない」

 彼女は再び嘆息して、「それに結局、彼はあたしの主人よ」と言った。

 俺は彼女に心底同情したし、俺とデートして憂さ晴らしにでもなればいいとも思った。俺が見返りを求めないなんて、もしかしたら俺は本気になっていたのかもしれない。

 いつもの時間、いつもの場所に彼女は来なかった。俺は何日も待った。彼女の家まで行って、彼女の気配を探ろうとした。彼女がまるで俺の幻のように感じられた。野良猫たちに聞いてみると、彼女のゴミ捨て場で彼女の亡骸を見たという。俺は信じられなかった。ゴミ捨て場を確認しようとしたが、彼女はいなかった。

 俺の脳裏には、彼女の主人が彼女にDVをして、彼女を殺害してしまい、彼女をゴミ袋に詰めて、ゴミ捨て場に捨てる情景が頭に浮かんだ。俺は彼女に何かしてやれた、彼女の本意じゃなかったとしても主人を見捨てるべきだと説得できたはずだと思って、罪悪感で情けなくなった。

そういう自分の中の澱んだ気持ちがふつふつと彼女の元主人に対する怒りに変わった。人間はいつも勝手をしやがり、自然の秩序てもんを乱しやがる。だが、彼女の家に行ってみたら、彼女の家はもぬけの殻だった。主人は言うに及ばず、家財も車も、一切がなかった。まるでもともとそこには誰もいなかったかのようだった。

 


 俺はこの時、何だかよくわからなかったがすごく虚しい気持ちになった。自分だけでは抱え込めなくなった。

 彼女に夢中だった間、しばらく離れていた猫のコミュニティに戻って、彼女にまつわる話をした。

 猫たちは言った。

 「要は人間なんかに尻尾振ったそいつの自己責任だろ?お前もあんな奴に色目使われちまってさ。これで目が覚めたんじゃねーの?」

 俺は頭に来た。我を失うほどに。あいつが主人を思っていた気持ちは一方通行だったが、自分の利益のためではなかった。

 俺は猫たちに飛びかかり、噛み付いて、他の猫たちに車道に追い立てられた。そうして、車に前足を踏まれてしまった。

 喧嘩をしても、腹は空く。俺は餌場に行ったが、猫たちは俺を許す気はなかった。

 「飼い猫は帰れ」

 「上級猫さまの居場所じゃない」

 俺は孤独になった。おふくろは自立しろと言った。孤独は似ているが全然違うものだった。

 俺は野良猫を誤解していた。立場が上の連中が八つ当たりし、立場が弱い連中はそれに嫉妬し、また更に弱い連中に八つ当たりする。野良猫は上級猫のいじめを否定しているわけじゃなかった。単に嫉妬していただけだった。人間も猫も大して違いはなかった。例外を除いて、ストレスや苦悩は上から下に流れている。あの純粋な彼女のように、真面目で、誠実で、我慢強い奇特な連中がダムとなって支えているだけだった。

 こういう感覚を無常観というのだろう。

 俺は虚しさと寂しさが混ぜ合わされた気持ちを抱いたまま、街を徘徊した。月日がどれくらい経っていたのかさえ分からない。足の痛みも忘れて、いつの間にか痛みも感じなくなった。体はだるく、俺はこのまま死ぬかもしれないと思っていた。そして、こんな世界にいるくらいなら死んでもいいし、もし生きながらえても、誰も頼りにするもんかと思っていた。

そんな時に今の主人に会った。

 


 俺は彼女に発見された時、また変なのに目をつけられたと思った。同情してる自分がカワイイと思っている自惚れには何人もいた。餌をちらつかせ、写真撮って、自己満足を得たらそれで終わり。でも、俺としてもそっちの方が楽でもあった。もう関係を拗らせるのはうんざりだった。

 彼女もそうだろうと思った。だが、餌を置くだけじゃなくて、付き纏った。終いには、何やら怪しい器具まで持ち込んできた。俺は馬鹿じゃない、それが俺を捕まえるもんだって分かってる。「人間め。手懐けられないからと力づくで自分のものにしようってか」と思った。

 塀の隙間に隠れて、彼女が餌を落として去って行くのを待った。

 だが、彼女が去ろうという気配すらなかった。意地になっているというべきが執着しているというべきか、そこらの人間とは少し違うと思った。彼女は通行人から迷惑がられ、気味悪がられ、苦情らしきことも言われていたのに、俺を諦めようとしなかった。

 太陽が傾いた時間になって、俺は流石に気が付いた。彼女の意地は自分の虚栄心でやってるだけじゃないし、使命感という単純な気持ちで動いてるもんじゃないと。彼女は必死だった。

だとしたら、彼女は決して諦めないし、もうすぐ日が沈むし、しばらく食うところと寝るところに困らないなら、彼女にお世話になってもいいと思った。気に入らなくなったら、出ていけばいい。捕まるというのは初体験だったから、少し慌てたけれど。

 前足を切断されそうになった時は暴れたし、体拭かれたり、毛を刈られるのは気持ちよかったが、股ぐらいじられたのは変な感じだった。彼女について行って、ほんの少し後悔した。

 


 彼女の家で檻の中で飼われるのは、複雑だった。俺は猫、それも野良猫で、自由で、自立していなければならない。俺はそういう主義だった。彼女もうざいほど話かけてきた。他に会話する人間はいないのかよ?と思った。

 ここで飼われているペットたちの経歴も普通じゃなかった。先輩二匹は保護猫だし、りすは下半身が麻痺してる。うさぎと犬はどういう手合いかよく知らないが、変な奴に違いない。

 彼女は俺を「いいこ」と呼んだ。意味がわからなかった。俺ほど人間を嫌っている猫はそうはいないだろう。だが、俺のことはお構いなしに愛情を注ぎ込もうとしていた。押してダメならもっと押せとでも言わんばかりだった。

 俺は彼女に何か悲壮感に似たものを感じた。何かまたは誰かに心を注ぎたいのに、思うにならない。だが、俺たちならきっと分かってくれるだろう、そんな寂しい感情を見せることがあった。

 俺はそんな彼女を見て、いつの間にか力が抜けていた。この緊張が解れる状況を安心とでも言うのだろう。彼女は少なくとも俺たちを裏切ることはないと思った。

 ある夜のこと。彼女は心底疲れ切っていた。何かに思い悩み、不器用な自分を責めていた。普通の人間なら、俺たちに当たるだろう。だが彼女は俺たちに甘えてきた。何かの救いが俺たちにあるかのように。

 俺たちが彼女を必要としている以上に、彼女は俺たちを絶対に必要としていた。だから俺は彼女に安心感を持っていたのだ。彼女は俺たちを裏切らないのではない。彼女は俺たちを裏切れない。

 俺はどういうことかわからなかったから、戸惑って、じっと見つめることしかできなかった。見返りなしに与えられるだけ与えられ、俺は何もできなかった。そんな自分に腹が立った。そんな気持ちはあの白い彼女以来だった。少なくとも俺は彼女に借りを返さなきゃならない。俺は一晩中それを考えていた。

 俺は彼女に甘えてみた。彼女は心底喜んで、猫なで声で返した。

 彼女が自身の信頼に応えて欲しいと手から餌を渡せば、その信頼に応えてみた。そういうようなことを繰り返すうちに俺は悟った。

 


 「彼女は俺たちと対等に接するし、それなら俺は借りを返さなきゃいけない。そういうことなら、俺は飼われているとは言わないだろ?」

 先輩猫たちは目を丸くした。

 「つまり、君が主人に尽くすのは見返りを求めていないてことか」

 「それもあるが、それだけじゃない。彼女は俺の主人じゃない。あくまで俺の主体は俺にある」

 彼らは見合って、にゃあにゃあ笑い合った。

 「君は真面目だね」

 「君は本当に『いいこ』だよ」

 

相原美咲さんのtwitter アカウント↓

https://twitter.com/@aiharamisaking

 

(社会)貧困と婚活とフェミニズム

婚活サイトによれば、オール4の男性が人気なのだとか。

サラリーマンで高収入。そこそこ学歴が高く、三十代前半で、挫折経験がなく、見た目もそこそこ。

万を超えるデータから検索して選ぶのだから、プロフィール読む前に除外するのが合理的で、世間ズレしてる社会的少数派は対象になっていないということです。笑えることにその少数派は人口的には多数派てとこです。

婚活ビジネスは美味しい商売です。安い会場を借りて、高い会費を取り、システム上の欠陥からマッチングは上手くいかず、そのシステム上の責任をユーザーに押しつければいい。

 

日本は先進国です。資本主義が進化すれば、第三次産業の比率が増えます。サービス業は女性の方が圧倒的に有利です。女性は女性が嫌いではありませんが、男性に警戒心があります。男性は男性が好きではなく、女性が好きな人が多い。

従って、男性それも若い人ほどサービス業に従事しなくてはなりませんが、女性労働者よりも労働価値がありません。

フェミニズムがサービス業の労働者の男女比率を対等にするように求めることがあるでしょうか?寡聞にして聞きません。第三次産業の業界もそんなことは嫌だと思います。

翻って、ホワイトカラーでは男女の格差は是正されるような流れです。つまり、アッパーミドルの女性は地位向上が望めます。これは体制としても主要な消費者を増やすことができるうえ、階層の再生産が可能ですから、積極的に行いたいところでしょう。

ホワイトカラーではない男女はサービス業の男性が取り残されていることを知っています。フェミニストの「女性の地位向上」が響かない原因がここにあります。

男女問わず若い労働者のほとんどはホワイトカラーになれません。従って、同世代の男性のほとんどが負け組になります。しかし、ホワイトカラーになれる女性はその地位向上を目指し、男性の特権を主張する。当然ながら、その男性の中には、男性の大多数をこれから占めることになる若い男性の労働者が入っています。彼らに特権などありません。

 

女性は婚活によって、男性を主体的に選ぶことができます。そしてその条件がそこそこ収入が高く、まあまあ学歴があり、挫折経験がなく、サラリーマンで、見た目もまあまあというものです。女性に非はありません。何故なら無数にデータがある状態で、失敗したい結婚をするために確率を上げるには、何も問題行動がないと思われる人が良く、問題がありそうな条件を除外するのが合理的だからです。

彼女たちがまず人間性から判断しなければならない、リアルな出会いから始める必要があるならば、こうはならないでしょうが、現実問題としては婚活ビジネスのユーザーにならざるを得ない人は多数います。

 

婚姻というのは、日本の法体制から鑑みても、社会的世間的に体制内に組み込まれています。婚姻できないという人は体制外ということで、少なくとも日本のシステム即ち社会や世間に適合的ではないという一つの証明になります。

例えば、僕は挫折経験が多く、非常に長い時間闘病していたため、世間に適合できません。従って、婚活ビジネスを使えず、体制外ということになります。

若い男性の労働者のほとんどは年収500万に到達できません。従って若い男性の労働者のほとんどは体制外です。体制外だから婚活ビジネスを使えないわけです。

彼らからすれば、自分を選ばない女性に問題があるように思うでしょう。実際のところ、男性のみならず若い女性のほとんどはホワイトカラー以上の男女を嫌悪していることが多いです。にも関わらず、女性はオール4の男性を婚活で求めているように見えます。

とすれば、若い男性が女性を毛嫌いするようになるのは当然でしょう。そもそも土俵に上がれないのですから。

フェミニストはそれを無視して、「男性の特権」と主張し、「ホワイトカラーの女性の地位向上」を主張します。

若い男性の労働者からすれば、フェミニストの主張は男性の特権があるにも関わらず、女性より地位が低いのは自分たちに原因があり、それゆえに体制外で、だから女性たちから拒絶されているのだ、と思えるわけです。

だから、若者にとって、フェミニストは体制側即ち保守なんです。

実際、フェミニストで利益を得るのはホワイトカラーの女性で、彼女たちは普通に新自由主義政党を支持することもあり、実際に体制側は新自由主義の側からホワイトカラーの男女同権を進めようとしています。男性の若者の大半より、フェミニズムは保守であり右翼というのが真実なんです。

 

日本のフェミニズムはそれらを見えていません。いわゆる弱者男性がフェミニストに対して怒りを表明することを「インセル」だの「恋愛は差別的」だのと一蹴します。つまり、弱者男性が体制から外れていることを自己責任だとフェミニストの大半は主張しています。

日本のフェミニストが「アッパーミドル以上に限る」とか「挫折経験があるまたは年収が350万以下の男性を除く」とか補足説明していることは全く見たことがありません。

 

アメリカでは、フェミニズムはリベラルというより新自由主義色が強いものです。日本もまさにそうなりつつある傾向が見えてきていると考えます。

実際のところ、社会民主主義勢力のフェミニズムとツイフェミとでは、その主張にかなり乖離があるように思われますし、リベラル側は社会状況の変化に対応できていません。

このままでは、アメリカのように、リベラルはフェミニズムと距離感が生まれるようになるでしょう。

今現在、日本のフェミニズムはギリギリ左派の部類と見做され、左派は一定の影響力を有します。フェミニストが貧困差別主義者に陥り、新自由主義化する前に、強いリーダーシップと影響力の行使が望まれるでしょう。

 

また現在の婚活ビジネスが妥当でないばかりが問題があるのは自明です。離婚率の上昇と婚姻率の低下は明らかであるのに、婚活ビジネス業界は旧態依然のシステムを用い、利益を最優先しています。

これらは出生率を上げ、階層を再生産させたい体制側にとっても、社会から排除するのではなく包摂したい側にとっても、個人の幸福を追求したい側にとっても、主要な課題です。

現在の婚活システムが続けば、アメリカのように弱者男性が不穏分子化し、社会や政治に非常な悪影響をもたらすようになるでしょう。何らかの是正を行うかもしくは妥当なシステムの構築を積極的に支持するなどの政策誘導が必要です。

 

 

(日記)最後の決闘裁判とRock you!

f:id:merlinrivermouth:20220102000215j:image

 

ヒロイン「女性を愛するのも、男の都合て訳?」

ヒロイン「私を愛してるなら、不名誉な戦いをして」

ウルリックが槍試合でわざと負け続けた後。

ヒロインの従者「お嬢様は、私を愛してるならこの後の全試合勝って、と申してます」

ウルリックの従者役友人A「女心は分からない」

ウルリックの従者役友人B「女は男心をよく分かってる」

 

最近、定期的に調子悪くなるので、心配してくれた親が実家にしばらく帰ったら?と提言してくれました。

おそらく内分泌系の調整が入っているため、疲れていたりすると、急に鬱になると予測されます。今まではエピネフィリンが過剰分泌気味だったので、誤魔化しが効いていたのが、エピネフィリンの調整が済んだので、内分泌系の不安定感をモロに受けているというわけです。ホルモンは人間の生命維持にとって優先順位が低いので、調整は最後の最後なんでしょう。

親に甘えさせてもらうことにして、昨日から実家にいますが、暇です。

ゲームがない笑

年末特番とか年始特番とか、他人と比較して鬱になるだけなので、昨日からNetflixで映画観てます。

昨日は最後の決闘裁判、今日はRock you!観ました。

 

最後の決闘裁判

f:id:merlinrivermouth:20220102000240j:image

f:id:merlinrivermouth:20220102000244j:image

 

時は14世紀。百年戦争の後半期のフランス。

2人の騎士と妻との男女関係の軽いもつれが決闘にまで至ってしまった話をそれぞれの視点から物事を解釈した、三部構成で成り立っています。

ジャン・ド・カルージュ…百年戦争の影響で地代が上がらず、騎士身分の維持のために、フランスの戦争に積極的に参加しました。元来、保守的な騎士身分出身であり、悲惨な戦場暮らしが長く、権益を不当に奪われてしまったこともあって、劣等感から伝統に固執し、それが不幸を招くことになると疑いもしない人物です。

ジャック・ル・グリ…ジャンの親友の騎士身分ですが、ジャンと違い、自身のキャリアアップを宮廷に求めました。知的で、実務に長け、オシャレであり、合理的ですが、同時に非情かつ身勝手でもあります。自身の能力を伯爵に売り込むと、伯爵領の代官となって、積極的に地代の徴収に困る友人たちに対し、税を徴収します。彼の正当化根拠は「伯爵家に資金がなくては戦争の準備ができない」というものですが、伯爵も彼も贅沢に享受し、女遊びばかりしています。

マルグリート…実家は富裕でしたが、イギリス方に与していたため、家名存続の危機にあります。彼女自身は当時のお嬢様にしては珍しく、読者ができ、実務能力もあります。家名存続のために、百年戦争で功績を上げていたジャンと結婚しました。

 

ジャンは百年戦争のおかげで地代が上がらず、戦費も嵩み、金欠気味で、敵方だったとはいえ、富裕なマルグリートと結婚は願ったりかなったりでした。しかしマルグリートの方はといえば、否応なしでした。マルグリートの実家が富裕であり続ければ発言権があったでしょうが、マルグリートの実家がイギリス方だったため、マルグリートの持参金となっていた土地が伯爵に奪われてしまいました。

ジャンは伯爵家や王家に訴えますが、両家とも訴えを棄却します。歴史的には、王家は中央集権化を画策していたため、地方の地主である騎士を抑圧しにかかっていたからでした。

それらを助言し、実行に移していたのはジャンの友人であるジャックでしたが、ジャックはジャンに同情しながらも手を緩めることはしませんでした。目的に対して冷血に振る舞え、また快楽主義的でもあるジャックを伯爵は気に入り、ジャンの実家が代々受け継いでいた代官の地位をジャンではなく、ジャックに任命します。当然ながら、ジャンは怒り、伯爵やジャックに抗議しますが、なしのつぶてでした。

ジャンは金欠であるため、フランス王家のためにさまざまな戦争に参加していましたが、その忠誠が報われることなく、ますます塞ぎ込み、マルグリートに対して束縛を強めます。

ジャンは家名存続のためにマルグリートに後継を求めます。また伝統に基づいて、マルグリートに屋敷からの外出を禁じました。マルグリートは元来、外向的な性格で、有能でもあるため、伝統的な生き方は性分に合いませんでしたが、自身のキャラクターが当時の社会状況では少数派でかつ異分子であると自覚していたので、不満は感じつつもジャンに同意していました。

ジャンは戦場暮らしが長いため、気持ちを押しはかることが苦手で、言葉の通りに受け取る性格であったため、マルグリートが幸福を感じていると誤解していました。

マルグリートはしかし自身の性向を完全には抑えきれないため、ジャンのために良かれと思って、能力を発現してしました。

ジャンが戦場で不在の間に土地の経営を見直したり、ジャンにジャックとの関係を復活させて、ジャックからの搾取を緩めさせようとしました。そのためにマルグリートはジャックを誘惑したりもしました。

ジャックは伯爵とともに売春婦と女遊びするにつれて、自信過剰になっていました。騎士や農民から奪った富は伯爵家に集中し、その一部はジャックに流れ、実際にジャックは伯爵家の代官として権力を振るい、しかもジャックは確かに見た目が良く、自信満々で、博学でありました。ジャックがマルグリートに誘惑されて、マルグリートが本気だと誤解するくらいジャックは自信過剰だったのです。

論理的に考えれば、マルグリートの実家の富を奪い、マルグリートと同じ騎士身分を冷血に搾取し、心がそれほど通っていないとはいえ、マルグリートとマルグリートの夫の地位や資産を貶めているのはジャックなのですから、ジャックにマルグリートが本気になることはあり得ません。

ジャックはしかし女性が自身に対して好意を抱かない筈はないと疑いもせず、自身の「恋」を「愛」と誤解して、マルグリートを強姦してしまいます。それをジャックはマルグリートも同意していたと信じていたのでした。

ジャンはマルグリートがジャックから強姦されたと聞き、マルグリートを保護するつもりで彼女への束縛を強め、自身とマルグリートの名誉を回復するためにジャックへの決闘を王家に訴え出ます。ジャンはそれがマルグリートにとって良いことだと信じて疑いもしていませんでした。

マルグリートはジャンが決闘に負けると、自身や自身の子供が火炙りになると知って、ジャンに抗議しますが、ジャンは聞く耳を持ちません。

マルグリートはジャンに言います。

「自分の虚栄心を満たすために決闘したいだけでしょ」

おそらく、ジャンはマルグリートと上手くいっていないことが事実化し、自身が敵対するジャックに寝取られたことが世間化することを嫌がっていたのでしょう。

ジャックの方はと言えば、自身が少額な慰謝料を払えば済むのに、決闘に同意します。それも自身が勝てば、自身が愛する筈のマルグリートが火炙りになるにも関わらずです。ぶっちゃけ、自称モテ男である自分が好意を勘違いして女性を強姦したなんて認めたら、評判丸潰れだとでも思っていたんでしょう。

ジャンとジャックに共通するのは、自身を客観的に見つめることができず、自身の見解が絶対真実だと疑わず、マルグリート本人にお伺いを立てることすらしなかったことでした。

決闘となれば、宮廷官僚やってるジャックが歴戦の勇者であるジャンに勝てるわけがなく、当時のアーマーの性能やジャックの卑怯な行為のおかげで長引きましたが、ジャックはジャンに殺され、マルグリートは九死に一生を得ました。

ジャンはパリでパレードする道中、終始ご機嫌でしたが、それはやはり自身の名誉のためにやったことだということを証明している行為で、マルグリートからすれは冷めた思いでした。

 

感想

いくら中世とはいえ、マルグリートは同じ騎士身分であるので、やっぱりジャンはマルグリートとコミュニケーションをちゃんととるべきでした。

しかし、ジャンは悲惨な戦場暮らしが長く、その後の伯爵家やジャックの裏切りが尾を引き、自身の保守的で伝統的な世界観に引きこもってしまっていたので、ジャンからコミュニケーションをとることは難しかったと言えます。

マルグリートからすると、マルグリートは若くて経験が不足し、しかもジャンとは同一階層という以外の共通点がないため、マルグリートからジャンをフォローするのは大変難しかったでしょう。

しかも、当時の社会状況は基本的に女性の自己選択権を重視しない時代でしたから、ジャンが自身に適切なパートナーを選ぶことや、マルグリートが対等にジャンをケアすることは大変難しかったと言えます。

 

この作品はフェミニズムが主題であるか?

この作品は三部構成です。つまり、添え物でしかないジャックの勘違いがジャンやマルグリートと対等に並んでいます。もし、この作品がフェミニズムが主題であるならば、ジャックの勘違いはジャンとマルグリートの当時の女性の自己選択権を認めない社会状況から来る、すれ違った結婚と同列には並べられません。

ジャックのそれは男性優先な社会状況というより、単にアホな勘違い馬鹿が女性を強姦して、意地になってクソッタレな主張をしているというだけです。

ジャックの章はジャンの男性優位な社会状況から来る自分本位な考えとの比較であり、つまり、ジャックの一見すると器用で、ハイセンスで、オシャレで、ロマンティックなマルグリートへのアプローチも、究極的には自分のナルシズムを満足させるものだったというのが主題です。

そして、ジャンもジャックも、マルグリートにお伺いを立てることはあまりせず、マルグリートの意志を無視しています。

私はこの作品はフェミニズムというより、男性の自分本位な感情を批判しているものだと考えます。

そもそも、フェミニズムは女性が経済的に自立するものですから、婚姻や恋愛や母性を重視しません。というより、究極的にはある種男性に依存しなければならない婚姻や恋愛や母性を否定します。女性の経済的社会的地位が男性並み向上すれば、男性と婚姻や恋愛をする必要がないからです。

個人的には、いくら女性が物扱いされても構わない時代とはいえ、同一階層内の婚姻であり、持参金の問題もあり、経済的には共同経営者で、その後の人生ずっと一緒なんだから、コミュニケーションとった方がいいし、パートナーが有能なら全部お任せで、尻に敷かれた方が絶対に楽だったと思います。母方の実家は三代続けて養子でした。

私は男性によくいるパターンを批判している作品に思えました。

 

Rock you!

私は男性なので、最後の決闘裁判で、非常に耳が痛かったです。

「あーやっぱり、精神不安定な今は彼女作っちゃだめだよねー泣。(妄想の)彼女苦しめるもんねー泣」

乙女であり、おっさんなので、乙さんです。キモいすね笑

…後味悪かったのと、何故かつーかリドリー・スコットの趣味入りまくりな中世の戦闘シーンが印象的だったので、もしカリフォルニアに中世があったらみたいな感じのRock you!を観ました。

私、これは10回は観てます。

 

あらすじ

屋根拭き職人の息子のウィリアムは幼い時分に騎士…というか騎士が行う槍試合に憧れ、騎士の従者になっていました。

ところが主人は、ウィリアムが従者になる時、あんなにカッコいいこと言ってた癖に、連敗続きで、金欠で、ついに野垂れ死します。

「このままじゃ、俺たちも野垂れ死だ!」と同僚たちが言うんで、ウィリアムが名乗りを上げ、身分を偽って、大会に出場し、病みつきになります。

何故か、イギリス人なのに、リヒテンシュタイン名乗ってます。

途中で、賭けに負けて身ぐるみはがされた、口達者な紋章官を拾ったり、女性ながらに最高の腕を持つ鎧職人と契約したりで、大会を勝ち進みますが、当時最強の嫌味なハイセンスな騎士に敗北します。

ウィリアムは嫌味なチャンピオンに再戦するために、あらゆる大会に出ることにします。

べっぴんさんの貴族のお嬢様がウィリアムを気に入り、いい感じにはなりました。

ウィリアムは試合に熱中しますが、べっぴんさんのお嬢はウィリアムの恋が本物か試すために、冒頭の言葉を言います。

ウィリアムの従者役友人たちはその大会で全財産賭けてたのに、ウィリアムはわざと負けます。

ウィリアムは得意の根性と体力…というか根性と体力だけが売りなので、はじめの一歩ばりの打たれ強さを見せ、順調に負けてましたが、完全に心が落ちたお嬢に次から全部勝てという指令が来て、ウィリアムは訳もわからず、指令に全部応えました。

恋を叶えるのには、究極的には、センスとか金とか頭の良さとか実績とかじゃなくて、プライド含めた自己犠牲が必要てことですね。

…距離感間違えるとキモがられるだけですけどね

ウィリアムはパリ大会で優勝できたので、ロンドン大会でハイセンス嫌味なチャンピオン騎士と戦えるようになりましたが、ロンドンで詐称がバレます。それを試合で対等に扱ってくれたとエドワード黒太子が助けてくれて(エドワード黒太子役の俳優がローマというドラマで軽薄で馬鹿なアントニウス役で、その印象が強すぎて、違和感ありすぎなんすよね)、たかびーで卑怯なチャンピオンを破ることができました。ちゃんちゃん。

 

感想文

こういう典型的なハリウッド映画の良いところて、解説とか感想とか要らないとこですよね。

 

主題ではないですが、ウィリアムの恋の態度がジャンとジャックと好対照で、なるほどと思ってしまいました。

 

f:id:merlinrivermouth:20220102000519j:image

グラディエーターと並ぶて…誇大広告すね。

今日が最後の決闘祭にならないことを望みます。

なんつて。