merlinrivermouth’s diary

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はだかにされた女帝 小池百合子

本書において、学歴詐称というのは些末なテーマである。メインテーマは小池百合子という、虚言癖があり、他者を平然と騙し、貶め、利用し、法を軽んじ、共感性が皆無で、周囲に実像と違った評価を与えたり、自らより立場が弱い者を虐待することでしか自らの人格を保つことができない女性が、男女差別が濃厚な日本で、スウェーデン並みの国家予算を持つ東京都の首長という権力者になってしまった、という悲劇である。

因みに本書では、小池百合子の人格を否定する記述はない。事実を羅列したらそうなっちゃっただけである。

本来、小池百合子のような人格障害者は同調圧が非常に強い日本では存在を許されない。だが、小池百合子は平成という新自由主義の世情の波に乗れた。しかも平成は男女同権を求める時代でもあり、小池百合子には性別的な女性という希少価値があった。

新自由主義は自己責任という弱肉強食を許すイデアであり、日本で新自由主義を成立させるためには、小池百合子のような共感性が欠落している存在を利用する必要があったのだろう。結果的に、反社会的或いは反世間的な小池百合子を日本の体制-自民党をはじめとした保守層や大企業、大マスコミは互いに利用し合い、守りあっている。新自由主義は極少数の利益にしかならないのだから、民主主義では詐術が必要で、人格が欠落している小池百合子は有望な詐術の担い手であった。

日本の女性にとっての悲劇は小池百合子のような、権力や体制、男性にとって都合の良い存在が政治権力を極めんとする女性としてモデルにならないように思えるからで、それは日本社会の男性優位が絶対的であるように感じられてしまうからだろう。

 

私は本書から小池百合子が男女問わず、反社会的、反世間的存在であり、イレギュラーでしかないように思う。例えば小池百合子が五年早く生まれていれば、小池百合子という人格が破綻した存在を日本世間は許さなかっただろうし、小池百合子が五年遅く生まれていれば、彼女のカイロ大学というキャリアは日本で通用しなかっただろう。もし小池百合子が40代以下なら匿名サイトでネトウヨやってるレベルだろう。小池百合子は時勢を得ただけで、普遍的には語れない。

むしろ問題なのは、そのような人格破綻者を権力者として日本の体制が自己都合的に許していることだ。

 

学歴詐称の問題が些末なのはちゃんとした理由がある。一般的に先進国では第三世界の大学の学位をキャリアとして数えない。たとえその大学がトップ校であったとしてもだ。学位取得は恣意的でどうにでもなってしまう。現にエジプト最高峰のカイロ大学アラビア語がおぼつかず、英語すら怪しい小池百合子に「卒業しました」なんて発表してしまった。第三世界の学生が留学にこだわるのは、先進国で働くためには現地の大学を卒業しても無意味だからだ。

日本は大学の学位取得という点では先進国であるので、カイロ大学の学位はキャリアに数えなくていい。小池百合子学歴詐称した?カイロ大学小池百合子の卒業を保証した?無価値な話だ。小池百合子は日本において関西大学1年次中退である、カイロ大学を卒業してようが、してまいが、関係ない。