merlinrivermouth’s diary

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ネット民への啓蒙⑥旧日本民主党とは何か?

日本民主党(以下民主党)は以下の議員構成で成り立つ。

新自由主義の新興政党から移行した流れ

新自由主義松下政経塾から移行した流れ

③非正規雇用形態が成立した後の日本労働組合総連合

④旧社会党からの流れ

⑤一部のリベラルまたはリベラル的流れ

 

日本の新自由主義国家主義とバッティングしておらず、しかもあまり多様性に適合的ではなく、またぶれ幅が大きいため、正確に新自由主義と呼ぶことはできないが、再配分政策に否定的であり、金融資本により国富を高める政策を志向する流れを便宜的に新自由主義とする。

 

旧民主党新自由主義路線を基盤にしながらも、連合が基本的な支持層であったため、ミッドミドルに対しては分配政策を公約にする必要があった。党内に一部リベラルグループが存在したため、ミッドミドルまでの再配分はリベラル色として打ち出し、無党派への宣伝として利用していたように思える。

連合は非正規雇用者に冷淡であり、旧民主党新自由主義路線が大勢であったため、ロワーミドル以下に再配分する意図はなかった。一部リベラル派の政策を利用しながらも、新自由主義路線と矛盾しない範囲でしか行う意図はなかった。

基本的にリベラル派の経済政策と民主党的な新自由主義路線とは矛盾したが、民主党無党派への宣伝をリベラル色で使っていため、リベラル派を排除する必要が、菅直人政権になるまでなかった。

菅直人政権が不人気に終わると、リベラル政策を人気取りとして使う必要がないように民主党は考えたように思える。というのも、露骨なリベラルへの圧力や排除圧は菅直人政権後に始まったからだ。元来、反リベラルの新自由主義路線と連合が主体であるため、リベラル派と協調できる筈がなかった。最終的に民主党民進党を経て、小池百合子のリベラル排除発言に繋がったが、リベラル排除は運命づけられたものだったと言える。国民民主と立憲民主の分裂は国民民主が右翼で立憲民主が左派という認識が間違いだった、民主党系でリベラルが強かったわけではなかったことを結果的に示してしまった。

立憲民主党は躍進した最初の選挙からすぐに旧民主党系の出戻りを許し、すぐにこれまでの旧民主党系路線に回帰した。実際、党首である枝野氏や公約自体はややリベラル的であるものの、立憲民主の党内多数派は新自由主義路線であり、枝野氏は党内役員に介入できず、党内役員にはリベラルは存在しない。また国会質疑もリベラル的主張を行う者は少なく、経済政策では自民党と明確な違いがないことが多い。党内多数派が野党共闘している社民党共産党の政策批判を行うのは普通で、あろうことか役員がそのような批判を行なっても党内から異論が出ない。これらは立憲民主党旧民主党の原点である、新自由主義路線を行ううえで、無党派の支持を得るためのリベラル利用と極めて酷似している。現在の国民民主と立憲民主の違いから判断すれば、国民民主と立憲民主の分裂理由はリベラルにあったのではなく、リベラルの利用法にあったのだろう。そもそも国民民主、立憲民主問わず、旧民主系の地方議員の質は維新の会と大差がなく、リベラル排除路線は規定路線だったし、立憲民主党がリベラルを志向しているなどあり得ない。

 

旧民主党系は基本的に自民党とあまり大差ない。ただ自民党の左右の極端はなく、ややリベラルな存在が少数存在する。自民党から細田派、高村派、石破グループを外した感じに似ているだろう。経済政策では、自民党の方が開き直っているが、基本的な路線では相違が見られない。安倍政権が春闘に介入し、賃上げを迫った段階で、ほとんど変わらないものになった。

格差が閾値を超えるまでは、自民党旧民主党系の違いはそれでも多様性という点でのみ、主張の違いがあったが、格差が決定的になった安倍政権以後は大多数の有権者にとって、自民党旧民主党系の決定的な主張の違いはなく、旧民主党系を支持する必然性はあまりないと言える。

旧民主党自民党と違い、立場を偽っているように見え、平然と同盟相手を裏切る傾向があり、それも計画的というよりはアドホックにその場凌ぎでやっているとしか見えない。このような傾向は右左問わず、有権者に対して、旧民主党系のヌエ的な節操の無さを際立たせおり、旧民主党系の支持が尻つぼみになるのは当然と言える。

安倍政権や菅政権は法律上或いは体制的に非違行為が目立ち、極右政策を邁進する傾向が強いため、極端でない有権者はそれでも旧民主党系に票を投じる必要があるが、積極的な支持とはならない。また、道徳的な有権者や再配分政策を重視する有権者、生活に危機感がある有権者はそもそも旧民主党系は支持の対象ではない。

野党第一党がこれでは、旧民主党系の真実の姿が暴露されるにつれ、投票率が下がるのも当たり前である。

 

旧民主党系は現在も民主党が成立した段階と方針が変わったとは言えない。それはアメリカ的民主党のやり方と酷似している。党内少数派のリベラル勢力の提言を宣伝に利用し、内実新自由主義を推し進めるというものだ。

アメリカ民主党の欺瞞的態度が有権者にバレ始めたより早く、日本の旧民主党系が日本の有権者にバレ始めたのが早かったのは、旧民主党系が菅直人政権の不人気をリベラル政策と捉えたことにあると私は考える。旧民主党系は野田政権以後、本音で勝負してしまったため、流石にバレてしまったのだろう。

しかも旧民主党系はそれらの自覚症状を認知するのが難しい日本の状況にあった。格差が閾値を超えたのが安倍政権で、以来日本では左翼が徐々に回復しつつあるが、安倍政権直前や安倍政権成立直後は左派など有権者にはほとんど全く考えられない状況で、実質的に死んでいた。安倍政権の最後の4年間の有権者の動向は旧民主党系には対応できるものではなかった。おそらくこのような急激な変化はどの政治勢力も対応できなかっただろう。

 

立憲民主党社民党野党共闘している。しかし、今年に入って社民党潰しを計画し、実行に移している。旧民主系は他者の功績を自らのものとして宣伝する癖があるが、裏切り行為にも躊躇ない。

立憲民主党は自身の支持が伸びない原因を原理論を主張する社民党共産党の責任で、そのせいで自民党と対案方式にできなくなっていると考えている。更に、立憲民主党社民党の組織を併合すれば、立憲民主党の脆弱な組織と地方議員や地方での支持を得ることができると画策した。

確かに社民党の国会議員は取り込めたものの、地方組織の半分以上は社民党に残り、立憲民主に移籍した地方組織のほとんどは社民党と分割している程度で、まるごと移籍したのは数件しかなく、地方での支持はむしろ下がっている。このままでは、地方票は社民党共産党に行き、立憲民主党に移籍した組織は消え、社民党に残留した組織はそのままという話になる。

社民党の国会議員を一議席以下にして、政党要件をなくし、兵糧攻めにしようとしたものの、沖縄の社民党組織が沖縄選出の照屋氏の意向を完全に無視して、社民党に残留を決めたため、照屋氏も社民党に残留せざるを得なくなった。結果、社民党兵糧攻めにできなくなってしまった。

社民党を支持し、社民党に票を投じる人は社民党以外を支持したり、社民党以外に票を投じることはない。ために、社民党から移籍した国会議員の議席は選挙を経れば、まるまる社民党議席になる。これはプロ野球の金持ち球団が他球団のFA選手を獲得し、FA選手を放出した球団が若返りに成功したという話に似ている。

立憲民主支持層も政治勢力とするにはあまりはっきりしていない。都知事選では立憲民主支持層の半数が小池百合子に票を投じており、これでは無党派と大差がない。立憲民主党支持層の意識の低さもさることながら、立憲民主党の自身の支持層への訴求力、説得力のなさも際だっている。これでは人気商売の芸能人と大して変わりがない。

決定的なのは、自治労は国政でしか立憲民主党を支持しないにも関わらず、社民党は全面的にバックアップすることになったことだ。本来ならば自治労立憲民主党の主要な支持母体になる筈だった。おそらく自治労立憲民主党を信用できないのだろう。

これらの話は、野党支持層に立憲民主党が人気がなく、信用もされておらず、ジリ貧に陥っていることを如実に表している。

だからといって国民民主が自民党支持層に食い込もうとしたのは戦略ミスでもあった。確かに自民党は極右の声が大きく、非違行為も目立つようになったが、基本的に既得権益に手を突っ込むような真似はしない。それに極右の政策や非違行為に不満がある体制側は宏池会高村派や石破グループに肩入れすればいい。

旧民主系はぬえ的で基本的に信用がなく、与党支持層にも野党支持層にも食い込めず、支持を徐々に減らし、無党派に対しては訴求力がなくなってきている。それらの問題の根本は、旧民主系の根本イデオローグが新自由主義にあるというところから発生する問題で、即ち解決不能である。旧民主系の唯一の存在意義は自民党の極右政策や非違行為に対して批判することや自民党の極右政策や非違行為に批判的な非野党支持層の集票であるが、自民党がまともな総裁を選べば、たちまち旧民主党系の存在意義はなくなる。

 

再分配を志向するような有権者の適切な選挙コード或いは合理的な政治的態度は、旧来の社民党共産党を支持し、比例代表では支持政党に票を投じ、自身の選挙区で社民や共産が候補にない場合に限り、立憲民主党候補に票を投じるというものになる。