merlinrivermouth’s diary

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サイゼリヤデートの是非

ツイフェミに発狂してもらうための記事です。

ツイフェミはサイゼリヤデートが嫌いです。ちょっと意味わかりませんね。どうもツイフェミというのは、まるで港区女子のように最初のデートは高級レストランで奢ってもらわないとだめなようなんです。そういう配慮がないのは、非モテでミソジニストなんだそうな。

 

フェミニズムにおいて、女性は自立するか自立を目指さなくてはなりません。自立とは支配されない関係であり、支配されない関係とは経済的自立を意味します。つまり、フェミニズムにとっての自立とは経済的自立を言います。

経済的自立をするか、それを目指す恋愛や結婚はいくつか条件があります。

①共働き。専業主婦として働いて、自分がキャリアを失うのは避けねばなりません。

②子供を作らないか、子育てに協力してくれる夫。

③経済的に依存しないような規律。例えば、財布を同じにしない。自分の会計は自分の収入から持つなど。

 

何かを奢るとは何を意味するのか?

奢るということは、社会的、経済的立場の優位性を少なくとも表面的に確定させる行為です。つまり、奢る方が奢られる方より立場が上と決定する儀礼です。

先輩は後輩に奢らなくてはならないとか、上司は部下に奢らなくてはならないとか、男性は女性に奢らなくてはならないとかいう儀礼は、上下関係の問題です。

更に、デートなどで、それを重ねるということは、上下関係をお互いに認め合うということになります。つまり、暗黙の了解として、男性のパートナーが女性のパートナーを統率即ち従属させることを女性のパートナーが受け入れるということになります。

これが高級レストランになれば、もう数万円のコースです。当然ながら、男性側は女性側が従属下に置かれることを望んでいると認識するでしょう。また数万円は安くありませんから、女性側は謝意を表したりして、男性の好意に受け入れるにせよ、断るにせよ、誠実に応じる義務が生じますので、従属的立場を受け入れることが進展します。

フェミニズムにおいて、男性側に奢られるという儀礼に問題があり、更には数万円という高いものを奢られるというのは、非常に問題があるわけです。

しかしながら、ツイフェミはそれを当然とし、むしろ、何故サイゼリヤでデートなのだ?と怒り心頭なのです。一体どういうことでしょうか?

 

サイゼリヤでデート

平均所得は360万円です。高級レストランはおろかサイゼリヤで食事というのは、一般の男性にとって安いとは言えません。初回で会うとするなら、そもそも信用できませんから、高いお店を選ぶのは、コストにも見合いません。

つまり、そのような男性からすれば、決して女性を軽んじているわけではないのです。

ですので、女性側がそれに感情的になるというのは社会状況に疎いか自己中心的だという評価になります。例えば、私が気に入らない女性とデートしたとして、高級レストランを割り勘にするでしょうか?あまり富裕とはいえない男性のサイゼリヤデートを感情的に否定するのはそれと同じことです。

つまり、そこに感情的になれるということは、貧困差別がどこかにある、ということになります。

 

玉の輿の、実際。

男性からすれば、数万円を見ず知らずの女性に奢るというのは、かなりの高コストです。これは確実にその女性の好意を勝ち取りたいという動機があります。しかし、会ったこともない女性の好意を何故勝ち取ろうと思えるのでしょう?わかるのは見た目だけなのに。

…そう、わかるのは見た目だけなのに…。

つまり、そのような富裕層にとって、あまり内面は大事ではないのです。外見が良く、従属してくれるような女性を求めているからです。

そのような贅沢を味わせ、次第に経済的感覚を狂わせ、依存させ、従属させる第一歩なのです。

富裕層にとって、離婚時の課題は財産分与です。なんらかの非違行為による損害賠償はそれに比べて全く大したことはありませんし、そもそも養育費を払わないなんてことはザラにあります。

財産分与は結婚後の財産形成にどれだけ寄与したか?で決まります。まず結婚時に持ち出した資産、収入、婚姻年数、子供の数です。玉の輿で、専業主婦で、5年以下の婚姻で、子供が二人以下なら、財産分与はほぼゼロです。

これは、富裕層は経済的に支配される女性に対しては、まるで恋人や愛人を変えるが如く、妻も変えることができる、ということです。

経済的に支配することは、自分の経済力なしで生活が成り立たないように依存させることであり、その関わり合いの始めが、高級レストランを奢るということです。

 

家庭愛と対等な関係の愛

家庭愛とは、一般的なイメージでは、内助の功型です。専業主婦或いは専業主夫が家庭を切り盛りし、パートナーは経済活動に集中する姿と言えます。専業の方はパートナーの自己実現や経済活動を応援しなければなりません。保守的です。

対等な関係の愛とは、パートナーの自己実現を応援することでしょう。この場合、どちらかということは対等になり得ません。ので、現実が許す範囲内での応援であり、共働きで、個人主義的です。

家庭愛を求めること、特に専業主婦の方を男女共に求めるということは、経済的支配が前提になります。男性側が経済的支配を行える財を示し、女性側がそれを受け入れることから始まり、男性は女性に自分の富に見合う女性かどうかを吟味します。

パートナーを専業主婦にさせても、不自由なく生活させることができる人は高級レストランを奢ってもあまり痛痒を感じないのは、相手の女性が男性を選ぶというより、女性が選ばれ、かつ女性は従属し、男性を支えてくれるという前提があるからです。この場合、女性に求められる条件は外見や博識ということ以上に、奢られたことに対する真摯な気持ちの表明です。それが男性を支えてくれるか?の最初の関門になるからです。

ツイフェミのように、男性が高級レストランを奢って当たり前だと思うのは、もう最初の試験に不合格なのです。

対等な関係の場合、あまり世間から見た相手の収入やキャリアを重視しません。それよりも自分に見合った収入なりキャリアなり将来性を重視します。支え合う前提ですから、お互いに個人化していなくてはなりません。つまり、できること、できないことは互いに認識し、議論もできる関係でいる必要があります。当然ながら、お互いのキャリアや能力を尊重しなければなりません。そのように考える以上、経済的な支配はあり得ず、極端化すれば財布はバラバラでなくてはなりません。

ということで、本来は奢るということはあり得ません。割り勘でなければならないのは、相手の収入やキャリアに敬意を払っている証明だからです。

当然ながら、高級レストランにこだわることはなく、彼らの経済力に比例した食事なりデートを選びます。互いの自己実現やキャリアアップが大事なのですから、無駄な出費は控えなくてはならないからです。

 

簡潔に表にすれば、

家庭愛を求める
→専業主婦を求める
→従属を相手に求める
→それが愛
→奢る

自己実現を応援する
→共働きを求める
→対等な関係を相手に求める
→それが愛
→割り勘

 

フェミニズムに即すならば、高級レストランでは割り勘でなくてはならず、サイゼリヤデートを肯定評価しなくてはなりません。

従いまして、ツイフェミはフェミニストではありません。

 

ツイフェミが高級レストランで奢られたい理由及び奢るのが当然とする要因の考察

高級レストランで奢られるという行為は保守的な家庭愛の形を受け入れるということで、ミソジミーの根本的原因です。つまりツイフェミは根本的にミソジニストだと評価できます。

しかしながら、同時にそのようなことに奢るのが当たり前で、それができないのは女性に対して配慮がない、としています。

どういうことでしょう?

彼らの主張をざっくりまとめるならば、

女性(自分)の価値観を優先し、専業主婦としての仕事を分担し、家事も育児も分担し、浮気や不倫はせず、モラハラを行わず、DVを行うな、ということです。

もし、彼女たちが専業主婦を目指さないのであれば、玉の輿を計算しないのであれば、まさに適切で妥当と言えるでしょう。しかし、彼女たちは専業主婦を目指し、玉の輿に乗りたいのです。支配を受け入れておきながら、「あなたは仕事も家事も育児もして、あたしの自由に文句言わないで、金だけ出して」とは行きません。

事実として、日本はミソジミーの国ですから、全く家事や育児に協力せず、浮気や不倫を繰り返し、モラハラやDVを行う男性はかなりいます。離婚率は特に都市圏で高いですから、彼女たちが慎重になるのは当然です。しかも、女性はちゃんとした収入があれば、婚姻する必要はありませんから、より理想を追求することもできます。また、男性は女性と比べて結婚できませんから、女性の価値が高いように思える人も多いでしょう。

ツイフェミは表見的にはミサンドリーでありながら、デートを繰り返し、自分に原因があるにもかかわらず、フラれて傷つき、ファナティックな言説を繰り返す、狂人です。しかし、そこには彼女たちなりの理屈があり、男性側の努力を一切捨象すれば、致し方ない部分もあります。

とはいえ、男女交際とは差別的であり、彼女たちが男性側の配慮を一顧だにしない以上、彼女たちが選ばれることはありません。

おそらく、サイゼリヤデートの件で、ツイフェミが抱えるいくつかの問題で最大の部分は、他人に対して敬意を欠くアンチヒューマンな部分でしょう。