ウクライナ戦役の予測とその影響
1 ウクライナとロシアの関係
ウクライナはキエフ公国が淵源であり、ロシアはノヴォゴルド王国が淵源である。
キエフ公国は多民族の遊牧民が混交した民族であるコサックが祖先であり、ノヴォゴルド王国はヴァイキングの支配を受け、ヴァイキングがスラブ化したものである。
モンゴルの侵入によって、キエフ公国はタタールのくびきの直接支配を受けたが、ノヴォゴルド王国は間接的支配で済み、その結果、モンゴルの支配からの脱却時、すなわち帝政ロシアにおいてはノヴォゴルド王国が帝政ーキエフ公国を含むーのヘゲモニーを握ることになった。
キエフ公国、ノヴォゴルド王国は文化的に近似しているものの、キエフ公国の方が資源、経済力においてノヴォゴルド王国を凌駕していたが、帝政以降、ロシアの従属化に置かれることになった。
しかし、旧ソビエト連邦は旧帝国を包摂し、ウクライナの不安定化を防ぐ目的で、ウクライナを積極的に体制内に取り込んでいった。
ウクライナは旧ソビエト連邦の書記長を輩出し、ロシアは小麦などの食料や産業の一部をウクライナに依存している。ロシアは黒海の港をウクライナに頼っている。旧ソはウクライナにクリミアを併合させたが、2014年の条約で、クリミアは再びロシアに帰属している。
旧ソビエト連邦の時代以降、ウクライナは事実上ロシアと一体化していた。しかしウクライナ側は本来的にロシアより経済力がある上、ロシアに支配されているという意識が強く、ロシアと同盟するメリットがなければ、旧西側と手を結ぶのは合理的かつ自然だった。
とはいえ、ロシア側からすれば、特に旧ソビエト以降ウクライナを厚く遇してきたので、ウクライナが従属下から離れるというのは想定外で、ともすれば裏切り行為にすら思えてしまうだろう。
一部、日本では、ロシアとウクライナの関係を前の恋人同士に喩えているものがあるが、そのような軽いものでは決してない。今まで仲が良かった、熟年カップルの離婚である。ロシアは老年になり、自分に自信がなくなって、身内に対しDV傾向が出てきたため、ついにパートナーが離婚を決意したところ、ロシアは暴力に出た、という喩えの方が正確である。しかもこの場合、離婚を切り出したパートナーの方が経済力がある。
2 ロシア共和国の政治的状況
帝政ロシア、旧ソビエト連邦、ロシア共和国において、ロシア帝国からの従属国の離脱は一貫して許していない。ロシアは経済的に強いと言えず、その領域性が最大の強みである。また帝政、旧ソと続き、長期的には世界的に影響力を低下させ続けている。
ロシアのアイデンティティは国家主義的なもので、強いロシアを彷彿とさせる国家幻想に対して、郷愁がある。従属国へのロシアの強みは経済というよりも軍事力に依るもので、ロシアは究極的には暴力によって、事態を解決する傾向が強い。
従属国の多くは、中国の影響と対峙する必要でない場合を除き、旧西側の同盟や経済圏に加わった方が利益になる場合が多く、またロシア側からの搾取の問題もあって、ロシアとの同盟継続には内心消極的である。
ロシアは従属国が本来の希望を表に出そうものなら、有効な対外カードが暴力と威圧しかないため、軍事力による見せしめを行う。
ロシアの政治家からすれば、ロシアの一体性やロシア「帝国」の維持のためには、従属国のロシアの影響の離脱を看過する選択肢はなく、妥協することはできても、見過ごすことが難しい。仮にそれらを放置すれば、老大国であるロシアが大国で居られなくなり、民衆からの支持を失い、再び革命的な政権交代が行なわれる可能性が出てきてしまう。
特に、旧ソ以降、事実上、ロシアと一体化だったウクライナの離脱を許容することは、ロシア帝国体制が弱体化していると従属国や民衆に認識させてしまう。そして、ロシアが採用できる有効な手段は軍事力しかなかった。
3 プーチンの思惑、軍部の戦略
ウクライナのロシア帝国体制からの離脱はロシアから許容できるものではない。
A 経済的にはウクライナに依存していることが大きい。
B 体制的には、名目上の離脱は看過することができない。
そして、ロシアの有効なカードは軍事力とそれを背景にした脅迫しかない。
プーチン政権の基本的な戦略はウクライナに圧力を加えつつ、旧西側から交渉を引き出す事にあったが、このような場合に頼りになっていたドイツのメルケルは政権から退いており、アメリカのバイデン政権は中間選挙でのアフガニスタンでの失策や経済対策問題で手一杯で、フランスやベネルクス三国はそもそも外交でリーダーシップをとれなかった。ロシア側からすれば、ウクライナが正式にNATOに加盟してしまう時間までに交渉を済ませる必要があったが、旧西側の都合でスムーズに進まなかったと解釈している可能性がある。
プーチンとしては、軍事力の行使がジョージアで成功したという前例があり、またロシアの伝統的戦略であったため、オプションとしてあったと思われる。また、時間制限があるなかで、旧西側との交渉がスムーズにいかない状況では、軍事力の行使に踏み込んでもおかしくなかったし、実際に戦役を引き起こした。
当初のロシア政府の見立てを予想するならば、金融サイドはコロナ禍で世界経済を回復させたいのだから、長期にわたる強力な経済封鎖に反対だろうし、民主主義国家の市民の意志は主にメディアが主導し、メディアは金融サイドと癒着しているのだから、一週間ほどの短期に戦役を終わらせれば、経済封鎖はそれほど恐れることはないだろう。また、ウクライナは事実上ロシアと一体であったし、西側からすれば田舎であるため、注目度もそこまで高くない筈だ、と。
となれば、交渉の圧力を増すために、徐々に兵力を集中させ、一定段階で、集中した強力な軍事力で、電撃的に事を進めるのが最適解になるはずだった。
4 市民と経済界とSNS
ロシアに対する経済封鎖は当然ながら、世界経済を直撃している。仮に市民からのロシアへの反発や政府のロシアに対する経済封鎖を支持する声が表面化していなかったり、大きくなければ、経済封鎖は形だけのものになっていただろう。資本主義である以上、市民の声がなければ、政府は経済界の意向を優先するので、自己利益に敵わない経済封鎖に対して経済界は表向きにはともかく、内実反対し、政府はその意向に従う事になる。
これがロシアの予測であったように思われる。
しかし、SNSは市民の声を大きく反響させ、社会の表舞台に立たせることがある。特に一方的な侵略や蛮行に反発しない人はおらず、ウクライナについて知らないような人でさえ、その種のSNSを見れば、反発している市民に賛同する。
一定以上の市民の声を、逆に政府は無視できず、経済界の政府への圧力は相対的に弱くなる。また企業としても、市民の声に対して、表立って反発することは利益を損ねてしまう。従って、経済界はロシアに対する経済封鎖に賛同せざるを得ない。経済封鎖を終わらせることができないなら、ロシアに侵略を諦めさせるべく、思い切って集中的に事にあたった方が結果的にコストが低くなるだろう。
このようにして、ロシア政府の思惑は当てが外れてしまった。
5 ウクライナ戦役の経過予測
ウクライナ戦役はスピードが鍵で、ロシア側は短期間で事を決しようとした。概ね二週間以内でキエフを占領し、ウクライナ市民の心を折って、既成事実を作ろうということだった。ウクライナ軍は強力とは言えず、ウクライナにも親ロシア派が一定割合存在するため、綺麗に、集中的に外科手術すれば、可能だった。
しかし、SNSの影響で、世界中の市民がウクライナを支持、支援し、ロシアには経済封鎖が行われ、ウクライナには資金や兵器、さらには義勇軍さえ送られている。
目標を達成できる見込みがあり、応援、支持、支援が相当にあれば、希望が見えて、人は踏ん張ることができる。ロシア側は短期で目標を達成することが困難になり、焦りからウクライナ市民を攻撃するようになってしまった。おそらく、ウクライナ側の親ロシア派もロシアに与するのは非常に難しくなっただろう。さらに、市民を攻撃したことによって、NATOから牽制が入り、航空戦力を大規模に投入できなくなった。航空戦力の奇襲効果が薄れれば、短期でのキエフ占領は更に難しくなっている。
ロシア側にはウクライナ占領の二週間というタイムリミットだけでなく、経済封鎖に耐えられるロシア経済ー概ね三ヶ月以内ーというタイムリミットも存在している。また戦役が長引けば、ロシア国内の反戦派と帝国維持派はプーチンが有能でないという共通見解を持つ可能性が出てきてしまい、さらにはロシア経済界の経済封鎖を解きたいという意向と相まって、プーチンの政治生命が危機的になることさえ考えられる。
ロシア政権ープーチン政権ーとしては、ロシア経済に如実に影響が出る前にウクライナ市民を従わせる必要があるが、私の予測ではほとんど不可能に近いと考える。それは以下の理由に因る。
A キエフ陥落見込みは薄い
キエフが攻防の要になることは衆目一致するところなので、おそらくウクライナ政府や軍事顧問団はキエフに物資を運び、非戦闘員を避難させ、経験ある軍事戦力を一定数配備しているはずである。しかも、NATOが外交的に介入すれば、少しの休戦期間中にキエフに物資が流れ込んでしまう。
ロシア側は航空戦力の投入に一定の歯止めがかかっているため、奇襲効果が薄れている一方、ウクライナ側はNATOからの情報によって、奇襲的かつ効果的な防衛を行うことができる。しかも、それらを実施できるのは、義勇軍の紛れ込んだ、NATOの特殊部隊だろう。
また、キエフの周りはウクライナ領内であり、ロシア側の作戦線や補給線にウクライナ側は脅威を与えることが可能で、ロシア側はキエフ占領だけに軍事力を集中できない。
ある都市や要塞、城塞を短期間で占領するためには、攻撃側に一方的な主導権があり、効果的な奇襲が行われる必要がある。短期間で占領できない場合、完全に封鎖して、補給を断つ必要がある。これらは、近世の、ヴォーバンが生み出した攻城法と臼砲が効果的だった一時期を除いて、歴史的な法則である。
しかも、今回は防衛側に一方的な主導権があり、経験豊富な要員が揃っている。ウクライナが軍事顧問団と指揮権について揉めることがなければ、ロシアがキエフを短期間で占領することは非常に難しいだろう。
防衛側が将兵ともに経験豊富で、防衛戦を予期して、準備に抜かりなく、攻撃側が大兵力でも、指揮の統一が図られなかったり、兵の士気が低いなどして、防衛側に主導権がある場合、防衛側は効果的で機動的な縦深防御を行うことができる。攻撃側が兵力や資源の損耗を恐れず、全方面から物量作戦をかけない限り、防御は破られることはない。
私はキエフの攻防戦はタブーによるハンブルグ防衛と似たような経過を辿ると予想している。しかも、ウクライナ側はタブーと違い、援軍やロシア軍の補給線や連絡線を脅かすことも可能だ。ただしロシアがなりふり構わぬ物量作戦を採用する場合をケアしなくてはならない。それはウクライナというより、旧西側の外交努力によって、封じるように誘導すべきだ。
B キエフが陥落したとしても…
ロシア側は焦りすぎて、ウクライナの非戦闘民を虐殺している。これはウクライナ側の結束を高めている。
ウクライナは純然たる近代国家ではなく、領域国家性がある。
これは、キエフが陥落しようがしまいが、政権中枢がロシアの手中に落ちようが落ちまいが、ウクライナ市民の暗黙の了解によって、継戦される可能性がある。象徴的な何かー誰かが勝手に亡命政府を作るなどーがあれば、西側の市民が支持してしまい、ロシアへの経済封鎖が解かれない。
現代は他者を一方的に破壊できない。それは子供の喧嘩に似ており、子供の喧嘩は負けを認めない限り続く。
ロシアがウクライナ市民は絶滅させたりすることはできず、虐殺抜きで占領政策を完遂することは難しい。
6 戦役の終戦の予測
ロシアがどこかの段階で、キエフを占領することが難しいと判断すれば、アメリカ政府と本気で交渉する状況になるだろう。
ロシアからすれば交渉する段階は早い方がいい。経済封鎖で、デフォルト寸前では何も引き出すことができない。よって、見込みがないとロシアが判断した段階が交渉のタイミングになるし、その時はロシアは交渉に前向きになっているはずだ。そうでない場合、プーチンが政治に主導権を握れていない状況だろう。
旧西側としても、ロシアが窮鼠猫を噛むような状況になって、ロシアが暴発したり、長期間世界経済から締め出すのは利益にならず、危険でもある。そのため、一定の譲歩は必要になるだろう。
ロシアが得たいのは
②東部のロシア系住民の地域
旧西側が得たいのは
①ウクライナの事実上の西側入り
②ウクライナへのロシアの影響力の排除
③ウクライナの間接的支援
である。
これは相互に矛盾しない。
ロシアの侵攻と虐殺によって、一部東部を除き、ロシアの影響は排除されてしまった。
実際にロシアは軍事侵攻したのだから、NATOがウクライナを間接的に支援することをロシアは断るのが難しい。
旧西側としても、ウクライナがロシアからの影響から脱することに共通認識を持てたのに、東部のロシア系住民は将来の障害を予測させるのだから、ロシアに譲ってしまえばいい。
世界各国の市民や企業やNATOがウクライナを既に支援している現在、実質的にウクライナはNATOと同盟しているようなものである。ならば戦争終結のために、名目を譲ればいい。
実質が既に先に来ているため、秘密条約で、20年後に正式加盟とサインさせるのもいいだろう。
7 ウクライナ戦役が大国の戦略に及ぼす影響
ウクライナ戦役は、旧西側の市民がSNSを通じて一方的に侵略者側を非難した場合、二週間以内に侵略者側が戦役を終わらせなければ、侵略者側にとって非常に大きいリスクになり得るようになったということを指し示している。21世紀は、独裁的な体制といえど、大国は戦争するのが難しくなった可能性がある。
二週間というのは非常に厳しいタイムリミットだ。航空戦力で制空圏を確保し、首都や主要都市を占領し、首脳と交渉して条約を結ばなくてはならない。侵略される国が旧西側、一定の知名度、ある程度の兵力、市民の自発性、これらの条件がある場合なら、よっぽどだろう。
例えば、中国政府が台湾への武力介入を思い留まる材料になる。