merlinrivermouth’s diary

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(社会政治個人)貧しい者は幸いである

エスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
そこで、イエスは口を開き、教えられた。
心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

 義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

 

自民党の唯一の理念は実質的な身分制の保持だ。既得権益層の権益を保持するためには、彼らに優先的に分配する必要があり、自民党が政権に就くのが長ければ長いほど、それは事実上の身分制として、日本に現実化することになる。

自民党にとっての既得権益層とは、中堅以上の法人、資産家、旧素封家、規模の大きい事業主や農家だ。新興富裕層は自民党の恩恵によって富裕になったが、自民党の核心的利益ではない。

私は資産家だ。資産家としては、大企業を所有する一族の次だろう。平安時代ならば令外官、江戸時代なら譜代の藩主というような立ち位置になる。それでも私は自民党に投票せずに、左翼政党に投票してきた。

 

私を左翼に投票させ続けたのは、私の個人的特性による。毒親育ちで、極めてクリエイティブで、エリート教育の失敗を実感し、重篤な病気を患い、日本人特有の偏見と戦っている。

私個人としての幸福を考えた場合、日本人を「人間」に変えた方が私は生きやすい。経済的利益は私にとって二の次だ。だから、左翼に投票している。

 

これまで、日本人はより「人間」でない選択をし続けて、ついに諦めてしまったようだ。

保守政党自民党全体主義新自由主義の維新に大半が投票し、左派は選択肢にないということが今回の選挙で示された。コロナ禍、国内経済のシュリンク、財政危機にも関わらず、保守政党と右翼政党に投票する大半の有権者は身分制を受け入れ、それを変えるつもりはない。

私が身分制を受け入れることはない。私は私を迫害してきた非人間的な日本人と同じになることはできない。もし、私が日本的体制になびくなら、私を迫害してきた日本人の殆どは反体制になる。日本の体制では高貴な私を攻撃したのだから。だが、私の超人的な精神力や能力の淵源は私の人間性にある。私は自分を貶めることはしないし、できない。私は彼らのようにできない。

 

私が迫害された所以は、私の挫折や苦労にあるのではない。それらは表面的な事象だ。真の理由は、私の高い徳或いは人間性そのものにあり、私が高貴であるため、反駁不能の点にある。

私と接する者は選択を迫られ、嫌が応にも自覚させられる。自らが非人間的な卑しい人間であるか否か、非人間的な卑しい人間として生きていくのかを。せめて私の存在そのものを消して、自らに対する幻想を守らねば、現世で健康に生きるのは難しい。来世で地獄に行くことを知れば、おちおち現世で幸福に生きることはできないだろう。

 

この一年、私が惹かれた女性は多数派でなかった。

シングルマザーの歯科医の娘、シングルマザーの美容師の娘。

不運なものは幸いだ。不運であればあるほど、罪を許される。

不運なものは幸いだ。不運であればあるほど、罪を許せる。

不運なものは幸いだ。不運であればあるほど、人間でいられる。

私を許してくれるのは、きっとそういうような人だと、私は本能的に気付いているのだろう。

 

私が「人間」として幸福でいるためには、日本人を「人間」に留めるか、「人間」がいる国に移るしかない。

今日、日本人は「人間」をやめることを選択した。