merlinrivermouth’s diary

酒にむかいて当に歌うべし。人生、幾ばくぞ。喩うるなら朝露の如く。去りし日ははなはだ多し。

「自己肯定感」という言葉が誤解されていること

なんでも巷には自己肯定感という言葉が流行りで、何でもかんでもそれに結びつけているようだが、自信なさげな態度や低姿勢な態度について言及している場合が多い。これは誤謬である。

周囲に悪影響を与えるような人は自我の評価が一致していない。外見的に自信があっても、本質的に自信がなく、外見的自信は己の自信のなさを補うものである。本人がそれを意識しているならいいが、大抵の場合、全く意識していない。というのも、ほとんどの場合、外見的自信が生まれる理由は、真に自信がないにも関わらず、外見的な自信を自分自身だと思い込むことによって成立するからだ。これは一種の精神的な逃避である。自己の乖離が病的に広がると、モラハラパワハラ、虐待、いじめ、突発的な暴力、傲慢で過剰で頻々な尊厳を無視する発言や態度、束縛や支配欲と至る。この種の人は自己肯定感が低いので、自分の価値観や考えを当てにできず、また周囲の評価を異常に気にするから、世間的なステレオタイプの評価基準が絶対的になる。

ということは、逆説的に、自分を「自信がない」と語ったり、自分の欠点を曝け出したり、礼儀正しく、低姿勢であったり、自己実現のために努力したり、社会的に困っている人の悪口を言わない人や寛容な人、ゆとりぽっい人、社会正義に関心がある人、個人主義である人は真の意味で自分に自信がある、ということだ。

そこで勘がいい人は気付くだろう。

「日本じゃ、自己肯定感がある人なんて、ほとんどいなくね?」

その通り。日本人の大概は自己肯定感が低い。

何故、このような理論になるかと言えば、そもそも心理学や精神医学は個人主義の欧米発祥であるので、個人主義でない人が社会的に不適合な予備軍であるという前提から話が始まっているからである。日本人のほとんどの人は個人主義ではない。むしろ日本では、個人主義の人の方が社会不適合者予備軍のレッテルを貼られがちである。

であるからして、この種の議論を行える適格者は個人主義であり、人道的で、西洋近代の価値観を内実化している人だけであるとし、日本人は人格障害予備軍が基本であるとする。もしくは「そんな議論を日本人に持ち込むのがちゃんちゃらおかしい」とするか、どちらかになる。

その辺のところを全て捨象して、日本で流行らせているから、「あの人、低姿勢だから、自己肯定感が低い」みたいな真逆の評価をしてしまっていたりするのである。

いやーたぶん、あの人はお前さんより遥かに自信があると思うよ。

だいたいさ、自信ない奴が「自信ないです」言うわけないだろ?