merlinrivermouth’s diary

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異性に誠実であることの恩恵。モテようとすることの対価。

昨日、一人で井の頭公園を散歩した。野外なのに三密だった。一人で散歩していたのは僕くらいなもんだっただろう。

カップルが多かった。確かにデートには定番である。まーこんなに混んでたら、ムードもあったものではない。池を行き来するボート郡はラッシャーアワー状態である。

「ぶつかってコケろー!」とお約束を心の中でつぶやいたりしてみた。

前を歩いていた女子大生たちが「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ〜」と浮かれていた。「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ」ではない。「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ〜」である。彼女たちはポジティブな噂話として語っていた。どうも我々の世代とは価値観が違うらしい。

しばらくして、前を歩いていたカップルの彼氏が「こりゃ三ヶ月で別れる付き合い方だな」と彼女に言っていた。「そう思うのなら、三ヶ月で別れるでしょうね」と心の中で答えてみた。

 

僕の世代でエリートじゃない方やゆとり世代でエリートじゃない方は恋人に誠実であるということを強く求めていた。それは付き合う過程においても要求された。

フラれたりしてから、すぐに次の恋人と付き合うのは軽蔑された。他の相手に保険をかけたりすることは元恋人にも現恋人にも一途でないと見做された。

当然ながら、二股などは唾棄の対象で、セックス目的で色々な相手を求めるのは、童貞より遥かに軽蔑された。

いや、童貞とか処女とかいうことに取り立ててマイナスイメージはなかった。本気で恋する出逢いがなかったとか、運が悪かったとか、その程度の印象だった。

また、恋愛に関してステレオタイプ的な見方は一切なかった。相手がどういう仕事についてるとか、どれだけ資産あるのかとか、そういうことは本気で恋愛して、結婚にまで考えが及んでからで、付き合う前からそのような勘定をすることは、ビッチ扱いの最低評価だった。

恋をして、本気で好きになるという本質的な部分こそが評価対象であって、恋愛のために恋愛をする、寂しいから恋愛をするなどというのは、まともな評価を与えられなかった。

つまり、そもそもいかに恋愛に真摯で、好きな相手に誠実で、どれだけマジになれるか?が最も重要だった。

最近では違う。やった「数」、付き合った「数」、交際した「期間」、数字で表されるものがモテるとされる。そういうことができるツールにも事欠かない。身バレしない、何股でも可能なマッチングアプリが無数にあり、SNSのメッセージだとて何でも使える。

メロンダウトさんが言っていた通り、最近の恋愛は個人がステータス化され、無機質なやりとりをゲーム感覚で使える者がモテる傾向にあり、「モテる」ということにプラスイメージしか持たなくなった。

僕は最近恋愛しようとしていて、今は合コンは難しいため、アプリやSNSしかないし、僕はそのようなツールを恋愛目的で使ったことがなく、最初はかなり戸惑った。どうなっているのか色々検索した結果、昨今の恋愛事情というものが僕の中でイメージできてきた。

男性がアプリでモテるためには、高いスペック、良い宣材写真、定型文に沿った自己紹介文、イイねをたくさんもらうことがいる。イイねを沢山もらうためには、全く気がなくとものべつまくなしにイイねを送り付けることが必要だ。定型文に沿った自己紹介文なので、人柄や真の知性など推し量ることはできない。究極的にはスペックだけの勝負になり、男性も女性も何人もの相手といくつかのツールを使って同時並行的にアプローチする。アプローチ段階でも、定型文に沿った、つまらないメッセージのやりとりがほとんど全てだ。見た目がいい女性はものの48時間で大量のイイねを受け取るから、割とすぐにマッチングできるし、逆に相手を絞らないと大量のイイねに忙殺されることになる。そもそも非常に短期間でデートする相手を見つけるのがマッチングアプリの売りだ。

そこには、誠実さとか、真の知性とか、教養とか、人柄とか、基本的に見えないし、あり得ない前提になっている。あくまで設計が古い出会い系サイトが基本になっているため、セフレを探すのと同じように恋人を探すことになる。

今やそれが普通で、異性に対し不誠実であることこそが前提だ。だから、「新歓コンパでやりまくったらしいよ〜」という噂がポジティブなものになるし、「三ヶ月以内に別れる」のが一般的なのだ。

 

匿名恋愛相談で、何股もかけている、偉そうな物言いの男性が言っていた。「普通の子てなかなかいないよ」。

恋人と結婚相手とは内面に求める属性に違いが生まれる。恋人には会話が楽しい方が優先されるかもしれないが、結婚相手にはより地味な、身持ちが固いとか、社会常識があるとか、優しいとか、ステレオタイプの価値観に流されないとか、そんな内面の方が重視されるだろう。

つまりいわゆる普通の子とは、結婚生活に向いている人をいい、これらの条件は男性も女性も同様だ。

僕は完全に後者のタイプで、後者のタイプとしか恋愛したことはない。これにはちゃんとした理由がある。遊びの恋愛を否定し、どこかで結婚を望んでいる、一途な付き合いを求めるような交際を人生に対して一貫して持っている人は、異性と会った場合、その内面を推定して、シュミレーションする。不誠実にならないように、運命の人を見逃さないように、失敗しないように。

誰かと付き合うということは、基本的には誰かと付き合えないことを意味する。誰かと付き合っていても、まさに自分が恋する相手が他にできたら、厄介なことになる。そもそも付き合っている相手が自分を夢中にできないこともある。

だから、我々は恋愛に慎重で、交際した人は少なく、ダラダラと交際を続けることもない。そして節操のない遊び人を見極めるアンテナを持つ我々からすれば、「モテる」というのは、ヤリチンとヤリマンが相手をお互いに回しあっているだけで、何の価値も見出せないのだ。

遊び人を見極めるアンテナというのが非常に重要なのは、自身が誠実である以上、相手になんらかの非違行為や外在的要因がなければ別れ難いし、その間、自身に適合的な相手を見逃すことになるので、付き合う前に対象から外す必要があり、大変重要な役目を持つ。このアンテナは半年とか一年ではできない。だから、人生の価値観が地味で、真面目で、一途で、誠実である必要がある。

つまり、「普通の人」はモテないし、「モテる」相手をキックするから、お互いに恋愛対象に入れない。だから、遊び人は普通の子に出会えない。

真面目な恋愛をするタイプは真面目な恋愛をするタイプと付き合い、結婚し、精神的に充実した生活を送れる恩恵に預かれるが、不誠実なタイプやステイタスに拘るタイプはその代償を結婚や結婚生活で支払うことになる。

 

昨今のツールは、しかし、事実上、不誠実な付き合い方しか認めておらず、それが一般的である。これではまだ経験の浅い真面目なタイプもこれに巻き込まれるし、異性を見るアンテナを育てることが難しい。だから、同族を見逃しやすくなり、遊び人タイプに騙されやすくなる。

不幸な婚姻が増えてきているのは、完全にコレが要因だろう。アプリでは、真面目なタイプはモテないから見逃されがちになる。

真面目な女性は見逃されがちな同族の男性を探すために、以前と違って異性に積極的になる必要があるが、そもそもアンテナを育てられないならば、同族の男性を見極めることができない。

僕からすれば、マッチングアプリは我々を遊び人がゲットできる今までになかった唯一のツールで、我々を絶滅させる危険な存在だ。ナンパの方がマシなんて、真面目な僕に思わせる時代だ。

 

井の頭公園から自宅に帰ろうとした時、あるカップルとすれ違った。女性は終始俯き加減で、男性は女性の腰を抱いていた。別れる際であるが、僕には不自然だった。

別れる際で、パートナーの腰を抱くなんておかしいだろ?

ヤレる相手を手放したくないという本音が隠せていないのである。だが、あの若い子はそれに気付けるだろうか?

真面目な交際をするためには、個人として確立していなければならない。決まった相手がいないから落ち着かないというのは、パートナーに依存癖があり、個人化できていない子供だ。そんな子供ほど、あと先考えずに、軽薄なモテ自慢をする。

だから、僕は別に一人でカップルだらけの井の頭公園を歩いても、心を動かされることはないし、結婚や結婚生活が成功する条件の一つを備えているということになる。

だが、そのことに気付けるカップルがあの公園にどれほどいたであろうか?

水は高きから低きに流れる。今や人々の恋人に対する一途な気持ちも、神田川から下水に流れてしまっている。

僕はたくさんある誘惑を誠実に対処しなければならない。一途なタイプの僕としては、一月に一度は訪れる女性からのアプローチをどう回避するのかが人生の課題だったりする。思案のしどころである。