merlinrivermouth’s diary

酒にむかいて当に歌うべし。人生、幾ばくぞ。喩うるなら朝露の如く。去りし日ははなはだ多し。

いい男の見分け方

コロナ禍の不況はバブル崩壊を遥かに超え、左翼政権が誕生しない限り、回復は見込めない。

これはこれ以上新興の富裕層は生まれず、アッパーミドルは少なくなり、ミッドミドルはロワーミドル化することを示唆することになる。

世の女性は普遍的に資産家が好きであるが、最近はこの傾向が強く、コロナ禍以降は決定的になるだろう。特に自身の生活レベルを落としたくなく、だからと言って独力で経済レベルを維持する能力も野心もない、大企業のOLはその傾向が強いだろう。

僕の読者にはそんなOLはまずいないだろうが、一応、狙うべき資産家のボンボンを高確率で発見でき、かつ高確率でお付き合いできる方策を簡潔にまとめるので、社会的に非常に有益な助言になるだろう。

 

現在の日本の上流階級の文化は二つある。

一つは戦前から続く資産家の文化だ。家毎に文化が違うということは、実はあまりない。基本的に規範が同じである。

地に足がつかないことを嫌がり、意外とヒューマンで、実は地味に働いていることが多く、贅沢はそれほど好きではなく、かなり人当たりがいい。

資産は固定資産が多く、いきなり資産を増やすことはしにくいが、同時に落ちこぼれになりにくい。

基本的には住宅地にそこそこ広い一軒家を構えている。

もう一つは新興の富裕層の文化だ。機を見るに敏で、かなり悪辣なことをしなければ数世代分の源蓄財を吹っ飛ばすことはできない。自分に自信過剰で、かなり傲慢であり、基本的に他人を見下しており、負け組は基本的に能力と努力が不足し、人間的に劣っていると認識しており、自分が落ちこぼれる可能性について考えておらず、負け組に対しては何をしても良いと思っている。

資産は浮遊資産が多く、急激に資産を増やすことが可能だが、同時に急激に失うリスクも抱えている。

タワーマンションに住むのが彼らの流行で、江東区のお台場が代表例だ。因みに消防庁タワーマンションの定義は消防車の放水が届かない24階建以上のマンションを意味し、お台場は地震が起きればすぐに液状化する。見栄は最強の文化なんだろう。

彼らの子供世代即ち50代以下は昔からの上流階級の子弟と共に教育されることが多くなるため、新興の富裕層の文化が歴史的な上流階級の文化を侵食している。特に東京近辺はそうで、上流階級的規範を持った資産家の子弟はおそらくかなり少数派だろう。僕の親戚は階層が違う女性とお見合いで婚姻している。これは同一階層内で上流階級的規範を共有している人が非常に少なくなったことを示唆している。真面目な人を探すなら資産に拘るのが難しくなってしまったということだ。

 

新興の富裕層の文化圏にいる人は自分の見た目に物凄い金を注ぎ込むし、自信が満ち満ちているため、ステイタス上は極めてモテる。しかし基本的に人を愛さないという文化を持っているため、恋人や妻や子供を人間扱いしない例は少なくない。

愛人がいるのが普通で、妻に家の資産を管理させず、新たな相手ができたら、不倫せずに離婚して、パートナーを変える、ということを繰り返す。

三ヶ月位遊ぶには最高の相手だが、結婚となると金と見栄を重視する女性でないと厳しいだろう。精神的な繋がりを求める女性なら、辛いものがある。

一方、歴史的な上流階級は実は自由になる金が少なく、質実剛健を良しとする規範があるため、そこまで自分の見た目に投資しない。自分の見た目に投資しないと言っても、アッパーミドル程度の見た目をしており、高級車を乗り回したりしないが、腕時計などのアクセサリーはそこそこいいのをつけている。とはいえロレックスやオメガなどのコテコテのブランドものよりは、質重視の自動巻き時計とかになる。因みに僕はツェッペリンを愛用している。一見するとアッパーミドル風だが、よく見ると、割といいもん身に付けてる程度である。

不労所得で遊び歩くことを否定する規範なので、なんらかの仕事をしているか、自分の趣味や活動に没頭していることが多い。例えば、北川景子の旦那のDAIGOとかは、ミュージックビデオでさえバンドメンバーがボーカルをフォローする気ゼロだが、バンドメンバーと同じ生活水準でなければならないと考え、当初は竹下の孫ということを隠し、アパートで自炊していたらしい。かくあるべし。

普通にサラリーマンやっている場合もあれば、教職や公務員をやっていたり、専門職や研究職をやっていたりする。しかし、そういう階層に慣れている人やふた昔前の芸能人を知っている人、テレビや流行などの男性のステイタスに惑わされない人であれば気付く。そうでない人は気付きにくい。一見、ただの礼儀正しいアッパーミドルに見えるからだ。しかも金持ち自慢を忌避する規範に生きているため、仲良くならないと金持ちだと認識できない。ただし同一文化圏の人は言われなくても一目瞭然だったりする。

遊び相手としては、ふつーにまっすぐで優しいいい奴なので、十中八九あまり面白くない。結婚相手としては、金と見栄しか興味がない人以外は理想的と言える。

 

区別がつかない、目立たないなら狙えない?いやいや同一階層なら一目瞭然というのは、ちゃんとした理由がある。そのポイントを抑えておけば、二、三十分ですぐに判別できる。

実は都心部で遊び歩いている女性なら、一年に数人は会っている。気付いていないだけだ。少なくなっているとは言ってもそこそこいる。

アッパーミドル風で、礼儀正しく、謙虚で、傲慢な物言いが少なく、あまり自己主張しないが、自分の主張を曲げることは殆どなく、周囲に同調するために意見を変えるようなこともなく、周りに見えないようにさりげなく気を遣ってくれる人である。

この条件は全てにちゃんとした理由がある。

礼儀正しい、傲慢でない、謙虚これらは全て上流階級の文化規範にある。これらをひっくるめて、当然守るべき礼儀作法であって、本心ではどうかは分からない。彼らというか我々は逆にこれらが守れない人をまともな人間と思えない。だから、いきなりタメ口使ってきたり、他人を笑い者にしたり、自慢話している人を我々は「育ちが悪いんだから仕方ない」と心の中で思っていたりする。

この文化圏はたとえ働かなくてよくても、働くことを求められることが多い。第一には新自由主義以前の累進課税率や有価証券に対する課税、相続税率が高かった時の名残りで、第二には家督という概念の名残りが残っていて、賢く、時流に直ちに乗らない冷静さを求められるからである。だから、謙虚であるにも関わらず、自分の主張はしっかり持っていて、それを滅多に曲げることはない。つまり、自信がないから殊更自己主張しないのではなく、自信があるから声高に自己主張しないのである。自由にできる金が少ないだけで、実家には金があるため、組織内の出世にはそれほど拘る必要がない。つまり、周囲に同調する必然性はない。

基本的に周りにアピールすることはあまり好まないので、結果的に良い人アピールになりそうな時はそう見えない場面を選ぼうとする。これは公私の区別が強いからだ。例えば、周りの面前で相手に優しくするより、トイレに行った時とかにさりげなく声をかけることを選択する。これは僕だともはや本能的行動で、別におしゃれだからやってるわけではない。

実はこれらは全て明治以前の文化を引きずっている。要は江戸時代では武士階級だったため、基本的にそのまま規範とかがスライドできるところはスライドしてしまっているだけだ。

 

アッパーミドル風で、礼儀正しく、謙虚で、傲慢な物言いが少なく、あまり自己主張しないが、自分の主張を曲げることは殆どなく、周囲に同調するために意見を変えるようなこともなく、周りに見えないようにさりげなく気を遣ってくれる人。

これらは実は、僕より10以上年上の世代ではいい男の条件だった。だが、バブル期以降、いい男の条件の流行は変わり、より男性を強烈にアピールするのが良しとされるようになる。実際に多くの人に遊べる余裕が出来ると、いわゆるボンボンと付き合うのはあまり楽しくなくなっただろう。金持っているくせに、フランス第三共和制のプチブルみたいな真似されると見てくれは最高とは言えない。時代を経るにつれ、昔の記憶は薄れてしまうので、特に都市部では、女性はボンボンを見抜けなくなり、ヤバい男に目が行きがちになる、ということになる。

これらの条件に見合う男は思い起こせば結構多いことに気付く筈だ。そして、かなり見逃していたことも。若いOLならあまりの失敗の多さに後悔しまくりになる筈だ。あなた方は自分で言うほど、男を見る目がない。ステレオタイプのステイタスに騙されているからこうなる。同じ金持ち狙うなら、こっちの方が安心安定だろうし、競争率もあまり高くない。

 

余談

実は、上流階級のボンボン、お嬢様は顔の造形が似ていることが多い。数百年以上同一階級内で婚姻してきたからだ。戦後、階級流動が頻繁に起こっても、彼らと彼ら以外では顔の造形が違いすぎるため、単に好みの観点から、似たような顔の造形の人と結ばれることが多い。

例えば、僕はアプリで会った歯科医の女医さんや担当の美容師さんと瓜二つである。女医さんとは眉毛が違う。美容師さんとは目が違うだけだ。因みに親父と母方の祖母は瓜二つで、母方の祖母と父方の祖母は似ている。僕は小川キャスターの旦那に似ているし、ぶっちゃけ麻生太郎にも似ている。丸顔で、頬がペチャっとしていて、笑うとクチャっと笑うタイプである。

俺なんか女医さんとマッチングした時、親父に聞いたからね。「親父てさ、31年前に隠し子作ったりしてねーよね?」因みに返答は「はー?お前、俺に隠し子いると思ってんのか?まあ、世の中には三人自分に似ている奴はいるて言うからな」でした。

 

都市部の50代以下には忘れ去られてしまっているが、地方では規範が多少残っていて、それほど珍しくない。僕は顔の造形も似ているし、態度もそれなので、地方に旅行に行くと、行く先々でチラチラ見られることがある。最初は「地方の世間なんとかか?」と怖かったが、なんてことはない、彼らは僕を親類か友人、有力者とかと思えるので、脳内の名刺を思い起こしているのだ。すみません、あなた方の脳内に僕の名刺はありません。

新興の資産家文化に毒されている人も顔が似ている人は多いが、彼らがチラチラ見られることはない。何故なら、態度が違うからだ。僕なんかは見ず知らずの飲食店の従業員にすら、柔和な態度で接し、「ありがとうございます」「すみません」などと頭を下げる。かくあるべし、と育てられているからだ。だが、彼らは態度が違うので、「東京もんが」と思われて終わりである。

誤解生んで、すみませんね。