merlinrivermouth’s diary

酒にむかいて当に歌うべし。人生、幾ばくぞ。喩うるなら朝露の如く。去りし日ははなはだ多し。

日本版ウィキペディアの問題点

5年前暮れのことである。日本版ウィキペディアのとある編集ページで特定個人の誹謗中傷に当たることを議論していた。びっくりすることだが、誹謗中傷自体を議論していたのではない。誹謗中傷の内容が妥当かどうかを議論していたのである。

さすが日本人と私は思ったものである。日本人は全くリーガルセンスがなく、主観と客観の区別がつかないので、手続き上の瑕疵について議論するのではなく、主観的価値判断が主張の先に出る。

この時、毎年暮れにアメリカに行かなければならない弁護士の恩師(恩師はスタンフォードロースクールを出て、NY州弁護士資格とアメリカ連邦弁護士資格を取得、海兵隊強襲偵察部隊の法務官を経て、日本に帰国している。尚、スタンフォードに行く前に既に日本の弁護士資格を取得している。因みにTBSのワイドショーに出てる自称国際弁護士は連邦弁護士資格がなく、日本の弁護士資格もなく、日弁連は退会している)に頼んで、アメリカのウィキペディアの事務局に行ってもらった。

アメリカのウィキペディアは弁護士が来たので、アメリカでは当然ながら、自己防衛的な話になったが、やや文脈が違うことに気付いたあとは現状を説明してくれた。

おおまかに言えばこういうことである。

ウィキペディアには表現の自由がある。よってあらゆる主張やデータはたとえ陰謀論であったとしても、すべからく両論併記する必要がある。しかし、カナダと中米以外では、これを守られていないため、アメリカ、カナダ、中米以外では表現の自由の抗弁ができない。

アメリカのウィキペディアはカナダと中米を除く諸外国のウィキペディアと法的関係性を途絶した。上記の理由に依る。

③諸外国のそれは該当するウィキペディアに参加するメンバーに管理を任された人材が管理者として不適であるため、適切な管理を行えていないことも原因である。

④具体的にはアメリカでは、ウィキペディアの管理者は参加メンバーによる投票によって決まるが、事実上管理者の過半数は弁護士資格がある人物にクライアント料を払って雇っている存在である。

 

例えば、日本版ウィキペディアでは、いきなり定型文だけ送ってバンしている。が、それでは手続き上の瑕疵になる。当該ユーザーに何故そうなっているかを説明する必要がある。それらを怠ればバンされた方が特定個人である場合、不法行為である。

日本版ウィキペディア不法行為を免れる抗弁として考えられるのは、「日本版ウィキペディアのルーリングが社会常識になっていること」であるが、そんな主張を裁判所が取り上げる訳ないので、抗弁不能である。

また、学説やインテリサークルの中で常識化している説を排除した場合、表現の自由を守る気がない、ということになる。一定の権威がある通説を病的なソース主義で廃するのは、ソース主義というのは名目的で、ある特定の意見を排除したいがためだと判断されても仕方ない。ウィキペディア不法行為責任を負わないとする唯一の主張は表現の自由であるわけだから、ウィキペディア自体の正当性にも関わることになる。

 

これらの問題がアメリカ、中米、カナダ以外、特に日本で起きやすいのは、日本の社会状況や歴史的経緯を踏まえれば、実に自然なことである。

①日本人はリーガルセンスが全くない。

日本人の文化は世間的中間団体における多数意見に流されなければならない、というものである。そこに法的正当性や手続き上の議論は必要ない。特殊中間団体内ルールこそが善という感覚である。そんな感覚では、リーガルセンスなんて生まれようがない。

インテリゲンチャーの不在

とはいえ、一応ウィキペディアであるから、インテリが多数参加しているが、そもそも日本においてはインテリゲンチャーが存在しないがために、日本のインテリは概ね専門馬鹿になりがちである。つまり、ある学問分野においてはちゃんとしているからといって、近代理念とかちゃんと理解しているとは限らないわけである。そういう近代理念の中に法律がある。つまり、どうせ日本のインテリの多くはリーガルセンスないわけである。

③ネット民文化

日本のネット状況は現実との乖離という面で、他国と比較しようがない状況である。それが日本のネットであるから、ウィキペディアのネット民も当然、日本のネット民文化に染まっている。例えば、一定影響力ある通説を「ソースがないから」と言って排除できる非常識な感覚を常識と思えるのは、ネット民文化に染まりすぎているからだ。

④日本人に価値の相対化なんて必要ない。

アメリカのウィキペディアが両論併記なのは、参加者がレイシスト意見や陰謀論を是認しているからではない。表現の自由を標榜する以上、個人の価値観を度外視して、気に入らない意見にも寛容になることは必要な犠牲だからだ。

ところが、日本人はそもそも価値の相対化という概念自体がないし、いらないし、むしろ邪魔だ。自分の所属する中間団体内世間に迎合しなければならず、迎合しない存在を排除する以上、「迎合しない存在にも人権が認められるべきだ」などと思うのは、邪魔な思考である。

 

アメリカのインテリは生存の必要から弁護士でなくともリーガルセンスがある。そういう彼らをして、自ら作ったルーリングをねぐってまで、管理者に弁護士を充当する必要があった。

リーガルセンスが欠如している日本人をいわんやである。こんな体たらくなんだから、そりゃネットやらない真っ当な学者が参加すれば、トラブルが発生するのに決まっている訳である。

だが、管理者に弁護士雇って充当する、なんて真似は日本のウィキペディアはしないだろう。

なんせ、参加メンバーは日本人なんだから、そもそもリーガルサービスの必要性を認めないだろうからね。