merlinrivermouth’s diary

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ネット民への啓蒙③政治主導と議員歳費

ネット民のほとんどは政治主導を礼賛しているが、同時に議員歳費の削減を主張している。しかしこれらは両立しない。政治主導を貫徹すれば、議員個人に対して官僚的実務を行えるスタッフが何人か必要になり、民間の研究機関にいくつも莫大な投資が必要になるため、歳費は最低でも10倍は必要になる。逆に議員歳費の縮小を貫徹した場合、議員は実務を執り行う力がなくなるため、官僚機構が実務を執り行うことにかり、官僚主導の統治構造になる。

市町村レベルならばともかく、一定規模の自治体や国は実務があまりに膨大で、財政、経済、立法行為や行政行為の法的問題、有権者の意識のリサーチ、さまざまな既得権への利益配分、議会への対策などなど、個人の能力で行政行為や立法行為は不可能である。従って、近世に入り、ヨーロッパでも日本でもアジア諸国でさえ、官僚機構が発達し、今に至る。

政治主導ということは、官僚機構を国が丸抱えすることを止め、議員が代替えすることになる。民主主義を突き詰めれば、理論的にはそれが正しい姿であるが、議員個人にはそれは不可能である。従って、政治主導を貫徹するためには、官僚的実務能力を持ったスタッフを一議員が何人も抱え、議員の事務所はさまざまな研究機関と契約して、情報や助言、報告を受け取ることになる。そのような研究機関も実質的に公的な官僚である。

一議員が単独で複数のスタッフなり、研究機関なりと契約することになるから、政府が丸抱えしていることと比較し、膨大な無駄が生まれる。だが、政治主導を民主主義の理念とした場合、払わざるを得ない必要経費ということになる。

実際に、アメリカでは、寄付金が天井知らずにも関わらず、議員一人当たりの歳費は日本の10倍以上ある。これが政治主導の理想型ということになる。

 

古代ギリシャの民主政において、公務員は給与がなかった。それはポリスレベルでは煩瑣な行政機構が必要でなかったこと、有権者は働かなくていい階層で事実上の官僚として奴隷を雇えたことに依る。つまり現代において、政治主導と議員歳費削減の両立はあり得ない話ということである。

仮に政治主導かつ議員歳費歳費が両立した場合、素人が独断で、無定見な行政立法行為をすることになるが、あらゆる場面で整合性が取れなくなり、統治能力を喪失することになるのは、想像に難くない。

政治主導と同時に議員歳費削減を主張する者はどだい不可能な世迷言を言っており、現実には体制がそのような主張を取り上げることはなく、無意味である。