merlinrivermouth’s diary

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ネット民への啓蒙①保守編

ネット民はデータだのソースだのを持ち出すことが非常に多い。しかし、残念ながら、彼らには当然認識すべき最低限の教養がないため、彼らの持ち出すデータだのソースだのに価値がないのが殆どだ。よって、ネット民に最低限の教養を啓蒙してやらねばならない。

 

一回目は保守についての講義である。

 

ネトウヨやネトサヨは自らを保守という。保守思想がうんたらどうとか言うのは彼らの口癖みたいなものである。

では、政治的に保守とはどういうことであろうか?保守は何を保守しているのだろうか?

①体制利益を保守

②伝統を保守

既得権益を保守

④保守が新自由主義と非常に相性がいいのが論理矛盾しない理由

⑤保守たる資格

⑥保守思想とは結局何か?

 

①体制利益

ネット民も同意するのは、保守の対象は体制利益である。とはいえネット民で体制利益を分かってる奴は皆無であるが。では何故、体制利益を保守する必要があるのか?

 

②伝統

保守は伝統を保守している。時代錯誤的な価値観を保守が抱いているからではない。実際、バークは漸進的な近代化という立場である。漸進的とはいえ近代化するならば、伝統だのに固執する必要はない。

前時代的価値観はヒエラルキーを肯定する、ヒエラルキーを正当化していた価値観である。ヨーロッパならば貴族などの特権を肯定、正当化しているし、日本ならば天皇制を頂点とした上下関係と言える。これらを保守が保守するのは、カルト的信奉があるからではない。自己利益になるからである。

 

既得権益

当然ながら、資本を増大させるには源蓄財が必要である。既得権益を増大させるには、前時代も既得権益がある祖先がいるのが最も自然な形になる。これらの既得権益層が所謂上部構造にあたるわけだが、既得権益層が既得権を失う状態を革命という。

保守は革命に反対するし、ネット民は反左翼的な思想に拍手喝采である。だが、保守が革命に反対するのは自分たちの既得権益を失うからである。つまり言い換えれば、保守は保守の既得権益を失うことに反対しているのである。

ここまで来れば、保守が何故体制利益に固執するのか?何故ヒエラルキー秩序に固執するのか?あまりに分かりやすいだろう。自らの既得権益を保持し続けるためである。

 

④保守が新自由主義と相性がいいという論理矛盾。

新自由主義無政府主義的な側面がある。また新自由主義は既得権を破壊する面も確かにある。だが現代は土地を金銭に変えられないとか、会社を所有する利益が役員報酬しかないとかいう時代ではない。会社の株式を売却するならするで、違う会社の株を買えばいいだけである。既得権打破と言っても、既得権がある企業が高値で大企業に買収されるか、逆に企業の利潤が良くなる話である。いずれにせよ、一定の既得権益さえあれば、新自由主義でどうなろうが、資産は増えるのである。

新自由主義無政府主義的な側面があるが、だからといって無政府状態になることはあり得ないし、仮に国益が損なわれたとしても保守が困ることはない。資産運用が国内のみに留まるような時代ではない。むしろ国益の保持に支払うコストを最小化することによって税を安くできるならば、ますます資産を増やすことができる。

では、具体的にほとんどの富裕層や資産家はどうやって資産を維持、拡大してるか?簡単である。数千万あれば誰でもできる。大銀行と契約して、大銀行が勝手に富を増やしてくれる。しかも絶対に損することはない。大銀行が失敗して、損失が出ても、政府が大銀行を救うからである。因みに超富裕層になれば、自分で雇った投資信託のプロにそれをやらせることになる。

つまり、保守にとって、新自由主義とは、自らの権益を拡大させる思想だということだ。

 

⑤保守たる資格

簡単な話である。全く働かなくとも、資産が一定以上あって、家賃とか諸々の維持費を支払っても、余剰の富があり、不労所得によって収入が確保されている人である。所謂、ブルジョワである。

 

⑥保守思想とは結局何か?

既得権益を保持、拡大させること。それを民主主義的に否定されないための言い訳をすること。保守層つまり既得権益層が馬鹿になって、自己破壊的になり、体制利益つまり保守層の既得権益が損なわれないように教育すること。

ただそれだけの話である。バークがどーの、日本の伝統的価値観がどーの、そもそもの目的のこじつけ、言い換え、言い訳である。こじつけ、言い換え、言い訳を目的だと前提にして議論しようとするから、現実と接合できなくなる。そもそも「保守思想云々かんぬん」語っているネット民にどれだけ資産家がいて、そのうち保守思想が馬鹿になって自己破壊しないように雇われ官僚になるべく高度な教育を施された人はどれだけいるか、甚だ疑問である。つーか、そういう対象である学術会議になんか言ってる時点で、もはや保守ではないのである。