merlinrivermouth’s diary

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匿名ネットによる知能の低下

ネットによる利便性は大きい。情報を受け取りやすく、情報を発信しやすい。シンプルに考えれば、知的水準は高くなる筈である。しかし、現実的にはネット利用者特に匿名ネットを日頃から行う者ほど知能の低下が見られる。この傾向について考察する。

 

よく言われているのはネットによって、分断化され、自らにとって都合の良い情報しか選択しないというものである。しかし、これは知的水準の低下を招きこそすれ、知能自体を低下するとは思われない。知能の低下は顕著に見られる者が多いことから、より直接的な理由が必要である。即ちネットの他の特性に目を向けるべきである。

ネットの特性は情報の受け取りと発信にあり、議論などには本来不向きである。それはネットそのものが一個人としては一方通行であるためだ。ネットの情報は自ら選択して、一方的に受け取る場合が多く、ネットから情報を発信する場合は一方的な発信だ。情報を発信する場合、そもそも知能が高い人は第三者を想定して発信するだろうし、議論する時は匿名だろうがなかろうが相手を意識するだろう。だが、知能が高くない人はどうだろうか?情報発信の場合、言いっ放しになるだろう。議論する場合は、多少は相手を意識するが、そこに法的リスクや信用の毀損、自身の価値の低下などの現実的なリスクが少なければ、徐々にそのような意識が薄まっていくと思われる。

仮に、現実的なリスクがない場合、知能が高くない人は例え相手がいようがいまいが、一方的な議論を行うことができるだろう。そのような行動が生活の一部として行われていた場合、自身の意見の一方的な主張に相対化、客観化、再検討などの余地はなくなる。また、それが当然であるかのように理性が麻痺状態になりやすいだろう。具体的には、そのような状態の人は自身のいかなる意見も絶対善であり、自身を批判する、否定する意見は絶対悪であり、自らに都合の悪い意見は考慮する必要がない、という心理状態にあると考えられる。当然ながら、その言論は論理性、妥当性、現実性、合理性、類推力、読解力を喪失しているだろう。またこれは社会性を失わせ、市民的なコモンセンスから孤立し、しかもそれらを意識する契機に欠けることになる。

このような状態にある人がより長くネット発信やネット上での議論を行った場合、その人のネット上での傾向は現実にもフィードバックしてくるだろう。つまり現実でも論理性、妥当性、現実性、妥当性、類推力、読解力、社会性、市民的コモンセンスを失い、独善的な主張が独善的だと自覚する契機を失ったまま、行動しているだろう、ということだ。

初めてそのような人にあった人は「なんて馬鹿な奴だ」「ある程度の学があるのに、こんな馬鹿とか」と思ったとしても、その人自身が知能が低下した要因について考えに及ばないので、問題に気がつかないだろう。しかし、その人を知る人は「こんな馬鹿とは知らなかった」「前はこんな人ではなかった」という話はよく聞く話でもある。

このような事象はネットが広まってから急に見られるようなになり、何らかの因果関係があるとするべきで、実際に私が上記に挙げた特性がネットにある以上、その特性が要因であると考えられる。

では、その要因を解決するためにはどうするべきか?ネットがその特性が全開になるのは、ネットが現実の契機を喪失していること、ネットをやる時間の上昇にある。つまり、法が介入しなかったり、社会的地位に響かないネットほどその傾向が強まり、そのようなネットを利用する人が知能が高くなければ、知能の低下を招きやすい、ということだ。逆説的に法が介在する契機を増加させることや匿名性をなるべく排除すること、ネット依存の問題を啓蒙することが予防につながる。

ネット上の議論は情報の交換や意見の交換という意味でメリットは大きいが、そのメリットは知能が高いものだけに限られてしまう。それ以外の人はあまりメリットを享受できないばかりか、知能をひたすらに低下させ続けるリスクに晒され、最悪まともな社会性を失うことになりかねない。これは、社会的にも経済的にも弊害が大き過ぎる。意思決定階層は意思決定階層にとって妥当でない人を常に選択排除する必要に迫られるから、本来の体制の目的を失う。労働者は労働価値を失い続けるから、労働生産性が非常に低下し、経済的な問題を発生させる。社会不適合者が急増するから、社会不安は増大する。

早急に検討に入り、統計をとり、この仮説が妥当ならば、具体的な解決策を行うべきだ。