merlinrivermouth’s diary

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ネトウヨの研究が進まないことへの考察

ネトウヨという現象は十年以上続いており、在特会をはじめとして社会に悪影響を及ぼしている。にも関わらず研究は進んでいない。

 

政治学者や社会学者はネトウヨを日本の右傾化の現象の証左として捉え、ヨーロッパやアメリカの右傾化と並列的に評価している。

それ自体は非常に有意義なものではあるけれども、自民党の得票数が増えたわけではなく、むしろ小選挙区制の弊害と野党の分断化、社会民主党勢力の虚弱化が主要な原因であるから、大衆レベルで右傾化しているかどうかは怪しい。

確かに韓国へのバッシングは大衆化しているけれども、Netflixの日本のランキングの上位は韓流で、BSも韓流だらけだ。反韓感情が内在化したというより、マスコミによる世間の誘導がうまくいっただけのように思える。

欧米と右傾化を論じるならば、日本の新自由主義的経済政策は欧米の先を行っている。新自由主義政策の一環として国家主義的なリフレ政策を大々的に行えたのだから、日本の新自由主義は国家からの自由という形式的な正当化根拠すら必要なくなっている。

しかしあるリサーチによると、若者は欧米と比べてそれほど右傾化していないようだ。いやむしろ左翼的ですらある。外交や安全保障に関してはタカ派的になっているが、再分配や人権には賛同しているという。実際、一昔前にもてはやされた自己責任論を表だって言うと眉を潜められる時代だ。

もしかしたら、右傾化は一昔前にあった、終わった話なのかもしれない。

 

そもそもネトウヨやネトサヨを政治ムーブメントとして取り扱うことが妥当なのか?とも思う。彼らは結局のところ、数百万いるかいないかの少数派で、情報の受け手ではなく、発信者としては受容されておらず、彼ら自身が新しい意見や主張をすることはない。新右翼からすれば、ネトウヨはビジネスのマーケットであり、ただの支持者でしかない。左派はそもそもネトサヨを相手にしていない。

確かに一時期ネトウヨがまだ市民権があった頃、その種の意見にほだされた人はいたけれど、その期間はたがたがニ、三年でしかなかったし、ネトサヨなんて社会や世間から歯牙にも掛けられていない。

 

少なくとも真っ当な政治学社会学は近代化の契機があるから研究をする。ところがネトウヨやネトサヨに至っては近代化どころか対話不能だ。

私は、ネトウヨやネトサヨは政治学社会学で扱うべき問題ではないのだと思う。確かに右傾化というの大事なテーマであるから、研究すべきではあるけれど、恐らくネトウヨメインで進めるべきものではないのだろう。

 

ネトウヨやネトサヨは確かに表見的には政治性が際立つし、着目するとすればまずそこを研究しようと考えるのは当然だと思う。しかし、だからこそかえって研究が進まないように思える。

あるネット民は自身のブログで、ネトウヨとネトサヨの現状を「虚無」と評価している。実際に最初期からネット民やってた当事者が「虚無」と評価しているものを「近代化の契機がある」と研究するのは無意味だ。

社会や世間、或いは市場からのネトウヨやネトサヨへの要請は政治性にあるのではない。一般人に迷惑かけているからどうにかしろ、とかまともな人がネット利用できないから経済的な弊害があるとか、そういう話だ。

となれば、やはりネトウヨやネトサヨを研究したり分析するのは「ウヨ」や「サヨ」ではなく、「ネット」になるし、それは政治学社会学の分野ではない。恐らく、哲学や精神医学や心理学の分野だろう。

日本の精神医学や心理学は日本の精神科医やカウンセラーに受容されていないから、基本的に欧米をターゲットにしている。欧米にはネトウヨやネトサヨに似ている存在はあるが、非する存在だ。ヨーロッパには右翼の伝統があり、アメリカには反知性主義の伝統があって、ネトウヨのように似非政治的なものではなく、真面目に現実化の契機を探している。

つまり、日本の精神医学や心理学が特殊日本の、それも1タームあるかないかのネトウヨやネトサヨを研究したとて、何にもならないのだ。

 

おそらくネトウヨやネトサヨを研究や分析するのに妥当なのは、実利的目的がある機関だが、政府機関であれ、民間企業であれ、そのような分析を公開することはないだろう。社会問題化しない方がいいし、社会的影響が少ないなら放置しておいた方がいい。

ネット民をどうにかするとかネット規制をやるとかは、そもそも日本の司法資源が限られるので、不可能化している。日本のネット状況は絶望的という結論はやっぱり変わらない。

日本のネット状況が絶望的という結論が変わらず、ネトウヨやネトサヨに社会的影響力がないなら、研究や分析が先細りするのは自明の理だろう。