merlinrivermouth’s diary

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(短編小説)いいこ

僕は長く険しい闘病の末、社会復帰できるまでに回復しました。しかし、日本社会は格差が広がり、目に見えぬ分断が進行し、疑心暗鬼と先入観が渦巻く社会となっていました。二十年前とは全く違う世界で、僕はタイムスリップしたかのような気分です。

闘病生活の間に友人はいなくなり、気のおける何人かを除いて、孤独のうちに、今の日本社会の勝手もわからぬまま社会復帰しなくてはなりませんでした。

僕がカラオケが趣味なのは、単に歌が上手い、表現力があるということだけではありません。一人でやれる趣味というのがそれくらいしかなかったからです。

僕は今でこそ、勝手がわからない今の日本に戸惑い、警戒していますが、本来的にはふざけた遊び心があるので、DAMのカラオケに背景動画を変えられ、しかもグラビアアイドルのものを設定できることを発見しました。因みに、グラビアアイドルの撮影会で知り合った先輩に、カラオケのグラビアの背景動画を撮影すれば、録画できることを教えてもらいました⭐︎おお神よ、変態オタクたちに幸を与えんことを!

数あるグラビアアイドルの背景動画の中で、相原美咲さんがとりわけ目を引きました。僕は今までアイドルやグラビアアイドルというものに興味を惹かれたことは全くありませんでしたが、彼女の映像は彼女の内面ー心優しく、包容力があり、寛容な精神ーが映し出されていて、僕は非常に感銘を受けました。

こんなギスギスした世の中で、誰もが誰かに先んじて目立ち、目を引き、注目を集めたい社会で、許しを与えてくれるような映像が流れるカラオケは僕にとって大事な時間になりました。

僕自身は大変であるものの、ストレスがかかるからと引きこもっては前に進めません。ということで、折角ですし、相原さんのグラビアの撮影会というもの行ってみたのです。参加者の皆さんは後援会の父ちゃんみたいで皆親切でしたし、相原さんは僕が想像していたよりしっかりしていた女性でした。

僕は彼女のファンになりましたから、SNSを少しチェックしてみたところ、彼女は世の人とは違う心意気を持った女性だということがわかりました。

彼女はうさぎと三匹の保護猫、半身不随になったリス、犬と仲良く暮らしています。やはり、僕がDAMカラオケで観たグラビア映像の印象の通り、素晴らしい博愛主義の持ち主だというわけです。

以下は彼女が昨年保護した猫ー彼女はいいこさんと名付けていますーのエピソードを僕の推理、憶測、想像、妄想をかなり加味して、小説風にしたものです。

相原美咲さんの権利使用を許可して下さった相原さん自身に深く感謝いたします。

 

 

 

いいこ

 


 「君はどうしてしばらくここに居つこうと思ったんだい?」

 先輩猫の二匹は俺に尋ねた。

 「どう見ても、君は飼われるようなタイプじゃないだろう?」

 俺もどうしてかと思う。俺の主義を少し変えてもいいと思ったというのが答えだが、なぜ俺の主義を少し変えていいのかと思ったのか?という別の問いが生まれてくる。そもそも俺の主義というのは他者に伝えられるような物なんだろうか?

 「いやいや、君の主義というのは、強烈で明確な筈だ」

 先輩は言う。

 「君は前足が全く言うことを聞かなくても、頑なに人間の力に頼ることを拒否していたんだから」

 もう一匹の先輩は「被災地域でもあるまいし、そんな事は今時聞いたことがない」と言った。

俺は痒くなった腹を毛繕いして、先輩二人に向き直った。

 「俺が今までどうしてこんな考えだったのか?どうして俺が少し考えを変えたのか?それを説明するのは結局、俺の半生を説明することになる」

 「長くなってもいい」

 先輩猫は言った。

 「もしかしたら、長い付き合いになるかもしれないんだから」

 静かな夜に、主人の寝息が響いていた。

 俺は先輩方に目くばせすると、自分の半生について語り始めた。

 


 おふくろは常々、俺に言い聞かせていた。

 「人間は信用ならない。余裕がなくなれば飼い猫を粗大ゴミのように捨ててしまう」

 「飼い猫も人間に依存している分際で、他の猫を見下す」

 「どちらが毛並みがいいか?どちらが良い餌を貰っているか?自称上級猫の会話はそんな話ばかりだ」

 「猫たるもの、自立していなければならない」

 俺は親父を知らない。おふくろ曰く、どこぞの金持ちの飼い猫だったらしい。子供つまり俺を懐妊して、おふくろは親父が餌を持ってきてくれたり、飼い主を連れてきてくれることを期待していたが、発情期が終わるとそれきりだったらしい。

 おふくろがその話をしたのは一度きりだったが、懐かしむ微笑みと苦々しい思い出が一緒くたになったような、複雑な感情が垣間見えたのが印象的だった。

 …俺も子供ながらにおふくろの人間や飼い猫の話を聞いて、彼らはロクでもないのだと思うようになっていた。

 おふくろから、公園や川辺、緑地で人間から餌のもらい方を習ったが、たまに人間に飼われるのと何が違うのか疑問に思うことがあった。

 おふくろはその疑問に「これは貰っているんじゃない、奪っているんだ」と答えていた。確かに、俺たちは飼い猫と違い、人間から一方的に餌を受け取っていた。そして、何より行動の自由と責任があった。自分で寝床を探さなくてはならず、自分で餌場に行かねばならない。

 「危険があるが、それが生きるてことだ」

 おふくろはよく言っていた。

 俺が体が大きくなって、巣立ちが近くなった頃、寂しくなった時があった。おふくろから親父の話は聞いていたけれど、実際に会わなければわからないと思った。

 俺は猫仲間から親父の居場所を聞き出して、おふくろに黙って、親父の家に行ってみた。

 白く輝く豪邸を見た時、もしかしたら親父はすごい猫なのかと思った。だが、毛並みのいい三毛猫に威嚇され、家の主人に水をかけられた時、俺は悟った。どんなに良い家に住んでも、それは猫の実力じゃない。ただ、家の主人にたかっているだけだ。だから主人の寵愛のライバルになりそうな猫を排除しなければならない。飼い主も飼い主で、自分が愛するペット以外は害虫でしかない。それが、たとえ自分のペットの子供だったとしても。

 俺はショックだった。そしておふくろの言っていたことは本当だとも。性格の悪い上級猫になるくらいなら、慎ましくも自立している野良猫でいようとその時、誓った。

 


 俺が大きくなって、独立すると、猫のコミュニティの一員と扱われるようになった。ある時、懇意していた雌の野良猫が飼い猫の子供たちを産んだ時の話を聞いた。彼女はおふくろと違って、自分の子供たちの父親のことなど歯牙にも掛けていなかった。それよりも猫たちの興味を注いだのは彼女の出産にまつわる話だった。

 彼女が産気づいた時、出産の場を二階にテラスがある一軒家に選んだ。二階の庭は日当たりがよく、軒下では雨露を凌げるからということらしい。因みに彼女の相手がその家の向かいの家の一軒家の飼い猫だということを俺は知っていた。

 四匹の子供が産まれたが、自分はすぐに動けず、子供たちに適切な餌を探すのも難しかった。子供たちはすぐに甘えるような声を上げ、その家の住人はやがてその声に気づいたらしい。彼はベランダに出て、子供たちを抱いてる彼女を確認すると、水で薄めた牛乳を軒先に出して、部屋に戻って行ったという。

 彼女は人間を警戒していたし、家の主人も彼女を誘惑しているような様子ではなかったらしく、二、三日ほど、彼は黙って餌と飲み物をベランダに出し、彼女は彼が部屋に戻るのを待って、気付かれないように隠れて栄養を補給していたという。

 俺はこの話を聞いて、動物と友情を結べるような人間もいるのかと感心したが、野良猫たちの反応はより即物的だった。彼女にその家のことを詳しく聞いて、昼間に出入りするようになったのだ。

 彼女は言った。

 「あいつらは野良猫であることを選んでるわけじゃない」

 「上級猫が間違っているとも思っていない」

 「ただ妬んでるだけだ」

 その家の主人は彼らに一瞥もくれてやらなかったという。単に誕生したばかりの子供たちとその母親に同情しただけだった。

 


 猫のコミュニティには飼い猫も加わる時がある。嫌味で表面的な付き合いしかないが、中には情が入ってしまうような付き合いもある。俺にも発情期はあったし、恋をしたこともあった。

 彼女と初めて会った時、俺はその不自然さに驚いた。毛並みがいい白い猫で、明らかに飼い猫なのに、何故かコミュニティに入っていた。ところどころ汚れがあり、時折傷を負っていて、どこか陰のある瞳だったが、やさぐれていない素直な目は確かに飼い猫の物だった。

 俺は全く接点がないのに、一目惚れしてしまった。彼女の方はというと、寂しかったというのが一番だったのだろう、時折デートに誘ってくれた。

 一緒に歩き回ると、やはり彼女の属性というものが気にかけるもので、飼い猫の彼女が何故こんな連中とたむろしているのか?何故、汚れと傷を負っているのか?何故、俺なんかとデートして居るのか?質問した。

 彼女の主人は人間世界で言うところの新興富裕層だった。調子が良かった時は株で数千万も稼いだ時もあったらしい。ところが、更なる上昇を目指して事業を始めたところ失敗して、奥さんに逃げられ、愛人には捨てられてしまったのだそうだ。それ以来、主人は荒んでしまっているらしかった。

 「人は弱っている時こそ、ペットに感情移入するもんじゃないのか?」

 俺は野良猫の中でまことしやかに流れている説をぶつけてみた。

 彼女は嘆息して、答えた。

 「少なくとも、あたしの知っている人間たちは孤独に陥ったり、困ったことがあると、誰かの

せいにして、身近で弱いものに当たり散らすものよ。だから主人が弱りきった時、みんな逃げていった」

 「君も逃げればいいんじゃないのか?」

 「あたしは主人や主人を見捨てた人間のようにはなりたくない」

 彼女は再び嘆息して、「それに結局、彼はあたしの主人よ」と言った。

 俺は彼女に心底同情したし、俺とデートして憂さ晴らしにでもなればいいとも思った。俺が見返りを求めないなんて、もしかしたら俺は本気になっていたのかもしれない。

 いつもの時間、いつもの場所に彼女は来なかった。俺は何日も待った。彼女の家まで行って、彼女の気配を探ろうとした。彼女がまるで俺の幻のように感じられた。野良猫たちに聞いてみると、彼女のゴミ捨て場で彼女の亡骸を見たという。俺は信じられなかった。ゴミ捨て場を確認しようとしたが、彼女はいなかった。

 俺の脳裏には、彼女の主人が彼女にDVをして、彼女を殺害してしまい、彼女をゴミ袋に詰めて、ゴミ捨て場に捨てる情景が頭に浮かんだ。俺は彼女に何かしてやれた、彼女の本意じゃなかったとしても主人を見捨てるべきだと説得できたはずだと思って、罪悪感で情けなくなった。

そういう自分の中の澱んだ気持ちがふつふつと彼女の元主人に対する怒りに変わった。人間はいつも勝手をしやがり、自然の秩序てもんを乱しやがる。だが、彼女の家に行ってみたら、彼女の家はもぬけの殻だった。主人は言うに及ばず、家財も車も、一切がなかった。まるでもともとそこには誰もいなかったかのようだった。

 


 俺はこの時、何だかよくわからなかったがすごく虚しい気持ちになった。自分だけでは抱え込めなくなった。

 彼女に夢中だった間、しばらく離れていた猫のコミュニティに戻って、彼女にまつわる話をした。

 猫たちは言った。

 「要は人間なんかに尻尾振ったそいつの自己責任だろ?お前もあんな奴に色目使われちまってさ。これで目が覚めたんじゃねーの?」

 俺は頭に来た。我を失うほどに。あいつが主人を思っていた気持ちは一方通行だったが、自分の利益のためではなかった。

 俺は猫たちに飛びかかり、噛み付いて、他の猫たちに車道に追い立てられた。そうして、車に前足を踏まれてしまった。

 喧嘩をしても、腹は空く。俺は餌場に行ったが、猫たちは俺を許す気はなかった。

 「飼い猫は帰れ」

 「上級猫さまの居場所じゃない」

 俺は孤独になった。おふくろは自立しろと言った。孤独は似ているが全然違うものだった。

 俺は野良猫を誤解していた。立場が上の連中が八つ当たりし、立場が弱い連中はそれに嫉妬し、また更に弱い連中に八つ当たりする。野良猫は上級猫のいじめを否定しているわけじゃなかった。単に嫉妬していただけだった。人間も猫も大して違いはなかった。例外を除いて、ストレスや苦悩は上から下に流れている。あの純粋な彼女のように、真面目で、誠実で、我慢強い奇特な連中がダムとなって支えているだけだった。

 こういう感覚を無常観というのだろう。

 俺は虚しさと寂しさが混ぜ合わされた気持ちを抱いたまま、街を徘徊した。月日がどれくらい経っていたのかさえ分からない。足の痛みも忘れて、いつの間にか痛みも感じなくなった。体はだるく、俺はこのまま死ぬかもしれないと思っていた。そして、こんな世界にいるくらいなら死んでもいいし、もし生きながらえても、誰も頼りにするもんかと思っていた。

そんな時に今の主人に会った。

 


 俺は彼女に発見された時、また変なのに目をつけられたと思った。同情してる自分がカワイイと思っている自惚れには何人もいた。餌をちらつかせ、写真撮って、自己満足を得たらそれで終わり。でも、俺としてもそっちの方が楽でもあった。もう関係を拗らせるのはうんざりだった。

 彼女もそうだろうと思った。だが、餌を置くだけじゃなくて、付き纏った。終いには、何やら怪しい器具まで持ち込んできた。俺は馬鹿じゃない、それが俺を捕まえるもんだって分かってる。「人間め。手懐けられないからと力づくで自分のものにしようってか」と思った。

 塀の隙間に隠れて、彼女が餌を落として去って行くのを待った。

 だが、彼女が去ろうという気配すらなかった。意地になっているというべきが執着しているというべきか、そこらの人間とは少し違うと思った。彼女は通行人から迷惑がられ、気味悪がられ、苦情らしきことも言われていたのに、俺を諦めようとしなかった。

 太陽が傾いた時間になって、俺は流石に気が付いた。彼女の意地は自分の虚栄心でやってるだけじゃないし、使命感という単純な気持ちで動いてるもんじゃないと。彼女は必死だった。

だとしたら、彼女は決して諦めないし、もうすぐ日が沈むし、しばらく食うところと寝るところに困らないなら、彼女にお世話になってもいいと思った。気に入らなくなったら、出ていけばいい。捕まるというのは初体験だったから、少し慌てたけれど。

 前足を切断されそうになった時は暴れたし、体拭かれたり、毛を刈られるのは気持ちよかったが、股ぐらいじられたのは変な感じだった。彼女について行って、ほんの少し後悔した。

 


 彼女の家で檻の中で飼われるのは、複雑だった。俺は猫、それも野良猫で、自由で、自立していなければならない。俺はそういう主義だった。彼女もうざいほど話かけてきた。他に会話する人間はいないのかよ?と思った。

 ここで飼われているペットたちの経歴も普通じゃなかった。先輩二匹は保護猫だし、りすは下半身が麻痺してる。うさぎと犬はどういう手合いかよく知らないが、変な奴に違いない。

 彼女は俺を「いいこ」と呼んだ。意味がわからなかった。俺ほど人間を嫌っている猫はそうはいないだろう。だが、俺のことはお構いなしに愛情を注ぎ込もうとしていた。押してダメならもっと押せとでも言わんばかりだった。

 俺は彼女に何か悲壮感に似たものを感じた。何かまたは誰かに心を注ぎたいのに、思うにならない。だが、俺たちならきっと分かってくれるだろう、そんな寂しい感情を見せることがあった。

 俺はそんな彼女を見て、いつの間にか力が抜けていた。この緊張が解れる状況を安心とでも言うのだろう。彼女は少なくとも俺たちを裏切ることはないと思った。

 ある夜のこと。彼女は心底疲れ切っていた。何かに思い悩み、不器用な自分を責めていた。普通の人間なら、俺たちに当たるだろう。だが彼女は俺たちに甘えてきた。何かの救いが俺たちにあるかのように。

 俺たちが彼女を必要としている以上に、彼女は俺たちを絶対に必要としていた。だから俺は彼女に安心感を持っていたのだ。彼女は俺たちを裏切らないのではない。彼女は俺たちを裏切れない。

 俺はどういうことかわからなかったから、戸惑って、じっと見つめることしかできなかった。見返りなしに与えられるだけ与えられ、俺は何もできなかった。そんな自分に腹が立った。そんな気持ちはあの白い彼女以来だった。少なくとも俺は彼女に借りを返さなきゃならない。俺は一晩中それを考えていた。

 俺は彼女に甘えてみた。彼女は心底喜んで、猫なで声で返した。

 彼女が自身の信頼に応えて欲しいと手から餌を渡せば、その信頼に応えてみた。そういうようなことを繰り返すうちに俺は悟った。

 


 「彼女は俺たちと対等に接するし、それなら俺は借りを返さなきゃいけない。そういうことなら、俺は飼われているとは言わないだろ?」

 先輩猫たちは目を丸くした。

 「つまり、君が主人に尽くすのは見返りを求めていないてことか」

 「それもあるが、それだけじゃない。彼女は俺の主人じゃない。あくまで俺の主体は俺にある」

 彼らは見合って、にゃあにゃあ笑い合った。

 「君は真面目だね」

 「君は本当に『いいこ』だよ」

 

相原美咲さんのtwitter アカウント↓

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(社会)貧困と婚活とフェミニズム

婚活サイトによれば、オール4の男性が人気なのだとか。

サラリーマンで高収入。そこそこ学歴が高く、三十代前半で、挫折経験がなく、見た目もそこそこ。

万を超えるデータから検索して選ぶのだから、プロフィール読む前に除外するのが合理的で、世間ズレしてる社会的少数派は対象になっていないということです。笑えることにその少数派は人口的には多数派てとこです。

婚活ビジネスは美味しい商売です。安い会場を借りて、高い会費を取り、システム上の欠陥からマッチングは上手くいかず、そのシステム上の責任をユーザーに押しつければいい。

 

日本は先進国です。資本主義が進化すれば、第三次産業の比率が増えます。サービス業は女性の方が圧倒的に有利です。女性は女性が嫌いではありませんが、男性に警戒心があります。男性は男性が好きではなく、女性が好きな人が多い。

従って、男性それも若い人ほどサービス業に従事しなくてはなりませんが、女性労働者よりも労働価値がありません。

フェミニズムがサービス業の労働者の男女比率を対等にするように求めることがあるでしょうか?寡聞にして聞きません。第三次産業の業界もそんなことは嫌だと思います。

翻って、ホワイトカラーでは男女の格差は是正されるような流れです。つまり、アッパーミドルの女性は地位向上が望めます。これは体制としても主要な消費者を増やすことができるうえ、階層の再生産が可能ですから、積極的に行いたいところでしょう。

ホワイトカラーではない男女はサービス業の男性が取り残されていることを知っています。フェミニストの「女性の地位向上」が響かない原因がここにあります。

男女問わず若い労働者のほとんどはホワイトカラーになれません。従って、同世代の男性のほとんどが負け組になります。しかし、ホワイトカラーになれる女性はその地位向上を目指し、男性の特権を主張する。当然ながら、その男性の中には、男性の大多数をこれから占めることになる若い男性の労働者が入っています。彼らに特権などありません。

 

女性は婚活によって、男性を主体的に選ぶことができます。そしてその条件がそこそこ収入が高く、まあまあ学歴があり、挫折経験がなく、サラリーマンで、見た目もまあまあというものです。女性に非はありません。何故なら無数にデータがある状態で、失敗したい結婚をするために確率を上げるには、何も問題行動がないと思われる人が良く、問題がありそうな条件を除外するのが合理的だからです。

彼女たちがまず人間性から判断しなければならない、リアルな出会いから始める必要があるならば、こうはならないでしょうが、現実問題としては婚活ビジネスのユーザーにならざるを得ない人は多数います。

 

婚姻というのは、日本の法体制から鑑みても、社会的世間的に体制内に組み込まれています。婚姻できないという人は体制外ということで、少なくとも日本のシステム即ち社会や世間に適合的ではないという一つの証明になります。

例えば、僕は挫折経験が多く、非常に長い時間闘病していたため、世間に適合できません。従って、婚活ビジネスを使えず、体制外ということになります。

若い男性の労働者のほとんどは年収500万に到達できません。従って若い男性の労働者のほとんどは体制外です。体制外だから婚活ビジネスを使えないわけです。

彼らからすれば、自分を選ばない女性に問題があるように思うでしょう。実際のところ、男性のみならず若い女性のほとんどはホワイトカラー以上の男女を嫌悪していることが多いです。にも関わらず、女性はオール4の男性を婚活で求めているように見えます。

とすれば、若い男性が女性を毛嫌いするようになるのは当然でしょう。そもそも土俵に上がれないのですから。

フェミニストはそれを無視して、「男性の特権」と主張し、「ホワイトカラーの女性の地位向上」を主張します。

若い男性の労働者からすれば、フェミニストの主張は男性の特権があるにも関わらず、女性より地位が低いのは自分たちに原因があり、それゆえに体制外で、だから女性たちから拒絶されているのだ、と思えるわけです。

だから、若者にとって、フェミニストは体制側即ち保守なんです。

実際、フェミニストで利益を得るのはホワイトカラーの女性で、彼女たちは普通に新自由主義政党を支持することもあり、実際に体制側は新自由主義の側からホワイトカラーの男女同権を進めようとしています。男性の若者の大半より、フェミニズムは保守であり右翼というのが真実なんです。

 

日本のフェミニズムはそれらを見えていません。いわゆる弱者男性がフェミニストに対して怒りを表明することを「インセル」だの「恋愛は差別的」だのと一蹴します。つまり、弱者男性が体制から外れていることを自己責任だとフェミニストの大半は主張しています。

日本のフェミニストが「アッパーミドル以上に限る」とか「挫折経験があるまたは年収が350万以下の男性を除く」とか補足説明していることは全く見たことがありません。

 

アメリカでは、フェミニズムはリベラルというより新自由主義色が強いものです。日本もまさにそうなりつつある傾向が見えてきていると考えます。

実際のところ、社会民主主義勢力のフェミニズムとツイフェミとでは、その主張にかなり乖離があるように思われますし、リベラル側は社会状況の変化に対応できていません。

このままでは、アメリカのように、リベラルはフェミニズムと距離感が生まれるようになるでしょう。

今現在、日本のフェミニズムはギリギリ左派の部類と見做され、左派は一定の影響力を有します。フェミニストが貧困差別主義者に陥り、新自由主義化する前に、強いリーダーシップと影響力の行使が望まれるでしょう。

 

また現在の婚活ビジネスが妥当でないばかりが問題があるのは自明です。離婚率の上昇と婚姻率の低下は明らかであるのに、婚活ビジネス業界は旧態依然のシステムを用い、利益を最優先しています。

これらは出生率を上げ、階層を再生産させたい体制側にとっても、社会から排除するのではなく包摂したい側にとっても、個人の幸福を追求したい側にとっても、主要な課題です。

現在の婚活システムが続けば、アメリカのように弱者男性が不穏分子化し、社会や政治に非常な悪影響をもたらすようになるでしょう。何らかの是正を行うかもしくは妥当なシステムの構築を積極的に支持するなどの政策誘導が必要です。

 

 

(日記)最後の決闘裁判とRock you!

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ヒロイン「女性を愛するのも、男の都合て訳?」

ヒロイン「私を愛してるなら、不名誉な戦いをして」

ウルリックが槍試合でわざと負け続けた後。

ヒロインの従者「お嬢様は、私を愛してるならこの後の全試合勝って、と申してます」

ウルリックの従者役友人A「女心は分からない」

ウルリックの従者役友人B「女は男心をよく分かってる」

 

最近、定期的に調子悪くなるので、心配してくれた親が実家にしばらく帰ったら?と提言してくれました。

おそらく内分泌系の調整が入っているため、疲れていたりすると、急に鬱になると予測されます。今まではエピネフィリンが過剰分泌気味だったので、誤魔化しが効いていたのが、エピネフィリンの調整が済んだので、内分泌系の不安定感をモロに受けているというわけです。ホルモンは人間の生命維持にとって優先順位が低いので、調整は最後の最後なんでしょう。

親に甘えさせてもらうことにして、昨日から実家にいますが、暇です。

ゲームがない笑

年末特番とか年始特番とか、他人と比較して鬱になるだけなので、昨日からNetflixで映画観てます。

昨日は最後の決闘裁判、今日はRock you!観ました。

 

最後の決闘裁判

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時は14世紀。百年戦争の後半期のフランス。

2人の騎士と妻との男女関係の軽いもつれが決闘にまで至ってしまった話をそれぞれの視点から物事を解釈した、三部構成で成り立っています。

ジャン・ド・カルージュ…百年戦争の影響で地代が上がらず、騎士身分の維持のために、フランスの戦争に積極的に参加しました。元来、保守的な騎士身分出身であり、悲惨な戦場暮らしが長く、権益を不当に奪われてしまったこともあって、劣等感から伝統に固執し、それが不幸を招くことになると疑いもしない人物です。

ジャック・ル・グリ…ジャンの親友の騎士身分ですが、ジャンと違い、自身のキャリアアップを宮廷に求めました。知的で、実務に長け、オシャレであり、合理的ですが、同時に非情かつ身勝手でもあります。自身の能力を伯爵に売り込むと、伯爵領の代官となって、積極的に地代の徴収に困る友人たちに対し、税を徴収します。彼の正当化根拠は「伯爵家に資金がなくては戦争の準備ができない」というものですが、伯爵も彼も贅沢に享受し、女遊びばかりしています。

マルグリート…実家は富裕でしたが、イギリス方に与していたため、家名存続の危機にあります。彼女自身は当時のお嬢様にしては珍しく、読者ができ、実務能力もあります。家名存続のために、百年戦争で功績を上げていたジャンと結婚しました。

 

ジャンは百年戦争のおかげで地代が上がらず、戦費も嵩み、金欠気味で、敵方だったとはいえ、富裕なマルグリートと結婚は願ったりかなったりでした。しかしマルグリートの方はといえば、否応なしでした。マルグリートの実家が富裕であり続ければ発言権があったでしょうが、マルグリートの実家がイギリス方だったため、マルグリートの持参金となっていた土地が伯爵に奪われてしまいました。

ジャンは伯爵家や王家に訴えますが、両家とも訴えを棄却します。歴史的には、王家は中央集権化を画策していたため、地方の地主である騎士を抑圧しにかかっていたからでした。

それらを助言し、実行に移していたのはジャンの友人であるジャックでしたが、ジャックはジャンに同情しながらも手を緩めることはしませんでした。目的に対して冷血に振る舞え、また快楽主義的でもあるジャックを伯爵は気に入り、ジャンの実家が代々受け継いでいた代官の地位をジャンではなく、ジャックに任命します。当然ながら、ジャンは怒り、伯爵やジャックに抗議しますが、なしのつぶてでした。

ジャンは金欠であるため、フランス王家のためにさまざまな戦争に参加していましたが、その忠誠が報われることなく、ますます塞ぎ込み、マルグリートに対して束縛を強めます。

ジャンは家名存続のためにマルグリートに後継を求めます。また伝統に基づいて、マルグリートに屋敷からの外出を禁じました。マルグリートは元来、外向的な性格で、有能でもあるため、伝統的な生き方は性分に合いませんでしたが、自身のキャラクターが当時の社会状況では少数派でかつ異分子であると自覚していたので、不満は感じつつもジャンに同意していました。

ジャンは戦場暮らしが長いため、気持ちを押しはかることが苦手で、言葉の通りに受け取る性格であったため、マルグリートが幸福を感じていると誤解していました。

マルグリートはしかし自身の性向を完全には抑えきれないため、ジャンのために良かれと思って、能力を発現してしました。

ジャンが戦場で不在の間に土地の経営を見直したり、ジャンにジャックとの関係を復活させて、ジャックからの搾取を緩めさせようとしました。そのためにマルグリートはジャックを誘惑したりもしました。

ジャックは伯爵とともに売春婦と女遊びするにつれて、自信過剰になっていました。騎士や農民から奪った富は伯爵家に集中し、その一部はジャックに流れ、実際にジャックは伯爵家の代官として権力を振るい、しかもジャックは確かに見た目が良く、自信満々で、博学でありました。ジャックがマルグリートに誘惑されて、マルグリートが本気だと誤解するくらいジャックは自信過剰だったのです。

論理的に考えれば、マルグリートの実家の富を奪い、マルグリートと同じ騎士身分を冷血に搾取し、心がそれほど通っていないとはいえ、マルグリートとマルグリートの夫の地位や資産を貶めているのはジャックなのですから、ジャックにマルグリートが本気になることはあり得ません。

ジャックはしかし女性が自身に対して好意を抱かない筈はないと疑いもせず、自身の「恋」を「愛」と誤解して、マルグリートを強姦してしまいます。それをジャックはマルグリートも同意していたと信じていたのでした。

ジャンはマルグリートがジャックから強姦されたと聞き、マルグリートを保護するつもりで彼女への束縛を強め、自身とマルグリートの名誉を回復するためにジャックへの決闘を王家に訴え出ます。ジャンはそれがマルグリートにとって良いことだと信じて疑いもしていませんでした。

マルグリートはジャンが決闘に負けると、自身や自身の子供が火炙りになると知って、ジャンに抗議しますが、ジャンは聞く耳を持ちません。

マルグリートはジャンに言います。

「自分の虚栄心を満たすために決闘したいだけでしょ」

おそらく、ジャンはマルグリートと上手くいっていないことが事実化し、自身が敵対するジャックに寝取られたことが世間化することを嫌がっていたのでしょう。

ジャックの方はと言えば、自身が少額な慰謝料を払えば済むのに、決闘に同意します。それも自身が勝てば、自身が愛する筈のマルグリートが火炙りになるにも関わらずです。ぶっちゃけ、自称モテ男である自分が好意を勘違いして女性を強姦したなんて認めたら、評判丸潰れだとでも思っていたんでしょう。

ジャンとジャックに共通するのは、自身を客観的に見つめることができず、自身の見解が絶対真実だと疑わず、マルグリート本人にお伺いを立てることすらしなかったことでした。

決闘となれば、宮廷官僚やってるジャックが歴戦の勇者であるジャンに勝てるわけがなく、当時のアーマーの性能やジャックの卑怯な行為のおかげで長引きましたが、ジャックはジャンに殺され、マルグリートは九死に一生を得ました。

ジャンはパリでパレードする道中、終始ご機嫌でしたが、それはやはり自身の名誉のためにやったことだということを証明している行為で、マルグリートからすれは冷めた思いでした。

 

感想

いくら中世とはいえ、マルグリートは同じ騎士身分であるので、やっぱりジャンはマルグリートとコミュニケーションをちゃんととるべきでした。

しかし、ジャンは悲惨な戦場暮らしが長く、その後の伯爵家やジャックの裏切りが尾を引き、自身の保守的で伝統的な世界観に引きこもってしまっていたので、ジャンからコミュニケーションをとることは難しかったと言えます。

マルグリートからすると、マルグリートは若くて経験が不足し、しかもジャンとは同一階層という以外の共通点がないため、マルグリートからジャンをフォローするのは大変難しかったでしょう。

しかも、当時の社会状況は基本的に女性の自己選択権を重視しない時代でしたから、ジャンが自身に適切なパートナーを選ぶことや、マルグリートが対等にジャンをケアすることは大変難しかったと言えます。

 

この作品はフェミニズムが主題であるか?

この作品は三部構成です。つまり、添え物でしかないジャックの勘違いがジャンやマルグリートと対等に並んでいます。もし、この作品がフェミニズムが主題であるならば、ジャックの勘違いはジャンとマルグリートの当時の女性の自己選択権を認めない社会状況から来る、すれ違った結婚と同列には並べられません。

ジャックのそれは男性優先な社会状況というより、単にアホな勘違い馬鹿が女性を強姦して、意地になってクソッタレな主張をしているというだけです。

ジャックの章はジャンの男性優位な社会状況から来る自分本位な考えとの比較であり、つまり、ジャックの一見すると器用で、ハイセンスで、オシャレで、ロマンティックなマルグリートへのアプローチも、究極的には自分のナルシズムを満足させるものだったというのが主題です。

そして、ジャンもジャックも、マルグリートにお伺いを立てることはあまりせず、マルグリートの意志を無視しています。

私はこの作品はフェミニズムというより、男性の自分本位な感情を批判しているものだと考えます。

そもそも、フェミニズムは女性が経済的に自立するものですから、婚姻や恋愛や母性を重視しません。というより、究極的にはある種男性に依存しなければならない婚姻や恋愛や母性を否定します。女性の経済的社会的地位が男性並み向上すれば、男性と婚姻や恋愛をする必要がないからです。

個人的には、いくら女性が物扱いされても構わない時代とはいえ、同一階層内の婚姻であり、持参金の問題もあり、経済的には共同経営者で、その後の人生ずっと一緒なんだから、コミュニケーションとった方がいいし、パートナーが有能なら全部お任せで、尻に敷かれた方が絶対に楽だったと思います。母方の実家は三代続けて養子でした。

私は男性によくいるパターンを批判している作品に思えました。

 

Rock you!

私は男性なので、最後の決闘裁判で、非常に耳が痛かったです。

「あーやっぱり、精神不安定な今は彼女作っちゃだめだよねー泣。(妄想の)彼女苦しめるもんねー泣」

乙女であり、おっさんなので、乙さんです。キモいすね笑

…後味悪かったのと、何故かつーかリドリー・スコットの趣味入りまくりな中世の戦闘シーンが印象的だったので、もしカリフォルニアに中世があったらみたいな感じのRock you!を観ました。

私、これは10回は観てます。

 

あらすじ

屋根拭き職人の息子のウィリアムは幼い時分に騎士…というか騎士が行う槍試合に憧れ、騎士の従者になっていました。

ところが主人は、ウィリアムが従者になる時、あんなにカッコいいこと言ってた癖に、連敗続きで、金欠で、ついに野垂れ死します。

「このままじゃ、俺たちも野垂れ死だ!」と同僚たちが言うんで、ウィリアムが名乗りを上げ、身分を偽って、大会に出場し、病みつきになります。

何故か、イギリス人なのに、リヒテンシュタイン名乗ってます。

途中で、賭けに負けて身ぐるみはがされた、口達者な紋章官を拾ったり、女性ながらに最高の腕を持つ鎧職人と契約したりで、大会を勝ち進みますが、当時最強の嫌味なハイセンスな騎士に敗北します。

ウィリアムは嫌味なチャンピオンに再戦するために、あらゆる大会に出ることにします。

べっぴんさんの貴族のお嬢様がウィリアムを気に入り、いい感じにはなりました。

ウィリアムは試合に熱中しますが、べっぴんさんのお嬢はウィリアムの恋が本物か試すために、冒頭の言葉を言います。

ウィリアムの従者役友人たちはその大会で全財産賭けてたのに、ウィリアムはわざと負けます。

ウィリアムは得意の根性と体力…というか根性と体力だけが売りなので、はじめの一歩ばりの打たれ強さを見せ、順調に負けてましたが、完全に心が落ちたお嬢に次から全部勝てという指令が来て、ウィリアムは訳もわからず、指令に全部応えました。

恋を叶えるのには、究極的には、センスとか金とか頭の良さとか実績とかじゃなくて、プライド含めた自己犠牲が必要てことですね。

…距離感間違えるとキモがられるだけですけどね

ウィリアムはパリ大会で優勝できたので、ロンドン大会でハイセンス嫌味なチャンピオン騎士と戦えるようになりましたが、ロンドンで詐称がバレます。それを試合で対等に扱ってくれたとエドワード黒太子が助けてくれて(エドワード黒太子役の俳優がローマというドラマで軽薄で馬鹿なアントニウス役で、その印象が強すぎて、違和感ありすぎなんすよね)、たかびーで卑怯なチャンピオンを破ることができました。ちゃんちゃん。

 

感想文

こういう典型的なハリウッド映画の良いところて、解説とか感想とか要らないとこですよね。

 

主題ではないですが、ウィリアムの恋の態度がジャンとジャックと好対照で、なるほどと思ってしまいました。

 

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グラディエーターと並ぶて…誇大広告すね。

今日が最後の決闘祭にならないことを望みます。

なんつて。

 

(日記)試運転

人生はいつも大変で、生存のために何もかもを犠牲にしていました。

今年の僕は悲惨であるように思われるかもしれませんが、僕の人生では最も有意義な年でした。

僕が僕の人生に耐え切れるかどうかわかりません。

できるとかできないとかの問題じゃないてところが最も悲惨です。

ハードボイルド過ぎる。

 

僕が資産家でなければ、才能もなければ、フリースペースとか通えたでしょう。

僕が港区の新興富裕層とか港区女子とかのように、自分の欲求に忠実で、他者を顧みることに罪悪感を持たないのであれば、何ら困ることはなかったでしょう。

或いは、二十年以上以前のように、階層分化がそこまで進んでいなければ、使える社会資源が増えたでしょう。

 

今の僕の肝臓は試運転中で、今は内分泌系の調整を行なっている可能性があります。だから、非常に鬱々としていると。疲れていたり、過労になるとこのようにマイナス思考になります。

とはいえ、僕の状況が変化するわけではなく、僕が対峙しなくてはならないことに変わりはありません。

僕は誰かの助けを借りたいし、社会からの助けも欲しいですが、必要最低限しか得られません。友人は少なく、非常に忙しく、日本の心理療法は問題があり、フリースペースなどでは対応できません。

皮肉な話です。随分偉いところにコンサルティングやってるのに、社会福祉に寄附しているのに、僕自身は社会的に孤立しており、自力で地歩を築かねばならないわけです。

この偏見と先入観とステレオタイプにまみれた日本の世間で。

 

…とにもかくにも内分泌系の調整が終わるまでは前に進むことはできません。何か活動すれば、問題が増えます。

どれくらいかかるかわかりませんが、半年以内でしょうし、それまでは静かに過ごします。小休止て奴です。

焦る気持ちはありますが、もう時間がオーバーしてるので、意味ありません。

39も40も大差ありませんから。

 

皆さんは良いお年を。

そして、来年も安定した一年になりますように。

僕はそんな人生送ったことはないですし、たぶんこれからもそうでしょうね。

非常に羨ましい限りです。

 

(社会)モテの定義とは何か

一般的に流布しているモテの定義は「付き合った数」です。

私は今からこの俗説を完膚なきまでに粉砕します。

代わりに私なりのモテの定義を打ち出します。

また完全に誤った説が流布し、反論さえないことを社会的な見地から説明しようと試みます。

 

A 交際した人数が多ければモテになるのか?

交際した人数をモテの基準とするのは一見すると妥当なように思われます。特に男性から鑑みた場合、恋人と連れ立って歩くのは自慢になるでしょうし、恋人がいない男性からすれば劣等感を抱かない人は稀でしょう。

しかしながら、誰かと交際しようと活動を始め、失敗しているケースのほとんどはそもそも交際対象との出会いがないことです。出会いがなければ、どんなにモテる人でもモテません。

一般的によくある状況下では、モテる男性がモテない、というのは論理矛盾になります。つまり、交際人数がモテの基準という説は妥当ではないということです。

 

例えば、AとBという男性がいたとします。彼らは35歳で、外見的魅力、話しぶり、価値観、資産や収入、経歴に大して差がないとします。Aは大学院から研究職になり、Bはロースクールを出て民事系弁護士になりました。彼らの交際した人数は果たしてどれくらい違うか想像してみて下さい。

Aの生活は男性が大半の職場で、研究対象に向き合うというもので、恋愛対象はほとんど周りにおらず、Aの友人も似たようなものでしょうから、合コンを開くことすら難しいです。

Bは人とその個人的な状況に接する仕事で、仕事自体に出会いがあり、当然ながら、BもBの周囲も交友関係が極めて多いと推定されます。例えばSNSの知り合いの数はAと10倍から100倍違うでしょう。

方や合コンすらままならず、方やいくらでも恋愛対象になりうる人がいる人。職種以外条件は同じですよ?

Aが非モテ、Bがモテと言えるでしょうか?

二人が同じコンパに参加したとして、顕著な違いが生まれるようには思いません。

 

今度は条件を価値観に変えます。Aは恋人に誠実または嘘つけないタイプで、Bは恋人に不誠実であり、自身の性向を隠蔽できるタイプとします。それ以外は職種も含めて、全て条件が同じとします。

Aが恋人ができた場合、Aは交際人数を増やしません。仮に20歳から5年交際して別れ、1年休止、また5年交際して、1年というサイクルを35歳まで続けたとします。交際人数は3人です。

Bは恋人の有無によって交際人数を限定されません。Aは一年で交際相手を見つけることができるので、Bも同じだとします。20歳から35歳までにBは15人と交際します。

果たして、BはAより遥かにモテ系だと言えるでしょうか?価値観以外全く条件が同じなんですよ?

 

このようなことは単純な算数の知識があれば、容易に見抜くことができます。

女性と交際できる確率が5%の人が交際対象100人いるとします。かたや女性と交際できる確率10%の人が交際対象10人とすると、前者が5人交際可能に対し、後者は1人しか交際できません。

前者と後者が同じコンパに参加すれば、後者が2倍モテるにも関わらず、です。

 

現実問題として、人の魅力に大きな格差はありません。恋愛対象の趣味趣向は結局のところ様々で、決定的と言えるのは男性の経済力と女性の外見的魅力でしょうが、それも自活不能とか目も当てられないとかいう、悲劇的な状況でなければそれほど左右するように思えません。

そもそも恋愛というものは釣り合いも大事な要素で、自分と同じようなモテ具合の人と交際する傾向にあります。でなければ、街角でP活カップルとか発見しようがないでしょ?

ということはモテる人ほど交際する機会が減ることもあるんです。勿論、下半身さえあればいいみたいな人なら関係ないんでしょうが。

となれば、交際人数で決定的なのは、交際対象の母数であり、つまり出会いの機会の数だ、ということになります。これじゃあ、モテる基準にはなりません。

 

恋愛するタイミングというのも人それぞれです。

恋人の有無に限定しない人、絶対に浮気しない人、別れたらすぐ次に向かえる人、しばらく期間を置かなければならない人、キャリア形成で一生懸命だった人、挫折していてそれどころではなかった人、挫折した依存心から恋愛に逃げていた人、責任ある職とは無縁で、いつでも相手を探せている人…それらを完全に無視して、交際した人数=恋愛対象がたくさんいただけをモテの基準にするのは現実的でも妥当でもありません。

 

B 現実のモテ

実際には、「あいつは何人も交際経験があるからモテる」より「あいつは女子ウケしてるからモテる」という意味合いで使うことが多いと思います。

一般に流布している説は論理破綻しているうえ、恋活なり婚活なりするうえで使えません。自分の恋愛におけるヒエラルキーを間違うので、適正でない相手と交際し、後悔するようなことにもなり得ます。また自分がどれくらい恋活や婚活をして、努力すれば良いのか参考になりません。つまり、自分の立ち位置がわからないということです。

しかし「恋愛対象からのウケ」を基準にすれば、恋愛のヒエラルキーの立ち位置がおおよそわかり、だいたいの可能性を計算して、こうこう努力して、何人と出会えば良いと大まかに予測できます。

 

私は男性ですが、こういう人なので。特別に変な女性でなければ、ほとんどの女性にとって男性と評価できる条件はあまり高くありません。

サイズが合ってる、洗濯して、アイロンがけした服を着て、ちゃんと風呂入ってる、それだけです。単にそれが清潔感。

それ以外は趣味趣向の問題です。

ある女性は自信過剰で、リードしてくれる男性が好きでしょう。

またある女性は母性本能をくすぐる、あまり自信がない男性が好きでしょう。

つまり、毎日シャワー浴びて、身なり正しておけば、あとは趣味趣向の問題だ、ということになります。

無理してブランド物で着飾る必要はありません。ちゃんと清潔感があれば、無印でもかっこがつきます。

 

例えば、私は街を歩けば、5回は女性に見られます。女性の店員さんの5人に1人は嬉しそうにしてくれます。

つまり、計算上は10人に2人は脈アリで、自分の好みは10人に1人の割合だから、10人程度に会えれば交際可能性が出てくる。しかし、私の状況から、10人にマスク無しで出会えることは非常に難しい、となります。最後の文は愚痴です。

 

C 何故、付き合った数をモテの基準とする説に誰も明確に反論しないのか?

いや、そこそこ恋愛経験ある、特に女性は反論というか相手にしてないと思います。まとまった数の交際経験がある男性を女性は露骨に避けます。理由は浮気性の証明またはDVなどの危険性の証明になるからです。長く1人の女性を愛せない男性と付き合いたい女性の方が変わってます。

次にあまりに馬鹿らしい意見に反論するのはネット民くらいです。しかも私みたいに労力をかけるのは、変わり者でしょうね。だから、公には見かけないのだろうと思います。

 

自分をモテると思ってる人の大半は、実際にモテるかどうかではなく、モテててるということを証明することを重視します。交際相手は常に必要ですから、当然ながら非常に多くの人と恋愛し、交際します。それらは確かに膨大な恋愛経験であり、またそれを価値基準の第一にしてます。

ですので、恋愛経験を語る、ネット上の多くの恋愛カウンセラーや自称モテは恋愛経験の数=モテつまり交際人数=モテと評価するのです。

勿論、ちゃんと大人になることができた恋愛カウンセラーはそのような経験自体が間違いだったと認めています。だって、ただ遊んでただけですからね。何の意味もないです。時間無駄にして、スレただけ。

 

これらの悲惨な自称リア充を自称非モテの人たちは自称だと判別できません。それは実際に恋愛経験が少ないからです。

物事を分析し、総括する仕事は多分に内省的で、つまりとんでもなくオタク的活動で、とんでもなくオタク的活動をする人が恋愛経験が多いことはあまりないでしょうから、自称リア充の説がさも正しいかのように流布していても、実際をあまり知りませんから、問題に気付かないのでは?と思います。

僕は半端もんの中身おっ…経験あるので、気付けたわけです。

 

反論があると思います。「女性は付き合う前に相手の過去の恋愛について聞くじゃねーか」と。

あれは相手がモテることを確認してるのではありません。交際相手に変なことする奴か女性を愛せる奴か最も具体的に確認できるからです。

「いやー俺、10人以上と付き合ったから、すげ〜モテるよー」などと言えば、真剣交際の相手としては失格なわけです。

おそらく、最高の回答は「俺は2人くらいしか経験ない。長く付き合うから」で、二番目は「俺は2人くらいしか経験ない。結婚の話になったけれど、俺が挫折したから迷惑かけたくなかった」でしょう。

別にモテ自慢聞きたいわけではないわけです。だから、男性からの女性への過去の恋愛遍歴について聞くのはご法度なわけです。女性から男性へのそれと、男性から女性へのそれは概ね動機と意図が違いますから。前者はテストに対し、後者は男性の自己確認です。そんな相手のアホくさい自己満のために過去のものとした自分の恋愛遍歴を話したくありません。勿論、男性側の動機が女性と同じという安心感があれば、話してくれます。

基本的に自称モテの大半が「やりたい」しかないから、男女のやりとりに無頓着でいられるんです。

 

まとめ)

ぶっちゃけ、交際経験ゼロとなればそりゃ苦労するでしょうけど、10人以上経験があるよりはマシだと思います。

例えば、あなたが女性だったと想像してみて下さい。

「俺は過去に愛した女が5人いた」

はー?て思いません?

俺はその中の1人かよ?1/6かよ?て。

 

(日記)将門公からのクリスマスプレゼント

昨日、恩師と一緒に将門公の首塚に行きました。写真は不謹慎なんで、撮ってません。

凄い整備されていました。

反体制さえも、金になれば包摂する。

神道もとい資本主義恐るべし。

いまや、観光スポットらしく、ツアーにも組み込まれていたりするんだとか。

明治政府もびっくりですね。GHQも「その手があったか!」なんて思うんじゃないですか?

 

将門公の首塚に対面した時、エネルギーが一気に流入したような感じになり、筋肉が強張りました。手を握り締めていないときつかったです。

恩師が「それは神の関係者じゃないと起きないんだよ。初めて見た」と気味悪がられました。

「どういう感じ?」と問われたので、

「うーん…亀仙人がエネルギー溜めて、カメハメハで月吹っ飛ばせるみたいな」

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「具体的じゃない」というので、

「ゲラルトが力の場を発見したみたいな」

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「わかるけど普遍性がない」というので、

「寝起きの時にコーヒー10杯飲んだ気分」

わかるけど…なんか…と言われた。知るか。

恩師が「挨拶したら、定期的に報告義務が生じる」というので、僕は言いました。

「僕はその神道だと特別な存在なんですよね?いちいち大手町はちょっと面倒なんで、神主に頼んでタクシー代くらい出ませんかね?」

宗教を完全に馬鹿にする俺。反体制を観光スポットに変えて、整備する神道に相応しい。

 

一応、神田明神にも行きましたが、なーんも感じませんでした。心の中で呼びかけましたけどね、反応なしです。趣味じゃない連中と一緒に住むなんて願い下げなんでしょ。

僕は前を歩いていた、パパ活やってる女子に興味深々でしたね、むしろ。

うっせぇわ。

 

それで、帰宅したら、通販で買った物が二つも届いてたんです。

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経緯を説明します。

数日前、PCのキーボードをアマゾンで買ったんすけど、サイト上で配達完了になってたのに、届いてなかったので、一昨日カスタマーセンターに電話して、一度キャンセルし、再度注文発送してもらったんです。

そしたら、同じ物が二つ届けられた、と。

カスタマーセンターにクレームつけた身としては、返さなくてはなりませんので、再度電話しました。

担当者さん「いやーこちらの商品は返品不能となってまして…」

僕「え?どうしてですか?」

担当者さん「Amazonでは危険物扱いとなってます」

僕「?え?キーボードが?どうして?」

担当者さん「付属の電池に問題があるとか…ですので、確かにキャンセル扱いとなってますけど、返品不能です」

僕「あーそれは…クリスマスプレゼントみたいな…」

担当者さん「そうです!クリスマスプレゼントとでも思って下さい☆我々のミスすから(早く仕事終わりてーし)」

 

いやね、誰もプレゼントなんかくれない、誰も祝ってなんかくれないクリスマスに、将門公からのプレゼントですよ!タイミング的に!!

 

…でもね、いや、でもね、写真見て頂けると理解されると思われるんですけど、Bluetooth内蔵コンパクトな持ち運び可能なキーボードなんですよね…二つも要らねーよ!

 

でも、僕を見守ってくれる存在がいるというのは有り難いです。

空気読めないかもしれない。

おちょっこちょいかもしれない。

世話焼きかもしれない。

セックスマシンガンズとかマキシマムザホルモンみたいなセンスかもしれない。

でも、かけがえのない存在です。

僕は非常に嬉しいです。

 

追伸 僕は、二、三ヶ月は自分から恋人探しません。アプローチあって、気に入ったら別ですが、自分からは探すことはしません。

今はもう疲れました。

マスク外れるまでは無理です。

将門さんから用意してくれるんでしょ?そういう話じゃないですか?

じゃあ、待ちますよ。

つーか、それ以外は意図的に邪魔されてる感じがする。

 

(日記)自分史

僕の両親は人として凄い問題があるわけではありませんでしたが、親としては問題がありました。
夫婦喧嘩は絶えず、常に暴力が発生していました。
父はボンボンで自分の価値観が絶対で、非常にわがままで、家庭について全く協力したり、理解する気がありませんでした。
母は発達障害の気があり、注意力が散漫で、父からいじめられるフラストレーションを子供に対して当たっていました。
どちらもボンボンで、お嬢ちゃんで世間知らずでしたので、子供に対して適切な導きを与えるのが非常に難しく、定型的な教育を施すことしかできませんでした。
姉はクリエイティブではなく、従って普通の日本人で、周りの環境に馴染める人でしたので、親が適切でなくとも、普通の日本人のように育つことができました。
僕はクリエイティブな人間で、常に本質を見抜こうと考える内向的な子供だったので、必然的に日本人に馴染めず、孤立していました。
親は定型的にしか考えられない人たちですから、そんな僕の個性を完全に無視し、自分の理想を僕に強制していました。
僕は父や母が暴力を伴い、またそれが非常に怖かったですから、逆らいようがなく、徐々に自分を棄てていきました。
しかし姉からすると、父や母は僕ばかり構っているように見えて、僕をいじめるようになりました。
僕はそんな父や母や姉から逆説的に学び、誰かに何かを強制することや暴力を以て、身近な人に当たることを絶対にしないと誓い、如何に小さな幸せを得ることが困難なのか学びました。

 

父や母は僕に中学受験を強制しました。僕は非常に勉強ができましたが、僕と同じように勉強ができる中学受験組が嫌いでしょうがありませんでした。誰かを見下して、いじめることにプライドを使っているような連中だったからです。
僕はこんな連中になるくらいなら勉強しない方がマシだと思って、中学受験を拒否しましたが、親から暴力を振るわれました。
結局受験に成功しましたが、僕にとって失敗の始まりでした。僕は地元の公立に進みたかった。
進学した中高は中学受験組の性格の悪さをそのまま体現していました。僕は彼らのようになりたくなかったですし、馬鹿にしていました。勉強そのものも価値を感じませんでした。
僕は学校で孤立し、問題になりましたが、もはや親をあてにしていなかったため、全く相談していませんでした。
学校側は僕や僕の周りの生徒の問題を公にしたくなかったので、親に黙っていました。
しかし高校になるとそうはいかず、タイミングが悪いことに親と僕との問題が更に悪くなって、僕は一人暮らしを始めてしまい、高校に行かなくなり、学校を辞めてしまいました。
一人暮らしというのも、安いアパートに全く家具がなく、僕が貯めた貯金でかろうじてテレビを買った程度でした。

 

僕は学校の連中がこのままエリートになるのが問題だと思いました。彼らの弱肉強食の論理、ルールを自己都合で曲げる感覚のまま、彼らが社会を動かすようになれば、社会が悲惨な状況になることが見えていたからです。
また、僕自身は僕の行いや考えの正しさを証明したかったですし、誰かに認められたかった。
ですので、彼らを排除し、適正な世の中になるためにはどうすればいいか?どういうことが妥当なのか?ということばかり考えて、やがてノイローゼになりました。
ノイローゼになった僕を親は精神的に問題があると感じ、また僕もいくらか問題を感じていたので、精神科にかかるようになりました。
親が求めた治療は患者の個性を無視し、矯正させるというもので、投薬は最初は統合失調の薬や発達障害の薬をどんどん飲まされました。

 

治療には、途中の断絶があり、その間に彼女ができて、非常に良い子で、僕は切実に小さな幸せだけを求める人間ですから、すぐに結婚の話になりました。
しかし、親が信用するカウンセラーが彼女の前で僕と親との問題について僕を責め、僕は非常に怒り、それがきっかけで入院し、彼女と別れることになりました。
入院生活は悲惨で、二人部屋か四人部屋で暮らし、携帯電話の使用は禁止され、据え置きの不便な有料電話しかなく、患者間のいじめは酷く、ナースはそれに介入せず、それどころか医療者側は患者の問題であるかのように主張し、患者はそれを受け入れて、洗脳されるしかない状況でした。
僕は一年ほどの入院で退院できましたが、それまでの僕を諦めさせられ、歯学部に受験することを強制させられました。
しかし、僕はストレスから体調に問題が発生し、医師は僕に発達障害の薬を飲ませました。
発達障害の薬をしばらく飲んだせいで、自律神経がおかしくなり、ストレスが最大化しました。それが原因でまた家族と問題になり、再び二年間入院しました。
その間問題となる発達障害の薬の投薬は続き、また全く散歩すらさせてもらえない状況に陥りました。
僕の内臓は悲鳴を上げていました。
僕がいよいよおかしくなった段階で、親は問題を感じ、僕を強制退院させます。

 

しかし、何が問題か分からず、僕も親も医療に関して全く信用をおけなくなってました。
そんな中で、僕が社会復帰のために草野球を始めたのは無謀でした。草野球チームのメンバーは僕をいじめて、僕は完全に日本人に嫌気が差しました。
そんな中、通っていた予備校で、今の恩師に会いました。
松井先生はアメリカと日本の両方の弁護士資格を持ち、アメリカ軍に勤務していた経験から、NYの医師に僕の健康状態について質問し、僕の治療が始まることになりました。
僕はこのまま行けば数年で死ぬことを告げられ、必死で治療しました。一切外出せず、脳や肝臓が暴れて、疲弊するのを必死に耐え、十年後に回復するに至りました。
その間、先生は僕の才能に気付き、僕の意見はアメリカ政府や金融機関に受け入れられるようになりました。

 

僕は今年の二月にほぼ回復しましたが、それすら奇跡でした。回復できる確率は50%で、肝臓が自然修復する確率は10%しかなかったからです。
この間、僕は友人をほぼ棄ててました。無用な人間関係に煩わせられる暇などなかったからです。そのせいで、僕は社会復帰をほぼ一人で行わねばなりませんでした。
それでも社会復帰は恋心をバネに必死に頑張りました。
足りないもの、自分が必要だと思ったことはなんでもやりました。国から支援されることはありませんから、金に糸目を付けず必死に行いました。
しかし、ついに不運な失恋し、このような事態になった次第です。

親は今や僕に対する仕打ちを反省していますが、僕は許せるものではありません。
僕は親から教わったことはありませんでした。ほぼ自分で考え、自分で自分を教育したか、松井先生からアドバイスされたことです。
親は僕のことを構わずビジネスの成功にかまけていました。川口歯科の成功は僕の犠牲の上に成り立っています。

僕は確かに資産家で、非常に才能に恵まれ、信じられないくらいの高い精神性を持ち、非常にハイセンスです。しかし僕はそれを得たかったわけではありません。
昔の彼女と一緒に三重のど田舎でのんびり暮らすことを真剣に考えていた人間です。
僕は完全に少数派で、日本社会から孤立しています。僕が本当に欲しかった小さな幸せは、僕がアメリカでキャリアを極めることより難しいものです。
僕は幸福な人生と言えるでしょうか?