merlinrivermouth’s diary

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東京五輪を開催または中止の社会経済状況の比較検討

A 現在の状況及び前提

東京五輪は当初の予定の数倍の費用をかけた。

IOCの再三の懸念表明にも関わらず、東京都及びJOCは規模を拡大し、コロナ禍での開催を予定している。故に中止にした場合、東京都及びJOCは違約金を支払う法的な責務がある。

③延期案は4年後が妥当だったが、安倍政権と小池都知事が蹴った。任期中の開催を目論んだためである。簡単に延期できない理由は次の大会が控え、予選や放映権の問題があるからである。

東京五輪に参加する選手は半減以下と考えられる。具体的には、アフリカ、「インド」以外は事実上選手がほとんど来ないのではないかと考えられる。従って、東京五輪の経済効果は極めて低くなるだろう。

新型コロナウイルスで最も強力だと考えられているのは「インド」型である。

⑥日本でワクチンが行き渡るのは今年一杯かかるだろう。ファイザーとモデルナだけでは全然足らない。

⑦日本の国内経済が疲弊している最大かつ根本的な理由は賃金が上がらず、菅政権になって中小企業をいじめており、国防予算を削れない自民党では損失補償や社会保障する予算を工面できないからである。その原因は国内経済が縮小しているからであって、国内経済が縮小している原因は安倍政権による社会保障の削減が原因である。コロナ禍というのはトリガーに過ぎなかった。

注)事実上の多国籍企業は業績がいいが、日本経済には何ら寄与しない。また国内需要シュリンクしている以上、コンテンツビジネスなどにも限界がある。

 

B 東京五輪を開催した場合の、予測されるシュミレーション及び日本経済や市民に与える影響

最も怖いインド型をインドからの観光客やインドの選手が運ぶ。緊急事態や蔓延防止は考えられないため、たちまち首都圏は医療崩壊する。

日本は感染が爆発した場合の予算や準備がないため、ワクチンが普及するまでは、感染が爆発し続けるだろう。具体的には日に一万人は下らない筈だ。

そうなった場合、今年一杯は緊急事態になるが、今までのなんだかんだで活動可能という切迫感のない状態は考えられない。文字通り、生活物資の買い出し以外の外出はなくなるだろう。

医療崩壊しているため、命の選別は行われるだろうし、救急は機能しないから、例えば脳卒中になれば死ぬしかない。

そのような状況が今年いっぱいかかるとなれば、経済的に激甚である。現在でさえ、経済的社会的影響がバブル崩壊を悠に超えると予測されているが、それを遥かに上回る激甚である。

東京五輪を開催した場合、ある程度の確率で、日本のあらゆる体制が終焉するだろう。

おそらく九月に選挙になり、相当程度、政権交代可能性がある。70%から40%だろうか?

 

C 東京五輪を中止にした場合の考えうる経済的、社会的影響

現在のまま推移するため、日本のミッドミドルは分解し、溶けるだろう。そのため、国内経済は大幅に縮小する。ある意味で、アベノミクスの着地をたった一年で達成したとも言える。

11月に選挙になり、自民党は大幅に議席を失うが、政権交代可能性はそこまではない。20%から10%程度だと考える。

 

D BとCの比較検討

Bは終焉路線である。一億総玉砕体制からの東京大空襲、原爆投下、沖縄戦と続く。

Cは早期降伏路線である。ミッドウェイで負けちゃった的な。

どちらの選択肢が妥当であるか?比較することすらバカバカしい。

そもそも菅政権が五輪開催に執着しているのは、それしか支持率が回復するきっかけがないからだ。菅義偉の状況では、退任後に自民党は助けてくれず、社会的、経済的に破滅する。市民とか国民とか有権者とか国家とか経済とか社会とか言ってられない。自身の人生のために、他人を犠牲にするつもりなのだ。

ヤン・ウェンリーなら、トールハンマー菅義偉を中心に狙うだろうさ。

個人的には、ジコチューな小池百合子はジコチューな菅義偉に構っていられないので、勝手に中止判断する可能性が60%あるように考える。

 

追記)僕が購読しているブロガーが件を「絆と命」の議論だから噛み合わないと主張していた。

絆は自身の心性を表す言葉で、主観的観念を表現している。

命は物理的事象を表す言葉で、客観的事実を表現している。

命の議論とは現実的であり、自らや他者に直接的に影響を及ぼす実物の論題であるが、絆の議論は自慰でしかない。

よって、「絆と命」では命という論題があまりに重過ぎて、絆という論題を無視可能である。

 

実家の歯科診療所経営

診療所経営の話である。

最近、歯科診療所はチェーン展開が流行りである。私はそういう話をよく聞いていたが、十五年前に母が私にチェーン展開の話をした時、私は大反対した。

歯科診療所は金がとにかくかかる。設備のリース費用だけでも馬鹿にならず、最新式に更新する予定があるなら、金がいくつあっても足らない。自前の技工所がなくては、即座に責任ある仮歯は用意できない。衛生士を雇うのと歯科助手で済ませるのとでは雲泥の差だ。ドクターは専門領域のプロがよく、博士クラスの知識があった方がいい。

父は極めて保守的な人間で、中間団体性を強く求める人物だった。即ち、衛生士や受付を含めて、労働基準法にがっちり守られているべきで、ドクターは完全歩合であり、患者に対しては最適な治療を行う義務がある、と。父は労務管理の内規を作るにあたり、弁護士に言った。「労働者に場を提供するのは、管理者としての責任だ」。

私は経済的合理性のもとにこう考える。最適な治療を行うには、管理コストを削るしかない。つまり、チェーン展開はもってのほかで、役員報酬も最低限度に留めるべきで、余計な金は人件費と設備投資に回すべきだ、と。最適な治療を行うことによって、うちに通った自費診療が目当ての富裕層やアッパーミドルは固定される率が高く、保険診療が目当ての中間層以下の患者も他と値段が変わらないのだから、やはり固定され、新規患者になりやすい。しかも、経営危機になるリスクが基本的に最も少ないので、長期的には、半永久的に儲けが出る。他の診療所の質が落ちれば、独り勝ちできる。我々が目指すのは、トヨタとか日産ではなく、メルセデスベンツである、と。

実際にうちの規模なら、役員報酬は一億貰っていてもおかしくないが、うちは合計でたった三千万である。

 

昨今の流行はチェーン展開であるが、ドクターのほとんど全ては院卒ではないし、衛生士もあまり雇っていない。専用の技工所を持つ診療所は数件で、ほとんど外注である。設備投資がどうなっているのかは知らない。

ドクターと完全歩合の契約をして、労働基準法をがっちり守る内規を定めるという、現在の資本主義に真っ向から逆行するのはうちくらいだろう。

彼らは役員報酬を我々の数倍は得ているだろうし、チェーン展開によって雑多な管理コストがかかることになる。

東京は歯科医の競争が激しいため、近くにある程度資本がある診療所ができれば、ドクターや衛生士はともかく、設備と真新しさで負けることになる。それを防ぐために宣伝にも資本を投下しなくてはならないが、TVCMするほどではないため、効果が限定的になる。

あまりに杜撰な経営や人事への投資を怠ると、治療に何か問題が起きたり、管理ミスが起きる。そうなると厚生省や財務省の介入があった場合、大変なことになるリスクを抱える。我々みたいに真っ当にやり過ぎると、どこかの嫌がらせで、厚生省なり財務省が介入しても痒いだけだが、彼らはそうはいかないだろう。

つまり、儲けられる期間は限定的で、専門家責任の問題になるリスクがあり、患者にとっては最適な治療を受けられるかどうか不安含みである、というのが大方のチェーン展開である。

しかし、彼らはそれで失敗か?と言えば、そうでもない。銀行が担保にしているのは医療法人と診療所である。つまり、役員はその間に荒稼ぎして、引退してしまえば、十分に儲かるのである。彼らがこのビジネスモデルを直ちに止めるかどうかは疑問だ。

こういうビジネスモデルは銀行が永続的に儲かるだけだ。銀行から投資を受けたチェーン展開の医療法人を負かすのは、大抵、新たに銀行から投資を受けたチェーン展開の医療法人なんだから。

 

このような医療法人のビジネスモデルは増えてきているが、我々にとってはいい傾向であったりする。腕に自信があるドクターが応募してくれる確率が高くなり、衛生士学校は生徒に就職の候補として、うちをおすすめしてくれる。因みに我々は何もしていない。自分たちの噂を聞いてびっくりしている。

患者特に富裕層やアッパーミドルはますます我々の診療所に通うことになる。友人の評価ほど当てになるものはない。サイトを眺めれば、量販車を製造しているのではなく、メルセデスベンツをやっているということは一目瞭然だ。

 

私は歯科医師ではないが、たまに思う。医療法人の経営者に限らず、昨今の富裕層は責任とか義務とかノブレス・オブ・リージュとか名誉とか尊厳とか、自己利益の前にどっか逝っちまったんだろう、と。

 

川口歯科診療所

https://www.kawaguchi-d.or.jp

 

追記)川口歯科診療所には、どこかが政治力を使い三ヶ月に一度、財務省と厚生省が介入している。しかも何も出てこないばかりか、ますます健全経営になるというオチである。

勿論、財務省と厚生省のあまりに頻度が高すぎる介入は違法行為スレスレである。あまりにうるさすぎたので、まず財務省を黙らせた。恩師は弁護士であり、恩師の父親は財務省OBで、恩師自体も自民党の政治家とコネがある。財務省の行いはそもそも違法行為スレスレであったため、新宿税務署の官僚は出世コースから外れてしまった。本来なら、検査は数年に一度しかあり得ず、十数度はあったため、財務省の介入は三十年間あってはならない、ということになる。とはいえ、我々は税金逃れとか闇金作りはしない。おそらく、政治力を使ったどこかは税金逃れと闇金作りをしているんだろう。

恩師は宏池会民主党リベラルと強いコネがある。次の内閣では宏池会民主党リベラルが厚生労働大臣になる確率が極めて高いことから、私はそれらを利用し、政治力を使ったどこかにしたたかに逆撃を加えることを提案した。

おそらくこの逆撃は最低でも今までのような経営ができなくなり、最悪一刀のもと、首跳ねられ、市中に晒されてしまうだろう。

 

2021年の日本政治の予測

補選全惨敗という結果から鑑みるに、菅政権が有権者から信認されていないのは予想できる。

コロナ禍の、対コロナ政策、経済的失敗は日本経済や社会状況に致命的なダメージを与えかねない。

対コロナ政策の失敗即ち、入国規制の不備、当初の蔓延防止策の無策、医療体制の構築の失敗、ワクチン確保の大幅な遅れ、にも関わらず五輪に執着するさまは、全階層に菅政権の無能を刻印付け、菅政権ではコロナ禍を乗り越えられないことを強烈に印象付けている。

経済的失敗は、確かに日本は中間層を分解して、中進国になる路線であったが、コロナ禍においてもそれを中断しないばかりか加速させてしまったため、国内経済の回復の見込みが全くない。現在、失業率が上がっているが、中小の連鎖倒産や来るべき整理解雇が始まれば、バブル崩壊を上回る大失業時代がコロナ禍の最中に到来することになる。財界ですら、菅政権を見放すだろう。

というより、既に菅政権は死に体であるように考えられる。でなければ、全く成功の可能性がないにも関わらず五輪に執着する理由が説明できない。つまり、このままでは確実に菅政権は終わりなので、乾坤一擲の賭けに出ているということだ。

現在、それでも大衆は不安があっても危機感が薄いように思える。それは整理解雇がまだ始まっていないからだ。一度どこかが始めれば、危機感を抱く前に、危機的状況に陥る。

 

菅政権は東京五輪を開催した場合、九月に選挙するのではないか?と言われている。自民党としてはいずれにせよ11月に選挙せねばならず、早く選挙した方が傷が痛まない。菅政権としても五輪が失敗したとしても、支配しているマスコミに五輪成功というデマを流させるだろうし、11月に他の逆転の要素があるとは思えない。

例えば9月までに大企業が整理解雇を始める公算が高いが、その場合、政権交代可能性がある。財界も自民党に投票しにくく、医師会を除く医療業界も民主党政権の時のように、野党に投票するだろう。

 

以下パターンである。

自民党が勝利し、公明党自民党の主導権を握る場合。

宏池会または西村大臣が首相になる。日本政府は防衛予算に手をつけなければ予算が足りないため、自民党では国内需要を支えられない。

中進国路線は非常に早いスピードで完成し、失敗が刻印づけられることになる。

 

②野党が勝利し、立民が保守化する場合。

野党は防衛予算に手をつけることができる。特にF35Bは欠陥機であり、購入を先回しにできる正当化根拠がある。

立民が財界からの支持を得る場合、国内需要への本格的な支援はミッドミドルまでとなる。立民は本来、人間のラインはミッドミドルまでだ。

このパターンはあまり可能性が高くない。何故なら、立民は自民党との区別化をした方が得策であるし、財界は窮余の策で自民党を支持しないだけで、本来は自民党支持である。しかも共産党の関係はご破産になる可能性がある。

 

③野党が勝利し、立民がリベラル化する場合。

野党は防衛予算に手をつけることができる。

立民が無党派の支持を増やしたい場合、国内需要への支援は全般的に行われる。次の選挙も考えたら、共産党との関係も容易に切れないだろう。

立民は支持を確かなものにできるから、自民党との二大政党に近くなる。しかしコロナ禍が収まれば、財界は中進国路線に回帰しなければ立ち行かず、有権者も喉元の熱さが過ぎれば、忘れてしまうだろう。

 

おそらく九月には、東京五輪の失敗、ワクチンの数が足りていない、再度かつ先が見えない緊急事態も重なり、政権交代可能性は相当程度高くなる筈だ。

 

余談)論と全く関係ありません。

俺が小室氏と眞子氏ならアメリカで会見して、「日本に帰らねー」て宣言するね。そして、さんざ名誉毀損行為やってる連中の誰か一人をターゲットにして、アメリカでスランダーを起こし、社会的かつ経済的に破滅させ、見せしめとする。既にメーガンの前例がある。俺なら日本人に三行半だ。

ついでに、アメリカの司法で、「皇族が法律上人権がないのはおかしい」と主張すればなおよし。

ま、体制側はめっさ焦って、結婚認めるさ。皇族に人権ねーというのはやべー話で、場所がアメリカなら誤魔化せないし、今はバイデン政権で、「星の王女さま、ニューヨークへ行く」みたいにセンセーショナルなうえに、小室氏が通ってる学校には趣味的な仕事に興味ありそうな弁護士がたくさんいるだろう。

俺は皇族なんてどーでもいいが、流石にこの世間の何の正当性もない虐待に関しては、義憤を感じずにはいられない。

酒にむかいてまさに歌うべし

僕の人生は孤独なものだった。行きたくもなかった学校に通わされ、義憤でノイローゼとPTSDになり、親にヤブを紹介されて病気が始まり、断続的に、中断があっても、徐々に健康を蝕まれ、数年前に恩師に会って、やっと問題に気付き、薬を数年かけてやめ、健康を取り戻し、人生が開けた。

アメリカにある統計によると、数年のうちに生存できる可能性が40%、完全に健康を回復できる確率が5%、脳と肝臓の機能が強化される確率が‰即ち1/100000。

僕はニュータイプ能力を開花され、強化された。或いは体制の実験台となり、悪魔の力を身につけた正義のヒーローになった。

僕の人生は地獄だった。思うように脳と体が働かない状態でよくぞ自ら死後の世界に移住しなかったと思う。周囲の心ない偏見は、しかし僕の人間性を破壊できなかった。

将門が僕に惚れ込むのは当然だった。

恩師は言う。誰よりも明るい未来が待つと。

高卒でアメリカの政府機関やら金融機関に僕のレポートが残るくらいだから、そうだろう。中学生がプロ野球選手と対等にプレイしているようなものだ。プロに行ったら、何度三冠王をとる気なのか分からない。

だが、それはあくまでパブリックのことで、プライベートではどこまで悲惨さが拭えるのか分からない。中高の同級生たちは人間のクズだ。今でも僕が裏口入学したと噂している。専門行ってた時の連中は口ばかり達者で、あまりに仕事や金にだらしがない連中が多かった。病気してた時に付き合いがあった連中の中にはちゃんとしてた人もいたけれど、嫌な記憶を思い出したくないだろう。少なくとも、僕よりは遥かに症状が軽く、上手くいってる奴も多い。それ以外で会った連中は僕の根深い日本人不信のせいで、仲良くしようと思えなかった。

つまり、僕は基本的に嫌なことばっかりの人生で、友人は二人くらい。あとは人間関係なんてあってないようなものだ、ということだ。

僕は日本人の歴史上で、最も厳しく、長い労苦を耐え抜いて見せた人々の一人だろう。だから、日本人の中で最も精神力があり、孤独に強い。だが、そのような僕でもたまに非常な寂しさに駆られる時がある。

過去を振り返っても、後悔はあまりない。僕に起きた問題のほとんどは僕に帰責性はなかった。だからこそ、かえって、この残念な気分は怒りを呼び起こすし、それだけ悲しい気持ちになる。

ある種の才能には代償が必要だ。

だが、僕は好きで才能があるわけじゃない。僕の小学生の夢は小市民だった。僕の好きとか嫌いとかの問題じゃなかった。他者が羨むようなものを僕は持つが、僕は誰もが持てるとされているものを持つことが難しい。

飲んで、歌えば、気が晴れる。

僕は今はまだ酒飲めないから、代わりに爽健美茶で済ます。随分健康的だな、おい。

 

曹操は偉大な詩人でもあった。三国志演義で語られるような人物像とまるで違い、贅沢が嫌いで、権力は手段であり目的ではなく、個人的な野心はほとんどなく、教師的で、感情豊かで、人間性を大事にする、落ち着かないオタクやミュージシャンみたいな人物だった。

理知を統合できる人は本能的に本質を見抜け、それに対して真摯だ。彼はそういうタイプだった。

彼が歌った五言詞という形式は、庶民が楽器に合わせて歌ったもので、彼は歌を創作した。詩の内容は後世、下品とされた。彼の次男の曹丕が中品、三男の曹植が上品である。彼の詩が直裁的で、反骨精神があるからだ。

言わば、彼はロックミュージシャンだった。

歴史的には珍しく、彼は妻の二人と共に墓に葬られている。

 

曹操 短歌行

 

酒にむかいてまさに歌うべし
人生いくばくぞ
たとえば朝露のごとし
去り行く日のはなはだ多し

熱き情はたかぶるままに
つらき憂いは忘れ難し
何を以て憂いを解かん
ただよき酒あるのみ

青青たるきみが衿
悠悠たる我が心
ただ君が為のゆえに
沈吟して今に至れり

ゆうゆうと鹿は鳴き
野の草を食む
我によき賓有らば
瑟を鼓し笙を吹かん

 

 

明明として月のごとし
何れの時にかひろうべし
憂いはこころより来る
絶つべくもなし

陌を越え阡を渡り
ただひたすらに訪ね求めん
杯かわし語り明かさん
心におもうは旧き契りぞ

月明らかに星稀に
烏鵲南に飛ぶ
樹をめぐること三たび
何れの枝に依るべきか

山は高きを厭わず
海は深きを厭わず
周公哺みしものを吐き
天下心を帰せん

 

これを読んで、記憶にある、数少ない良き友人たちを思い出す。僕は余裕がなかったから、彼らは僕が関係を絶った連中の巻き添えを食ってしまった。

 

酒を飲むと言えば、河島英五酒と泪と男と女

 

https://youtube.com/watch?v=Uxy9Keo_KVc&feature=share

 

俺は男だけど、今は酒を飲めないから、泣き通すしかない。

 

異性に誠実であることの恩恵。モテようとすることの対価。

昨日、一人で井の頭公園を散歩した。野外なのに三密だった。一人で散歩していたのは僕くらいなもんだっただろう。

カップルが多かった。確かにデートには定番である。まーこんなに混んでたら、ムードもあったものではない。池を行き来するボート郡はラッシャーアワー状態である。

「ぶつかってコケろー!」とお約束を心の中でつぶやいたりしてみた。

前を歩いていた女子大生たちが「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ〜」と浮かれていた。「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ」ではない。「あの子、新歓コンパでやりまくってたらしいよ〜」である。彼女たちはポジティブな噂話として語っていた。どうも我々の世代とは価値観が違うらしい。

しばらくして、前を歩いていたカップルの彼氏が「こりゃ三ヶ月で別れる付き合い方だな」と彼女に言っていた。「そう思うのなら、三ヶ月で別れるでしょうね」と心の中で答えてみた。

 

僕の世代でエリートじゃない方やゆとり世代でエリートじゃない方は恋人に誠実であるということを強く求めていた。それは付き合う過程においても要求された。

フラれたりしてから、すぐに次の恋人と付き合うのは軽蔑された。他の相手に保険をかけたりすることは元恋人にも現恋人にも一途でないと見做された。

当然ながら、二股などは唾棄の対象で、セックス目的で色々な相手を求めるのは、童貞より遥かに軽蔑された。

いや、童貞とか処女とかいうことに取り立ててマイナスイメージはなかった。本気で恋する出逢いがなかったとか、運が悪かったとか、その程度の印象だった。

また、恋愛に関してステレオタイプ的な見方は一切なかった。相手がどういう仕事についてるとか、どれだけ資産あるのかとか、そういうことは本気で恋愛して、結婚にまで考えが及んでからで、付き合う前からそのような勘定をすることは、ビッチ扱いの最低評価だった。

恋をして、本気で好きになるという本質的な部分こそが評価対象であって、恋愛のために恋愛をする、寂しいから恋愛をするなどというのは、まともな評価を与えられなかった。

つまり、そもそもいかに恋愛に真摯で、好きな相手に誠実で、どれだけマジになれるか?が最も重要だった。

最近では違う。やった「数」、付き合った「数」、交際した「期間」、数字で表されるものがモテるとされる。そういうことができるツールにも事欠かない。身バレしない、何股でも可能なマッチングアプリが無数にあり、SNSのメッセージだとて何でも使える。

メロンダウトさんが言っていた通り、最近の恋愛は個人がステータス化され、無機質なやりとりをゲーム感覚で使える者がモテる傾向にあり、「モテる」ということにプラスイメージしか持たなくなった。

僕は最近恋愛しようとしていて、今は合コンは難しいため、アプリやSNSしかないし、僕はそのようなツールを恋愛目的で使ったことがなく、最初はかなり戸惑った。どうなっているのか色々検索した結果、昨今の恋愛事情というものが僕の中でイメージできてきた。

男性がアプリでモテるためには、高いスペック、良い宣材写真、定型文に沿った自己紹介文、イイねをたくさんもらうことがいる。イイねを沢山もらうためには、全く気がなくとものべつまくなしにイイねを送り付けることが必要だ。定型文に沿った自己紹介文なので、人柄や真の知性など推し量ることはできない。究極的にはスペックだけの勝負になり、男性も女性も何人もの相手といくつかのツールを使って同時並行的にアプローチする。アプローチ段階でも、定型文に沿った、つまらないメッセージのやりとりがほとんど全てだ。見た目がいい女性はものの48時間で大量のイイねを受け取るから、割とすぐにマッチングできるし、逆に相手を絞らないと大量のイイねに忙殺されることになる。そもそも非常に短期間でデートする相手を見つけるのがマッチングアプリの売りだ。

そこには、誠実さとか、真の知性とか、教養とか、人柄とか、基本的に見えないし、あり得ない前提になっている。あくまで設計が古い出会い系サイトが基本になっているため、セフレを探すのと同じように恋人を探すことになる。

今やそれが普通で、異性に対し不誠実であることこそが前提だ。だから、「新歓コンパでやりまくったらしいよ〜」という噂がポジティブなものになるし、「三ヶ月以内に別れる」のが一般的なのだ。

 

匿名恋愛相談で、何股もかけている、偉そうな物言いの男性が言っていた。「普通の子てなかなかいないよ」。

恋人と結婚相手とは内面に求める属性に違いが生まれる。恋人には会話が楽しい方が優先されるかもしれないが、結婚相手にはより地味な、身持ちが固いとか、社会常識があるとか、優しいとか、ステレオタイプの価値観に流されないとか、そんな内面の方が重視されるだろう。

つまりいわゆる普通の子とは、結婚生活に向いている人をいい、これらの条件は男性も女性も同様だ。

僕は完全に後者のタイプで、後者のタイプとしか恋愛したことはない。これにはちゃんとした理由がある。遊びの恋愛を否定し、どこかで結婚を望んでいる、一途な付き合いを求めるような交際を人生に対して一貫して持っている人は、異性と会った場合、その内面を推定して、シュミレーションする。不誠実にならないように、運命の人を見逃さないように、失敗しないように。

誰かと付き合うということは、基本的には誰かと付き合えないことを意味する。誰かと付き合っていても、まさに自分が恋する相手が他にできたら、厄介なことになる。そもそも付き合っている相手が自分を夢中にできないこともある。

だから、我々は恋愛に慎重で、交際した人は少なく、ダラダラと交際を続けることもない。そして節操のない遊び人を見極めるアンテナを持つ我々からすれば、「モテる」というのは、ヤリチンとヤリマンが相手をお互いに回しあっているだけで、何の価値も見出せないのだ。

遊び人を見極めるアンテナというのが非常に重要なのは、自身が誠実である以上、相手になんらかの非違行為や外在的要因がなければ別れ難いし、その間、自身に適合的な相手を見逃すことになるので、付き合う前に対象から外す必要があり、大変重要な役目を持つ。このアンテナは半年とか一年ではできない。だから、人生の価値観が地味で、真面目で、一途で、誠実である必要がある。

つまり、「普通の人」はモテないし、「モテる」相手をキックするから、お互いに恋愛対象に入れない。だから、遊び人は普通の子に出会えない。

真面目な恋愛をするタイプは真面目な恋愛をするタイプと付き合い、結婚し、精神的に充実した生活を送れる恩恵に預かれるが、不誠実なタイプやステイタスに拘るタイプはその代償を結婚や結婚生活で支払うことになる。

 

昨今のツールは、しかし、事実上、不誠実な付き合い方しか認めておらず、それが一般的である。これではまだ経験の浅い真面目なタイプもこれに巻き込まれるし、異性を見るアンテナを育てることが難しい。だから、同族を見逃しやすくなり、遊び人タイプに騙されやすくなる。

不幸な婚姻が増えてきているのは、完全にコレが要因だろう。アプリでは、真面目なタイプはモテないから見逃されがちになる。

真面目な女性は見逃されがちな同族の男性を探すために、以前と違って異性に積極的になる必要があるが、そもそもアンテナを育てられないならば、同族の男性を見極めることができない。

僕からすれば、マッチングアプリは我々を遊び人がゲットできる今までになかった唯一のツールで、我々を絶滅させる危険な存在だ。ナンパの方がマシなんて、真面目な僕に思わせる時代だ。

 

井の頭公園から自宅に帰ろうとした時、あるカップルとすれ違った。女性は終始俯き加減で、男性は女性の腰を抱いていた。別れる際であるが、僕には不自然だった。

別れる際で、パートナーの腰を抱くなんておかしいだろ?

ヤレる相手を手放したくないという本音が隠せていないのである。だが、あの若い子はそれに気付けるだろうか?

真面目な交際をするためには、個人として確立していなければならない。決まった相手がいないから落ち着かないというのは、パートナーに依存癖があり、個人化できていない子供だ。そんな子供ほど、あと先考えずに、軽薄なモテ自慢をする。

だから、僕は別に一人でカップルだらけの井の頭公園を歩いても、心を動かされることはないし、結婚や結婚生活が成功する条件の一つを備えているということになる。

だが、そのことに気付けるカップルがあの公園にどれほどいたであろうか?

水は高きから低きに流れる。今や人々の恋人に対する一途な気持ちも、神田川から下水に流れてしまっている。

僕はたくさんある誘惑を誠実に対処しなければならない。一途なタイプの僕としては、一月に一度は訪れる女性からのアプローチをどう回避するのかが人生の課題だったりする。思案のしどころである。

 

 

いい男の見分け方

コロナ禍の不況はバブル崩壊を遥かに超え、左翼政権が誕生しない限り、回復は見込めない。

これはこれ以上新興の富裕層は生まれず、アッパーミドルは少なくなり、ミッドミドルはロワーミドル化することを示唆することになる。

世の女性は普遍的に資産家が好きであるが、最近はこの傾向が強く、コロナ禍以降は決定的になるだろう。特に自身の生活レベルを落としたくなく、だからと言って独力で経済レベルを維持する能力も野心もない、大企業のOLはその傾向が強いだろう。

僕の読者にはそんなOLはまずいないだろうが、一応、狙うべき資産家のボンボンを高確率で発見でき、かつ高確率でお付き合いできる方策を簡潔にまとめるので、社会的に非常に有益な助言になるだろう。

 

現在の日本の上流階級の文化は二つある。

一つは戦前から続く資産家の文化だ。家毎に文化が違うということは、実はあまりない。基本的に規範が同じである。

地に足がつかないことを嫌がり、意外とヒューマンで、実は地味に働いていることが多く、贅沢はそれほど好きではなく、かなり人当たりがいい。

資産は固定資産が多く、いきなり資産を増やすことはしにくいが、同時に落ちこぼれになりにくい。

基本的には住宅地にそこそこ広い一軒家を構えている。

もう一つは新興の富裕層の文化だ。機を見るに敏で、かなり悪辣なことをしなければ数世代分の源蓄財を吹っ飛ばすことはできない。自分に自信過剰で、かなり傲慢であり、基本的に他人を見下しており、負け組は基本的に能力と努力が不足し、人間的に劣っていると認識しており、自分が落ちこぼれる可能性について考えておらず、負け組に対しては何をしても良いと思っている。

資産は浮遊資産が多く、急激に資産を増やすことが可能だが、同時に急激に失うリスクも抱えている。

タワーマンションに住むのが彼らの流行で、江東区のお台場が代表例だ。因みに消防庁タワーマンションの定義は消防車の放水が届かない24階建以上のマンションを意味し、お台場は地震が起きればすぐに液状化する。見栄は最強の文化なんだろう。

彼らの子供世代即ち50代以下は昔からの上流階級の子弟と共に教育されることが多くなるため、新興の富裕層の文化が歴史的な上流階級の文化を侵食している。特に東京近辺はそうで、上流階級的規範を持った資産家の子弟はおそらくかなり少数派だろう。僕の親戚は階層が違う女性とお見合いで婚姻している。これは同一階層内で上流階級的規範を共有している人が非常に少なくなったことを示唆している。真面目な人を探すなら資産に拘るのが難しくなってしまったということだ。

 

新興の富裕層の文化圏にいる人は自分の見た目に物凄い金を注ぎ込むし、自信が満ち満ちているため、ステイタス上は極めてモテる。しかし基本的に人を愛さないという文化を持っているため、恋人や妻や子供を人間扱いしない例は少なくない。

愛人がいるのが普通で、妻に家の資産を管理させず、新たな相手ができたら、不倫せずに離婚して、パートナーを変える、ということを繰り返す。

三ヶ月位遊ぶには最高の相手だが、結婚となると金と見栄を重視する女性でないと厳しいだろう。精神的な繋がりを求める女性なら、辛いものがある。

一方、歴史的な上流階級は実は自由になる金が少なく、質実剛健を良しとする規範があるため、そこまで自分の見た目に投資しない。自分の見た目に投資しないと言っても、アッパーミドル程度の見た目をしており、高級車を乗り回したりしないが、腕時計などのアクセサリーはそこそこいいのをつけている。とはいえロレックスやオメガなどのコテコテのブランドものよりは、質重視の自動巻き時計とかになる。因みに僕はツェッペリンを愛用している。一見するとアッパーミドル風だが、よく見ると、割といいもん身に付けてる程度である。

不労所得で遊び歩くことを否定する規範なので、なんらかの仕事をしているか、自分の趣味や活動に没頭していることが多い。例えば、北川景子の旦那のDAIGOとかは、ミュージックビデオでさえバンドメンバーがボーカルをフォローする気ゼロだが、バンドメンバーと同じ生活水準でなければならないと考え、当初は竹下の孫ということを隠し、アパートで自炊していたらしい。かくあるべし。

普通にサラリーマンやっている場合もあれば、教職や公務員をやっていたり、専門職や研究職をやっていたりする。しかし、そういう階層に慣れている人やふた昔前の芸能人を知っている人、テレビや流行などの男性のステイタスに惑わされない人であれば気付く。そうでない人は気付きにくい。一見、ただの礼儀正しいアッパーミドルに見えるからだ。しかも金持ち自慢を忌避する規範に生きているため、仲良くならないと金持ちだと認識できない。ただし同一文化圏の人は言われなくても一目瞭然だったりする。

遊び相手としては、ふつーにまっすぐで優しいいい奴なので、十中八九あまり面白くない。結婚相手としては、金と見栄しか興味がない人以外は理想的と言える。

 

区別がつかない、目立たないなら狙えない?いやいや同一階層なら一目瞭然というのは、ちゃんとした理由がある。そのポイントを抑えておけば、二、三十分ですぐに判別できる。

実は都心部で遊び歩いている女性なら、一年に数人は会っている。気付いていないだけだ。少なくなっているとは言ってもそこそこいる。

アッパーミドル風で、礼儀正しく、謙虚で、傲慢な物言いが少なく、あまり自己主張しないが、自分の主張を曲げることは殆どなく、周囲に同調するために意見を変えるようなこともなく、周りに見えないようにさりげなく気を遣ってくれる人である。

この条件は全てにちゃんとした理由がある。

礼儀正しい、傲慢でない、謙虚これらは全て上流階級の文化規範にある。これらをひっくるめて、当然守るべき礼儀作法であって、本心ではどうかは分からない。彼らというか我々は逆にこれらが守れない人をまともな人間と思えない。だから、いきなりタメ口使ってきたり、他人を笑い者にしたり、自慢話している人を我々は「育ちが悪いんだから仕方ない」と心の中で思っていたりする。

この文化圏はたとえ働かなくてよくても、働くことを求められることが多い。第一には新自由主義以前の累進課税率や有価証券に対する課税、相続税率が高かった時の名残りで、第二には家督という概念の名残りが残っていて、賢く、時流に直ちに乗らない冷静さを求められるからである。だから、謙虚であるにも関わらず、自分の主張はしっかり持っていて、それを滅多に曲げることはない。つまり、自信がないから殊更自己主張しないのではなく、自信があるから声高に自己主張しないのである。自由にできる金が少ないだけで、実家には金があるため、組織内の出世にはそれほど拘る必要がない。つまり、周囲に同調する必然性はない。

基本的に周りにアピールすることはあまり好まないので、結果的に良い人アピールになりそうな時はそう見えない場面を選ぼうとする。これは公私の区別が強いからだ。例えば、周りの面前で相手に優しくするより、トイレに行った時とかにさりげなく声をかけることを選択する。これは僕だともはや本能的行動で、別におしゃれだからやってるわけではない。

実はこれらは全て明治以前の文化を引きずっている。要は江戸時代では武士階級だったため、基本的にそのまま規範とかがスライドできるところはスライドしてしまっているだけだ。

 

アッパーミドル風で、礼儀正しく、謙虚で、傲慢な物言いが少なく、あまり自己主張しないが、自分の主張を曲げることは殆どなく、周囲に同調するために意見を変えるようなこともなく、周りに見えないようにさりげなく気を遣ってくれる人。

これらは実は、僕より10以上年上の世代ではいい男の条件だった。だが、バブル期以降、いい男の条件の流行は変わり、より男性を強烈にアピールするのが良しとされるようになる。実際に多くの人に遊べる余裕が出来ると、いわゆるボンボンと付き合うのはあまり楽しくなくなっただろう。金持っているくせに、フランス第三共和制のプチブルみたいな真似されると見てくれは最高とは言えない。時代を経るにつれ、昔の記憶は薄れてしまうので、特に都市部では、女性はボンボンを見抜けなくなり、ヤバい男に目が行きがちになる、ということになる。

これらの条件に見合う男は思い起こせば結構多いことに気付く筈だ。そして、かなり見逃していたことも。若いOLならあまりの失敗の多さに後悔しまくりになる筈だ。あなた方は自分で言うほど、男を見る目がない。ステレオタイプのステイタスに騙されているからこうなる。同じ金持ち狙うなら、こっちの方が安心安定だろうし、競争率もあまり高くない。

 

余談

実は、上流階級のボンボン、お嬢様は顔の造形が似ていることが多い。数百年以上同一階級内で婚姻してきたからだ。戦後、階級流動が頻繁に起こっても、彼らと彼ら以外では顔の造形が違いすぎるため、単に好みの観点から、似たような顔の造形の人と結ばれることが多い。

例えば、僕はアプリで会った歯科医の女医さんや担当の美容師さんと瓜二つである。女医さんとは眉毛が違う。美容師さんとは目が違うだけだ。因みに親父と母方の祖母は瓜二つで、母方の祖母と父方の祖母は似ている。僕は小川キャスターの旦那に似ているし、ぶっちゃけ麻生太郎にも似ている。丸顔で、頬がペチャっとしていて、笑うとクチャっと笑うタイプである。

俺なんか女医さんとマッチングした時、親父に聞いたからね。「親父てさ、31年前に隠し子作ったりしてねーよね?」因みに返答は「はー?お前、俺に隠し子いると思ってんのか?まあ、世の中には三人自分に似ている奴はいるて言うからな」でした。

 

都市部の50代以下には忘れ去られてしまっているが、地方では規範が多少残っていて、それほど珍しくない。僕は顔の造形も似ているし、態度もそれなので、地方に旅行に行くと、行く先々でチラチラ見られることがある。最初は「地方の世間なんとかか?」と怖かったが、なんてことはない、彼らは僕を親類か友人、有力者とかと思えるので、脳内の名刺を思い起こしているのだ。すみません、あなた方の脳内に僕の名刺はありません。

新興の資産家文化に毒されている人も顔が似ている人は多いが、彼らがチラチラ見られることはない。何故なら、態度が違うからだ。僕なんかは見ず知らずの飲食店の従業員にすら、柔和な態度で接し、「ありがとうございます」「すみません」などと頭を下げる。かくあるべし、と育てられているからだ。だが、彼らは態度が違うので、「東京もんが」と思われて終わりである。

誤解生んで、すみませんね。

 

 

 

ファイザーワクチンが足りない状況とその影響

以前に「海上輸送?港といいここのブログ主さんはワクチンを悠長に海上輸送していると思っているのか? ワクチンはANA 、DHLが航空輸送で日本に運び込んでいるのだが。まあワクチンに関しては碌に調べず、ワクチン保存温度に関してもデタラメを平気で記載して恥ずかしく無いのでしょうか?」と言ってきたネット民がいたので、まさかと思い調べたところ、確かに3ヶ月前はファイザーのワクチンを空輸していた。

空輸では、ファイザーが指定する、マイナス70度の保管は不可能であるから、3ヶ月前のファイザーのワクチンは基本的に使えないということになる。ファイザーも責任をとれないため、破棄を要求しただろう。

日本で、ファイザーのワクチンが足りない原因はほぼ確実にこれであると考えられる。

 

しかしながら、菅政権は高齢者へのファイザーのワクチンの接種を5月から6月に行うと約束してしまった。圧倒的に足りない。

現在、歯科医のワクチン接種はほとんど全く進んでいない。そもそも東京都歯科医師会の予約サイトにアクセスできないのだ。豪を煮やした文京区歯科医師会は独自でワクチン接種を、不可思議にも進めることができた。慶應大学に買収されることが決まっている東京歯科大学も同様で、新宿歯科医師会、四谷歯科医師会も共同で独自にワクチン接種に当たると聞いた。

これは政府が①歯科関係者用のワクチンがある②しかし出し渋っているということを示している。おそらく政府は医療関係者用のワクチンを高齢者に回すつもりなのだ。これがバレれば、医師会、歯科医師会が自民党から離れ、民主党が政権奪取した時の再来になってしまうだろう。

 

政府はポーランドからファイザーワクチンの買い付け或いは横流しに成功し、現在、海上を輸送中である。アメリカには日本の冷凍船が向かっている。だが、それでも数千万人分としては数が足りない。いや、そもそも日本国内では、マイナス70度の保管設備など研究所くらいにしかないのだ。

日本政府はアストラゼネカや日本製などの、安全性にやや疑問があるワクチン接種を進めている。それでも数が足りない場合、最悪の可能性が残されている。それは廃棄した筈の空輸してしまったワクチンを若者向けに接種させる含みがあるのではないか?ということだ。

それらのワクチンは十中八九、本来不活性状態になっていなければならないコロナウイルスが活性化しているだろう。若者向けには、対コロナワクチンではなく、コロナになりますワクチンの接種を進める可能性があることを示唆している。

 

補選前の最新の菅政権の支持率は40%だった。しかし三補選はいずれも大差で敗北している以上、その数字は偽である。安倍政権ですら、30%程度の支持率で選挙に勝ったことがある。菅政権の支持率は25%程度の筈だ。

だとするなら、主要なマスコミは全て菅政権と強力に癒着していると考えるべきで、おそらく、菅政権はワクチン接種のさまざまな問題が有権者に知れ渡るのを防ぐことができる自信がある。

こうなると、情報が出回るのは半年から一年以上のタイムラグが生まれるため、我々がその問題を共通に認識できた時には既に遅い、ということになる。

 

これらのワクチン接種の問題は数年後に国賠訴訟になると思われるが、日本ではワクチン接種を強力に推し進め、健康被害があった場合、被害者に得べかりし利益を支払う必要があり、このような経緯から、最大の損害賠償が命じられる公算が高い。

一人頭、350万×20+治療費と計算して、平均一億円程度だが、被害者は5万人は下らないだろう。しめて、5兆円である。