merlinrivermouth’s diary

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日本で右翼が安定する理由

日本人のほとんど大多数は甘えている。自身の感情の前には主義や自己利益を無視するし、誰かを責めたりするのに感情的な理由しかないく、そこでは手段の正当化や適正化などは議論になることもない。日本人の感情の前では論理的な会話は成立しない。だから、最終的に一億総玉砕的な状態になるまで、継戦できた。

日本人は誰かがなんとかしてくれると期待しているし、誰かがなんとかしないことに怒るが、その実、公然となんとかしてくれなくていいと態度表明している。根本的に筋を通すことができる人は数%もいないため、多数の利益配分や調整では、互いの感情が優先されて、脈絡がなくなってしまう。

彼らの甘え、幼児性を解決する手段が強固な上下関係と中間団体、世間である。中間団体内では、自身の主体性を持つ必要はなく、多数派にならってさえいればよく、自身が何ら努力せずとも中間団体がある程度の恩恵を与えてくれる。そうなれば、少なくとも中間団体内に留まりたい人々の中では、トラブルはない。一見すると近代価値を標榜する日本人でも、すぐさま中間団体を作り、その秩序の維持のために奔走する。それだけ甘え文化がある日本人には必要不可欠な社会装置だ。

例えばTwitterフェミニストの中心的人物がまともな議論をしている人物に対して、非近代的手段を用いて攻撃したり、同様のフェミニストに関わらず、自身と考えが違うからと執拗に嫌がらせを行うのは、主義のためではなく、中間団体の秩序維持のためで、そこには正当で適正な手段はとられない。いや、中間団体の維持という目的自体が正当化根拠である。

このような状態であると、中間団体の構成要員に含まれてしまっているメンバーは明確な理由なく排除される可能性があるため、多数派につかねばならない。本人の考えとは別に、中間団体内に留まりたいのならば、自分が不適切な手段の被害者になりなくないのならば、そうせざるを得ない。

中間団体内の意思決定層が賢明でなければ、利益の分配は少なく、手続きや手段は不適正であったり、正当でなくなり、違法行為が多くなる。このような場合、強固な上下関係がなければ、中間団体内でヘゲモニー争いが起き、たちまち感情爆発になって、中間団体が崩壊する。そのようなことを防ぐために、中間団体は強固な上下関係が前提となることが多い。上下関係は中間団体の集合体である世間的なランクで決まる。

そのなんとなくのランクが妥当でなかったとしても、目的は上下関係の維持のためであり、意思決定層の能力ではないため、問題が発生しにくい。

上下関係と中間団体の無数のレイヤーがより集まって世間を構成し、世間自体が中間団体となって、上下関係を必要とする。その意思決定層もまた、上下関係を目的とするため、能力を問わず、従って無能でも問題がない。日本の政治家がああなのは理由がある。

日本では、会社や地域社会の中間団体が薄くなっているが、それでも日本人が集まれば中間団体を構成する。ほとんどの日本人は甘えているため、集合しないと存在を許されないからだ。

日本の右翼思想とは、これらの中間団体を構成する手段を事細かに分類し、分類したごとに伝統だの歴史だのと言った手段で正当化したものだ。日本人のほとんど大多数が甘えていて、中間団体がなければ存在を許されない以上、右翼は必須である、ということになり、近代化することができない。日本で近代的個人となり得た人物は0.4%もいないだろう。

日本は斜陽なので、この社会装置では、意思決定層の能力が担保されず、問題が発生している。つまり、現実的な日本の課題は近代化や人権、民主主義、経済政策にあるのではなく、意思決定層にいかに能力ある人を登用するか?ということに尽きるということになる。

日本で右翼が必須であり、安定している理由は、日本人が甘え文化にどっぷり浸かり、支配されることを望み、支配されることでしか存在できないからだ。

 

 

弱者男性とは何か?また彼らに未来はあるのか?

私は甘えている人間が好きではない。議論が成立しにくいし、進歩が全くないからだ。本人の意思でそうなった、という場合は大いに同情できる。例えば、弱者男性が経済的に弱いのは彼らの責任ではない。弱者男性が、女性が自分よりも階層性の高い男性を婚活の目標にすることに対して、ケチをつけたくなる気持ちもわからなくはない。本人の意思ではどうにもできない問題だからだ。だが、自分たちと女性たちの地位を向上即ち再分配政策やフェミニズムを求めることに、自ら反対しといる以上、女性の恋愛観に対してケチをつけるのは甘えと言える。

彼らはまたこうも言う。女性が自らより階層性が高い男性を求めるのはフェミニズムの女性のダブルスタンダードだと。彼らの、このような倒錯した理屈は甘えがなければ発生しない。フェミニズムが日本社会の諸野の前提であるならば、彼らの主張は通るが、現実はミソジミーが前提となっている。ならば、現実がフェミニズムになるように主張しつつ、自らの生活のために現実に適応するのは至極当然のことだ。これを批判することは、現実生活に対して全く努力していない前提がないとできない。そんな男性と誰が人生を共にするというのか?

彼らの主張だけ聞いていると、現実が勝手に変わって、彼らの都合の良いようになることが正しい姿であると思っているようにしか思えない。だが、彼らが浮かばれる路線は再配分とフェミニズムしかないにも関わらず、彼らはそれを否定する。ますます彼らの階層は搾取され、女性は彼らと付き合うのをやめるだろう。

彼らのような存在は日本だけでなくアメリカにも存在する。アメリカでは、自己破壊的な人生を送り、低寿命で、ついには黒人の死亡率や平均寿命を抜いてしまった。アメリカにおけるプワホワイトもレイシスト化し、自暴自棄な事件を起こし、短い人生を終える。

日本でも、彼らの女性への犯罪が増えている。ベビーカーにわざとぶつかったり、手当たり次第に女性を押し除けたり。

彼らの憤懣やる方ない様は理解できる。経済的に落ちぶれたのは彼らの責任ではないし、私は格差拡大路線が正しい社会の姿とは思えない。だが、そんな彼らは誰でもできる努力をしないで、ただただ八つ当たりをするばかりだ。それでは、女性が彼らと敢えて交際しようなどとは思わないだろう。女性にとって優先順位が極めて低くなるのは自明の理だ。家族のための経済的努力を行う可能性も低いうえに、家族に対して共感力が極めて低いと推定できて、DV可能性が極めて高い人間が、非常に経済力が低く、女性と交際した経験がないというのだから、どうにもならない。

彼らの状況は不正義と言えるが、彼らが彼らの状況に甘んじ、最低限の努力も怠ることは、彼らの甘えであり、彼らの責任だ。リベラル政党に投票することや支持することは誰にもできる。女性に八つ当たりしないことは誰にもできる。恋人やパートナーを愛することは誰にもできる。それらすらできず、逆をやるというのは、自ら社会にとっての不穏分子かつ搾取対象かつ奴隷的身分だと証明しているようなものだ。

体制や保守政権は自らの都合のよいように、彼らの声を部分的に利用するだろう。逆再分配政策は継続し、女性の地位はますます下がる。弱者男性がますます困る状況に陥る。

これを読んだ弱者男性は甘えてないで、最低限の努力くらいするべきだ。それすらできないなら、自分の小さいプライドのせいで、野垂れ死ぬだろう。

河野太郎総裁の可能性

菅政権が11月まで持つとは誰も考えていないだろう。

河野ワクチン担当相は医療従事者へのワクチン接種が終わった段階で、高齢者へのワクチン接種を始めると答弁した。医療従事者へのワクチン接種は河野ワクチン担当相の管轄ではなく、厚生労働大臣管轄であるから、高齢者へのワクチン接種がいつ始まるか定かではなく、始まるのが遅い責任を河野ワクチン担当相は負わなくて済む。また、その理由付けとして、医療従事者向け−70℃の冷蔵庫を高齢者へのワクチン保管と回すというものだから、正当性がある。

医療従事者向けのワクチン接種が終わるのは、5月から7月、高齢者のワクチン接種に2カ月間かかると推定すると、その前に菅政権が倒れる公算があり、河野ワクチン担当相は少なくとも表面的にはワクチンの問題性から責任を負わずに済むだろう。おそらくそれが彼の狙いだった。

 

しかし、河野太郎氏の総裁の目が有力候補としてあるか?と問われれば、私は疑問である。

河野太郎氏は財界を敵に回しているため、マスコミはネガキャンするだろう。それもファイザーワクチンの情報と経緯を報道する筈だ。河野氏にとって不運なことに、マスコミは真実を報道すればよいだけで、それはある意味菅政権でのマスコミの信頼性を取り戻す意味合いもあるだろうから、河野氏は非難しようがなく、非難すれば河野人気は下がるだろう。

自民党議員はすでに河野太郎氏が党内で孤立しつつあることを認識している。更に彼のネトウヨによるフォロワー数などどこまで当てにできるか疑問であるし、河野太郎氏は利権を分配するような真似をしないから、議員から積極的な支持を集めることができない。

いくら河野太郎氏にフォロワーがいても、実際の党員とは乖離し、地方とは全く関係なく、党員票は地方で決まる。つまり、彼の人気の有無など、総裁選ではほとんど意味がない。

それでもコロナがなければ、自民党の起死回生候補になり得たが、現状はかなり怪しい。自民党や財界からすれば、いつもの通り、リリーフは宏池会候補にした方がよく、おそらくその方が国民的人気があるだろう。宏池会候補を紐付きにするために、財界が全面バックアップすれば、勝負ははっきりする。

また、固辞している西村氏が一転出馬となれば、その時点で勝負は決まる。

河野太郎氏が総裁になる確率は非常に低いだろう。

個人とは孤独なものだ

日本人は周囲の人間的評価を異常に気にする傾向にある。その現象は日本に世間があり、中間団体があり、人間的評価がキャリアに多少なりとも影響するから、という説明が一般的である。だが、私は、主要因は日本人の幼児性にあると思える。実際、他者の評判を気にしないなんて日本人がいたら、日本人は変人に思う筈だ。

日本人は自らの悪い評判を気にする。その悪い評判がそもそも妥当でなく、悪意があり、それを発した連中と親しくなくともだ。確かに自身の社会的地位や経済的地位、尊厳、社会的正義に関することなら、むしろ戦わなくてはならない。だが、精神的に影響を受けるようなことだろうか?

私は私と同様の出自、属性、階層の連中と親しくなれない。正確に言えば、その人個人がどうあれ、基本的に敵対関係になる。私の存在自体が彼らの有り様の強烈なアンチテーゼになるからだ。だが、階層が高くない人々と仲良くなれるか?といえば難しい。私自身の複雑な人生は彼らのシンプルなそれの概念の外にあるから、彼らは受け入れ難い。そして日本人は排他的である。

私が日本人のどのような集団に属そうとも、私は常に無意味で、なんの脈絡もない陰口の対象になる。しかし彼らの一人一人は私に「実はまともな人だ」と言うのである。私はいちいち気にしなくなった。自分で考える脳みそもなく、周囲の動向に常に左右される甘ったれどもと仲良くする必要なんてない。自らを理解している数人と親密であれさえすれば、それでいい。

自分で自己利益を考え、自分で人間の自らを律せるある種の指針を考えられる人間は近代的な個人である。その才能は代償として孤独をもたらす。日本ではそれは顕著だが、欧米世界でも言うではないか。個人は孤独であると。ヨーロッパがいかにフラタニティでコミュニティを形成しても、その本質は変わらない。日本ではそれがより顕著に出るというだけの話だ。

日本において個人を獲得した人間は社会的、経済的地位、実績、名誉を手に入れる資格を得られる。だが、代償は人間関係だ。だが、そのようなものに何故気にやむのか?取るに足らない連中の評価ないし評判など、空気と同じだ。匂いがするだけで、自らの進むべき道を遮るものではない。

憎恨反抗平成歌

日、西へ沈みて、地、怒り乱れん。

我、心殺され、心、生断たんとす。

心、人憎しみて、生、国恨む。

時、魂与え、魂、志在る。

魂、人に反し、志、国に抗す。

我、西見ては興示せず。

我、天叫す。我、天要らず。

我、地供す。我が魂、汝が物也。

我、人に誓わん。我が志、人にこそ遂げん。

我、人に訴えん。

人、心在れば、国、人在り。

国、人在れば、地、平静成る。

呉座氏とその周辺の違法性及び社会的地位への影響

呉座氏とその周辺が行っていた特定の知的階層にあたる女性たちへの投稿は名誉毀損である。そのサイトの登録者が4000人もいたため、プライベートであるという抗弁が成り立たない。しかしながら経済的評価が限定されているため、裁判自体は被害者一人当たり数万程度の賠償だろう。

呉座氏は既に形式上謝罪し、自身の投稿を削除したため、自身とその周辺の不法行為を認め、法的追及から逃れている。呉座氏には弁護士がついているようだ。

しかし、呉座氏の周辺は相変わらず、自らの非を認めないばかりか、被害女性たちに対して、理解不能の度重なる迷惑行為を働いている。これは最低でも被害女性への名誉毀損行為が継続していると判断でき、呉座氏は法的追及を逃れたものの、周辺は逆に悪質性を増したと評価できる。

それでも経済的評価は微々たるものだが、彼らの中には大学教授を名乗る者や地方公務員、NPO法人の事業者などがいて、彼らにキャリアに致命的なダメージを与えることになることは容易に想定できる。

仮にも自身を知的階層と位置付ける者たちが悪びれもせずに自身のキャリアを台無しにする様は愚かで、非常に滑稽である。

具体的には、地方公務員はこれ以上の出世は望めない。NPO法人の事業者は当該NPO法人に政府が予算配当しなくなるため、破産である。大学教授は学会での影響力を失い、上位の大学や中堅の大学にいられなくなる。

彼らはそのことを危惧しているのか、フェミニスト側が電凸を行っていると抗弁している。しかし、彼らの所属する組織は公的機関または準公的機関であり、呉座氏が行ったことや現に彼らの行っていることは不法行為が推定できるため、そもそも電凸自体が法的には正当行為である。それは彼らの所属する組織の事務が滞るから不謹慎だ程度の意味しか持たない。

また電凸を非難したところで、彼らの不法行為が消えるわけでもない。愚か者には愚か者にふさわしい愚かな考えしか思いつかないのだろう。

笑えることには、そもそも電凸を行なった者は二、三十人しかいないのだという。愚か者たちが集まって、危機的状況になると、妄想を膨らませてしまうようだ。これだけでも彼らは知的階層に相応しくない。馬鹿なんだから。

被害女性の一人である北村氏は日弁連の無料弁護士に会ったという。東大法学部出身の女性弁護士たちが、調子こいてる勘違い男どもをいじめられると、北村氏を楽しみに待っているという。

どちらにせよ、被害女性が弁護士をつけた以上、呉座氏の周辺の社会的地位はギロチン台に据え付けられてしまったことになる。

だが、彼らにどこまでその自覚があるだろうか?私は彼らの知的水準から鑑みて、全く自覚がないように思う。

 

この件は、法的にも社会的にも、呉座氏とその周辺には庇えるところがない。にも関わらず、セクハラめいた、陰湿で、理解不能の嫌がらせを繰り返しているのだから、同情の余地など全くない。

彼らが合理的或いは倫理的或いは道義的な考えより、自身のプライドを優先をさせている様は、まさにミソジミストとたる所以と言える。決定的に、自らを律する意思力がない。

脳みそがキンタマについてんだろ。

 

 

恐怖のカラオケ館

思わず、柄にもなく、あまりに怖いことがあったので、日記的なことを書く。

僕の近所はライブハウスが沢山あり、駅前の商店街にはカラオケ館だけで3つもある。その中にはビルまるまる一棟カラオケ館というのもある。

マッチングアプリでマッチングした女性にカラオケに誘われたので、最近6年ぶりくらいにカラオケに行って練習するようになった。

歌うこと自体は好きだし、音大も出てる恩師がライブやりたい的なこともたまに言うので、練習は続けている。

 

僕は月曜日が休日なので、昼間一人でフリータイムで歌うのだが、いつも何故か隣の部屋にバリうめー奴が歌っている。彼はバンド仲間連れだったり、カップルで来て、割とポップを歌っている。めっちゃ上手いのはいいけど、エコーが強くて、、、。

昨日のことである。また隣の部屋が彼だった。だが、いきなり歌い方が変だった。

ドライフラワーをシャウトしてる!どーしたの?

しかも、歌と歌の合間にまたシャウト。別れの歌ばかり歌って、壁にどんどん。壁ドンの使い方間違ってます!

最終的に「軋むベッドのうえで、優しさをもちより」と尾崎豊をやっつけ半分のシャウト気味で歌い始め、もうこっちは透明で人型のなんか白い奴が出てきそうで、怖いす。

ところがである。

「うま〜い☆」

えー!?バンギャル連れかーい。

しかもこのバンギャル、空気を全く読んでいない。

さながらバイオリンのコンクールにエレキギター持ってきた並みの違和感である。

いやいや、ご本人、明らかに彼女にフラれてキレてんじゃん。そこでその合いの手、、、落武者も出てきそうな雰囲気だった。

彼の気持ち察するにあまりある。それは確かにシャウトしたり、違う意味で壁ドンしたくなる。

僕は恩師が連絡して来たので、これ幸いと逃げ出したのであった。

 

Mr.BigのTake cover歌いました。彼とそのバンギャルに含むところはないです。

https://www.clubdam.com/app/damtomo/SP/karaokePost/StreamingKrk.do?karaokeContributeId=26764567